アルバムタイトルにもなっている1曲目の「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」。ブリッジ部のラップで、佐野元春はこう叫ぶ。シンガー・ソングライターがそんなこと言っていいのかと思わせる、身も蓋もないリリックだ。でもその投げ出してしまった感じがいい。それまでの彼の作品にあった、息が詰まるような生真面目さを自分で笑い飛ばしている感じがいい。
このアルバムではハートランドとの共演より、ロンドンで元ブリンズレー・シュウォーツのメンバーらと共演した曲のほうが多い。自分で全てをコントロールできない、相手に委ねざるを得ない、そのことがアルバム全体を風通しの良いものにしている。全曲NY録音の『VISITORS』にそれを感じないのは、佐野元春の強烈な個性やアーティストとしての自意識が、NYという異物を実はシャットアウトしているからだ。作り方が更新されていないという意味で『VISITORS』は、今となってはまだ『SOMEDAY』の文脈で語られるべき作品だろう。
しかし今作は違う。自国にロックの歴史を持ち、自分よりはるかに引き出しの多い英国ミュージシャンたちの前では、佐野元春のこだわりは「それってそんなに大事か?」と一蹴されてしまったのだろう。だから英国はすごい、洋楽は素晴らしいと言いたいのではなく(もちろん素晴らしいけど)、あえて自我を侵食されることを佐野元春は選び、それが功を奏した。ロンドンレコーディングに身を投じた佐野元春の判断に「いいね」したい。それが作品にかつてないほどの風通しの良さをもたらしたからだ。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」を地で行った佐野元春の勝ちである。
「陽気にいこうぜ」「ブルーの見解」「愛のシステム」「ふたりの理由」と名曲揃いである。「約束の橋」はのちにドラマの主題歌となったが、このアルバムのヴァージョンのほうが抜けがいい。
ストーンズ・ファンが『スティッキー・フィンガーズ』を推すように、“佐野元春・この1枚”といえば『SOMEDAY』になりがちだが、どちらもそろそろ更新されるべきでは。ストーンズの底力を示したのは『スティール・ホイールズ』であり、佐野元春のそれは『ナポレオンフィッシュ〜』である。奇しくも共に1989年の作品だ。今にして思えば、CDという長尺のメディアにタイトな内容が刻み込まれる最後の季節だったかも。
2023年、ストーンズはCDもサブスクも知ったこっちゃない的なコンパクトな尺の最高傑作『ハックニー・ダイアモンズ』を出したが、佐野元春はどうか。『ナポレオンフィッシュ〜』を超える傑作を、そろそろ発表してくれないだろうか。