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芸術新潮 2006年 02月号 雑誌
小特集
ナポレオンの美術戦略 その「虚」と「実」
アルプスを越え、戦場を駆け抜け、大聖堂で戴冠する英雄ナポレオンの像は18世紀
末から19世紀にかけて繰り返し描かれた 政治的プロパガンダを意図したその虚実な
いまぜの描写に皇帝自身は何を見ていたのだろう?
鈴木杜幾子[すずき・ときこ 明治学院大学教授/西洋美術史]
皇帝ナポレオン(一七六九~一八二一)は、首席画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが完成したばかりの《皇帝ナポレオン一世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式》[上]を見るために
一八〇八年一月ダヴィッドのアトリエを訪れた。皇帝は画中の側近の人物たちの一人一人を見分けて愉しんだ後、「これは絵ではない。画面の中に歩いて入れるようだ」と述べたという。
たしかに、縦六二一、横九七九センチメートルのこの巨大なカンヴァスに描かれている人々の表情には、歴史に残る大イヴェントに際してのそれぞれの思惑までが見てとれるようであるし、彼らの豪華な衣装はその手触りすら感じられるような気がする。何よりも式場のパリのノートル=ダム大聖堂を埋めつくす群衆の描く緩やかな楕円形の手前の部分が観る者を誘い入れるように開かれている点が、「歩いて入れるようだ」という皇帝の感想を引き出したにちがいない。
それではこの作品を完璧な写実主義と呼んでいいのだろうか。それが誤りであることは、「ナポレオンとヴェルサイユ展」に出品されている式典の記録版画《塗油式》のリプリントとの比較によって容易に判断できよう。版画では広大な空間に人間が小さく散らばって見えるのに対し、ダヴィッドの絵では実際の建築内部が大幅に縮小され、相対的に大きく描かれた人物たちに観る者の注意が集中するような工夫が凝らされているのである。
(続きは本誌をお楽しみください)
ナポレオンの美術戦略 その「虚」と「実」
アルプスを越え、戦場を駆け抜け、大聖堂で戴冠する英雄ナポレオンの像は18世紀
末から19世紀にかけて繰り返し描かれた 政治的プロパガンダを意図したその虚実な
いまぜの描写に皇帝自身は何を見ていたのだろう?
鈴木杜幾子[すずき・ときこ 明治学院大学教授/西洋美術史]
皇帝ナポレオン(一七六九~一八二一)は、首席画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが完成したばかりの《皇帝ナポレオン一世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式》[上]を見るために
一八〇八年一月ダヴィッドのアトリエを訪れた。皇帝は画中の側近の人物たちの一人一人を見分けて愉しんだ後、「これは絵ではない。画面の中に歩いて入れるようだ」と述べたという。
たしかに、縦六二一、横九七九センチメートルのこの巨大なカンヴァスに描かれている人々の表情には、歴史に残る大イヴェントに際してのそれぞれの思惑までが見てとれるようであるし、彼らの豪華な衣装はその手触りすら感じられるような気がする。何よりも式場のパリのノートル=ダム大聖堂を埋めつくす群衆の描く緩やかな楕円形の手前の部分が観る者を誘い入れるように開かれている点が、「歩いて入れるようだ」という皇帝の感想を引き出したにちがいない。
それではこの作品を完璧な写実主義と呼んでいいのだろうか。それが誤りであることは、「ナポレオンとヴェルサイユ展」に出品されている式典の記録版画《塗油式》のリプリントとの比較によって容易に判断できよう。版画では広大な空間に人間が小さく散らばって見えるのに対し、ダヴィッドの絵では実際の建築内部が大幅に縮小され、相対的に大きく描かれた人物たちに観る者の注意が集中するような工夫が凝らされているのである。
(続きは本誌をお楽しみください)
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