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登録情報
- ASIN : B000J8UITQ
- 出版社 : 文藝春秋 (1977/8/1)
- 発売日 : 1977/8/1
- - : 318ページ
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
コレクター用の状態という事で購入したのですが、本の中にご飯粒の様なものがこびり付いていた。剥がすと、本の文字まで剥がれてしまった。これでは、まともに読めない。商品状態の検査が充分行われていないのが残念。
2014年7月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
安価にて通常本を手に入れることができました。
アマゾンでの購入は手軽で迅速で重宝できます。
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2019年3月17日に日本でレビュー済み
明治39年、陸地測量手である柴崎芳太郎は、陸地測量部長である陸軍少将大久保徳明より直々に越中劒岳への初登頂、および測量観測のための三角点設定を下命(かめい)されます。しかもそれは「陸軍の威信」をかけた至上命令でもありました。
日本における登山は「山岳信仰」と深く関わってきました。「山岳信仰」とは「山岳を神体、神の宿る場所、もしくは祖霊が住む場所として尊び、崇めること」ですが、立山連峰にそびえる劒岳も、古くから、その一つに数えられてきました。しかも、この山は「弘法大師(こうぼうだいし)が草鞋(わらじ)三千足を使っても登れなかった」という伝説を有する「地獄の針の山」として、天地(てんち)開闢(かいびゃく)以来、人を寄せ付けずにいたのです。そんな劒岳に「初登頂し、三角点を設定せよ」との無謀とも思える命令を柴崎は受けたのです。では、それほどまでに陸軍が劒岳への「初登頂」にこだわった理由は、いったい何だったのでしょう。
柴崎が所属した陸軍省陸地測量部は地図を作成するための測量を行う部署ですが、この事業はもともと内務省が管轄する地理局が行っていました。しかし、陸軍省がその事業を明治17年に無理やり奪い取り、参謀本部測量局に併合したのです。しかも柴崎が劒岳への「初登頂」を命ぜられた明治39年には、その前年に日本にも発足した「山岳会」が「劒岳へ初登頂する」と陸地測量部に挑戦状を突きつけていました。信仰目的で開山された山を除いては、全て自らの手で「初登頂」を成し遂げてきたと自負する陸地測量部としては、「暇な金持ち」が集まった「山遊びの会」である山岳会には、これまでの経緯からも、また陸軍の威信にかけても、絶対に負けるわけにはいかなかったのです。是が非でも劒岳への「初登頂」は陸地測量部の手で果たさなければならないのでした。そして、その任務を課す人物として白羽の矢が立ったのが、測量手になり三年目の「脂が乗り」、「覇気」があり、さらに「身体強健」で「意思が強い」柴崎芳太郎だったのです。
命令を受けた柴崎は、早速劒岳登頂のための下準備に取り掛かりました。しかし、調査をすればするほど、それがいかに困難な事業であるかという現実を目の当たりにします。しかし、彼は自らの仕事を次のように考えていました。
「それは軍人の命令に盲従するということではなく、また山岳会と競争するためでもない。より正確な地図を作るためには、その山の頂に登って三角点を設定しなければならないのだ」
「誰のためでもなく自らが選んだ測量官という仕事を全うするために劒岳へ登るのだ」と、柴崎は考えていたのです。
柴崎は、後に「長次郎谷」としてその名を劒岳に名を残す名ガイド宇治長次郎、および彼の仲間である二宮金作、岩木鶴次郎らの協力を得て劒岳初登頂への長く険しい道程(みちのり)を歩みだします。そして、その道程で出会った二人の人物から、「劒岳は奈良時代に既に開山されている」こと、そして「その証拠となるものがその山頂にはある」こと、そして、「登山口すら存在しない」とされていた登攀(とうはん)経路(けいろ)に関しては「雪を背負って登り、雪を背負って帰れ」という「謎の言葉が存在する」ことを教えられるのでした。
「軍部からの圧力」、「地元山岳信仰集団からの嫌がらせ」、「山岳会との駆け引き」、「自然の猛威」等など、数え上げればきりがないほどの困難に打ち勝ち、柴崎は自らに課された使命をみごと果たすのでした。
「山岳小説」という分野を切り開いた新田次郎は、「人生とは何か」そして、「人は何故生きるのか」という問に対する答えを、様々な作品で示してくれましたが、この『劒岳・点の記』という作品には「誰のためでもなく、この世で全うすべき自分に課された使命を果たすことこそが、人生であり、生きる意味だ」という答えが見事に描かれています。文字通り新田作品の「最高峰」と評してよい作品です。
日本における登山は「山岳信仰」と深く関わってきました。「山岳信仰」とは「山岳を神体、神の宿る場所、もしくは祖霊が住む場所として尊び、崇めること」ですが、立山連峰にそびえる劒岳も、古くから、その一つに数えられてきました。しかも、この山は「弘法大師(こうぼうだいし)が草鞋(わらじ)三千足を使っても登れなかった」という伝説を有する「地獄の針の山」として、天地(てんち)開闢(かいびゃく)以来、人を寄せ付けずにいたのです。そんな劒岳に「初登頂し、三角点を設定せよ」との無謀とも思える命令を柴崎は受けたのです。では、それほどまでに陸軍が劒岳への「初登頂」にこだわった理由は、いったい何だったのでしょう。
柴崎が所属した陸軍省陸地測量部は地図を作成するための測量を行う部署ですが、この事業はもともと内務省が管轄する地理局が行っていました。しかし、陸軍省がその事業を明治17年に無理やり奪い取り、参謀本部測量局に併合したのです。しかも柴崎が劒岳への「初登頂」を命ぜられた明治39年には、その前年に日本にも発足した「山岳会」が「劒岳へ初登頂する」と陸地測量部に挑戦状を突きつけていました。信仰目的で開山された山を除いては、全て自らの手で「初登頂」を成し遂げてきたと自負する陸地測量部としては、「暇な金持ち」が集まった「山遊びの会」である山岳会には、これまでの経緯からも、また陸軍の威信にかけても、絶対に負けるわけにはいかなかったのです。是が非でも劒岳への「初登頂」は陸地測量部の手で果たさなければならないのでした。そして、その任務を課す人物として白羽の矢が立ったのが、測量手になり三年目の「脂が乗り」、「覇気」があり、さらに「身体強健」で「意思が強い」柴崎芳太郎だったのです。
命令を受けた柴崎は、早速劒岳登頂のための下準備に取り掛かりました。しかし、調査をすればするほど、それがいかに困難な事業であるかという現実を目の当たりにします。しかし、彼は自らの仕事を次のように考えていました。
「それは軍人の命令に盲従するということではなく、また山岳会と競争するためでもない。より正確な地図を作るためには、その山の頂に登って三角点を設定しなければならないのだ」
「誰のためでもなく自らが選んだ測量官という仕事を全うするために劒岳へ登るのだ」と、柴崎は考えていたのです。
柴崎は、後に「長次郎谷」としてその名を劒岳に名を残す名ガイド宇治長次郎、および彼の仲間である二宮金作、岩木鶴次郎らの協力を得て劒岳初登頂への長く険しい道程(みちのり)を歩みだします。そして、その道程で出会った二人の人物から、「劒岳は奈良時代に既に開山されている」こと、そして「その証拠となるものがその山頂にはある」こと、そして、「登山口すら存在しない」とされていた登攀(とうはん)経路(けいろ)に関しては「雪を背負って登り、雪を背負って帰れ」という「謎の言葉が存在する」ことを教えられるのでした。
「軍部からの圧力」、「地元山岳信仰集団からの嫌がらせ」、「山岳会との駆け引き」、「自然の猛威」等など、数え上げればきりがないほどの困難に打ち勝ち、柴崎は自らに課された使命をみごと果たすのでした。
「山岳小説」という分野を切り開いた新田次郎は、「人生とは何か」そして、「人は何故生きるのか」という問に対する答えを、様々な作品で示してくれましたが、この『劒岳・点の記』という作品には「誰のためでもなく、この世で全うすべき自分に課された使命を果たすことこそが、人生であり、生きる意味だ」という答えが見事に描かれています。文字通り新田作品の「最高峰」と評してよい作品です。
2009年1月28日に日本でレビュー済み
何にせよ、未踏の地へこぞって乗り込む舞台が全く空想ではなく現実のものとして描かれていることが最高におもしろい。どうしてこれまで誰も登頂できなかったのか? 現在は登山されているということは、現在はそれが可能なのだけど、いまだ誰も登頂できていなかった時代に誰がどのようにそれを成し得るのか?
また地図をつくるという測量の仕事を詳細に知れることも楽しい。当たり前のような今の日本地図、それの5万分の1の地図が当時はまだ公開できなかった。それは劔岳周辺を測量できていなかったからだ。グーグルアースなんかがある現在からは信じられないけど、それだけ当時から飛躍的に進歩しているってことか。明治の話だから当然だけれど、本当に今の技術は急速に発達させられてきたものだとわかる。
あるいは、山が宗教と結びつく側面も、知ればより登山が楽しくなりそうだと思った。
また地図をつくるという測量の仕事を詳細に知れることも楽しい。当たり前のような今の日本地図、それの5万分の1の地図が当時はまだ公開できなかった。それは劔岳周辺を測量できていなかったからだ。グーグルアースなんかがある現在からは信じられないけど、それだけ当時から飛躍的に進歩しているってことか。明治の話だから当然だけれど、本当に今の技術は急速に発達させられてきたものだとわかる。
あるいは、山が宗教と結びつく側面も、知ればより登山が楽しくなりそうだと思った。
2004年7月4日に日本でレビュー済み
私も剣岳に登ったことがありますが軽いアタックザックのみでも険しい岩場でした。
今よりも登山道が整備されていない時代に測量道具や丸太をかついでいったのはすごいことだと思います。
しかし、宇治長次郎以外の人物にはっきりいって魅力がなく、全体的に淡々としてそのまま終わります。
今よりも登山道が整備されていない時代に測量道具や丸太をかついでいったのはすごいことだと思います。
しかし、宇治長次郎以外の人物にはっきりいって魅力がなく、全体的に淡々としてそのまま終わります。
2006年7月20日に日本でレビュー済み
一度なり山に本気で登った人には先人たちの苦労が身にしみるようにわかり本です。
新田さんの細かな情景描写も豊かですが主人公のキャラクターが決して濃いものではないにもかかわらず、ストーリーに引き込まれるような内容です。
新田さんの細かな情景描写も豊かですが主人公のキャラクターが決して濃いものではないにもかかわらず、ストーリーに引き込まれるような内容です。
2005年12月17日に日本でレビュー済み
事実上日本最難ルートを持つ剱岳の初登頂と三角点埋設に挑んだ測量官柴崎さんの苦闘の記録を描いた作品。
ネタバレするので詳細は書かないけど、この本の核心部は250ページの冒頭にある。
いつだってそうだけど、先人の偉業には驚かされっぱなしだ。
ネタバレするので詳細は書かないけど、この本の核心部は250ページの冒頭にある。
いつだってそうだけど、先人の偉業には驚かされっぱなしだ。