オペラといえば基礎疾患の第一要件であるBMI30を軽く超えてるデブ連中の暑苦しいやり取りがスタンダードであり、音楽だけならまだしも映像が伴うと、歌ってるデブ連中だけでなく見ているこちら側も息苦しくなってくるものだが、この舞台には主要歌手にデブが一人もいないという快挙を成し遂げている。
特に実の妹を略奪婚するという、その種の嗜好家からしたら至上の幸せを得た数時間後に非業の死を遂げるジークムント役の人はロックシンガーもやっていたそうで、映画俳優のルトガー・ハウアーを彷彿させる野性的なイケメンのうえ、双子の妹役の女性も不幸を背負った美人といった風情が似合い、兄役とどこか顔つきが似ているので、二人が抱き合うと実の兄妹が愛し合う背徳を存分に感じさせる素晴らしいキャスティングである。
そしてこの女性が主人公の一人であるジークフリートを産むわけだが、神々のたそがれでは惚れ薬でジークフリートを誘惑する女という意味深な二役を演じている。正直言って主役のブリュンヒルデ役の女性より若くて美人なので、自分がジークフリートだったら惚れ薬など飲まされなくとも、こちらに靡いてしまうだろう。
オペラに興味はあるけどデブがイヤで敬遠してる人にはぜひ観てもらいたい名作である。
ちなみに肝心の演奏や演出の良し悪しについてですが、初公開当時はかなり物議を醸したと聞くけど、普段はロックばかり聴いている門外漢なのでよく分かりません。
追伸.今年(2022年)のバイロイトの新演出もデブだらけの醜悪極まりないビジュアルで、最終夜終了後の凄まじいブーイングは意味の分からないダメ演出に対してだけのものではないだろう。
ワーグナー:楽劇《ニーベルングの指環》全曲 [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, DTS Stereo |
コントリビュータ | バイロイト祝祭合唱団, ブーレーズ(ピエール), シェロー(パトリス), ワーグナー, バイロイト祝祭管弦楽団 |
稼働時間 | 13 時間 54 分 |
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
レビュー
演出: パトリス・シェロー ピエール・ブーレーズ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団,バイロイト祝祭合唱団 カルメン・レッペル/マルガ・シムル/ノーマ・シャープ/ジャニーヌ・アルトマイア/グィネス・ジョーンズ/カレン・ミドルトン/カティ・クラーク(S) ハンナ・シュヴァルツ/オルトルン・ヴェンケル/ガブリエレ・シュナウト/グェンドリン・キレブリュー(Ms) イルゼ・グラマツキ/エリーザベト・グラウザー(A) ジークフリート・イェルザレム/ハインツ・ツェドニク/ヘルムート・パンプフ/ペーター・ホフマン/マンフレート・ユング(T) ドナルド・マッキンタイア/マルティン・エーゲル/フランツ・マツーラ(Br) マッティ・サルミネン/ヘルマン・ベヒト/フリッツ・ヒューブナー(Bs)
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.33:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 梱包サイズ : 20 x 14.2 x 8 cm; 898.13 g
- EAN : 4988005413840
- メディア形式 : 色, ドルビー, DTS Stereo
- 時間 : 13 時間 54 分
- 発売日 : 2006/1/28
- 出演 : バイロイト祝祭合唱団, ブーレーズ(ピエール), バイロイト祝祭管弦楽団, シェロー(パトリス)
- 字幕: : 日本語
- 販売元 : ユニバーサル ミュージック クラシック
- ASIN : B000BR2NUM
- ディスク枚数 : 7
- Amazon 売れ筋ランキング: - 158,086位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 770位オペラ・声楽DVD
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中4.5つ
5つのうち4.5つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
201グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2012年4月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今となっては古典的な演出のブーレーズ&シェローのリングですが、
今回輸入盤を見て、英語訳が、ドイツ語にぴったんことあっていたので、
驚きました。あっているというのは、ドイツ語と同じくらいの時間的な長さで、
同じようなタイミングで、英語訳をだすと、感情移入が出来やすくて
助かりますし、没頭感もまします。感心しました。
今回輸入盤を見て、英語訳が、ドイツ語にぴったんことあっていたので、
驚きました。あっているというのは、ドイツ語と同じくらいの時間的な長さで、
同じようなタイミングで、英語訳をだすと、感情移入が出来やすくて
助かりますし、没頭感もまします。感心しました。
2006年2月12日に日本でレビュー済み
メトロポリタンの「指環」はラッカムの絵を根底にインプットしているとああなるほどと思えますし、そうでなくても先ず万人に薦められます。
これも「お薦め」です。単なるファンタジーで塗り込めてないので御伽話で纏めたい方からは一大ブーイングを巻き起こした作品でも在るのにも関らずです。
ヴィーラントによって消毒されたオブジェの復活でありながら演出家のシェローは元々がコメディ・フランス出身なので歌劇ではなく演劇と言う考え方を導入します。しかしそのビジュアルは砂糖で塗してはありません。本質を捉えようとするある意味悪意に似た物が存在します。かといって醜く魅せようとかそのような小賢しさはありません。本質そのものを深く考慮した演出であるが故に「美しい」のです。
擬似ギリシャ系の神々に収めたい人は19世紀の銀行家(ブルジョア)のような神々は許せず、娼婦のようなラインの娘は許せないのですが、役目はその通りなだけなのです。戯れの愛を占めるラインの娘を本気の愛で占めようとした妖精男は裏切られ、それが発端となり一連の事件が起きるのですがワーグナーが生きた当時の社会事情を微妙に複写した慧眼もさることながら、シェローは絵画的発想をもこの作品に盛り込む。
「盲人の例え」しかりワーグナーが求めワーグナーを袖にしたベックリーンの「死の島」の融合をも果します。
一番の見所はワルキューレである事は間違い無いのですが、本来は没個性で語られ、演じられるワルキューレが一人一人鎧が違い、個性を表現していたり、家内制手工業からマスプロダクツ(工業革命)を導入したり、とにかく小道具や、仕草一つ一つ練りに練られたものが細かく鏤められていたりします。
神々という支配階級が崩壊し、ブリュンヒルデによって諸種の頚木から断ち切り自由を得た人々は何を見るのでしょうか?と言う大きな疑問の投げ掛けまでついています。
初心者にも薦められ、諸情報をしこたま詰め込んでも楽しめる作品である事は間違いなさそうです。
これも「お薦め」です。単なるファンタジーで塗り込めてないので御伽話で纏めたい方からは一大ブーイングを巻き起こした作品でも在るのにも関らずです。
ヴィーラントによって消毒されたオブジェの復活でありながら演出家のシェローは元々がコメディ・フランス出身なので歌劇ではなく演劇と言う考え方を導入します。しかしそのビジュアルは砂糖で塗してはありません。本質を捉えようとするある意味悪意に似た物が存在します。かといって醜く魅せようとかそのような小賢しさはありません。本質そのものを深く考慮した演出であるが故に「美しい」のです。
擬似ギリシャ系の神々に収めたい人は19世紀の銀行家(ブルジョア)のような神々は許せず、娼婦のようなラインの娘は許せないのですが、役目はその通りなだけなのです。戯れの愛を占めるラインの娘を本気の愛で占めようとした妖精男は裏切られ、それが発端となり一連の事件が起きるのですがワーグナーが生きた当時の社会事情を微妙に複写した慧眼もさることながら、シェローは絵画的発想をもこの作品に盛り込む。
「盲人の例え」しかりワーグナーが求めワーグナーを袖にしたベックリーンの「死の島」の融合をも果します。
一番の見所はワルキューレである事は間違い無いのですが、本来は没個性で語られ、演じられるワルキューレが一人一人鎧が違い、個性を表現していたり、家内制手工業からマスプロダクツ(工業革命)を導入したり、とにかく小道具や、仕草一つ一つ練りに練られたものが細かく鏤められていたりします。
神々という支配階級が崩壊し、ブリュンヒルデによって諸種の頚木から断ち切り自由を得た人々は何を見るのでしょうか?と言う大きな疑問の投げ掛けまでついています。
初心者にも薦められ、諸情報をしこたま詰め込んでも楽しめる作品である事は間違いなさそうです。
2006年4月16日に日本でレビュー済み
1980年当時、LPで4部作が発売され、ブーレーズ(当時55才)が、鮮明な音楽を繰り広げ、さらに、シェローの現代的演出に評価が分かれたが、LPでは、肝心のステージシーンは、ブックレットの写真から、想像するしか無かったが、ビデオやLDの発売を経て、25年ぶりにDVDとして鮮明な映像(観客席の一部を取り外し、カメラワークに細心の配慮をした)で鑑賞できる事。LD全集の大きさ、重さからは考えられないコンパクトさに、「購入して良かった!」と満足しています。ブーレーズも若い!80才になったブーレーズとは違う、「尖った」ブーレーズが健在です。この演出の初演は、評判(特に常連からの)が低かったのですが、この次のショルティ指揮による新演出もかなり大胆だった事を読んだ記憶がありますが、シェロー、ブーレーズのこの作品が有ったからこそ、次の挑戦が可能になったと思われます。
バイロイトの歴史に残る作品がこの価格で購入できる事に感謝!
バイロイトの歴史に残る作品がこの価格で購入できる事に感謝!
他の国からのトップレビュー
Jack
5つ星のうち5.0
Excellent.
2024年6月8日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
Excellent 1980 RING. Not as good as the 1990 or 2012 MET DVD RINGs which are better in all respects. This deserves 5 stars, the others deserve more.
KLINGSOR
5つ星のうち5.0
S'il y avait plus d'étoiles, je les attribuerais à cette captation...
2024年5月12日にフランスでレビュー済みAmazonで購入
... tant on a été injuste avec elle. Je sors tout juste de ces 8 DVDs et c'est avec tristesse, et, même, avec une larmichette au coin de l'oeil, tant ce fut fort et beau.
Tout d'abord, débarrassons-nous de l'orchestre, si je puis dire: ce qui a desservi Pierre Boulez, c'est de le voir diriger, avec ses gestes sémaphoriques d'une précision chirurgicale. Comment une direction aussi enflammée -le feu est omniprésent; n'est-ce pas, Loge?-, aussi "amoureuse" -les adieux de Wotan à Brünnhilde m'ont tiré les larmes, comme, d'ailleurs à Gwyneth Jones, qui les réprime, mais dont on voit bien qu'elle a le regard qui brille, quand Donald McIntyre la regarde-, pourrait-elle naître d'une direction désinvestie, désintéressée, froide, distante? Peut-être était-ce le sentiment que ce chef voulait donner, mais ici, c'est tout l'inverse qui se produit. Et quel orchestre! Quelle ivresse des sons: les cuivres ne se seront jamais autant couverts de gloire, les cordes sont de soie. Les instrumentistes de cet orchestre ont menacé de faire grève, en 1976, quand les répétitions ont commencé: 4 ans plus tard et, même, 45 ans après cette captation (répartie entre 1979 et 1980), a-t-on connu son aussi débarrassé de sa lourdeur teutonne passée, sans pour autant être désincarnée? Que les critiques qui, comme la "tradition" que combattait Boulez -de mauvaises habitudes imitées de génération en génération- se répètent de bouche en bouche, de plume en plume, de clic en clic -désormais- finissent par écouter avec leurs propres oreilles -si tant est que leurs oreilles soient propres...- et non avec celles des critiques du passé. Je suis entré dans l'écoute et le visionnage -Gott que ce mot est laid!- avec, en esprit, les critiques entendues à droite et à gauche. J'en suis sorti avec d'autres, qui balaient les précédentes, mais ne font certainement pas le poid par rapport à la magie générale dispensée ici.
Tout d'abord: il est des opéras qui NÉCESSITENT D'ÊTRE VUS! C'est le cas, pour la plupart d'entre eux -sauf, peu être le "Vaisseau fantôme"- de ceux de Wagner. Et, certainement, de sa Tétralogie.
Que voyons-nous, sur scène? Eh bien, il faut le reconnaître, bon nombre de "tunnels" où il ne se passe rien, où les personnages disent et répètent les mêmes choses -pas toujours du meilleur tonneau, d'ailleurs, le texte: que de naïvetés, pour rester poli-. Alors, dites-moi: comment un metteur-en-scène peut-il s'en sortir?
Dans la mise-en-scène hollywoodienne de Robert Lepage, au Metropolitant de New-York, dans les années 2011-2013 -dirigée au début par James Levine, puis Fabio Luisi- c'est la technique, la technologie qui remplace une "mise-en-scène" des chanteurs. Et, d'ailleurs, souvent avec talent, pourvu qu'on apprécie "Star Wars" ou "Indiana Jones". Patrice Chéreau, lui -qui ne bénéficiait pas encore, il est vrai, de tout l'attirail technologique, numérique... d'aujourdhui- était un "théâtreux" qui s'est attaché au texte, à l'incarnation des mots, des sentiments, des actions au travers des corps de ses chanteurs. Et cela se voit. Parfois, ce jeune m-e-sc. talentueux se laisse aller à ce qui sera l'une de ses marques de fabrique: un peu d'hystérie dans les gestes, les mouvements, beaucoup de chanteurs qui se jettent ou sont jetés au sol -je déteste ça! Mais "ça" meuble...-. Mais que voulez-vous faire, en effet, avec ces quelques "tunnels" wagnériens, si ce n'est les remplir avec ces mouvements qui donnent l'illusion de l'action, mais ne "signifient" pas grand chose. Heureusement, cela ne représente pas la majorité du temps, des actions.
Sinon, quelle présence chez ces chanteurs/acteurs! Il y en a déjà eu, auparavant. Je pense qu'une Leonie Rysanek n'aurait pas été dépaysée par une telle mise-en-scène. Mais les chanteurs d'"avant" prenaient plus soin de leur voix, de leur vocalité, que ceux de cette mise-en-scène, qui "jouent" autant qu'ils chantent.
Et, donc, abordons la distribution vocale, très critiquée depuis plus de 40 ans.
"Les chanteurs sont moins bons que ceux d'avant!" a-t-on souvent entendu dire. Mais avez-vous écouté ceux de la version du MET dont je vous ai parlé plus haut? Un Bryn Terfel, qui "éructe" son rôle, dans aucun égard pour ses pauvres cordes vocales. Une Brünnhilde obligée de perdre des kilos pour continuer de monter sur scène... mais qui y a perdu une partie de la qualité de son timbre...
Revenons à la distribution de cette version Boulez: à part les "jumeaux" (Sieglinde/Siegmund), très crédibles visuellement, mais qu'on a connus plus gâtés par la nature vocalement -re Rysanek et James King avec Böhm en 1967, par exemple-, Donald McIntyre est un Wotan qui ne faiblit jamais vocalement, sur toute la tessiture, au timbre plus séduisant que d'autres Wotan -vieilli: Hans Hotter, nasal: Theo Adam, "gueulard": Terfel...-, Gwyneth Jones a une endurance inimaginable -sa dernière scène, dans le "Crépuscule" est, à ce titre, une vraie succession de lancés de javelots vocaux olympiques!-, SANS LE MOINDRE VIBRATO -contrairement à ce que prétend un autre commentateur, plus bas: encore une idée reçue trop fréquemment répétée à l'envi. J'ai entendue Dame Gwyneth dans une "Tosca" d'anthologie, à Orange, en 1993 ou 1994, avec Giuseppe Giacomini et José van Dam. En effet, 14/15 ans après cette production, le "fameux" vibrato s'était installé. MAIS: s'il était présent au début de la représentation, il s'atténuait au fil de la soirée. ET il n'avait pas encore entaché la voix de la célèbre soprano galloise en 1979/80. Bien sûr, on l'a comparée avec l'unique Birgit Nilsson. Mais à quoi bon comparer ce qui n'est pas comparable. Birgit Nilsson était une "fille des Dieux", avec la "carrure" qui l'accompagne, plus difficilement crédible en femme fragile, éperdument amoureuse de son Siegfried, même physiquement, oserais-je dire. Gwyneth Jones a l'apparence d'une femme féminine, frêle, mais toute la force des Dieux dans sa voix et dans son comportement.
Les deux géants peuvent faire sourire, visuellement, mais que leur reprocher, vocalement? Matti Salminen, voyons! Pour ce qui est de Fritz Hübner, son "frère", permettez-moi de le préférer, encore, en Hagen, d'une noirceur absolue: quel affreux bonhomme! Bravo!
Reste Siegfried... La question n'est pas de dire qu'il y a eu de plus héroïques incarnations vocales, par le passé, mais s'il existait, à cette même époque, un autre ténor capable d'"assurer" comme lui?... Visiblement, René Kollo n'était pas libre ou pas apprécié ou ne voulait pas y participer ou plus capable, en tout cas: pas dans ce casting! Siegfried est un personnage naïf, à la limite du "ravi de la crèche". Manfred Jung n'est pas Marlon Brando. Mais Marlon Brando -jeune- aurait-il été crédible, physiquement, dans un tel rôle? Vocalement, à part quelques -rares, très rares- aigus un chouia "en dessous" ou graillonneux, ce ténor ASSURE DANS LE RÔLE, PEUT-ÊTRE, LE PLUS CRUCIFIANT DE TOUT LE RÉPERTOIRE POUR TÉNOR! On parle souvent du Bacchus de l'"Ariadne auf Naxos" de Strauss, tant le compositeur semblait, au moins inconsciemment, détester cette tessiture -sans oublier l'Empereur de la "Frau ohne Schatten" ou l'air diabolique du "ténor italien" dans le "Rosenkavalier", où la plupart s'étrangle dans cette tessiture criminelle!-, mais il arrive tardivement et ne chante pas pendant des heures! Rien que le récit de ses exploits -avant son assassinat par Hagen- pourrait envoyer la moitié des ténors actuels à la retraite! Alors, merci monsieur Jung -décédé il y a 7 ans- pour avoir été là.
J'ai eu la chance de "tomber" sur une vente à moins de... 20€! pour une telle merveille. Même pour 30 ou 40€, cela ne fait pas bien cher l'heure de spectacle, quand celui-ci dure 14/15h. Sans oublier l'émouvant -rétrospectivement, puisque, depuis, Chéreau et Boulez nous ont quittés- "Making of" offert en bonus.
Peut-être souhaiterions-nous, un jour, une version restaurée -un peu moins sombre, en particulier-, mais, telle quelle, celle-ci vous offrira de bien beaux et bons frissons, que vous n'oublierez pas d'aussi tôt!
Tout d'abord, débarrassons-nous de l'orchestre, si je puis dire: ce qui a desservi Pierre Boulez, c'est de le voir diriger, avec ses gestes sémaphoriques d'une précision chirurgicale. Comment une direction aussi enflammée -le feu est omniprésent; n'est-ce pas, Loge?-, aussi "amoureuse" -les adieux de Wotan à Brünnhilde m'ont tiré les larmes, comme, d'ailleurs à Gwyneth Jones, qui les réprime, mais dont on voit bien qu'elle a le regard qui brille, quand Donald McIntyre la regarde-, pourrait-elle naître d'une direction désinvestie, désintéressée, froide, distante? Peut-être était-ce le sentiment que ce chef voulait donner, mais ici, c'est tout l'inverse qui se produit. Et quel orchestre! Quelle ivresse des sons: les cuivres ne se seront jamais autant couverts de gloire, les cordes sont de soie. Les instrumentistes de cet orchestre ont menacé de faire grève, en 1976, quand les répétitions ont commencé: 4 ans plus tard et, même, 45 ans après cette captation (répartie entre 1979 et 1980), a-t-on connu son aussi débarrassé de sa lourdeur teutonne passée, sans pour autant être désincarnée? Que les critiques qui, comme la "tradition" que combattait Boulez -de mauvaises habitudes imitées de génération en génération- se répètent de bouche en bouche, de plume en plume, de clic en clic -désormais- finissent par écouter avec leurs propres oreilles -si tant est que leurs oreilles soient propres...- et non avec celles des critiques du passé. Je suis entré dans l'écoute et le visionnage -Gott que ce mot est laid!- avec, en esprit, les critiques entendues à droite et à gauche. J'en suis sorti avec d'autres, qui balaient les précédentes, mais ne font certainement pas le poid par rapport à la magie générale dispensée ici.
Tout d'abord: il est des opéras qui NÉCESSITENT D'ÊTRE VUS! C'est le cas, pour la plupart d'entre eux -sauf, peu être le "Vaisseau fantôme"- de ceux de Wagner. Et, certainement, de sa Tétralogie.
Que voyons-nous, sur scène? Eh bien, il faut le reconnaître, bon nombre de "tunnels" où il ne se passe rien, où les personnages disent et répètent les mêmes choses -pas toujours du meilleur tonneau, d'ailleurs, le texte: que de naïvetés, pour rester poli-. Alors, dites-moi: comment un metteur-en-scène peut-il s'en sortir?
Dans la mise-en-scène hollywoodienne de Robert Lepage, au Metropolitant de New-York, dans les années 2011-2013 -dirigée au début par James Levine, puis Fabio Luisi- c'est la technique, la technologie qui remplace une "mise-en-scène" des chanteurs. Et, d'ailleurs, souvent avec talent, pourvu qu'on apprécie "Star Wars" ou "Indiana Jones". Patrice Chéreau, lui -qui ne bénéficiait pas encore, il est vrai, de tout l'attirail technologique, numérique... d'aujourdhui- était un "théâtreux" qui s'est attaché au texte, à l'incarnation des mots, des sentiments, des actions au travers des corps de ses chanteurs. Et cela se voit. Parfois, ce jeune m-e-sc. talentueux se laisse aller à ce qui sera l'une de ses marques de fabrique: un peu d'hystérie dans les gestes, les mouvements, beaucoup de chanteurs qui se jettent ou sont jetés au sol -je déteste ça! Mais "ça" meuble...-. Mais que voulez-vous faire, en effet, avec ces quelques "tunnels" wagnériens, si ce n'est les remplir avec ces mouvements qui donnent l'illusion de l'action, mais ne "signifient" pas grand chose. Heureusement, cela ne représente pas la majorité du temps, des actions.
Sinon, quelle présence chez ces chanteurs/acteurs! Il y en a déjà eu, auparavant. Je pense qu'une Leonie Rysanek n'aurait pas été dépaysée par une telle mise-en-scène. Mais les chanteurs d'"avant" prenaient plus soin de leur voix, de leur vocalité, que ceux de cette mise-en-scène, qui "jouent" autant qu'ils chantent.
Et, donc, abordons la distribution vocale, très critiquée depuis plus de 40 ans.
"Les chanteurs sont moins bons que ceux d'avant!" a-t-on souvent entendu dire. Mais avez-vous écouté ceux de la version du MET dont je vous ai parlé plus haut? Un Bryn Terfel, qui "éructe" son rôle, dans aucun égard pour ses pauvres cordes vocales. Une Brünnhilde obligée de perdre des kilos pour continuer de monter sur scène... mais qui y a perdu une partie de la qualité de son timbre...
Revenons à la distribution de cette version Boulez: à part les "jumeaux" (Sieglinde/Siegmund), très crédibles visuellement, mais qu'on a connus plus gâtés par la nature vocalement -re Rysanek et James King avec Böhm en 1967, par exemple-, Donald McIntyre est un Wotan qui ne faiblit jamais vocalement, sur toute la tessiture, au timbre plus séduisant que d'autres Wotan -vieilli: Hans Hotter, nasal: Theo Adam, "gueulard": Terfel...-, Gwyneth Jones a une endurance inimaginable -sa dernière scène, dans le "Crépuscule" est, à ce titre, une vraie succession de lancés de javelots vocaux olympiques!-, SANS LE MOINDRE VIBRATO -contrairement à ce que prétend un autre commentateur, plus bas: encore une idée reçue trop fréquemment répétée à l'envi. J'ai entendue Dame Gwyneth dans une "Tosca" d'anthologie, à Orange, en 1993 ou 1994, avec Giuseppe Giacomini et José van Dam. En effet, 14/15 ans après cette production, le "fameux" vibrato s'était installé. MAIS: s'il était présent au début de la représentation, il s'atténuait au fil de la soirée. ET il n'avait pas encore entaché la voix de la célèbre soprano galloise en 1979/80. Bien sûr, on l'a comparée avec l'unique Birgit Nilsson. Mais à quoi bon comparer ce qui n'est pas comparable. Birgit Nilsson était une "fille des Dieux", avec la "carrure" qui l'accompagne, plus difficilement crédible en femme fragile, éperdument amoureuse de son Siegfried, même physiquement, oserais-je dire. Gwyneth Jones a l'apparence d'une femme féminine, frêle, mais toute la force des Dieux dans sa voix et dans son comportement.
Les deux géants peuvent faire sourire, visuellement, mais que leur reprocher, vocalement? Matti Salminen, voyons! Pour ce qui est de Fritz Hübner, son "frère", permettez-moi de le préférer, encore, en Hagen, d'une noirceur absolue: quel affreux bonhomme! Bravo!
Reste Siegfried... La question n'est pas de dire qu'il y a eu de plus héroïques incarnations vocales, par le passé, mais s'il existait, à cette même époque, un autre ténor capable d'"assurer" comme lui?... Visiblement, René Kollo n'était pas libre ou pas apprécié ou ne voulait pas y participer ou plus capable, en tout cas: pas dans ce casting! Siegfried est un personnage naïf, à la limite du "ravi de la crèche". Manfred Jung n'est pas Marlon Brando. Mais Marlon Brando -jeune- aurait-il été crédible, physiquement, dans un tel rôle? Vocalement, à part quelques -rares, très rares- aigus un chouia "en dessous" ou graillonneux, ce ténor ASSURE DANS LE RÔLE, PEUT-ÊTRE, LE PLUS CRUCIFIANT DE TOUT LE RÉPERTOIRE POUR TÉNOR! On parle souvent du Bacchus de l'"Ariadne auf Naxos" de Strauss, tant le compositeur semblait, au moins inconsciemment, détester cette tessiture -sans oublier l'Empereur de la "Frau ohne Schatten" ou l'air diabolique du "ténor italien" dans le "Rosenkavalier", où la plupart s'étrangle dans cette tessiture criminelle!-, mais il arrive tardivement et ne chante pas pendant des heures! Rien que le récit de ses exploits -avant son assassinat par Hagen- pourrait envoyer la moitié des ténors actuels à la retraite! Alors, merci monsieur Jung -décédé il y a 7 ans- pour avoir été là.
J'ai eu la chance de "tomber" sur une vente à moins de... 20€! pour une telle merveille. Même pour 30 ou 40€, cela ne fait pas bien cher l'heure de spectacle, quand celui-ci dure 14/15h. Sans oublier l'émouvant -rétrospectivement, puisque, depuis, Chéreau et Boulez nous ont quittés- "Making of" offert en bonus.
Peut-être souhaiterions-nous, un jour, une version restaurée -un peu moins sombre, en particulier-, mais, telle quelle, celle-ci vous offrira de bien beaux et bons frissons, que vous n'oublierez pas d'aussi tôt!
Cliente Amazon
5つ星のうち5.0
L'edizione del centenario
2022年1月6日にイタリアでレビュー済みAmazonで購入
Questo Ring è uno dei caposaldi della cultura artistica mondiali. Pierre Boulez e il regista hanno fatto dell'anello dei Nibelunghi un vero monumento a Wagner. Grandi cantanti e grande regia. Orchestra di Bayreuth formidabile come sempre. Una pecca è l'assenza di sottotitoli in iitaliano.
Non capisco perchè non fare la versione in Bluray.
Non capisco perchè non fare la versione in Bluray.
Gavin Bryars
5つ星のうち5.0
Probably the finest Ring Cycle of all
2021年3月21日に英国でレビュー済みAmazonで購入
I have known this centenary production of Wagner 's Ring Cycle ever since it was broadcast i n weekly instalments on BBC TV. I recorded that on my Betamax recorder (!) and later obtained the VHS commercial release. This DVD set is magnificent.
RolandB
5つ星のうち5.0
A much praised classic performance
2019年12月21日にオーストラリアでレビュー済みAmazonで購入
A much praised classic performance. I watched the show at home ...