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マルクスと批判者群像 (1971年) -
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年12月9日に日本でレビュー済み
マルクスのような思想史上の巨人の伝記はマルクスを中心にして描きがちだ。その場合、周囲の人物はみなマルクスの偉大さを際立たせるための引き立て役にすぎなくなる。良知力の本書はそのような論述を回避している。ここではマルクスの他、盟友フリードリヒ・エンゲルスやドイツ最初の哲学的共産主義者モーゼス・ヘス、遍歴職人から共産主義者となったヴィルヘルム・ヴァイトリングなどが、対等な登場人物として現れる。そうすることによってマルクスを単に偉大な思想家として称揚するのではなく、同時代的に相対化していくのだ。だからといって、このように論じることで、マルクスにアレルギーを持つ右翼や保守派が得をするわけではない。マルクスを同時代に置くことによってマルクスの思想がより具体的に理解できるようになるのである。ドイツ革命の展望をめぐるマルクスとヴァイトリングの激しい論争を通してマルクスの革命論の特殊性が明らかにされるだけではない。マルクスやヴァイトリング、エンゲルスやヘスが生きた三月前期のドイツという特殊な歴史的背景と、そのような歴史的背景によって生み出された思想史的背景の下でマルクスの思想を理解することによって、マルクスの思想が生き生きと蘇る。社会思想史のお手本と言うべき本だろう。
2013年2月1日に日本でレビュー済み
本書は1848年革命研究で著名な社会思想史研究者(1930〜85年)が1971年に刊行した本に、植村邦彦の解説を付して文庫化したものである。本書は主に1840年代の義人同盟系団体の内部文書や機関紙、スパイを使った警察の監視記録などの一次史料に基づいて、ワイトリング、ヘス、シャッパーなどの亡命ドイツ人初期社会主義者たちの言動を再構成することで、従来のマルクス・エンゲルス中心の歴史観を問い直そうとする。そこから見えてくるものは、第一に渡り職人の理論家ワイトリングがブルジョア的改良路線を信じず、貨幣・商業・所有に対するコスモポリタンな社会革命と掠奪蜂起を説いてマルクスらに批判されるが、1844年段階ではまだマルクスは理論面でも運動面でもワイトリングらに後れをとっており、彼よりは実践的であったエンゲルスもその数年後のパリ・オルグまで運動の指導権を握れなかった点であり、第二にシャッパーらロンドン派もワイトリングも、マルクスらブリュッセル派の「学者的尊大さ」に批判的であった点であり、第三に哲学的なヘスがドイツ的「みじめさ」をブリュッセル派よりも深刻に考えた上で世界革命に期待を託した点であり、第四にブリュッセル派が発展段階論に基づく世界革命とドイツ二段階革命の理論を構築し、セクト闘争で主導権を握っていく中で、義人同盟が共産主義者同盟に改組され(脱秘密結社化)、『共産党宣言』が出されることになる点であり、第五にこうした理論・政治闘争とは別次元で、ヘス夫妻とエンゲルスの関係のような、若さゆえの彼ら相互のどろどろした人間関係が存在した点である。本書の内容自体のアクチュアリティーは現在では低下していると思うが、著者がこの後実証的に西欧中心主義批判、下層民の生活の研究へと進んでいくことの萌芽が本書に見られる点で、重要な著作と言える。
2009年2月25日に日本でレビュー済み
同年代の広松渉や平田清明に比してメジャーではないかもしれないが、著者が戦後日本のマルクス研究、あるいは社会思想史研究にとって偉大なるアカデミッシャンであったことは、当該分野を志す現在のアカデミッシャンにとって異論はないだろう。
一言でいえば本書は、無批判かつ誇大にマルクスの偉大さを強調するのではなく、ヴァイトリングやヘスといった同時代人との応答、また当時の時代状況を勘案したマルクス研究といえる。「私はマルクスやエンゲルスの偉大さを否定しようというのではない。その逆である。彼らが偉大であったことは何度確認しても確認しすぎることはないであろう。しかし、それは学んで確認するということであって、学ばずして前提するものではない。こうしたあたりまえのことがこれまでのマルクス思想史研究のなかで必ずしも自覚されてこなかったように思われる。」(本書「あとがき」より)
だが、現代思想に惹かれつつマルクスを読み始めていた当時の私にとって驚きだったのは、むしろ本書に記された以下のことばである。「《Retung》・・・それは「救い出す」という意味の言葉である。・・・たとえ忘却され埋没せしめられることはなくとも、誤解され歪曲され、その意味で葬られる多くの思想もあるだろう。ときによっては、ひとたび葬り去られたものを掘り返し、現時点での光に照らしてみる必要もあるかもしれない。「公正」な評価基準を何度でもつくりなおす作業も思想史に課せられた任務なのである。「レットゥング」というのはその作業のことである。」(本書「あとがき」より)
いわゆるポストモダニズムやテクスト主義といった現代思想の「功」績の一つは、1971年に出版された本書において、「「公正」な評価基準を何度でも作りなおす作業」として既に示されている。テキストを「読む」ために、また(マルクスブームの?)現在において(真摯に)マルクスを再読するためのウォーミングアップとしても、本書を再読することは有用だと思う。ついでながら、著者の『ヘーゲル左派と初期マルクス』もオススメ。
一言でいえば本書は、無批判かつ誇大にマルクスの偉大さを強調するのではなく、ヴァイトリングやヘスといった同時代人との応答、また当時の時代状況を勘案したマルクス研究といえる。「私はマルクスやエンゲルスの偉大さを否定しようというのではない。その逆である。彼らが偉大であったことは何度確認しても確認しすぎることはないであろう。しかし、それは学んで確認するということであって、学ばずして前提するものではない。こうしたあたりまえのことがこれまでのマルクス思想史研究のなかで必ずしも自覚されてこなかったように思われる。」(本書「あとがき」より)
だが、現代思想に惹かれつつマルクスを読み始めていた当時の私にとって驚きだったのは、むしろ本書に記された以下のことばである。「《Retung》・・・それは「救い出す」という意味の言葉である。・・・たとえ忘却され埋没せしめられることはなくとも、誤解され歪曲され、その意味で葬られる多くの思想もあるだろう。ときによっては、ひとたび葬り去られたものを掘り返し、現時点での光に照らしてみる必要もあるかもしれない。「公正」な評価基準を何度でもつくりなおす作業も思想史に課せられた任務なのである。「レットゥング」というのはその作業のことである。」(本書「あとがき」より)
いわゆるポストモダニズムやテクスト主義といった現代思想の「功」績の一つは、1971年に出版された本書において、「「公正」な評価基準を何度でも作りなおす作業」として既に示されている。テキストを「読む」ために、また(マルクスブームの?)現在において(真摯に)マルクスを再読するためのウォーミングアップとしても、本書を再読することは有用だと思う。ついでながら、著者の『ヘーゲル左派と初期マルクス』もオススメ。