三島由紀夫が「何という絶対的肯定の中にぎりぎりに仕組まれた悲劇であろう 」と絶賛したことで一気に任侠(ヤクザ)映画自体が文化的映画として注目されるようになりました。山下耕作監督、笠原和夫脚本の1968年作。
昭和初期、博徒一家の組長が脳溢血で倒れ、その跡目相続をめぐる対立抗争が始まります。主人公の中井(鶴田浩二)は外様であることを理由に辞退、松田(若山富三郎)は獄中にあり、弟分の石戸が二代目に決定。この決定の背景には中国大陸麻薬ビジネスを目論み右翼団体に流し込もうとする先代弟分の仙波(金子信雄)の組のっとりの思惑が。松田が出所後この決定に反発、石戸と対立。筋目を通そうとする中井ですが、うまくいきません。最後は中井が全部掃除して、無期懲役刑になります。
松田の子分が暴走したり、中井の妻が自殺したり、ツジツマを度外視したような脚本ですが、それがむしろ不条理劇のような効果を生み出しています。鶴田浩二の筋目を一生懸命追おうとし、奥歯をかみしめる仕草や、若山富三郎の激情的暴力性など、俳優陣の演技も突出しています。1968年は全国で全共闘運動が盛り上がり、若者の激情が大学で吹き荒れますが、結局は内ゲバの時代に突入してしまいます。映画はそれを予言しているかのようです。映像のテンポもよく、50年以上前の作品ですが、今観てもグイグイと引き込まれます。