南の海; 〈鶏が鳴くまえに〉流刑/丘の中の家
流刑 Il carcere
ステーファノは知った、
Stefano sapeva
その村がとくに変わっていないことを、
che quel paese non aveva niente di strano,
そして人びとは日々そこに生活し、
e che la gente ci viveva, a giorno a giorno,
大地は芽吹き、
e la terra buttava
海は海であり、
e il mare,
どこの浜辺とも変わりはなかった。
come su qualunque spiaggia.
ステーファノには海がうれしかった。
Stefano era felice del mare:
海辺に立つと、
venendoci,
そこが彼の獄舎の四番目の壁のように思えた、
lo immaginava come la quarta parete della sua prigione,
さわやかな風に彩られた巨大な壁、
una vasta parete di colori e di frescura,
そのなかにならばいくらでも入ってゆくことができ、
dentro la quale avrebbe potuto inoltrarsi
独房を忘れることもできるだろう。
e scordare la cella.
パヴェーゼ、長編小説第一作『流刑』劈頭の二文。翻訳は河島英昭、岩波版の晶文社版との違いは、ゴチで示したとおり、「変わって」の送り仮名「わ」一文字だけである。はや、数十年まえ、学生であった私は、e la terra buttava 大地は芽吹き、このbuttavaが「芽吹き」と訳されていることに大きな衝撃を受けてしまった。これは到底敵わない。この日からほんとうに先生に師事することになったのである。
先生はまだ若くて飄々としていらした。その深い学識にも拘らず、そう、まるでぼくらの中学の若い小使いのお兄さんみたいだった。あのひとはまだ十九で、笑うと肌が内側から耀くような美しさだった。ぼくは両切りのピースを吸っていた。そしてまなしに学園闘争の季節が訪れた。それはその後、ぼくらの心のなかではなお数年間つづいた長い、長い季節の始まりであった。
南の海
外衣の裾をびしょ濡れにするほど激しく降る冷たい雨の中、あたしは長靴を履いて水溜りを真っ直ぐ突っ切った。傘を差したまま一服すると、なぜか縄文谷を思い出した。まだあの谷の縄文の泥のこびりついているこの長靴のせいか。さっき雨が止んだ空を探したが月は見つからなかった。いま仕事場の階段を上ると、踊り場の真っ正面に満月が昇っていた。雨上りの澄んだ空のせいか、とても美しい。下方に宵の明星を従えている。あの吊り燭台みたいに明るく耀く惑星が月の傍では流石に朧げだ。ちょっとした嵐の後のこの空みたいにあたしの心も澄み切っているといいのだけど、ちょっとした波乱を乗切ったばかりのあたしの心はなお漣を立てている。やはり夜明け近くまで仕事をして昼間寝るのは無理があるのかも知れない。非番の日にもそれがあたしの仕事のスタイルなのだが。集中を要するから、何よりも中断を嫌うのだ。しかし普通の人と生活するには、やはり早寝早起きがいいのだ。ゆえに今夜は仕事は早目に切上げて、寝床で縄文本でも読むとしよう。おやすみ
詩は「南の海」1―――
ぼくらは宵に丘の中腹を歩いている、
黙って。遅い夕暮れの影のなかで
ぼくの従兄は白い服を着た巨人で、
ゆったりと歩を運ぶ、その顔は赤銅色に灼けていた、
黙りがちに。黙ることはぼくらの力だ。
ぼくらの祖先の誰彼はよほど独りきりだったにちがいない
――愚者の群れのなかの偉い男だったのか、ただの間抜けだったのか――
これほどの沈黙を身内に教えこむとは。
珍しくも真夜中まえに帰途に就くと、まだ東天に満月が大きな暈を冠っていた。七色の虹みたいにあまりにも綺麗な暈なので、レンズが綺麗さを増幅してやいないかと、眼鏡を外して裸眼で見てもやはりそれは虹のワッカだった。仔細に見るとまだ満月には二、三日を残した月だったけど、暈の中に先刻あたしが金星と見誤った星を取込んでいる。この星を頂点とすれば不等辺三角形の底辺に当る両端にも星が瞬いていた。これは大吉か大凶の徴か。月と暈と三角星を見上げながら真っ直ぐに進む、何れにせよ、家路はこちらの方角だから。
詩は「南の海」2―――
今宵、ぼくの従兄が口をきいた。ぼくにたずねた
いっしょに登ろうか、頂上からなら
晴れた夜には照り返す灯が見えるだろうが
遙かに、トリーノの灯が。《おまえはトリーノに住んでいるのだから……》
とぼくに言った《……だけど当然だ。人生は送るものだ
故郷から遠く離れて、儲けて愉しんで
そしてそれから、おれみたいに、四十歳にもなって、戻ってみれば、
何もかも新たに見いだすのだ。ランゲは不滅だ》
こうとばかりぼくに言ったけれどもイタリア語は話さずに、
ゆっくりと方言を使った。その言葉は、まさにこの丘自体の
礫にも似て、ひどくごつごつしているから
異なる訛りや海原で暮した二十年間も
引っ掻き傷ひとつ拵えられなかった。そして登り坂を歩く
眼が据わっている、それは子供のころ、ぼくが
いくらか疲れた農夫たちによく見かけたものだった。
黒川段丘を抜けて淺川へ出る。天気は良いのに強い風が土手道では遙か北方の強力な低気圧の影響か、冷たい烈風が荒れ狂っていた。近く、と言っても高尾辺りの山並に雪が残っている。昨日の雨が山では雪だったのだろう。真っ白の富士山は相変らず綺麗だ。平山橋詰の堰の様子が見たくなって一番橋付近から足を伸ばした。幼い日々の釣りの拠点だ。著しく整備されてしまってはいるが、面影は残っていた。堰上幾筋かの水を渡って、堰突端のコンクリに尻を落してタバコをふかす。ゴーゴーと川音がする。ほとんど川の真ん中だ。外衣の懐の中、ジッポでやっと火を点けてあとはチェーンスモークキン、激しい風と流れに弾き飛ばした吸殻の行方も知れない。
詩は「南の海」3―――
二十年間彼は世界中を歩き回った。
ぼくがまだ女たちに抱かれた幼児だった頃に彼は出立して
彼は死んだのだと口々に言われた。その後、彼の話は
時折女たちが、お伽噺みたいに話した。
が、ずっと口の重い男たちは、彼のことを忘れた。
ある冬の日、亡父のもとに一葉のカードが届いた
港に舫う船船の緑がかった大きな切手が貼ってあり
ぶどうの豊作を祈る言葉が添えられていた。みなびっくりしたけれど、
育った幼児が意気込んで説明した
葉書はタスマニアという島から来た
ずっと青い海に囲まれていて、獰猛な鮫がうようよいる、
太平洋のなか、オーストラリアの南だよ。そしてつけ加えた
きっと従兄は真珠を採っているんだ、と。そして切手を剥した。
誰もがそれぞれ意見を述べたけれど、みなが結論した
死んでなかったにしろ、いずれ死ぬだろう。
それから誰もが忘れて長い時が過ぎた。
[……]
詩は「南の海」4―――
ああ、ぼくがマレーの海賊ごっこをして遊んでから、
どれほどの時が流れ去ったことか。そして最後に
死の淵に水浴びに下ってから
そして遊び友だちを木の上に追いつめて
太枝を何本も叩き折ってライバルの頭を
かち割って叩かれてから、
どれほどの人生が流れ去ったことか。別の日々、別の遊び、
最も狡猾なライバルたちを前に別の流血の
動揺。さまざまな思考と夢たち。
都会はぼくにとめどない恐怖を教えた。
雑沓、大通りがぼくを震えあがらさせた、
ときには顔つきから窺い知る邪な意図さえも。
ぼくはいまでも目のなかに感じる、
大喧噪の上に数知れぬ街灯の嘲笑する光を。
[……]
詩は「南の海」5―――
ぼくの従兄は帰った、戦争が終り、
わずかな帰郷者のなか、群を抜いていた。それに彼は金を持っていた。
親類たちはそっと言った《せいぜい、一年のうちに、
有り金残らず使い果たしてまた旅に出るだろう。
見放された人間はこうして死ぬものだ》。
ぼくの従兄は決然とした顔をしていた。故郷に
建物の一階を買ってそこにセメントのガレージを通じさせ
その前にぴかぴかのガソリン給油機を据えさせて
湾曲部の実に大きな橋の上に広告板を掲げさせた。
それからそのなかに機械工を置いて金を受取らせ
彼はタバコをふかしながらランゲ中を歩き回った。
その間に郷里で、彼は結婚した。外国女みたいに
しなやかで金髪の少女を彼は掴んだ。
きっとある日世界のどこかで出会ったに違いない。
それでもなお彼は独りで外出した。白い服を着て、
両手を背中に回して顔を赤銅色に焼いて、
朝から市場を渡り歩いて無表情に
何頭も馬を取引した。その後もくろみが
失敗したときに、ぼくに説明した、彼の計画では
谷からすべての家畜を取り上げて
彼から発動機を買うことを人びとに余儀なくさせる心算だった、と。
《だがな、あらゆる畜生のなかで》と彼は言った《一番の畜生は、
そんなことを考えたこのおれだったよ。おれは弁えてるべきだった、
ここでは牡牛と人とはまったく同じ一つの種なのだと》。
[……]
詩は「南の海」6―――
ぼくらは半時間以上も歩く。頂上は近い、
辺りには風の擦れる音とピューと鳴る音がますます激しくなる。
ぼくの従兄がいきなり止って向き直る。《今年は
ポスターにおれは書くぞ‐サント・ステーファノは
ベルボ谷の祭りでは
いつも一番だった‐そいつはカネッリの連中も
言ってることだ》。それからまた坂を登る。
土と風のかおりが闇のなかでぼくらを捲きつける、
遠く離れていくつかの灯火。牛舎と、自動車と
辛うじて音が聞える。そしてぼくは考える
海から、遠い土地から、継続する沈黙からひったくり、
この男をぼくに齎した力について。
ぼくの従兄は果した旅また旅の話をしない。
口数少なに何処そこにいた、彼処にもいたと言うばかりで
彼の発動機のことを考えている。
[……]
詩は「南の海」7―――
ただ一つの夢だけが
彼の血のなかに留まった。彼はかつて巡航した、
オランダ漁船セターセオ号に火夫として乗組んで、
そして白日の下、重い銛が何本も飛ぶのを見た、
彼は見た、鯨たちが血の泡の間を逃げまどい
追跡される鯨たちが尾を振上げて端艇と戦うのを。
ぼくと話すと彼はそのことに時どき触れる。
白い綺麗な雲が青空にいくつも浮んでいる。もくもくした雲も下方に見える。自然ばかりが美しい。芸術を除いては、人工的な美に心を動かさなくなったのは何故なのだろう。都市美はすぐにも社会の歪みに思いを致させるためか、醜い六本木、表参道、代官山界隈。そこに棲む、あるいは集る人間が悪いのだろう。場末の猥雑な雑沓のほうがまだましだ。だから人はインドに惹かれるのか……
ダツラは言った、さまざまな群衆が押し寄せるヴァラナシに惹かれて、と。
詩は「南の海」8―――
だけどぼくが彼に言う
彼はこの地上で最も美しい島島の上にオーロラを
見た運のよい男たちの一人なのだ、
するとその思い出に彼は微笑んで答える、陽は
おれたちにとって一日も終り近くなってやっと昇った。
さっきまで白かった雲が薄いピンク色に染まっている。薄墨色に変化した雲もある。間もなく夕焼けが始まる。そして間なしに青い闇が訪れる。一日のうちであたしはこの瞬間が一番好きだ。
(『雑記掲示板-恋』[...]初出)
さて、次の長編小説第1作『流刑』に移るまえに、パヴェーゼ処女詩集『働き疲れて』の巻頭を飾ったこの長詩『南の海』をいまいちど読み返し、その構造を把握して、各詩連ごとに情景の移ろいを追ってみようか。恩師アウグスト・モンティに捧げられたこの長詩は、見たごとく8連からなり、各詩連は3〜10文、5〜24行から成る。
第1連 ぼくと従兄は夕闇のなか、丘に登る。
第2連 丘の頂上から、トリーノの灯を見ようと、日ごろ無口な従兄がぼくを誘ったのだ。二十年間、世界を流離って、ここベルボ谷に帰ってきた従兄。ランゲの地は少しも変わっていない。従兄もその芯は変わらない、と歩く従兄の目のいろにぼくは見てとる。
第3連 幼いころのぼくの思い出。死んだと思われていた従兄が南の海の果て、タスマニアから出した絵葉書が届いたときのみなの驚き。
第4連 幼いころのぼくの日々、海賊ごっこ、水浴び、木登り、喧嘩......ライバル...... 長じて初めて暮らした都会の恐ろしさ。
第5連 帰ってきた従兄はガソリンスタンドを始め、ランゲじゅうを歩き回り、結婚した。彼のもくろみ。
第6連 はや、丘の頂は近い、土と風のかおりが闇のなかでぼくらを捲きつける。
第7連 彼の血のなかに留まったただひとつの夢は、南の海で鯨と戦うことだ。
第8連 オーロラの思い出。陽はおれたちにとって一日も終り近くなってやっと昇った。
《『南の海』は出発点ではなくて、到達点である。》
と、マッシモ・ミーラは述べている。Massimo Mila は重要だ。いずれ詳述する機会もあることだろう。「解説」で河島先生も触れていらっしゃるはずだ。
〈鶏が鳴くまえに〉
流刑/丘の中の家
流刑 Il carcere
この小説の末尾三文を見ておこうか。翻訳は河島英昭、岩波版の晶文社版との差異は、ゴチで示し、( )内に晶文社版の表記を添えておいた。
それにしても、どちらの版にもあるこの読点[、]は、意味上もリズム上も不要ではあるまいか? 一見不要な読点、それが魅力だという人は別にして? ぼくにもそれに近いところがないわけではないけれども。ふむ、ぼくは当初、この quasi a portata di mano を il paese antico に繋るものとして読んでいたけれども、いま思えば、直前の tetto に繋ってもおかしくはないのだった。「駅舎の低い屋根の上に、」と訳せれば、ここに読点が入っても何の不思議もないのだが。
駅の構内に入って、みながベンチの上で痺れ(しびれ)を切らしていると、
Quando, entrati nella stazione, pazientarono tutti sulla banchina
とうとう列車の到着を告げる信号機の鐘が鳴った。
e si senti' finalmente il tintinnio segnalatore del treno,
手を伸ばせば届きそうな、駅舎の上に[、]神秘的にそびえ立つ古い村を、ステーファノはちらりと見上げた。
Stefano stava sbirciando il paese antico che sporgeva miracolosamente sul tetto, quasi a portata di mano.
その瞬間、遠くのカーブに、汽車が見えた。
Poi vide, comtemporaneamente, il treno lontano, alla svolta;
駅長が長身の姿を現わして、みなを後ろ(うしろ)へさがらせた。
il capostazione sbucare gigantesco e farli indietroggiare tutti quanti;
そして目の前には、葦の茂みが揺れ、その向こう(向う)側に青ざめた海が膨れ上がって無のなかへ落ちこんでいた。
e davanti, oltre il canneto, il mare pallido che parve gonfiarsi nel vuoto.
汽車が近づいてくるあいだ、ステーファノの目の前を、
Stefano ebbe l'illusione, mentre il treno giungeva,
吹き散らされた木の葉のごとく(ように)、そこに居合わせぬ人びとの顔や、名前が、渦巻いていった。
che turbinassero nel vortice come foglie spazzate i visi e i nomi di quelli che non erano la`.
(一九三八−三九年)
(1938-39).
(工事中)
(『パヴェーゼ・ノート』[...]から)
蜘蛛の巣の小道 (1977年)
パヴェーゼ文学集成〈1〉長篇集 鶏が鳴くまえに
パヴェーゼ文学集成〈6〉詩文集 詩と神話
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