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世界地図の中で考える (1968年) (新潮選書) -
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年11月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても安価で購入できてよかったです。発送も早くてよかったです。
2016年5月26日に日本でレビュー済み
冒頭の章で高坂教授はタスマニア原住民があまりにも完全にかつあっけなく英国人に滅亡させられた事実に触れる。もちろん英国人の方が
圧倒的な文明と近代的な軍事力を有していたことはあるが、このタスマニア原住民の完全な滅亡の主因は英国人が期せずして持ち込んだ
微生物であったことから、コノタスマニア原住民の抵抗力の無さが彼らの滅亡を招いたと考え、そこから国家間あるいは文明間の衝突の中で
異文明や異文化への「抵抗力」が必要であり、あまりにも完全に相手を排除することは実際不可能であるし、そういった対応が逆に自分たち
を破滅に導く可能性があると述べる。高坂教授の著作ではいつも、歴史における何らかの流れや傾向を鋭く指摘することは当然だが、
それに拘泥せず、歴史には必ず例外があること、その例外の持つ意味合いは、時としてあまり排除しかねることもよくあるという、極めて
柔軟性のある物事の考え方を披露される。50年前に書かれた、国際政治に興味のある人たちなら少なくとも名前ぐらいは知っているこの
著書においても、すでに工業化の発展による地球温暖化の可能性を具体的に示唆されているし、米国がベトナムでの失敗と同様のことを
またやりかねないという類の話にも触れられている。名著は、いくら時代が過ぎても、色あせることはないという極めて明白な例となる書物
である。
圧倒的な文明と近代的な軍事力を有していたことはあるが、このタスマニア原住民の完全な滅亡の主因は英国人が期せずして持ち込んだ
微生物であったことから、コノタスマニア原住民の抵抗力の無さが彼らの滅亡を招いたと考え、そこから国家間あるいは文明間の衝突の中で
異文明や異文化への「抵抗力」が必要であり、あまりにも完全に相手を排除することは実際不可能であるし、そういった対応が逆に自分たち
を破滅に導く可能性があると述べる。高坂教授の著作ではいつも、歴史における何らかの流れや傾向を鋭く指摘することは当然だが、
それに拘泥せず、歴史には必ず例外があること、その例外の持つ意味合いは、時としてあまり排除しかねることもよくあるという、極めて
柔軟性のある物事の考え方を披露される。50年前に書かれた、国際政治に興味のある人たちなら少なくとも名前ぐらいは知っているこの
著書においても、すでに工業化の発展による地球温暖化の可能性を具体的に示唆されているし、米国がベトナムでの失敗と同様のことを
またやりかねないという類の話にも触れられている。名著は、いくら時代が過ぎても、色あせることはないという極めて明白な例となる書物
である。
2004年3月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は実に雑多な文章から成り立っている。学際的な分野を狙っているが故に、こうしたスタイルをとっているとのこと。
インドとイギリスについて書いた部分を読んでみた。イギリス人はインドまで金儲けをしにいったのだが、そこにとどまったのは「文明」を広めるためであったという。国内でもこのことについて論争はあったが、基本的には、外国人に文明を押し付けることは無理だという冷めた認識の下に、押し付けていたという。
ひるがえってベトナムにおけるアメリカ人は、文明を広めるという使命感抜きには、存在できなかった。アメリカは「智恵」の国ではなく、「生命力」の国である。だからアメリカにはイギリスの真似はできない。
・・・以上の認識は、現在でも正しいだろう。歴史に学ぶということの力強さ、高坂正堯という人の懸命さには、あらためて驚いてしまう。
インドとイギリスについて書いた部分を読んでみた。イギリス人はインドまで金儲けをしにいったのだが、そこにとどまったのは「文明」を広めるためであったという。国内でもこのことについて論争はあったが、基本的には、外国人に文明を押し付けることは無理だという冷めた認識の下に、押し付けていたという。
ひるがえってベトナムにおけるアメリカ人は、文明を広めるという使命感抜きには、存在できなかった。アメリカは「智恵」の国ではなく、「生命力」の国である。だからアメリカにはイギリスの真似はできない。
・・・以上の認識は、現在でも正しいだろう。歴史に学ぶということの力強さ、高坂正堯という人の懸命さには、あらためて驚いてしまう。
2010年5月5日に日本でレビュー済み
タスマニア原住民の絶滅・虐殺行為から文明を考え初める。アメリカの覇権、文明というのもタスマニア人を絶滅させて英国から引き継いだものであり、その影響も軍事的な抑止力に留まるのみ。アメリカ型文明が世界帝国となって世界が平和になる、なんて幻想を持ってはいけない。
病気や紛争の原因を除けば、平和になるとういのは余りにも甘すぎる考えで、人間はもっと謙虚に歴史と向きあうべきだとする。内容が濃い。読み応え充分。
この20年ばかりの政治とマスコミの凋落ぶりを見たら、なんとコメントするだろうか。リベラルであり、かつ徹底的なリアリストであった高坂氏も、まさかお花畑リベラルが政権について、友愛だなどといって日本中を混乱させるとは思わなかったか。いや自由と民主主義とマスコミ政治の行き着く先として何となく勘づいていたのかもしれないなァ。
病気や紛争の原因を除けば、平和になるとういのは余りにも甘すぎる考えで、人間はもっと謙虚に歴史と向きあうべきだとする。内容が濃い。読み応え充分。
この20年ばかりの政治とマスコミの凋落ぶりを見たら、なんとコメントするだろうか。リベラルであり、かつ徹底的なリアリストであった高坂氏も、まさかお花畑リベラルが政権について、友愛だなどといって日本中を混乱させるとは思わなかったか。いや自由と民主主義とマスコミ政治の行き着く先として何となく勘づいていたのかもしれないなァ。
2007年4月29日に日本でレビュー済み
著者がタスマニアの大学に招聘されて現地で研究滞在し『南半球から世界を見る』体験から本書は始まる。単なる経験談ではない、異なる地理条件、異なる文化、異なる社会、異なる歴史、そうした色んな要素が著者の視点から再構成・再統合されるプロセスを目の当たりにするのは知的興奮を禁じ得ない。均衡・衰亡・理想・現実・・・氏の粘り強く知的な観察と思考の冒険はこの著作の遥か前に始まっている。哲学者の父 正顕氏の薫陶や影響は正堯氏自身も認めておられるが、重層的でありながら、思考の発散・随筆化に堕することのない確かさは、知的職業のメティエ・ディシプリン無しにはあり得ないことを示して余りある内容だ。パックスアメリカーナを論じた第二部、やがて始まるグローバル化の予兆の中で苦しむ色んな文明の姿を描いた第四部、このふたつが1968年初版の著作であるにもかかわらず統計数値や史実の取り上げ方以外は何ら古びていないのはどうしたことか。古典としてぜひ再刊を望みたい一冊。新潮選書から出ている氏の他の著作も併せ読まれると、この著作の見通しの良さがさらに分かると思う。
2004年1月17日に日本でレビュー済み
著者がタスマニアに行って、考えたことからこの本は始まる。
こんな一説があった。
「言葉は、複雑で雑多な現象を、よく言えば明快に、悪く言えば単純化して、表現する機能を持っている・・・」
1国、1地方で成立するシニフィアン・シニフィエの組み合わせが、その他の国・地方では成立しないことをうち捨てて、「世界」を論ずることは出来ない、と著者は言う。
「軍事介入」は正しいのか、正しくないのか。
現在の国際関係において、正当性を正しく評価することは極めて難しい。
しかし、現在起きていることが、100年後、200年後にどのように評価されるのか、などと考えさせてくれる本。
こんな一説があった。
「言葉は、複雑で雑多な現象を、よく言えば明快に、悪く言えば単純化して、表現する機能を持っている・・・」
1国、1地方で成立するシニフィアン・シニフィエの組み合わせが、その他の国・地方では成立しないことをうち捨てて、「世界」を論ずることは出来ない、と著者は言う。
「軍事介入」は正しいのか、正しくないのか。
現在の国際関係において、正当性を正しく評価することは極めて難しい。
しかし、現在起きていることが、100年後、200年後にどのように評価されるのか、などと考えさせてくれる本。