必殺シリーズ中でも屈指の珍作として知られる『翔べ!必殺うらごろし』(‘78年12月~’79年5月放送)。
永らく、VHSソフトの『必殺最終回シリーズ』で最終回しか観る事ができなかった作品だが、ようやく観る機会を得たのでレビューを書きたいと思う。
『必殺』は、中村主水を主人公とするシリーズと、そうでないものに大別する事ができるのはご存知だと思うが、第12作『必殺商売人』(主水もの)⇒第13作『必殺からくり人 富嶽百景殺し旅』⇒第14作『翔べ!必殺うらごろし』⇒第15作『必殺仕事人』(主水もの:ここからがいわゆる「後期必殺シリーズ」)という流れからも判る通り、本作はいわゆる「前期必殺シリーズ」のトリを飾った作品でもあるのだ。
しかし、全シリーズを通しての最低視聴率(2.1%)をはじき出してしまったこともあり、ファンの間で悪評高い伝説ばかりが一人歩きしていた作品でもあった。
本作が必殺シリーズ中最大のキワモノとして語られる理由は、「超常現象」を題材に取り入れた、あまりにチャレンジングな姿勢だ。さすがに宇宙人やUMAは出てこないので、必殺版『X-FILE』とまで言ってしまうと大げさかもしれないが(笑)、毎回何かしらの怪現象が事件に絡んでくるというのが本作の特長なのだ。例えば本DVDに収録されたエピソードでは、
第1話:血の涙を流す仏像
第2話:離れたところに暮らす二者の人格が入れ替わる(劇中では「憑依」と表現)
第3話:想念が他者の肌に絵となって浮かび上がる「テルモグラフィー(皮膚紋画症)」
といったものが扱われ、次巻収録の第4話では「ドッペルゲンガー」。他にも、まだ未見ではあるが「ポルターガイスト」「動物や樹木がしゃべる」「自動筆記」「ダウジング」「魂を宿した人形」「人体飛翔」といった題材があるようだ。当時のオカルトブームを取り入れ、研究家をアドバイザーに迎えて制作された、けっこう本格的な内容なのだ。
さらに、主演メンバーの面々がすごい。
◆「先生」と呼ばれる、大日如来を信仰する行者(中村敦夫)
◆男まさりの怪力で相手を殴り殺す「若」(和田アキ子)
◆記憶喪失だが、どうやら江戸で凄腕の殺し屋だったらしい「おばさん」(市原悦子)
◆情報屋で風来坊気質の「正十」(火野正平)
◆熊野権現のお札を売り歩く巫女の「おねむ」(鮎川いずみ)
彼らが旅をしながら、怪事件に翻弄される人々の恨みを晴らすのである。
中でも、中村敦夫が演じる「先生」のキャラが強烈(笑)。大日如来を顕わす梵字が書かれた旗竿を掲げ、太陽の光を浴びる事で人智を越えた感覚や力を宿し、死者の無念の声を聞いたり、超人的な跳躍力で悪人の頭上を飛び越えて、旗竿を投げつけて串刺しにする(笑)。
市井の人々が、手近な仕事道具を使って悪人を闇から闇へ葬っていくという「必殺」の渋いコンセプトがぶっ飛ぶ、ど派手で荒唐無稽な殺し技なのである。
加えて、和田アキ子の「若」。怪力のあまり、殴り殺された人間の頭が180度回転したり(笑)、巨大な岩を持ち上げて叩き殺すという・・・怪力系のキャラクターは過去にも何人かいたが、ほとんど見世物のような豪快技だ。頭が回転するという演出は爆笑必至である。
さらに異色なのは、今までは夜陰に乗じて行われていた殺しが、本作では白昼堂々と行われるのである・・・岩山の街道や野っ原で。太陽の力を得ての殺しだから、仕方がないと言えば仕方がないが、何から何まで今までのセオリーを覆す設定である。
音楽も従来の平尾昌晃サウンドを封印して、主題歌(兼・殺しのテーマ)を浜田省吾が担当、もちろん歌は和田アキ子が野良猫ロックばりに熱唱する、何から何まで異色づくめのシリーズである。
こうした斬新な発想は、ひとえに「マンネリ化」を避けるための策だったそうだが、従来のカラーとあまりにも違う方向性を打ち出してしまったために、ファンがついて来る事ができず、視聴率は低迷し、シリーズ打ち切りの話まで持ち上がったそうだ。
必殺シリーズは「弱き者の恨みを晴らす」という大前提がありながらも、それは決して善意の世直しではなく、仕事料をもらって行う「殺人の請け負い」である。しかし「先生」は、修行中の行者で、俗世の欲に無縁の人である故に、欲得ずくの仕事ではない。頼まれもしないのに困っている人を救う事が修行だという理念の持ち主である。本作では記憶喪失の「おばさん」や正義漢の「若」も含め、浮世離れした正直者のキャラクターが多く、従来の必殺ならではのニヒリズムや俗っぽさが薄い。そこをちゃっかりと正十が小賢しく立ち回り、何だかんだと仕事料を手に入れて来たりはするのだが、前期『必殺』が持っていたダーティーさが薄れてしまっているのも、ファンから敬遠された理由のひとつなのかもしれない。
・・・という風に、本作は必殺ファンから邪道扱いされてきたために、筆者の興味も真っ先には向かわなかったのだが、その一方でどれだけ奇抜な作品なのか観てみたいという好奇心もあった。で、ようやく観始めるきっかけができた次第なのだ。
で、観てみたら意外にも面白いのである。キワモノ感も思ったほど感じない。人間の欲望や搾取される弱者の哀しみといった、人間ドラマを主軸にしたストーリーになっていて、そこに怪現象がからんでくるという構造なので、格別に荒唐無稽な印象もない。
実は「怪談」というジャンルがあるように、時代劇とオカルトの相性は結構いいのである。むしろ、当時の人々が信じていたであろう「迷信」や「超自然現象」という、一般の時代劇が意識的に排除している題材に、正面から挑んだ意欲作とも云えるほどである。
筆者的には、違和感なくフツーに楽しめてしまう。というか、もっと観たいと思わせる作品だという事に気付いたのだ。
監督陣では、松野宏軌や原田雄一など、必殺最多演出陣の中堅派が中心だが、第4話「生きている娘が死んだ自分を見た」は工藤栄一が監督を務めた貴重な一本だ。で、これがけっこう凝っていて、壁を血が流れ落ちてきたり、行灯の灯りが突然真っ赤に染まったりするイメージ演出が炸裂。クライマックスではヒロインが五体バラバラにされてしまう(直接描写はしないが)という猟奇的な展開もあり、工藤演出には珍しく極彩色の照明を使っていたりして、演出がノリノリなのだ(笑)。「集団時代劇」というジャンルを確立したリアリストの監督と思われているが、実はインタビューなどで石井輝男映画のファンだという話をしている一面もあり、工藤監督・・・怪談もの、けっこう撮りたかったのではないだろうかと思わせる1本だった。
見どころの一つは、『青春の殺人者』(‘76)で水谷豊にメッタ刺しにされた市原悦子が、今回は「刺す」側に回っているところ(笑)。彼女が演じる「おばさん」が、ぼそぼそつぶやきながら殺す相手に近づき、ブスっと一刺しするやり方は、中村主水が得意とした「セコ突き」の類似技だが、刺す時のセリフが中々面白い。
「ちょいと、落し物ですよ」と殺す相手に声をかけて、「俺ぁ、何も落としてないぜ」と答えると、「これから落とすんだよ・・・お前さんの命をね!」とか、
「おい、この道はどこへ行く?」とワル者に聞かれると、ズブっと一突き、「この道をず~っと行くと、地獄へ行くのさ!」とか、
「“いろは”の“い”の字はなんていうの?」とワル者に聞いて、相手が「犬も歩けば棒に当たる、さ」と答えると、「違うよ、いろはの“い”の字は・・・“いのち頂きます”の“い”ですよ!」とかね(笑)。このブラックユーモアのセンスは主水以上で、毎回どんな決めゼリフをかましてくれるのか楽しみである。
また、必殺マニア的な目線でいうと、火野正平が演じる「正十」というキャラだが、第1話で市原悦子に「あんた、江戸で殺しの斡旋をやってた人だね?」と言われる事からも、『新必殺仕置人』『必殺商売人』の正八と同一人物と解釈していいようだ。『商売人』解散後に江戸を発って、旅の空の下で新しい仲間たちと仕置人のグループを結成した・・・「主水サーガ」に対する「正八サーガ」として楽しむのもアリではないだろうか(笑)。
余談ながら、『必殺商売人』で新次(梅宮辰夫)の元妻として登場するおせい(草笛光子)は、『必殺必中仕事屋稼業』の元締め・おせいと同一人物らしいとか、『必殺』って実は細かいところでマニアックなつながり方をしているそうなので、裏読みしながら観るのも楽しみのひとつである。
このシリーズ、色んな逸話があるのだが、こうしたオカルトものにつきもののトラブルにも見舞われた作品で、中村敦夫が撮影中に怪我をしたのはいい方で、市原悦子や和田アキ子が病に倒れるといった悪運続きだったそうだ。特に和田アキ子はシリーズ終盤、出演シーンが少なくなるほど病気が深刻だったらしい。そういえば、かつて唯一観ていた最終回もほんのちょっとしか出ていなかった。
さて、本ソフトはもう絶版になってしまっているようなのだが、何でこんなタイミングでレビューを書いたかというと、最近、ローカル局やBSなどで熱心に『必殺』が再放送されていて、2016年5月現在、テレビ埼玉で『翔べ!必殺うらごろし』を再放送しているのである。今ごろ知ったのだが、テレ玉は『必殺』シリーズを時系列で再放送しているらしい。ああ、もっと早く気付くべきだった(涙)。ちなみに、筆者の生活圏内のテレビ神奈川では『座頭市物語』のテレビシリーズの再放送が始まった。ローカル局とあなどるなかれ。マニアックな時代劇はいま、あなたの地元のテレビ局にあり!なのである。
つまりね、昔の人気時代劇の再放送が、シニア層に支持される重要コンテンツになっている訳で、『必殺』シリーズのDVDも、そろそろ廉価版で再発しようよ、絶対売れるから!って言いたかったのだ(笑)。