精神科医であるなださんの教育論です。妊娠して母親になる女性との対話形式で話は展開します。なださんお得意の対話形式で、読者自身も対話しているような気持ちになり、一緒に考えるようにしているところがミソですね。
教育の重要性、受験戦争、学校とは、教師のあるべき姿とは、しつけの問題、学ぶことの意味と議論は進んでいきます。対話調で、おだやかな書き方で断定調になっていないところが読者として受け入れやすくていいです。
本書が書かれたのは35年も前ですが、なされている議論は現代でも十分通用する内容で、古臭さを感じさせることはありません。きわめて普遍的な内容で考えさせられる点がたくさんあります。親である方、教育に携わっている方、あるいは携わろうとしている方には是非ご一読をおすすめしたい一冊です。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
教育問答 (1977年) (中公新書) 新書
英語版
登録情報
- ASIN : B000J8S8WK
- 言語 : 英語
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,675,885位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 95,693位新書
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中4.7つ
5つのうち4.7つ
6グローバルレーティング
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2017年1月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
40年位前になるのでしょうか、管理教育という言葉がその頃の教育批判として使われていました。今はどうでしょうか。筆者はこの本を書いた時に、そのような状況はいずれなくなると言っていました。その点、見通しが甘かったかなとは思います。現在は、管理教育という言葉は全く聞かなくなりました。なぜか。世の中が教育の世界だけでなく管理一色になってしまい、それが当然の状態になってしまったからです。学ぶ場所はかつて以上に、その居場所をなくし、アクティブラーニングという名の下に、教育者による管理的なあるいは強制的なアクティブラーニングがあたかも自主的な学びであるかのようにもてはやされています。現在の教育に息苦しさを感じている方にまず読んでいただき、同じ様な方向性を共有していきたいと思います。
2005年9月20日に日本でレビュー済み
本書は、出産を控えた女性との対談である。女性が出産後に自分が描いている教育観を著者に相談するのだが、「個性」「高校進学」「しつけ」などどいった、世間では当たり前のように語られていることを根本から見つめ直している。当たり前のごとく宣伝されているものほど、実は気をつけなければいけない。そう思わされた。これから教育界に進む人、親になる人にはぜひ読んでほしい一書である。そうすれば加熱した教育論争に嫌気がさすかもしれない。
2008年12月10日に日本でレビュー済み
教育は大切だ。
人は皆そう言うが、教育とはそもそも何のためのものなのか?
という根源的な問いに始まる対話型の本。
日々漫然と勉強している学生の自分には、ドキッとさせられるようなことばかりでした。
人が教育を受けるのは「自分のため」だが、国が国民に教育を施すのは「国のため」。
そのことをきちんと認識して、「自分のため」に必要なことを”主体的に”学んでいかなければいけない。
教師はそれをサポートする、”見守る”のが仕事なのだと。
これは教師はもちろんですが、学生である自分にこそ必要な考えかもしれません。
後半はしつけについての話もされます。本書によると、しつけと教育の根本的な違うのだと。
教育(学習)は本質的に「自分のためのもの」で、しつけは「他人のためのもの」。
だから、混ぜこぜにして考えてはいけないと著者は指摘します。
言われてみればその通りです。
「誰が」「誰のために」「何を」自明のことと思われていたことをよく考え直してみれば、実に多くのことが見えてきます。
それを足がかりに、現在の教育制度、受験戦争、高校・大学には行くべきかなど、様々な批判が展開されていき、どれも興味深いものです。
内容に少し古いところが散見されますが、本書の本質的な問いかけは現代でも通用します。
教育はすべての人に関わりがあることです。古い本なのでなかなか見ないかもしれませんが、対話型なのでさらっと読めますし、機会があれば、一読してみることをオススメします。
人は皆そう言うが、教育とはそもそも何のためのものなのか?
という根源的な問いに始まる対話型の本。
日々漫然と勉強している学生の自分には、ドキッとさせられるようなことばかりでした。
人が教育を受けるのは「自分のため」だが、国が国民に教育を施すのは「国のため」。
そのことをきちんと認識して、「自分のため」に必要なことを”主体的に”学んでいかなければいけない。
教師はそれをサポートする、”見守る”のが仕事なのだと。
これは教師はもちろんですが、学生である自分にこそ必要な考えかもしれません。
後半はしつけについての話もされます。本書によると、しつけと教育の根本的な違うのだと。
教育(学習)は本質的に「自分のためのもの」で、しつけは「他人のためのもの」。
だから、混ぜこぜにして考えてはいけないと著者は指摘します。
言われてみればその通りです。
「誰が」「誰のために」「何を」自明のことと思われていたことをよく考え直してみれば、実に多くのことが見えてきます。
それを足がかりに、現在の教育制度、受験戦争、高校・大学には行くべきかなど、様々な批判が展開されていき、どれも興味深いものです。
内容に少し古いところが散見されますが、本書の本質的な問いかけは現代でも通用します。
教育はすべての人に関わりがあることです。古い本なのでなかなか見ないかもしれませんが、対話型なのでさらっと読めますし、機会があれば、一読してみることをオススメします。