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めぐりあう時間たち [DVD]

4.0 5つ星のうち4.0 94個の評価

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価格
新品 中古品
DVD 初回限定 ¥2,980 ¥286
DVD 通常版
¥4,400 ¥409
DVD 通常版
¥4,980 ¥491
フォーマット 色, ドルビー, ワイドスクリーン, DTS Stereo
コントリビュータ エド・ハリス, ニコール・キッドマン, スティーヴン・ダルドリー, ジュリアン・ムーア, クレア・デインズ, メリル・ストリープ, マイケル・カニンガム, トニ・コレット
言語 日本語, 英語
稼働時間 1 時間 55 分

「カラオケ行こ!」Blu-ray & DVD 予約受付中
8/7発売。Amazon.co.jp限定特典はクリアしおり&ポストカード付き。現在特集ページでは岡聡実役の齋藤潤さんからのコメント動画を公開中! 特集ページをチェック

商品の説明

Amazonより

1923年のロンドン郊外、『ダロウェイ夫人』をしたためる作家ヴァージニア・ウルフ。1951年のロサンゼルス、『ダロウェイ夫人』を愛読する主婦ローラ。そして、現在のニューヨーク、ダロウェイ夫人のような生き方をしているクラリッサ。別々の時代、別々の場所に生きる3人の女性の一日が交錯する、珠玉のドラマ。
特殊メイクで鼻の形を変え、本作で第75回アカデミー主演女優賞を受賞したニコール・キッドマンの名演は文句ないが、むしろ難しい役どころをこなしているのがジュリアン・ムーアとメリル・ストリープ。表には直接出てこないふたりの苦悩が、繊細な演技によって浮かび上がってくる。出会うことのない3人の女性のドラマは、詩のように美しい言葉が触媒となり、時代を自在にスライド。『ダロウェイ夫人』の物語はもちろん、口づけ、花などが三者三様に意味づけられて登場し、後半には、生と死というテーマがドラマチックに立ち現れてくる。すんなりと物語に感動できる作品と言うよりは、巧みな脚本と演出、上質な演技、衣装や美術を含めた映像の総合点でうならせる秀作だ。(斉藤博昭)

レビュー

監督: スティーヴン・ダルドリー 原作: マイケル・カニンガム 脚色: デヴィッド・ヘア 撮影: シーマス・マクガーヴィ 美術: マリア・ジャーコヴィック 音楽: フィリップ・グラス 出演: ニコール・キッドマン/ジュリアン・ムーア/メリル・ストリープ/エド・ハリス/クレア・デインズ/ジョン・C.ライリー/トニ・コレット 声の出演: 平淑恵/田中敦子/鈴木弘子/村田則男/浅井晴美/巻島康一
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内容(「CDジャーナル」データベースより)

登録情報

  • アスペクト比 ‏ : ‎ 1.78:1
  • メーカーにより製造中止になりました ‏ : ‎ いいえ
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語, 英語
  • 梱包サイズ ‏ : ‎ 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
  • EAN ‏ : ‎ 4988126203207
  • 監督 ‏ : ‎ スティーヴン・ダルドリー
  • メディア形式 ‏ : ‎ 色, ドルビー, ワイドスクリーン, DTS Stereo
  • 時間 ‏ : ‎ 1 時間 55 分
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/11/25
  • 出演 ‏ : ‎ ニコール・キッドマン, ジュリアン・ムーア, メリル・ストリープ, エド・ハリス, トニ・コレット
  • 字幕: ‏ : ‎ 日本語, 英語
  • 言語 ‏ : ‎ 英語 (DTS 5.1), 日本語 (Dolby Digital 2.0 Stereo), 英語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
  • 販売元 ‏ : ‎ アスミック・エース
  • ASIN ‏ : ‎ B000BM6HM2
  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 94個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4つ
5つのうち4つ
94グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2019年10月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
スペシャルエディションだけあって、撮影秘話や各俳優の役作りのインタビューなど本編と同じくらい見ごたえがあった。

勿論、本編ストーリーも見事で何度も何度の観返すことになり、その度に俳優の演技力に圧倒されました
私がいままで観た数々の映画の中でも1・2位を争う作品だと確信しています。
観終わったあと心に残る映画です。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年9月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ウルフは死に、セプティマスも死ぬとはわかっていたけど、最後に行くに連れて暗く重苦しい映画だった。
2015年3月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前半は、繋がりが曖昧なまま進行するので、判りづらいのですが、
後半の、話の収まり方が、技ありで好きな作品です。

明るくも、暗くもなく、日常の中の分岐点を描いているので
地味目な話ですが、豪華3女優の演技と、BGMのセンスで引っ張られてしまいます。

私としては、音質の向上と、バージニアウルフ時代の景色に期待して
ブルーレイを購入しましたが、精細さは向上しているものの、イマイチ発色が悪い感じがします。
ちょっとグレンもキツめです。
音質に関しても、作品の性質上派手に鳴らせないためか?曲調の割りに響きがイマイチに感じました。

期待したほどではありませんでしたが、廉価のブルーレイとしては充分な出来なので、
3女優の中に好きな女優さんが居る方は是非。

ニコールさんは難しい処のあるアーティストなので、演技全開
ジュリアンさんは、鬱屈した主婦で、時限爆弾を抱えた演技
メリルさんは現代的な、極めて普通の人で演技を感じさせない演技

あと
エドハリスさんの病気の負い目を毒舌でカモフラージュする演技も素晴らしいと思うので
エドさんが好きな方も是非。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年8月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
3人の女性の人生が時間を超えて、織りなされる作品です。バージニア・ウルフが素晴らしかった。
演じているのは、誰か・・・ご自分の目でお確かめ下さい。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年3月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
Fictionとはいえ、見ていて悲しくなり、タイトルに記した憤りを覚えます。しかし、これらも一つの人生経験。このような人生であった故に、Virginiaはあのような作品を我々に残したのでしょう。皆さんは、「人生は一度切り」と思いますか?私は思いません。私たちは、或る条件を満たすまで、何度も人生をやり直しているのだと確信しています。皆さんは「21グラム」というビデオをご存じでしょう。1907年、米国の内科医Duncan MacDougalは科学誌に「魂の目方とその証拠」という主旨の彼の実験結果に関する論文を発表しました。近頃の心理学者・科学者は、MacDougallの実験(結核末期患者の同意を得て、死に際の体重の変化を台ばかりの上に置いた簡易ベッドで測定し、その最初の患者の目方の減少が21gだった)は、すべてにおいていい加減な実験であった、と評しています。その心理学者の一人は、英国のSusan Blackmoreです。彼女は、自分自身OBE(幽体離脱)経験をしていながら、そんな馬鹿なことがあろうか、と自問し、結局、ありきたりの心理学者に改心。天文学者カール・セイガンはその改心をたたえています。私は最近米国の少し風変わりな科学誌The Journal of Scientific Exploration (Vol. 24, No.1)に、「Rebuttal to Claimed Refutations of Duncan MacDougall’s Experiment on Human Weight Change at the Moment of Death」を出版しました。その目的は、「魂の目方は21g」の実験は立派な実験で、何の不備もないことを主張したものです。この科学誌が私の原稿を受け入れてくれたこと自体、世の科学者のなかには、このような問題を真剣に考えている人たちもいることを示しています。このDVDのなかで死んでいった人たちも、また生まれ変わることでしょう、何故なら、「或る条件(Value Fulfillment)」(if you would like to know it, please go to [...]) を満たしていないと思われるからです。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年12月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ニコールの演技を見たくて購入しました。
素晴らしいですね。
ニコールではなく、もうバージニアです。
いやはや、これが映画だ。
すばらしい映画をみると、得した気になります。
友人に勧めております。
あのニコールのお人形顔より、ずっとこちらが生きている。
演技最高。
人間のつらさみたいなもの、あれが格好良すぎて。
女でも惚れますね。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年12月31日に日本でレビュー済み
この映画では、精神病に苦しみながら『ダロウェイ夫人』を書くヴァージニア・ウルフ(1923年)と、
ロサンゼルスで『ダロウェイ夫人』を読むローラ・ブラウン(1951年)、ニューヨークで友人の文筆家
リチャードの受賞パーティーを開こうとするクラリッサ・ヴォーン(2001年)という、3人の女性の1日が
別々に描かれている(ただし、2番目と3番目の話は最後に交錯する)が、タイトルにも記したように、
原作を読まずに映画を見ただけでは、それぞれの話がいささか説明不足であるようにも思える。

3つの話は、ローラが『ダロウェイ夫人』を読み、クラリッサの名前がダロウェイ夫人と共通であることや、
3人がともに同性愛者である(そのために苦しみもする)ことなどで、互いに関連付けられているわけだが、
2時間の枠の大半を通じて、3つの話が別々に展開するという制約上、それぞれの話が単独ではやや
説明不足で消化不良に終わっている分を、2番目と3番目の話を最後に直接繋げることで、かろうじて
単一の作品として成り立たせているような気もしないではなかった。

どなたか書かれていたように、とくに2番目のローラの話がエピソードとしてはいちばん弱く(原作では
いろいろと背景の説明があるようだが、映画を見る限り、やや単純過ぎる話のように思える)、彼女が
『ダロウェイ夫人』を読む場面を何度か見せられても、それだけではヴァージニア・ウルフとの関連の
付け方がやや強引なようにも思えたし、ヴァージニアが登場する場面にしても、後知恵で「ニコール・
キッドマンのつけ鼻での鬼気迫る演技が凄い」とかは思うものの、やはりどこか説明不足なためか、
どちらかといえば、「田舎での静か過ぎる生活に飽き飽きしたヴァージニアが、夫レナードや周囲の
必死の努力にもかかわらず、性懲りもなく我儘を言って困らせているだけ」のように見えてしまった。
彼女の内面の苦しみをビビッドに伝えるためには、終始顰め面をさせるだけではなく、何かもっと他の
工夫が必要だったのではないかとも思う。

結局のところ、冒頭でヴァージニアが入水自殺する場面が全篇を支配していて(ラストも同じ場面)、
この場面があるために、見ている側もすべての話が悲劇に向かっていくことを当然の前提のように
受け止めるわけだが、彼女の死はかなり後年(1941年)のことだから、「『ダロウェイ夫人』の構想に
倣って、3人のそれぞれの1日を子細に描く」というこの作品の構造からすれば、この場面を使うのは
厳密にはルール違反ではないかという気もするし、やや意地悪な見方をすれば、「大作家の自死」と
いう衝撃的なエピソードをトッピングのように持ち出すことで、何とか話の全体をまとめあげようとして
いるようなのが、どこかあざとさと紙一重のようにも感じられなくはない。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年2月18日に日本でレビュー済み
原作は、Michael Cunningham(マイケル・カニンガム)という、今60歳ぐらいの作家の、
ピューリッツァー賞+ペン、フォークナー賞のダブル受賞作、The Hours。
好みの差は大きそうだが、この種の映画が好きな人にはかなり印象に残る作品ではないか。

これはまた文芸映画中の文芸映画だろう。
何しろ英国の作家、ヴァージニア・ウルフの代表作の一つである『ダロウェイ夫人』を
いわば本歌取りした作品なのだ。

いや、本歌取りというのは正確ではない。
1923年、つまり『ダロウェイ夫人』を書いている段階のウルフ自身も主人公の一人だからだ。
他に1951年のロサンゼルスの主婦ローラ、
そして2001年、つまり現代のニューヨークの編集者クラリッサ、
という時空を越えた、直接には関係のない三人の女性とその人生を、
時間というテーマでつなぎながら、交互に描き、
その中で生きること、死ぬことという主題を掘り下げる。

ウルフという人は死の問題にとりつかれて、結局自ら命を絶った人だし、
ほかの二人も、生や死をあれこれ考えざるを得ない立場にある。
別々であるはずの三人の人生は微妙に絡み合うように描かれていて、
たとえばローラは『ダロウェイ夫人』を読んでいるし、
クラリッサというのはその小説の主人公、ダロウェイ夫人のファーストネームでもある。
The Hoursというタイトルも、時間というテーマを示すと同時に、
ウルフの別の小説の題であるThe Yearsを意識したものだろう。
ほかにもまるでミステリーのような意外なつながりがあったりもする。

三つの人生を交錯させるというのは技術のいることだろうが、
監督(『リトル・ダンサー』で高い評価を得たスティーブ・ダルドリー)の手腕はなかなかのもので、
もちろん原作段階でも巧みに時間が交錯するように設定されているのだろうが、
演出も音楽でいうカノンのようで(バックに流れる音楽もそんな感じの曲だ)、
ポリフォニックに響き合い、お互いの人生、心情を反響し合う様子は見事というしかない。

ただ、あえて難というか、疑問をいえば、
三人の人生はそれほど有機的につながるのかどうか。
様々な人生、といえばそれまでとはいえ、それだとあまりにも広すぎるし、
かといって共通のものとして括るには、
それぞれの抱えているものはけっこう大きな違いもあるように思った。

特にウルフとクラリッサの人生の焦点が死にあるとすれば、
ローラのそれは逆説的に生にあるのではないか。

あるいはその辺は小説ではもっとうまく処理されているのかもしれない。
何しろ時間がテーマだけに、時間をかけて納得すべきものがあると思うけれども、
それは二時間余りという映画の形式と、そもそも相容れないものかもしれない、という気もする。
その枷があるわりにはよく処理していたと思う。

三人の女性を演じたのは、いずれもハリウッドの顔ともいえる女優で、
それぞれ賞を取ったり候補になるなど、演技はすばらしかった。
なかでもウルフを演じたのが、ニコール・キッドマンなのには驚いた。
何しろイメージがウルフとまるで合わない。
ところが実際見てみると、顔そのものすら違って見える演技で、堂々アカデミー主演女優賞を受賞。
こんな演技も出来たのか、と感心した。
とはいえ、これがウルフかといえば、
ウルフを先に知っていて先入観がある人だと、やや違和感も否めないところか。
簡単にいえば見た目が強すぎるように思った。
神経質なだけでなく、もっと脆い感じが欲しいのではないかというのが個人的な印象。

クラリッサのメリル・ストリープはいつもながらのストリープで、
だから一番自然で巧い、ともいえるが、役者としての冒険はない。
ローラのジュリアン・ムーアは、とくに難しい役だと思うが、一番しっくりきた。
それにしても松坂慶子さんに似て見える。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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