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真知子 (1966年) (新潮文庫) 文庫
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登録情報
- ASIN : B000JA8G1Q
- 言語 : 英語
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,484,798位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 267,184位文庫
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年11月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
お家事情も顧みず見合い話などは蹴散らかす。高学歴女性を疎む風潮の昭和初期に反駁し大学へ聴講に赴いたりと、自我の確率具合がただならないお嬢さんが主人公。ブルジョア出身なので所作は上品ながら、直情的な恋を実行したりする大胆なお人柄。さらに親友と”共有”してしまった事実に気づくや否や、すっぱり相手を切り捨てる。どこまでも真っ直ぐな女子。恰好良いです!令和時代にこそこの気概を見習いたいものです。世の中の窮屈さは今も昔もさほど変わらないけれど、自分に正直に生きるほうがはるかに魅力的だと、時空を超えて教えてくれている気がします。
2015年5月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この作品の主人公曽根真知子は現代に通じる悩みを抱える等身大の女性として今でも読み得るものである。しかし野上女史の造作である彼女はやはり元祖跳んでる女である。閉塞した時代背景はある意味今の時代から考えれば語弊はあるがアクセントにもなりうる。聴講生として昭和初期の東大に学ぶ彼女はやはり輝いて見える。彼女を取り巻く環境は女性は早々に結婚すべしとか女性の高学歴は結婚に差し障るとか、現代では多少わかりにくいところではあろうが、小説の中に見える風俗、男の造形、社会環境などは興味深いものである。たとえばアナーキストの男関の女への態度は複雑な知性と感性とを持ち合わせた真知子にとって未熟でデリカシーのない男であると映るであろうことは想像がつく。社会主義運動も彼女にとっては一つの社会参加としての女の経験として考えられるかもしれない。それによって彼女は女としての経験値をあげ、もっと自由な女へとステップアップしていくのである。そんな真知子にとって関は一つの社会的な経験に過ぎない。しかし現代に生きる女性諸氏にとってそれに匹敵する社会経験というのはなかなか現実には難しいと思う。当時の最先端の女が何を考えどのような社会状況におかれ、そのうえで彼女はどういう選択をしたかということ、それはまさにモダンクラシックとしてのこの作品の一番の読みどころではないだろうか。多様な選択肢を持ちうる現代において一つの道標となるべくこの作品を推すものである。
2023年6月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
面白かった。一気に読みました。
2014年5月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
見つかって、嬉しい。 もう、絶版になってるので、手に入らないと諦めていたのですが、古びた感はあるものの、比較的綺麗で
満足している
満足している
2012年5月27日に日本でレビュー済み
もうずっと前から気になっていた小説。野上弥生子の作品としてあまりにも有名だが、内容はよくわからかった。完読して了解。
高級官僚であった曽根家の末娘の生き方を描いたもので、時代は昭和の初期と想定されるので、いまの女性がおかれている環境とはほどとおい。彼女は大学の聴講生として社会学を学んでいる。いまから見れば何のことはないが、当時としては大学で女性が学ぶということ自体が大変なことで、それもよりによって社会学ということで、周囲からは文学を勉強するならまだしも、社会学などやめてほしいと眉をしかめている。
その周囲は、社会的地位の高いひとばかり。財閥、医者、大学教授、プチ・ブルの人たち。定期的に園遊会も開かれている。真知子はそうした人々の発想、行動、しきたりの俗っぽさに辟易している。真知子は24歳なので、当然、結婚問題に悩まされ、御見合いの勧め、男性の紹介があり、それらにうんざり。愛のない結婚など考えられないのである。彼女には米子という友人がいて、米子は東北の没落地主の妹、真知子と同じように聴講生であったが、それをやめ三河島にあった貧民教育の社会事業(セツルメント)に関わる。真知子はプチブルの生活にあきたらず、社会学を学び、米子そして彼女の知り合いの活動家・関との接触もあってマルクシズムに傾倒していく。
関との結婚も考え、ついに家を飛び出すが、彼の不誠実さに絶望し、婚約を破棄。関との関係ができるまえに、一度は結婚の話があったもののの、実現しなかった河合財閥の御曹司(考古学者)との新しい出発の予感があって、小説は終わっている。
真知子の考え方は、いまの時点からみると甘いといわざるをえないが、冒頭にも書いたように昭和の初期の状況を考えると真知子をせめるのは酷であろう。また、当時の日本文学の世界ではとりあげられなかったテーマであり、この作品の登場は衝撃的だったと想像できる。
高級官僚であった曽根家の末娘の生き方を描いたもので、時代は昭和の初期と想定されるので、いまの女性がおかれている環境とはほどとおい。彼女は大学の聴講生として社会学を学んでいる。いまから見れば何のことはないが、当時としては大学で女性が学ぶということ自体が大変なことで、それもよりによって社会学ということで、周囲からは文学を勉強するならまだしも、社会学などやめてほしいと眉をしかめている。
その周囲は、社会的地位の高いひとばかり。財閥、医者、大学教授、プチ・ブルの人たち。定期的に園遊会も開かれている。真知子はそうした人々の発想、行動、しきたりの俗っぽさに辟易している。真知子は24歳なので、当然、結婚問題に悩まされ、御見合いの勧め、男性の紹介があり、それらにうんざり。愛のない結婚など考えられないのである。彼女には米子という友人がいて、米子は東北の没落地主の妹、真知子と同じように聴講生であったが、それをやめ三河島にあった貧民教育の社会事業(セツルメント)に関わる。真知子はプチブルの生活にあきたらず、社会学を学び、米子そして彼女の知り合いの活動家・関との接触もあってマルクシズムに傾倒していく。
関との結婚も考え、ついに家を飛び出すが、彼の不誠実さに絶望し、婚約を破棄。関との関係ができるまえに、一度は結婚の話があったもののの、実現しなかった河合財閥の御曹司(考古学者)との新しい出発の予感があって、小説は終わっている。
真知子の考え方は、いまの時点からみると甘いといわざるをえないが、冒頭にも書いたように昭和の初期の状況を考えると真知子をせめるのは酷であろう。また、当時の日本文学の世界ではとりあげられなかったテーマであり、この作品の登場は衝撃的だったと想像できる。