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オリーブの森で語りあう―ファンタジー・文化・政治 (1984年) 単行本 – 古書, 1984/4/18

3.7 5つ星のうち3.7 8個の評価

登録情報

  • ASIN ‏ : ‎ B000J765V2
  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1984/4/18)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1984/4/18
  • 言語 ‏ : ‎ 英語
  • 単行本 ‏ : ‎ 265ページ
  • カスタマーレビュー:
    3.7 5つ星のうち3.7 8個の評価

著者について

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ミヒャエル・エンデ
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1929‐95年。南ドイツ・ガルミッシュ生まれ。小説家。著書は各国で訳出され、幅広い年齢層に支持されている(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『ものがたりの余白 エンデが最後に話したこと  (ISBN-13: 978-4006021566 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)

カスタマーレビュー

星5つ中3.7つ
5つのうち3.7つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2017年1月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「資本主義の行き詰まり」をあつかう、ビデオニュース・ドット・コムの放送において、
宮台真司が本書を紹介していたことから購入した。

今の社会は、継続不可能なのではないか。
昔から、漠然とした不安を持ち続けてきた。
本書は、この不安を扱っていたので、大変興味深く読むことができた。
資源の枯渇の問題や、産業化・効率化の結果の環境汚染、格差問題、人間らしい生活が毀損されていくこと、
これらはどうしようもなく進行している。
自分もふくめて、本音ではみんな「もう、限界」であろう。
その表れが、Brexitやトランプ当選である。
「このままじゃだめだ」は、世界共通の認識になってきており、どうしたらいいかわからないので、
我々はすでに自暴自棄な行動をしはじめている。

では、どうしたらいいのか。
本書では、残念ながら回答は示されていない。
資本主義を精確に批判できた、マルクスをもってさえ、その社会主義という提案は明かな失敗に終わった。
期待が大きかっただけに、現代人においても、そのトラウマは非常に強い。
そして、本書の3人の話者も軽々しく回答を提示しない。
しかし、それが、誠実な知性の証拠だと思う。扱っている問題が大きすぎる。

エンデは、回答は示せないけれども、新しい社会の創造には、芸術の力、エンデの領域である想像力、ファンタジーの力もまた、必要であるという。
新しい社会の概念をゼロから「想像」することで「創造」しよう、それこそが動物と人間をわける要素である、という。
そんなに人間の可能性は狭くないと、本書を通じて、読者を鼓舞してくる。
だから、社会主義者が、環境によって人は考え方が決まる、なんて人間を見限ったような発言には強い批判が加えられる。

ファンタジーを含めて芸術は、「幸福とはなにか、自分とはなにか」をわからせてくれるものである。
政治があつかう「社会」は人間が幸福であるために存在しており、政治の前に幸福について考える必要がある。
だから、すぐれた芸術、美をあつかったものはすべて、政治の問題にになってしまという。
逆に幸福について考えさせない芸術、つまり政治的ではない芸術は、ただ陳腐なだけである。
この幸福ー芸術ー政治の連関を示す、エンデの論説には納得した。

ただし、芸術、美、ファンタジーを政治に利用することにはエンデは非常に強い忌避感を示す。
それは、はじめから相手を操作しようとする目的の似非芸術であり、
幸福とは何かを考えさせてくれるのではなく、幸福についての理解を操作使用とするタイプのものである。
本当の芸術とはかけ離れたものだ。非常に鋭い指摘だと思う。

本書は抽象概念のオンパレードであり、ふだん言葉を適当に扱っている自分としては
話者の言わんとすることに漸近できるように、何度も辞書を調べ直す必要があった。
「文化」と「文明」をしっかりと使い分けたりしており、ほぼ同義語のようにあつかっていた自分を見つめ直す機会となった。

この過度に抽象化された概念を、様々な引用、アナロジー、具体例などでテンポよく話し続ける、
この三者の知恵の幅広さにただ感服したし、読書中、自分の脳みその未開部分が切り開かれていくような感覚、
言語を研ぎ澄まされるような感覚は心地よかった(決して読みやすい本ではないけれど)

ミヒャエル・エンデの「モモ」は大学1年のときに読んで、それ以来、ことあるごとに思い出してしまう作品であった。
その理由がよくわかったし、これからも考え続けなければならないと感じる。
ただし、彼らの知性をもってしても、資本主義になりかわる社会システムを構想しきれていないことに、軽い絶望も感じてしまった。

けれども、拙速な、「やれることはやる」という短絡的な、力強い(ように見える)行動が、
日本においてもカジノ法案、オリンピック、万博、武器製造の解禁など、威勢のいいことばかりいって、長期的視野に欠ける政治家たちに目立ってきているし、それに対する支持も広がっている。対案をだせ、対案をだせ、と拙速この上ないことばかりである。

本書でも、これらの待ったなしで行う輩を「マッハ」という言葉で強く批判している。
力強いだけ、行動的なだけの短絡的人間は、国によいことをしたことは、歴史上あるだろうか?(ヒトラー、ポルポト、枚挙にいとまがない)
と、つい、現代日本のことも考えてしまう。

相手の話をよくきいて、現実をよくみて、相手を操作するなんで下世話な意図は持たずに、芸術をとおして、我々の幸福について考えていく、
コミュニケーションを続けていく。そういった関係性をは本書を通じて提示されているし、
それを続けることでしか、現在の資本主義社会の次の構造を構想することはできないのだろう。

まくまで総論的な会話であり、明日から役立つ書ではない。でも10年、20年単位で効いてくる書だと思う。
「そんな暇ないよ、日本はやばいじゃないか。」という人にこそ、読んでほしい。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2003年10月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ドイツでは、エンデの本をもって労働時間短縮のストライキに参加した人たちがいたという。ドイツ人の生き方とイタリア人の生き方が対比的に語られがちだが、自然に楽に歌いながら、愛を語りながら生きるイタリア人と、どこか理知的に判断しながら効率主義にまけない生き方をするドイツ人や日本人との間はこの素敵な対談集をもってしても埋めがたい溝があるように思える。
いずれにせよ、ぼくには最後までなぜエンデが政治的な活動と結びつくことがありうるのかすごく不思議だった。ああ、そう亡くなる直前のNHK特集でアインシュタインを語ったエンデもどこか不自然なものを感じていた。いつまでも「モモ」や「はてしない物語」のエンデであってほしいと思うのは、わがままで幼い判断なのだろうか。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2003年11月19日に日本でレビュー済み
 1980年代に先進諸国が直面した閉塞感を超えるため、「ファンタジー」について語ろうと集まったドイツを代表する行動家3人の会話記録です。
当時、社会主義の失敗が明白になる一方で資本主義の欠陥も明らかでした。先端技術を導入し、生産性を向上しても地球の環境を悪化させ、最終的には人間の首を締めるのではないか?という閉塞感が世の中を覆っていたのです。
 M. エンデは『モモ』『はてしない物語』『鏡のなかの鏡』で著名な物語作家。『モモ』に登場した時間泥棒・灰色の男とモモのやり取りは読者に強い影響を与え、それがこの鼎談のきっかけにもなっています。E. エプラーは西ドイツの政治家で、経済開発協力相、SPDの基本価値審議会会長を歴任しており、党派を超えた活動は若者に大きな影響を与えています。H. テヒルはシュットガルトでコミュナル・コンタクトシアターを主宰する演劇人で、政治・社会問題と演劇を結び付ける活動を行なっている方です。本文にも登場しますが、刑務所で囚人と刑務所職員が自分たちの立場を演劇で表現した話は圧巻です。
 最終的に「ファンタジー」の姿は暗示されるに留まります。しかし、未来の社会像を考察するうえで重要なヒントが随所に散りばめられています。また、人間や社会に関する洞察が見られます。その点についていくつか紹介しましょう。
 「衝突のない人類なんて、呼吸をやめた人類みたいなものだ。人間社会から衝突をなくせば、ゾンビ-とかミイラとか自動装置の世界になってしまう」。
 「砂で小さなケーキをつくって、子供にちょっと食べてごらんとすすめる。すると子供は「まるで」ほんとうのような顔をして、食べてみる。(中略)ところが、きみが砂のケーキを口に突っ込もうとしたとたん、子供はきみのことを笑って「食べられないよ。砂だもの」という。子供は何の苦もなく想像力の平面と現実の平面を区別する」。
 こうした前提のファンタジーは示唆が多です。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2003年8月5日に日本でレビュー済み
ここでいう「オリーブの森で」とはイタリア、ローマ近郊ジャンツァーノのエンデの家、そして「語り合う」のはテヒル、エプラーそしてエンデの3人である。とりとめなく「螺旋階段をのぼるように」進められる「会話の記録」であり、従ってとても読みにくい面があることは否めない。議論の中には、エンデの「モモ」や「はてしない物語」が引用されるので、この二作品を読んだ上で、読んでいかれることをお勧めしたい。
会話の中身は社会批判、教育や哲学・心理学そして政治に関する問題についてまで多岐に及ぶ。「合理的」であることに反旗をひるがえし、素朴に、世の中について考えている。現代の消費社会の問題については、外面的に豊かな我々も精神的には貧しいヤツにすぎないのだ、と論じられる。人が!生きるために必要なのは、ともかく「暮らしてみたい」と思うようなボジティブな世界像だ、とエンデが述べているが(p.30)、まるで現代の日本社会を見通しているかのようなエンデの議論には感心してしまう。
--会話はゆっくりとフェード・アウトした。台所では夕食の支度をしていう。テーブルに食器がならべられ、葡萄酒が運び込まれた。・・・--(p.156)
会話のあと、3人がエンデの妻ホフマンとともに、どんな食事を楽しんだか、どんな時間を過ごしたのかが述べられており、生きることを愛するエンデの素朴な生活の様子が感じられた。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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