西暦548~552年にかけて中国の南北朝時代に南朝・梁で起こった反乱、「侯景の乱」とその後の影響、歴史的意義
について解説した著作。日本人にはイマイチ馴染みの無い事件だが、古代中国史上重要な出来事でありその後の歴史
にも大きな影響を与えた事件なので、こうした解説書がある事はありがたい。
西暦6世紀の中国大陸は北方の騎馬民族が支配する北朝と、北朝を避けて華南に逃れた漢民族による南朝に分裂してい
た。南朝は政権基盤が不安定で幾度か短命王朝が交代するような状態で、一方で「六朝文化」とよばれる華麗な貴族
文化が花開いた時代でもあった。そんな短命王朝の一つ・梁は初代皇帝武帝のもとで安定した時代を迎えたが、50年
近い統治で綱紀弛緩が目立つようになってきていた。548年、北朝・東魏から亡命し武帝に仕えていた降将侯景が武
帝の甥などと手を結び反乱を起こした。当時武帝は東魏との和議を模索しており、孤立を恐れた侯景が決起したので
ある。梁はあっけなく侯景に乗っ取られ捕えられ幽閉された武帝は憤死、実権を握った侯景は「宇宙大将軍」という
突拍子もない称号を名乗るなど専横を極め、ついに自ら皇帝を僭称するにいたる。しかし梁の残存勢力の猛反撃に遭
い侯景政権はわずか5か月で崩壊、侯景自身も敗走中に部下に裏切られて殺害され、「侯景の乱」は一応の終結をみ
た。
しかしこの反乱のその後への影響は甚大であった。著者吉川氏は「江南の貴族社会はたち直る気力さえ失った」(84
p)と指摘する。梁は再建されるものの後継者争いから分裂、その分裂王朝の一つである後梁は北朝の傀儡政権にすぎ
ず、一方の正統な梁はすでに命脈が尽きていて新王朝・陳へ交代する状態だった。しかし陳の国力は脆弱で版図を維持
するのが精いっぱいで、おまけに暗君陳叔宝の堕落した政治によって内部崩壊の状態にいたった。589年、陳は北朝
の新王朝・隋によって滅ぼされ、中国大陸はおよそ300年ぶりに再統一された。これにより傀儡政権である後梁もそ
の役割を終え消滅する。本書の第3章はそんな後梁の30年ほどの歴史を辿った内容であり、傀儡政権の悲哀をしみじ
みと描写している。

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侯景の乱始末記―南朝貴族社会の命運 (1974年) -
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