世の中にボーイズラブとジャンル分けされる小説は数多くありますが、
心がふるえて、いたくなる作品はそれほど多くありません。
この作品は、好きな言葉が多すぎて、ふせんだらけになってしまい、読み返すたびに
ジョヴァンニの愛情に泣いてしまいます。
この作品に対して、わたしのこんな下世話なレビューはまったく失礼な話ですが、
ボーイズラブ好きな方、腐女子を自負する方にこそ、古典だからと避けずに
読んでみて欲しいなと思います。
またこの作品がすきな方には、BBC Radioでドラマタイズされたものもありますので
ぜひダウンロードして聞いていただくことをお勧めします。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2008年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
結婚を予定した恋人たちがいるが、男には別の恋人(但し結婚はできない)ができてしまう。そしてその存在が婚約者にばれ、男はその恋人を婚約者の目の前で拒絶する。恋人は悲しみのあまり、死に至る。そして男は罪の意識に苦しみ、結婚も破綻に至る。こういう構成の恋愛小説は定型なのだろうか。バレエのジゼルも同じような筋になっている。ジゼルの場合は、身分の違いが結婚できない理由なのだが。
この作品では恋人が男であり、主人公が自らが同性愛であることを認めないことから悲劇が起こる。結ばれない恋。但し、障害は恋人が男だからではなく、主人公が自分がゲイであることを否定しようとしていることから生じている。今の世の中では、身分や、人種や、貧富の差が障害とした小説ではリアリテイがない。更には同性婚も可能な国もあるので、そうした国では過去の話なのだろうが、まだまだ恋に制約の多い日本の読者にとっては、共感できる部分の多い小説かもしれない。但し、話が暗く、結末が陰惨なため、読後感が重い。
この作品では恋人が男であり、主人公が自らが同性愛であることを認めないことから悲劇が起こる。結ばれない恋。但し、障害は恋人が男だからではなく、主人公が自分がゲイであることを否定しようとしていることから生じている。今の世の中では、身分や、人種や、貧富の差が障害とした小説ではリアリテイがない。更には同性婚も可能な国もあるので、そうした国では過去の話なのだろうが、まだまだ恋に制約の多い日本の読者にとっては、共感できる部分の多い小説かもしれない。但し、話が暗く、結末が陰惨なため、読後感が重い。
2019年9月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古びた訳はいいにしろ、紹介文は変えた方がいい。「異常な生活」はないだろう。「この、異性愛者と同性愛者の一風変わった生活」くらいにできないだろうか。
「ビールストリートの恋人たち」で再び注目されている作家なのだから。
「ビールストリートの恋人たち」で再び注目されている作家なのだから。
2006年4月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
フランスに住むアメリカ人青年デイヴィッドは、
美貌のイタリア人バーテンダー、ジョヴァンニに出会い、結ばれる。
ジョヴァンニを愛しく思う気持ちと、自分の中に、同性愛という獣を呼び覚ました彼への憎しみとの中で苦しむデイヴィッドは、
自身の安全のため、ジョヴァンニを捨て、婚約者の女性との人生を選ぶ。
しかし、その選択はジョヴァンニと、自分自身の人生を狂わせることとなる。
美貌のイタリア人バーテンダー、ジョヴァンニに出会い、結ばれる。
ジョヴァンニを愛しく思う気持ちと、自分の中に、同性愛という獣を呼び覚ました彼への憎しみとの中で苦しむデイヴィッドは、
自身の安全のため、ジョヴァンニを捨て、婚約者の女性との人生を選ぶ。
しかし、その選択はジョヴァンニと、自分自身の人生を狂わせることとなる。
2007年6月5日に日本でレビュー済み
アメリカの小説を読む中で、
幾度かこちらの作品の一節が引用されいるのに出くわしています。
タイトルもそんな中の一節。
半世紀ほど前に書かれた小説だけど、
未だにアクチュアルな作品なんだなあと思わさせられます。
ストーリーはゲイである事を自覚したくないアメリカ男性が、
イタリア男性とパリという異国で出会い恋に落ちるものの、
それを愛と認められないが故に相手を結果的には死に追いやる、というもの。
少女マンガだったら、そこで「愛の悲劇」で終わりなんですが、
この作品はそれでも生きていかなければならない男性が自分の性とどう向き合うか、
というところに思いを馳せて終わります。
そしてボールドウィンはそれを単純に性的嗜好だけでなく、
「自分自身とどう向き合うか」
「世界/他者に対してまっすぐであるとはどういうことか」
という問題としても捉えているようにも読めました。
作品の中で、
「自分のすべてを没入させないような行為ばかりをくりかえしていたら、
けっきょく最後には、自分自身のきたならしい身体のわなのなかにはまりこんでしまって、
身動きがとれなくなってしまうんだ」
という文があるのですが
このあたりがこの小説を通底する考えのような気がします。
そういう意味では「恋愛する」ということについて、とてもひたむきな小説だと思いました。
もちろんそれと同時に
男と男が出会って、もうどうしようもなく恋に落ちてしまって、
でもそれなのにすれちがって…、
という心の動きが繊細に描かれた、とても素敵な恋愛小説でもあって、
だからこそ魅力的なのですけど。
ちなみに舞台は50年代のパリ。
当時のパリの下町の光景と「パリのアメリカ人」の描写も
実際にパリ生活をしていたボールドウィンならではの筆致で、
そういうのが好きな方にも楽しめると思います。
幾度かこちらの作品の一節が引用されいるのに出くわしています。
タイトルもそんな中の一節。
半世紀ほど前に書かれた小説だけど、
未だにアクチュアルな作品なんだなあと思わさせられます。
ストーリーはゲイである事を自覚したくないアメリカ男性が、
イタリア男性とパリという異国で出会い恋に落ちるものの、
それを愛と認められないが故に相手を結果的には死に追いやる、というもの。
少女マンガだったら、そこで「愛の悲劇」で終わりなんですが、
この作品はそれでも生きていかなければならない男性が自分の性とどう向き合うか、
というところに思いを馳せて終わります。
そしてボールドウィンはそれを単純に性的嗜好だけでなく、
「自分自身とどう向き合うか」
「世界/他者に対してまっすぐであるとはどういうことか」
という問題としても捉えているようにも読めました。
作品の中で、
「自分のすべてを没入させないような行為ばかりをくりかえしていたら、
けっきょく最後には、自分自身のきたならしい身体のわなのなかにはまりこんでしまって、
身動きがとれなくなってしまうんだ」
という文があるのですが
このあたりがこの小説を通底する考えのような気がします。
そういう意味では「恋愛する」ということについて、とてもひたむきな小説だと思いました。
もちろんそれと同時に
男と男が出会って、もうどうしようもなく恋に落ちてしまって、
でもそれなのにすれちがって…、
という心の動きが繊細に描かれた、とても素敵な恋愛小説でもあって、
だからこそ魅力的なのですけど。
ちなみに舞台は50年代のパリ。
当時のパリの下町の光景と「パリのアメリカ人」の描写も
実際にパリ生活をしていたボールドウィンならではの筆致で、
そういうのが好きな方にも楽しめると思います。