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断絶の時代―来たるべき知識社会の構想 (1969年) -
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著者について
ピーター・F・ドラッカー
Peter F. Drucker
1909年11月19日-2005年11月11日
1909年、オーストリア・ウィーン生まれ。フランクフルト大学卒業後、経済記者、論説委員をつとめる。1933年ナチス・ドイツの不興を買うことを承知の論文を発表して、ロンドンへ移住。マーチャントバンクでアナリストをつとめた後、37年渡米。ニューヨーク大学教授などを経て、71年、ロサンゼルス近郊のクレアモント大学院大学教授に就任、以降この地で執筆と教育、コンサルティング活動を続けた。
ファシズムの起源を分析して、イギリスの後の宰相ウィンストン・チャーチルの絶賛をうけた処女作『「経済人」の終わり』、GMのマネジメントを研究した『企業とは何か』をはじめ、40冊近い膨大な著作群は、「ドラッカー山脈」とも呼ばれる。
ドラッカー教授の専門領域は、政治、行政、経済、経営、歴史、哲学、心理、文学、美術、教育、自己実現など多方面にわたっており、さまざまな分野に多大な影響を及ぼした。
東西冷戦の終結、高齢化社会の到来、知識社会への転換といった社会の根源的な変化をいち早く示した現代社会最高の哲人であるとともに、マネジメントの体系を確立し、「分権化」「自己目標管理」「民営化」「ベンチマーキング」「コアコンピタンス」などマネジメントスキルのほとんどを生み出したマネジメントの父である。
GEのジャック・ウェルチ、P&Gのアラン・ラフリーなど、ドラッカー教授を師と仰ぐ世界的経営者は多い。『エクセレント・カンパニー』のトム・ピータース、『ビジョナリー・カンパニー』のジム・コリンズといった著名な著述家たちも、ドラッカー教授の薫陶を受けている。
親日家としても知られる。1934年、ロンドンの街角で雨宿りに偶然入った画廊で目にした日本画の虜となり、室町水墨画などのコレクションを有する。
2005年、あと8日で96歳の誕生日を迎えるという日に永眠。「20世紀の知的巨人」「マネジメントの父」など、ドラッカー教授を称する言葉はたくさんあるが、本人は自らを社会生態学者と規定した。
生涯を通じた最大の関心事は「社会的存在としての人間の自由と平等」であり、そのために社会、組織、企業はどうあるべきか、一人ひとりの人間は何をなすべきかを問い続けた。その思想は、モダン(近代合理主義)を超えて、21世紀を支配するポストモダンの旗手である。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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ここが、今日においては敷衍されて、非「社会」の主体が、知識の道徳性を決定する時代となっています。あるいは、試行錯誤の実践過程が、道徳性の決定の内容を、長期にわたって曖昧化させたままにしておくのです。ですから、最終的判断は、「社会」では間に合わないので、非「社会」によるものとならざるを得ないのです。
たとえば、民主的手続きによる議会における議論は、策を決定しますが、策に伴う道徳性は、自らでは決定することができません。そこで立ち現われる非「社会」の機能が、現実世界のなかでは強く、或る意味では怖ろしい存在となります。
以上、補足しておきます。
この頃にドラッカーのピークの一つがあったと思えます。
1960年代の工業製品が絶好調な時代、次に来る知識産業を推測し、明確に論じている内容と、2010年の現在の状況は、彼が未来を想像した社会と同じ状況にあることを思うと、驚くべきものがある。
『断絶の時代』には、産業構造の変化、組織論、教育論、パソコンの普及による雇用の変化など、ドッラカーが経営学者であり、社会学者でもある幅広い見識と、創造力に、絶大な功績が伝わってきます。
p35 情報とは心の仕事に対するエネルギーである。
遺伝子は、正確に次の世代に、その遺伝子を伝える作用がある。
情報に高い価値が見いだされた現代において、それは遺伝子のように、正確に人々の心に作用して、行動と結果に変化をもたらす要因である。
それを、第二部「世界経済」の中でp139「とくに必要なのは資金よりも知能のほうである」とドラッカーは主張している。
ドラッカーの読者へのアドバイスで満ちています。
この本の出版から40年、現代の時代を読み解く教育書であり、21世紀の社会を予見した名著である。
この本でドラッカーは知識労働者を「知識労働者は自らの知識と判断で、責任をもってリーダーシップを発揮し、それによって給与をうけとっているのだ。しかしながら知識労働者には”ボス”がいる。事実、知識労働者の仕事が生産性に結びつくにはボスが必要なのだ。そして通常、ボスはそれぞれの専門知識をもつ知識労働者と同じレベルのメンバーではなく、”マネージャー”なのである。マネージャーに要求される特有の能力は、計画、組織、統括ということおよび専門または専攻分野がなんであれ、知識労働者の職務の結果を評価することである。」とまとめている。「しかるに知識労働者は、自らを雇用者でもなく、被雇用者でもない”専門家”に属するものと考え、従来の弁護士、教師、脱教師、医師、官吏と異なることはないと思っている。知識労働者は組織体があってはじめて職と収入の道が開かれていることを知っているし、組織体のほうとて知識労働者なくして成り立たないことも彼らは知っている。」としている。
問題は知識労働者の知識とは何かをドラッカーが語っていないことだ。弁護士には法律の知識があり、医師には医学の知識がある。そこから推測するならば、組織体の知識労働者の知識は、その会社固有の知識を指すことになる。これは大きな問題だ。つまり、知識労働者はその会社を離れたら知識が役にたたないことになるからだ。もちろん、管理技術などの普遍的な知識は水平移動させることはできるのだが、その会社独自の固有技術の知識は他社や他業界では意味をなさない。しかも、弁護士や医師の知識がAIに代替できるように、知識労働者の「知識」は、DXと称してシステム化される傾向が強い。要するに、ドラッカーの提唱した知識労働者は再定義し、バージョンアップしなければならない段階に入ったということになる。
ドラッカーの視点は、日本人にはないものがある。例えば本書に、白人労働者のブルーカラーが知識労働者になることによって、未熟練の工場労働者が黒人だけのものとなり、新しいゲットーが形成される危険性を指摘している。その解決策として、「黒人たちに大量生産工場や職人的熟練労働の職業を与えることは緊急の必要事であるが、それ以上に必要なこのは、できる限り早急に、できる限り多数の黒人に知識労働の職を探し出し、つくり出し、能力あるものを見つけ、職につけることであり、そのために、全力で努力することが要求されるのだ。」とし、さらに、「知識的職業にあっては、技能的労働の職業よりも黒人への抵抗感は少ない。知識的職業は非常に急速に拡大しているので、黒人が競争者として脅威となる程度は少ない。」とまでいっている。ドラッカーはユダヤ人なので、私としては、生きていたらパレスチナ人をどう考えるか聞いてみたかったが、日本の技能実習生を黒人労働者と位置づけると問題は同じことになる。
手にした本は、1969年(昭和44年)に初版がダイヤモンド社から発売され、10年後の1979年(昭和54年)に57刷になっている。野田一夫氏が最初にドラッカーを日本に紹介した際、ダイヤモンド社にはその価値が理解できず、自由国民社から『現代の経営』が出版されたとは考えにくいほどのベストセラーだ。