『Mの物語』・・・原題は『マリーとジュリアンの物語』。
『北の橋』も同じくマリー(ビュル・オジェ)とジュリアン(ピエール・クレマンティ)。本作と直接つながるわけではないけれど、この2つの名にジャック・リヴェットは何かこだわりがあるのかもしれない。
「ジュリアン」「ジュリアンとマリー」「マリーとジュリアン」「マリー」・・・4つの小見出しに沿って進む本作(マリー:エマニュエル・べアール、ジュリアン:イエジー・ラジヴィオヴィッチ・・アンジェイ・ワイダ『大理石の男』に出演)。シンプルなオープニング・クレジットに車の走行音の入るリヴェットの世界、リヴェットのパリ。そこに夢や死の世界が入り込む・・・
撮影は流麗なトラベリングの名手、ウィリアム・リュプシャンスキー(オタール・イオセリアーニ作品など)。
自然光の美しい公園のベンチにはごくふつうのおじさんのジュリアン。殺気のようなものを纏ったマリーが登場。夢から現実へと変わり、独りカフェに佇むジュリアン。
再び路上に現れたマリーと約束を交わす日常的な光景、会話もごくふつうのタッチ・・・が、ジュリアンが次に会う(この役にとてもよく似合うクール・ビューティな)アンヌ・ブロシェは「マダムX」と名乗る。どこか謎めくマリー、そしてマダムXとはいったい何者? どうもジュリアンはマダムXを「ゆすって」いるようだが、その不慣れで素人的なのをマダムXが逆に突っ込む(こういう枝葉のようなものが加わったりまた途中を省いて語るところもあり、リヴェベットは少し物語がつかみにくいかもしれませんが、ストーリーはちゃんとありしかもサスペンス的で事件が絡む)。
リヴェットの映画にはパリ郊外の古い味わいのある家よくが使われていて、本作も時計職人ジュリアンの家がとても魅力的(美術はイオセリアーニ作品と同じマニュ・ド・ショビニ)。広い庭は緑豊かで朝食シーンのテラスの雰囲気もいいし、だだっ広く寒々しく(拷問具のようとマリーの言う)中の機械が見える大きな時計がゴロゴロするジュリアンの仕事場も面白い。飼い猫のネヴァモアが気にしている2Fはジュリアンの前の彼女が残していった物がそのままのところにマリーがやって来る。何かに追い詰められた感じやボヘミアン的な生活感はあるけれど、前半はまあふつうに愛の生活が始まるという感じもありますが・・
<ネタバレあります>
生と死の入り混じる世界でのマリーの「立ち位置」が徐々に見えて来る中でマリーとジュリアンはとても濃厚に愛し合い、後半は異様なムードにも・・・けれど、「マリーがどういう経緯でジュリアンをターゲットとして蘇ろうとしたのか?」に深く関係する愛のシーンであることや、マリーはジュリアンを愛してしまったため、当初の目的「彼を犠牲にして彼の命を自分がもらう」ことを果たせなくなってしまう煮詰まった愛であるところに、(異様であっても)こういうシーンの説得力があるように思えてなりません。
ここにマダムXへの「ゆすり」の件が浮上。(大時計の中に隠してあるのを猫がマリーに教える)「3つのゆすりの品」に加えて「手紙」も返してと言うマダムXに「手紙は知らない」と言うジュリアン。ドサクサに紛れて「10倍にするぞ!」と法外なゆすり代金をふっかけ交渉決裂しそうになっていたこの件。マダムXからの☎︎に出たマリーはこういうことに意外なほどテキパキした才能を見せ「ゆすり」の件はスムーズに進展。問題の手紙をマダムの妹アドリエンヌ(Bettina Kee)がマリーに渡すシーンの、まるでエイジェント物のような速やかなサスペンス感もうれしい。
そうこうするうち、本来の目的の「期日」が迫るがジュリアンへの愛に阻まれ突き進めず煩悶するマリーの様子に不信がつのるジュリアン(イエジー氏の繊細な表情に注目)。マリーについて調べるうちに辿り着いたマリーのかつての住居を、海坊主(あるいは入道)のような大家さん(←この異貌の俳優さんはイオセリアーニ作品の常連の方)に説明されながら見せてもらう戦慄のシーン。マリーがジュリアンの家の2Fにしつらえていた怪しいインテリアと相似のこの部屋の驚愕の事実の恐怖に、彼の表情演技の頂点を見ることができます。
目的遂行をとまどうマリー。「このままではジュリアンもマリーも最悪なことになる」ビスケットの缶の絵のような装飾の部屋(現実にはない不思議空間サロン)に現れたアドリエンヌはマリーに向かって、「どうしてもジュリアンを犠牲にできないならあとは「禁じ手」しかないわね・・・」と、個人的にはすごく嬉しくなってしまう「禁じ手ポーズ」を見せてくれますがマリーは即座に禁じ手はNon! と言う(「禁じ手」とは、ジュリアンの記憶からマリーに関することを消してしまう代わりに、彼の命もマリーの命も存続🉑というもの)。
これについてはラスト10〜15分の鮮やかリヴェットの演出を実際に見ていただくのがいちばん!
マリーの気持ちが痛いほどわかる(し、ほんとに痛そうなシーンもあるが怖くはない、美しい涙と血の滲む愛の物語なのですが・・・「禁じ手」にはリヴェットの皮肉が、そのあとのジュリアンの「ひとこと」にはリヴェットの「いじわる」が表れているようで、マリーがもしかしたら可哀想かもしれない)。
<補足>
マダムXと妹アドリエンヌの確執がこの物語のとっかかり。
どうしても姉に負けてしまう妹アドリエンヌの、姉への嫉妬(だけでなく、もっと親しみたいという思いが複雑に絡んでいるが)と、どんな手でも勝ちたいという気持ちから策略的な手紙を姉に出す(これが結局悲劇的に作用したと思う)。アドリエンヌは自分の「蘇り」と同時に姉への「ゆすり」を目論み、ゆすりの実行人としてジュリアンを選んだ(その理由は示されていない)。
これとは別に、一年前に一度出会っただけのマリーの「蘇り」にも利用されたジュリアン。2つの「蘇り」がジュリアンを挟んで(「ゆすり」の件を編み込みながら)展開し、片方は生の勝利。もう一方は生の世界には全く秘密の内に、死が反転した生のようなものが存在することになるのかもしれない・・・そんな「禁じ手」の物語・・・なのか?