まず、このタイトル。いかにもこの時代の東映らしいというか、お色気、官能を売りの一つにしている。
あの水上勉さん原作、佐久間良子さん主演の名作「五番町夕霧楼」に続く、日陰に生きる女性の物語。
同じ薄幸の娼婦が主人公でもその性格は大きく異なる。どちらの女性も世の中に絶望し戦いに負けたという点では同じで、官能シーンを入れてくるあたりも似ているが、夕霧楼の夕子は、気性は優しく美しく儚く散る。まるでそれが自然な流れであったかのように。
反面、こっちの娼婦たみ子は気性が強い。置かれた境遇に反発し続け、しぶとく生きて生きて生きてみせる。幸か不幸か死にきれない。何度か本気で死のうとしたはずなのに。そして最後は全く意図した方向とは違う方向に運命は進んでいき、挙げ句お縄にかかる。
自分を妾にしようとした男(宮口精二)を図らずも毒殺してしまうあたりに、いかに彼女が切羽詰まって生きていたかが伝わってくる。いつこうなってもおかしくないぐらい追い詰められていたのだ。
設定は非常に暗い。鬱になりそうな暗さだ。主人公やそれを取り巻く人々が、誰一人報われないだろうなという予感しかしないからだ。幸せになれる術が一向にみえない。どんよりした気持ちになり観続けるのも重苦しいが、重厚な作りでとにかく目が離せない。
実質初主演を張られたと言っていい三田佳子さんの、なんとも言えない色気と美貌と貫禄の芝居。加えて、三益愛子さんのこの世は所詮カネが全てと言ったふうな、海千山千のおかみのふてぶてしさ。これら二つの才能が、映画に格を与えていると思う。
三田さんの美しさはこれでもかというほどだ。三益さんを継いで廓を仕切るおかみ役。お若い頃からそのスター女優ぶり、主役としての華やかさはただものではない。美貌だけで観ているものを平伏させる。昭和という時代は、とんでもない美貌の女優さんが多かったと改めて思った。
京言葉のイントネーションといい、セリフの言い回し、存在感も圧倒的。ヒステリックになったり、睨みを効かせたり、憮然としたり、病で臥せった三益さんを積年の恨みつらみも込めて、何度も足蹴りする驚愕のシーンもある。そこまでやるのかと意表をつかれた。
三益さんの役は、13歳で廓の世界に飛び込み33歳で引退するまで、自分の体だけを武器に稼ぎに稼いだと自負するだけのことはある。引退後もその図太い精神で廓の経営を見事成功させる。だが、文字通りカネしか信用しない女とはなんとまあ薄ら寒いものか。そうなるしかなかったのが遊郭稼業の哀しさとでもいおうか。怖いものなしの性根の座った女でないとつとまらないのはわかるが、出演シーン全て、そのふてぶてしさでかっさらっていく。戦後すぐ「母もの映画」というジャンルでひと世代築いた方だけあり、本作でも圧倒的な存在感だ。
映画の構成も、過去と現在を巧みに交錯させ、テンポといい、脚本の緻密な構成力といい、展開が見事。今の時代、こういう完成度の高い、骨太な映画に出会う確率はかなり低い。
舞台は1958年。売春防止法施行を間近にひかえ揺れる、京都は島原のとある廓。
たみ子(三田佳子)の母は満州で慰安婦をやっていたが、彼女を産んだ後、相手の男に捨てられた。その後間も無くこの母も死に、みなしごとなり廓の世界で生きることを強いられる。また、その類い稀な美貌と器量がカネになるとおかみ(三益愛子)に目をつけられ、いやでいやで仕方なかった芸妓になるしか道はなかった。結局、自分の体をカネで縛り、さんざん商売道具としてこき使った雇い主のおかみには恨みつらみしか残らず、一滴の愛情も芽生えない。
前半は、たみこの不幸な生い立ちとおかみとのいがみあい憎しみあいの日々が綴られる。それでも彼女は不屈の精神と向上心を持ち続けた。なんとしてでも廓の外に出る。その為には高校を卒業せねばと猛勉強。
もがきあがき、外の「まともな世界」で生きたいと願う。通っていた高校の教師(梅宮辰夫)と運命的な出会いを果たしてからはなおのこと、この医師の卵と一緒になろうと夢見る。だが世間の風あたりは思う以上に強い。まもなく、高校生の身の上で芸妓商売しているという投書があり、強制退学。時を同じくして、恋人は恋人で親と医学部長がまとめた縁談の力=医者として出世するための道を選び、彼女の元を去る。
最初は気前のいいことを言われほだされくっついたものの、所詮学閥のしがらみの中でしか生きられない男。まんまと手の内をみせられる。医者の道を諦めるなら別に手段もあっただろうが、彼にはそこまでして一緒になる勇気も愛もない。実にリアルな選択である。
彼女は所詮売春婦、廓のアカは落とせないという偏見は根強くあり、将来を変えてまで手に入れる価値のある女ではないと冷静に判断したのだった。
ただ、だからと言って軽い気持ちで付き合っていたわけではない。最後の別れのシーンがじんとくる。
梅宮さん:「今でも君を愛してる。ほんまや。決してええ加減な気持ちで付き合うたことではないいうこと、わかってほしいわ。」。嘘でここまで感情のこもったことは言えない。
三田さん:「ふん、よーわかったわ。あんたもやっぱり廓の人やったんね。家という廓、学閥という廓。(中略)…あんたと無理心中するつもりやったけど、やめとくわ。ふん、あほくさ。どっこもかしこも廓のくせして、何でみんな偉そうな顔してんやろ。その廓の中でみんなうじゃうじゃ生きてるくせに。一人前の人間らしい顔せんといてほしいわ。うちはもう廓の外に出たいなんて思わんと、廓の中で居直って生きて見せるわ!」強烈なセリフだ。
所詮男も、己の属する廓の世界の掟に負けたという点で同じ。なんとも哀れな二人だった。
まもなく、たみ子は可愛がっていた妹分のおなごし(佐々木愛)を、金銭面でも責任を持ってしっかり嫁にやり。店を畳んで、ただ生きていくためヤケ気味に2号さんになる準備。ますます現実逃避でお酒の力に頼るしかなくなる。
最後は朝っぱらからお酒に溺れていく。そして冒頭に触れた内縁関係になる予定の男を毒殺する事件で幕を閉じる。
あまりにも悲しく救いようのない結末。廓育ちの女性たちの悲哀から、生きることそのものの悲哀を考えさせてくれる名作。