多くの作品を読みましたが、彼が何で笹川良一なの?…
読み始めるまで疑問でした
戦中からの知り合いで笹川の人間性を知った著者には書かずにはおれなかったのでしょう
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年5月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1970年代生まれの私の世代であれば、笹川良一先生は、人気アニメ 『一休さん(中央児童福祉審議会推薦を受け、約七年放送されたロングラン番組)』 のスポンサーである 『日本船舶振興会の会長』 であり、『一日一善のおじいさん』 として知っていました。しかし一方で、両親を含めた大人たちは、『右翼の首領』 や 『元A級戦犯』 など、およそ彼のコマーシャルで唱えられている前向きなスローガンとは懸け離れた、“極悪人” として眉を顰める事のほうが多い方でもありました。
長じて成人となり、戦後史などを理解すべく手にした本でも(書名は伏せます)、A級戦犯に “なった” 理由や、その後は競艇の収益金を財源に日本のフィクサーとして君臨した、という通り一遍の記述しかなく、結局子供の頃に受けた笹川先生の二極的な人物像とその乖離の理由を解くには至りませんでした。
そこで見つけたのが本書です。それも著者は山岡荘八先生です。全二十六巻の長編小説 『徳川家康』 ―― 二十六巻中二十一巻まで、ひたすらに我慢に我慢を重ねる 『徳川家康』 でおなじみの作者、山岡先生です。さすがに私も驚いて、「笹川先生ほどの(良くも悪くも)大物になると、歴史小説界の重鎮でも執筆依頼を受けてくれるものなんだなぁ」 と思いました。
多少の脚色はあるのでしょうが、腕白小僧から一転して賞状をもらうほどの品行方正な少年となり、生涯を通して親への孝行――父親は早世されましたので特に母親への献身が欠かさず描写されています。また両親からは礼儀と誠心、そして度を超えたスパルタ教育を施され、八十歳後半までいかなる式典でも三時間近く直立不動を保てる体力を培いました。よく “自己宣伝” と強い批判を受ける 『八十二歳の母親を背負って金毘羅参りの石段を上がる五十六歳の笹川氏』 の姿は、あながち偽りではない様です。
ここで、世間で誤解されているいくつかの笹川先生の事績について上げていきます。
・戦前戦後を問わず、活動資金は自ら起こした事業で賄っていた。
・戦前の政治団体 “国粋大衆党” は反共団体であり、それでありながらも特別高等警察の監視対象でもあった。
・『英米と戦争したら、得をするのはソ連だけだ』 と当時から見抜いていた。
・戦時の翼賛体制を強く批判し、非推薦でありながらも立候補して圧勝し、議席を得ている。
・主義は異なっても 『大衆のために働く』 という理想で、西尾末広と意気投合している。
・東條内閣では常に反対派であったためA級戦犯のリストにはなかったが、自ら立候補(GHQを挑発)して巣鴨プリズンに入獄した。
・競馬、競輪と並んで戦後公営ギャンブルとして始まった競艇だが、前者に比べてなかなか運営が軌道に乗らず、
赤字補填に私財を充てている。
・本人はギャンブルは一切やらないが、女性関係は派手であった。婚外子も複数いるが、いずれも別け隔てのない触れ合いがあった。
などがありますが、興味が湧きましたら本書で詳細を確かめてください。
また、なぜ著者が山岡荘八先生なのかは、山岡先生が海軍の報道班に在籍されていた頃からの知己であり、ご本人の年来の希望であった旨があとがきで述べられています。
その点から言っても、やはり人物伝としては筆が甘くなっている感は否めません。笹川先生を理解するには私ももう幾つかの本を読む必要がありますが、まず 『素の笹川良一とは何なのか?』 を知る手掛かりとしては手頃な入門書であると思います。
長じて成人となり、戦後史などを理解すべく手にした本でも(書名は伏せます)、A級戦犯に “なった” 理由や、その後は競艇の収益金を財源に日本のフィクサーとして君臨した、という通り一遍の記述しかなく、結局子供の頃に受けた笹川先生の二極的な人物像とその乖離の理由を解くには至りませんでした。
そこで見つけたのが本書です。それも著者は山岡荘八先生です。全二十六巻の長編小説 『徳川家康』 ―― 二十六巻中二十一巻まで、ひたすらに我慢に我慢を重ねる 『徳川家康』 でおなじみの作者、山岡先生です。さすがに私も驚いて、「笹川先生ほどの(良くも悪くも)大物になると、歴史小説界の重鎮でも執筆依頼を受けてくれるものなんだなぁ」 と思いました。
多少の脚色はあるのでしょうが、腕白小僧から一転して賞状をもらうほどの品行方正な少年となり、生涯を通して親への孝行――父親は早世されましたので特に母親への献身が欠かさず描写されています。また両親からは礼儀と誠心、そして度を超えたスパルタ教育を施され、八十歳後半までいかなる式典でも三時間近く直立不動を保てる体力を培いました。よく “自己宣伝” と強い批判を受ける 『八十二歳の母親を背負って金毘羅参りの石段を上がる五十六歳の笹川氏』 の姿は、あながち偽りではない様です。
ここで、世間で誤解されているいくつかの笹川先生の事績について上げていきます。
・戦前戦後を問わず、活動資金は自ら起こした事業で賄っていた。
・戦前の政治団体 “国粋大衆党” は反共団体であり、それでありながらも特別高等警察の監視対象でもあった。
・『英米と戦争したら、得をするのはソ連だけだ』 と当時から見抜いていた。
・戦時の翼賛体制を強く批判し、非推薦でありながらも立候補して圧勝し、議席を得ている。
・主義は異なっても 『大衆のために働く』 という理想で、西尾末広と意気投合している。
・東條内閣では常に反対派であったためA級戦犯のリストにはなかったが、自ら立候補(GHQを挑発)して巣鴨プリズンに入獄した。
・競馬、競輪と並んで戦後公営ギャンブルとして始まった競艇だが、前者に比べてなかなか運営が軌道に乗らず、
赤字補填に私財を充てている。
・本人はギャンブルは一切やらないが、女性関係は派手であった。婚外子も複数いるが、いずれも別け隔てのない触れ合いがあった。
などがありますが、興味が湧きましたら本書で詳細を確かめてください。
また、なぜ著者が山岡荘八先生なのかは、山岡先生が海軍の報道班に在籍されていた頃からの知己であり、ご本人の年来の希望であった旨があとがきで述べられています。
その点から言っても、やはり人物伝としては筆が甘くなっている感は否めません。笹川先生を理解するには私ももう幾つかの本を読む必要がありますが、まず 『素の笹川良一とは何なのか?』 を知る手掛かりとしては手頃な入門書であると思います。
2019年9月16日に日本でレビュー済み
あの徳川家康や日蓮、伊達政宗を書いた歴史作家が書いてます。笹川良一が書くに値する方だからです。今東光か、山岡荘八が書く予定であった。笹川さん本人は書いて貰うつもりは全くなく、今東光が亡くなってしまったから山岡さんになったらしい。
もっともっと再評価されるべき笹川さんの自伝となってます。
もっともっと再評価されるべき笹川さんの自伝となってます。