「脊髄」という言葉を題されたビョークの5作目。自分の住むニューヨークがあっという間に「自由の都」から「愛国の地」に変わったことに衝撃を受けたビョークが、制作の過程で直感的にどんどん楽器の音を抜き、最終的に出来上がったのが人間の声だけで構成された本作品(2004年発表)だった。(正確には、ピアノや銅鑼等が一部の曲に使用されており、一部の声もエフェクトを施されて電子音っぽく処理されたりしている。)ただ、本盤解説のインタビューによると、直感からスタートしたものの、途中で人の声を使うということのコンセプチュアルな意味合いに気付いたそうで、こういった直感と知性のバランス感覚がこの人をこの人足らしめているものなのだと思う。
時代に対するビョークの悲しみと苛立ちが強く刻み込まれた作品で、音のトーンは全体的に暗く、また歌詞も時にストレートな政治性を帯びている。「声」を使うというとアカペラ主体の作品みたいな先入観が未聴の方には持たれるかもしれないが、テクノロジーの力でエレクトロニカの文脈にもギリギリ通じる音に着地していて案外聴きやすい。が、一方で、血が通っている、というか出血して流れているのがはっきり感じられる。(この辺も絶妙のバランス感覚だ。)メガ・セールスの世界でこういう孤高の実験作品を作ったということが凄まじいが、彼女の悲しみの理由になったものから、世界はまだ全く解放されていないし、何よりもフォロワーが簡単に真似できない方法論の作品なので、発表されてからもうすぐ10年経つ今でもこの作品は全く古くなっていない。このことが驚異的だ。
なお、本作品の日本盤は盤によって曲数が違うので要注意で、この盤の場合は通常輸入盤より1曲多い。