1971年の「日本人とユダヤ人」で「日本人は『安全と水』はタダだと思っっている」と日本人の国際情勢の無知ぶりを指摘し評判となりベストセラーになり、この本がキッカケで「日本人論」ブームが起りました。
その後も、山本七平さんは、活発な評論、執筆活動を続けられ平成3年、70歳で鬼籍に入られました。
斬新で的確、膨大な考察は、「山本学」として知られています。
一方の小村直樹さんは天才的な学者で、博覧強記で知られ、1980年出版した「ソビエト帝国の崩壊」で10年後のソ連の崩壊を予言し的中させたことで、マスコミの話題となり、数々の著作を発表され、平成22年に亡くなられました。
「日本教の社会学」jは、1981年に出版され、名著として知られており古書で13000円の高値をつけていました。
復刻出版されて、私も初めて目にしました。
内容は、山本学のエッセンスを、小室さんとの対談で、わかりやすく解説したものです。
山本さんの数々の考察は、体系的、学問的にまとまったものがありません。
多忙なビジネスマン、評論家、執筆家としての日々の活動に追われていましたので、目を瞠るような考察も、例えば「現人神の創作者たち」のように途中で終わって、そのままのものもあります。
これを学問的、体系的に山本学のエッセンスを一般向けに編集、解説しようとしたのが小室直樹さんです。
小室さんの狙いは当たり、成功しています。
おそろしく密度の濃い本です。
山本さん、小室さんの著作を読み親しんでない人には、いきなり読んでも理解は、容易ではないと思います。
中心は、宗教論です。
キリスト教、仏教、儒教と比べて日本の宗教の特質と他の宗教との違いを考察します。
日本には、独自で強力な宗教が連綿としてあり、日本人の思考、行動、日々を規制し、方向付けていると主張します。
この宗教が「日本教」です。
仏教、儒教、キリスト教は、堅固な日本教によって、伝来しても日本では変質を余儀なくされます。
日本教を土台にして、日本教キリスト派、日本教仏教派、日本教儒教派に変わってしまいました。
共産主義などの宗教的ドグマも同じです。
日本教マククス主義派です。
宗教の社会学的な意味を研究するため、教義、救済儀礼、神義論を用いて説明します。
日本教には、教義・救済儀礼・神義論そのものはありませんが、同じ機能をするものは存在します。
まず教義ですが、これは人間にとって絶対的な規範であり、所与性を持ち、人間行動を厳格に拘束するが、人間は勝手に教義を変えることは出来ない。
日本教では、これは「空気」に相当します。
教義の社会学的意味は、集団加入のための判定条件であることです。
宗教教団の教義を信じれば加入できるし、満たさなければ加入できない。
教義は、一つのシステムとして、キリスト教では神と個人、その中間にある教会とキリスト教学です。
儒教では、天と民の間に「礼楽」があり、学問的内容と実際上の制度があります。
ところが日本教では、絶対的存在としての「天皇」と、個人規範のみがあり、間には「空気」のみが存在します。
この空気は、流動的で、規範のような体系を持っていませんが、瞬間的、時限敵に教義になります。
明治維新、2.26事件、大東亜戦争、戦艦大和の沖縄出撃など、いずれも空気が教義となって起こったことです。
「空気」を弱める役割は「水」ですが、「水」は新たな「空気」は創造できません。
新たな「空気」は、またそのうちに現れます。
「実体語と空体語」も山本学のエッセンスの一つです。
これは「タテマエとホンネ」のように静的なものではなく動的・流動的で重要なのは「実体語と空体語」間のバランスです
日本教の基本的概念は「人間」と「自然」です。
下に「自然」がり、その上に「人間」という支柱があって、この支柱の上に天秤があります。
この天秤の両端に「空体語」と「実体語」がぶら下がっています。
片方に「空体語」を入れ、もう片方に「実体語」をいれてバランスを取っている状態です。
太平洋戦争末期に、「無条件降伏」という「実体語」に対して、その極論に対抗してバランスをとるように「空体語」として過激な「一億総玉砕」が出てきます。
この場合、敗戦という事実で、「空体語」は、見事に消え去ります。
同じようなことは、終戦直後、二・一ゼネスト、安保騒動時でも見られた現象です。
「空体語」は一夜にして雲散霧消します。
「空体語」は、一貫して日本の新聞、マスコミが作り、「空気」を大きくしています。
かってう吉田茂、岸信介、佐藤栄作、田中角栄など新聞、マスコミによって悪口雑言の標的だった総理大臣は、今では名宰相の評価です。
救済儀礼は、キリスト教では洗礼、聖餐、堅信、告解、終油、叙階、結婚の7つです。
儒教では、五倫が根本規範で、君臣・父子・夫婦・長幼・朋友の5つです。
日本教では、これらは「自然」「純粋」など情緒的規範になります。
西郷隆盛、日本的序列、浄土宗、創価学会、イデオロギー論争など、様々な例から日本教の特徴を例示しています。
神義論は、キリスト教のような一神教で聖書などの規範が確定されている宗教にあります。
聖書のヨブ記では正しい行いをしたヨブが報われずにひどい目にあうばかりです。
それなのに何故、神が義なのか、という問題です。
日本は善悪二元論で、善悪の両者の存在を認めており、神義論の議論は起りません。
悪神であっても神社に祀り、供え物をして祟りを押さえようとします。
雷で祟りをなしていた菅原道真は、いつの間にか学問の神様として受験生に、現代も人気です。
日本教では、祀れば機能するなら、神は存在するはずだという考えです。
神は本質的に善か悪かという神義論は成り立ちません。
機能神のとらえ方です。
会社のビルの屋上にお稲荷さまが祀られていますが、機能していれば神さまで、崇拝の対象になります。
徳川幕府は、その主権の正統性を朱子学に求め、官学にしました。
ところが山崎闇斎、浅見絅斎などが突き詰めて朱子学の論理で行くと徳川幕府に正統性はなく、日本における正統性は天皇にあるということになります。
清朝が支配していた中国から、朱子学の権威の朱舜水が亡命して水戸光圀に庇護されました。
天下を治めた清朝の正統性を認めない朱舜水の影響も、崎門派の正当性主張に拍車をかけました。
浅見絅斎は「靖献遺言」を表し、これが下級武士を中心にベストセラーになりました。
内容は、正統性の義のために命を賭した中国の義士たちのエピソード集です。
天皇を蔑ろにしている徳川幕府への怒りに火をつけ、やがて尊王討幕運動への流れになります。
明治維新の天皇親政による日本変革は、革命でした。
当時のイギリス公使のパークスは、明治維新の矢継ぎ早に実行される社会制度改革を見て、ビックリ仰天しました。
一片の天皇の命令だけで、近代国家が一夜にして出来上がるさまをみて、、天皇はまさに神であると考えました。
もしヨーロッパで明治維新のような社会制度変革を実現するには、何十回もの戦争を起こし流血の惨事を繰り返しても困難だろう、と言っています。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
日本教の社会学 (1981年) 単行本(ソフトカバー)
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4.4つ
5つのうち4.4つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
98グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2018年3月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2021年7月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
満足です。ありがとう
2020年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
山本七平の毒素が大分わかりやすくなった。日本教の話しは別途読む方がよい。
2016年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
山本 七平氏と小室 直樹氏 の対談を書籍にまとめたもの
山本七平氏の提起する日本教という概念を小室直樹氏と共に社会科学的に捉え直そうと試んでいます
(1)本論に入る前の序段で、現在の日本はデモクラシー国家でないのみならず、戦前日本は軍国主義ではなく、また、天皇主義者は一人もおらず(戦前日本で忠孝の概念は理解されず、天皇の命令に最も服従しなかったなは右翼と軍隊でした)さらに、戦前戦後を通じ社会的自由、言論の自由、政治的自由はなかったと述べられています
(2)キリスト教、仏教、儒教など諸宗教は日本に入ると変容し神髄を抜かれ変容してしまい日本教の分派になってしまいます
諸宗教は全部薬だ、だからそれを上手く調合して、飲んでしまえばよいとなります
この日本教には、組織神学的立場からすると教義(ドグマ)、救済儀礼(サクラメント)、神義論(テオデイツエー)やファンダメンタリズムが存在しないものの、構造神学的に、これらと同じ機能を有するものがあり、これらを考察をしています
キリスト教では教義は一義的に明示される事が要請され社会状況からも人間関係からも分離している厳格で確固たる原則のことですが、これに対し日本教では組織神学的には教義はないものの構造神学的に教義と同じ機能を有するのは「空気」です
自己の規範と絶対的対象を結ぶのが「空気」で、「空気」は規範のような体系性を持ち得ないのに、i)正当性を有し、ii)その遵守が要求され、iii)遵守しない場合に制裁が加えられるという点で、社会学的特性が規範と同様です
絶対的一神との契約という考え方がある社会 、一般的規範が一義的に明示され、それが社会状況からも人間関係からも独立している社会 や、歴史という考え方がある社会では、「空気」は発生しません
「空気」を潰す方法は「水をさす」つまり事実を事実としていうことです
事実をそのままいった人間は非難され、「空気」を通してみた事実 である「実情」に正直に対応すれば正直とされます
「ホンネとタテマエ」は静学的(スタティック)ですが、日本教ではもっと動態的(ダイナミック)な「実体語と空体語」がバランスをとって人を社会学的に機能させており、この状態が「空気」であるとしています
サクラメントとは救済のための儀礼で、いわば救済のための願書のようなもので、カソリックでは洗礼、堅信、聖餐、告解、終油、叙階、結婚と7つのサクラメントがあり 、プロテスタントには聖餐と洗礼の2つのサクラメントがあります
日本教を機能と社会構造の関連から見れば聖餐は「人間」、洗礼は「自然」、懺悔・告解は「本心」に当たります
i)日本人のいう「自然」は、自己の内心の秩序、社会秩序、自然秩序の三つをひっくるめた言葉
日本では「自然」がそのまま規範化されており「自然」のままであるのがなによりよいとされ、日本教徒は「自然」であれば救済されることになります
ii)「本心」とは内心における自然の秩序をいい、江戸時代の思想家で石門心学の開祖 石田梅岩は天然自然の秩序がすなわち善であり人間がその通りにあるのが善であると考え、よって赤ん坊は善でありこの赤ん坊の心の状態をして「本心」と呼びました
「実情」に正直なことが「本心」に対し正直ということで、事実を事実として行為するのは「本心」に対し正直でないという情緒規範になります
iii)「純粋」は日本独特の情緒規範です
「純粋人間」の定義は三つのタイプがあり一つは情緒規範の人間、もう一つは空体語の人間、もう一つは教義学を持たないつまり組織的発想を持たない人間ですが、意義は理論的に同値です
iv)日本の一般規範いってみれば市民社会の規範に対して日本教的な共同体においては日本教的な宗教社会の「序列」による序階が作用する-その場合、その組織に早く入ることが序階をきめることになります
v)カソリックでは結婚は神に向かって「宣誓」し神と契約するのでサクラメントに当たるが、日本には結婚制度というものは存在していない--結婚しているようでもあり、してないようでもあり、内縁の妻という言葉もあり得るし、庶子が認知されると相続権をもち得る--一つの状況倫理です
「正しいことをした人がなぜこんなひどい目にあうのか」という問いに答えようとするのが神義論-簡単にいうと悪とは何ぞやということです
組織神学的には日本教に聖典(カノン)どころか、規範もないので広狭いずれの意味においても神義論はありません
日本の神義論は、「共同体を維持するためにはマイナスに機能することもあり得る」ということです
教義は神義論から出てくる、しかも「空気」は根本的に機能的要請からでてきます
完璧に「空気」をつくる人とは、機能的要請を的確に知りそれが実際のオーガナイゼーションにおいて作動するように調整する人で、神義論から教義をつくるという意味で教祖です
ファンダメンタリズムとは聖書の言葉を一言半句そのままその通り信じることで、絶対的人格神との契約が正典である宗教だけにはじめて可能です(従って、仏教や儒教ではファンダメンタリズムはあり得ません)
聖書絶対のファンダメンタリズムに対し日本的ファンダメンタリズムは空気絶対のファンダメンタリズムです-絶対「空気」に逆らわない、恭順
これに対抗する方法はただ一つ「水をさす」です
(3)後半はモデルとしての近代資本制社会成立のための条件や、日本教が日本資本主義のダイナミズムの中でどのように作用しながら現在を作ってきたかを論じています
近代資本制社会成立のための精神的な条件はi)勤労の行動様式(エトス)の成立、すなわち職業を「神の詔命」なりとして世俗内的禁欲に従事するという契機の成立、ii)交換の規範化、iii)共同体の崩壊、これに日本人に注意すべき条件としてiv)契約という考え方が確立していることです
日本資本主義では伝統的共同体が再編され企業の中に潜り込んでしまっていて、共同体では「実情」という特殊倫理はあるものの万人共通の規範というものはなく、共同体の内と外とで違う規範が存在することになります
欧米資本主義にとって資本主義の指標となる労働市場が日本資本主義では成立しません
共同体が企業の中に潜り込んだ特徴として、社員は全て企業共同体の一員として雇用されるのではなく、その中に生まれるのであり、所有、権利、交換、価値、取引などの資本主義にとって不可欠な装置の意味がちがっています
カルバンの予定説は誰を救済し、誰を救済しないかは神が一方的に決めるというものでありますが、これによって神という絶対的な座標軸が社会から完全に分離され社会は相対化され、西洋では伝統主義社会を改革して近代資本主義社会を作ることが可能にりました
これがない日本では伝統主義的共同体が近代的企業の中に潜り込んでしまいました
資本主義社会の形成において西欧においてカルヴィニズムが果たしたのと同じような機能を日本近代化の出発点において果たしたのは崎門の学です
崎門の学の浅見絅斎は、「簒臣、賊后、夷狄を正統とせず」とし、当時の世界において正当性を持っている唯一の支配者は天皇しかいないと論理的帰結を出しました
浅見絅斎は「靖献遺言」で中国の歴史から八人を選び、忠臣義士の典型としています-「靖献遺言」では絶対規範の命ずるままに生命を捨てさえすれば、あとは予定調和の鉄則が働いて社会全体はあたかも神の見えざる御手に導かれるがごとくうまくうごいて革命の理想-天皇親政-は実現するという理論がみちびかれます
新しい社会が形成されるには社会思想的形成力がなければならないわけですが、西欧で社会思想的形成力となったのは宗教改革におけるプロテスタンティズムの倫理であり、日本においての社会思想的形成力は浅見絅斎の予定調和説でありました
これこそが世界に例を見ない空前絶後の明治維新をもたらしました
日本教の倫理と日本的主義の精神はi)機能主義、ii)絶対的規範としての勤労のエトス、iii)町人の合理性とある面の所有制の確立、iv)崎門学に基づく下級武士のエトスの一般化 の四つになります
濃密な内容の本でした
小室氏は、予定説が鉄板です
山本七平氏の提起する日本教という概念を小室直樹氏と共に社会科学的に捉え直そうと試んでいます
(1)本論に入る前の序段で、現在の日本はデモクラシー国家でないのみならず、戦前日本は軍国主義ではなく、また、天皇主義者は一人もおらず(戦前日本で忠孝の概念は理解されず、天皇の命令に最も服従しなかったなは右翼と軍隊でした)さらに、戦前戦後を通じ社会的自由、言論の自由、政治的自由はなかったと述べられています
(2)キリスト教、仏教、儒教など諸宗教は日本に入ると変容し神髄を抜かれ変容してしまい日本教の分派になってしまいます
諸宗教は全部薬だ、だからそれを上手く調合して、飲んでしまえばよいとなります
この日本教には、組織神学的立場からすると教義(ドグマ)、救済儀礼(サクラメント)、神義論(テオデイツエー)やファンダメンタリズムが存在しないものの、構造神学的に、これらと同じ機能を有するものがあり、これらを考察をしています
キリスト教では教義は一義的に明示される事が要請され社会状況からも人間関係からも分離している厳格で確固たる原則のことですが、これに対し日本教では組織神学的には教義はないものの構造神学的に教義と同じ機能を有するのは「空気」です
自己の規範と絶対的対象を結ぶのが「空気」で、「空気」は規範のような体系性を持ち得ないのに、i)正当性を有し、ii)その遵守が要求され、iii)遵守しない場合に制裁が加えられるという点で、社会学的特性が規範と同様です
絶対的一神との契約という考え方がある社会 、一般的規範が一義的に明示され、それが社会状況からも人間関係からも独立している社会 や、歴史という考え方がある社会では、「空気」は発生しません
「空気」を潰す方法は「水をさす」つまり事実を事実としていうことです
事実をそのままいった人間は非難され、「空気」を通してみた事実 である「実情」に正直に対応すれば正直とされます
「ホンネとタテマエ」は静学的(スタティック)ですが、日本教ではもっと動態的(ダイナミック)な「実体語と空体語」がバランスをとって人を社会学的に機能させており、この状態が「空気」であるとしています
サクラメントとは救済のための儀礼で、いわば救済のための願書のようなもので、カソリックでは洗礼、堅信、聖餐、告解、終油、叙階、結婚と7つのサクラメントがあり 、プロテスタントには聖餐と洗礼の2つのサクラメントがあります
日本教を機能と社会構造の関連から見れば聖餐は「人間」、洗礼は「自然」、懺悔・告解は「本心」に当たります
i)日本人のいう「自然」は、自己の内心の秩序、社会秩序、自然秩序の三つをひっくるめた言葉
日本では「自然」がそのまま規範化されており「自然」のままであるのがなによりよいとされ、日本教徒は「自然」であれば救済されることになります
ii)「本心」とは内心における自然の秩序をいい、江戸時代の思想家で石門心学の開祖 石田梅岩は天然自然の秩序がすなわち善であり人間がその通りにあるのが善であると考え、よって赤ん坊は善でありこの赤ん坊の心の状態をして「本心」と呼びました
「実情」に正直なことが「本心」に対し正直ということで、事実を事実として行為するのは「本心」に対し正直でないという情緒規範になります
iii)「純粋」は日本独特の情緒規範です
「純粋人間」の定義は三つのタイプがあり一つは情緒規範の人間、もう一つは空体語の人間、もう一つは教義学を持たないつまり組織的発想を持たない人間ですが、意義は理論的に同値です
iv)日本の一般規範いってみれば市民社会の規範に対して日本教的な共同体においては日本教的な宗教社会の「序列」による序階が作用する-その場合、その組織に早く入ることが序階をきめることになります
v)カソリックでは結婚は神に向かって「宣誓」し神と契約するのでサクラメントに当たるが、日本には結婚制度というものは存在していない--結婚しているようでもあり、してないようでもあり、内縁の妻という言葉もあり得るし、庶子が認知されると相続権をもち得る--一つの状況倫理です
「正しいことをした人がなぜこんなひどい目にあうのか」という問いに答えようとするのが神義論-簡単にいうと悪とは何ぞやということです
組織神学的には日本教に聖典(カノン)どころか、規範もないので広狭いずれの意味においても神義論はありません
日本の神義論は、「共同体を維持するためにはマイナスに機能することもあり得る」ということです
教義は神義論から出てくる、しかも「空気」は根本的に機能的要請からでてきます
完璧に「空気」をつくる人とは、機能的要請を的確に知りそれが実際のオーガナイゼーションにおいて作動するように調整する人で、神義論から教義をつくるという意味で教祖です
ファンダメンタリズムとは聖書の言葉を一言半句そのままその通り信じることで、絶対的人格神との契約が正典である宗教だけにはじめて可能です(従って、仏教や儒教ではファンダメンタリズムはあり得ません)
聖書絶対のファンダメンタリズムに対し日本的ファンダメンタリズムは空気絶対のファンダメンタリズムです-絶対「空気」に逆らわない、恭順
これに対抗する方法はただ一つ「水をさす」です
(3)後半はモデルとしての近代資本制社会成立のための条件や、日本教が日本資本主義のダイナミズムの中でどのように作用しながら現在を作ってきたかを論じています
近代資本制社会成立のための精神的な条件はi)勤労の行動様式(エトス)の成立、すなわち職業を「神の詔命」なりとして世俗内的禁欲に従事するという契機の成立、ii)交換の規範化、iii)共同体の崩壊、これに日本人に注意すべき条件としてiv)契約という考え方が確立していることです
日本資本主義では伝統的共同体が再編され企業の中に潜り込んでしまっていて、共同体では「実情」という特殊倫理はあるものの万人共通の規範というものはなく、共同体の内と外とで違う規範が存在することになります
欧米資本主義にとって資本主義の指標となる労働市場が日本資本主義では成立しません
共同体が企業の中に潜り込んだ特徴として、社員は全て企業共同体の一員として雇用されるのではなく、その中に生まれるのであり、所有、権利、交換、価値、取引などの資本主義にとって不可欠な装置の意味がちがっています
カルバンの予定説は誰を救済し、誰を救済しないかは神が一方的に決めるというものでありますが、これによって神という絶対的な座標軸が社会から完全に分離され社会は相対化され、西洋では伝統主義社会を改革して近代資本主義社会を作ることが可能にりました
これがない日本では伝統主義的共同体が近代的企業の中に潜り込んでしまいました
資本主義社会の形成において西欧においてカルヴィニズムが果たしたのと同じような機能を日本近代化の出発点において果たしたのは崎門の学です
崎門の学の浅見絅斎は、「簒臣、賊后、夷狄を正統とせず」とし、当時の世界において正当性を持っている唯一の支配者は天皇しかいないと論理的帰結を出しました
浅見絅斎は「靖献遺言」で中国の歴史から八人を選び、忠臣義士の典型としています-「靖献遺言」では絶対規範の命ずるままに生命を捨てさえすれば、あとは予定調和の鉄則が働いて社会全体はあたかも神の見えざる御手に導かれるがごとくうまくうごいて革命の理想-天皇親政-は実現するという理論がみちびかれます
新しい社会が形成されるには社会思想的形成力がなければならないわけですが、西欧で社会思想的形成力となったのは宗教改革におけるプロテスタンティズムの倫理であり、日本においての社会思想的形成力は浅見絅斎の予定調和説でありました
これこそが世界に例を見ない空前絶後の明治維新をもたらしました
日本教の倫理と日本的主義の精神はi)機能主義、ii)絶対的規範としての勤労のエトス、iii)町人の合理性とある面の所有制の確立、iv)崎門学に基づく下級武士のエトスの一般化 の四つになります
濃密な内容の本でした
小室氏は、予定説が鉄板です
2020年10月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小室直樹、山本七平お二人がご存命ならば今の日本をどう思ったでしょう?これほど深い日本人論はありません。皆様是非ともご一読を!!
2016年12月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
故 山本七平氏の偉大な業績、と 故 小室直樹氏が述べる「日本教」の発見(日本人にはキリスト教徒や仏教徒は存在せず、日本に存在するのは、日本教徒キリスト派、日本教徒仏教派であり、日本教とは日本人のエトス(行動様式)そのものである)、
また山本七平氏の用いた鋭利な分析用具である「空気と水」、「実体語と空体語」、その両者の関係(論理構成においてはドグマ(教義)とは全く違うものであるが、その機能においては、内部の人間の行動を拘束する、という面で同じ働きをするのが、日本独特の「空気」という存在であり、
実体語と空体語がバランスを取って、人を社会的に機能させている状態が「空気」である。
日本には組織神学が存在しないために「空気」の力は絶対となり、
さらに、醸成された「空気」に「水をさす」行為とは、「実体語」とバランスを取る必要から膨れ上がった「空体語」を少し振り落とす、ということである)など、
山本七平氏の著作である「日本教について」「空気の研究」などに出てくるキーコンセプトを、
小室直樹氏が 、山本七平氏との対談、という形を通じて解説してくれるという、
お二人のファンにとっては堪えられない一冊です。
また山本七平氏の用いた鋭利な分析用具である「空気と水」、「実体語と空体語」、その両者の関係(論理構成においてはドグマ(教義)とは全く違うものであるが、その機能においては、内部の人間の行動を拘束する、という面で同じ働きをするのが、日本独特の「空気」という存在であり、
実体語と空体語がバランスを取って、人を社会的に機能させている状態が「空気」である。
日本には組織神学が存在しないために「空気」の力は絶対となり、
さらに、醸成された「空気」に「水をさす」行為とは、「実体語」とバランスを取る必要から膨れ上がった「空体語」を少し振り落とす、ということである)など、
山本七平氏の著作である「日本教について」「空気の研究」などに出てくるキーコンセプトを、
小室直樹氏が 、山本七平氏との対談、という形を通じて解説してくれるという、
お二人のファンにとっては堪えられない一冊です。
2017年11月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
対談もので,ここまで深い書籍はないのではないか?
ため息が出るほど高価だったので,図書館の本を自宅でスキャンしたものだが,とにかく復刻した嬉しさでいっぱいになる.
「平成時代」もまもなく終わる.
人口が減少しはじめ,これから人類史上未知の領域にはいる日本人が,とにかく知っておきたいことばかりが書いてある,碇のような本である.
読まずに死ねるか.
ため息が出るほど高価だったので,図書館の本を自宅でスキャンしたものだが,とにかく復刻した嬉しさでいっぱいになる.
「平成時代」もまもなく終わる.
人口が減少しはじめ,これから人類史上未知の領域にはいる日本人が,とにかく知っておきたいことばかりが書いてある,碇のような本である.
読まずに死ねるか.