一つは[雑誌という夢]。昭和文学史は芥川龍之介の自殺からはじまる、とはよく言われる。坂口安吾は、この芥川の死んだ部屋へ通うことから文学的出発をした、と解説の長田弘は言う。そこで、坂口は<芥川の甥の葛巻義敏たちと>同人誌をつくっていた。<死後上梓された全集の表紙の余り布でつくられた青いジュウタンを敷きつめた部屋にみずからを閉じこめ、悶々と野心にうずきながら、カルモチンをガブ飲みし、言い争い、「ブンブン怒りながら」「有名になりたい」という生臭い夢を追いもとめて>いたというのだ。中野重治「歌のわかれ」、太宰治「ダス・ゲマイネ」の主人公たちも雑誌をつくっている。これを長田は、こう表現する。<じぶんたちの雑誌とは、昭和初年代の青いジュウタンの部屋の眠れない青年たちにとって、確実な手触りをもった自己証明の様式にほかならなかった>と。
一つは、[「見ること」の負担]。伊藤整が見た梶井基次郎の姿は、実際のそれと大きく隔たっていた。彼は決して<充実>の内にいたわけではなかった。しかし、その<『脱出』の不可能性に閉じ込められた>彼の作品「冬の蠅」が何故もこうも輝いているのか?それを長田は、<視えない流刑地>と名づけている。まるで、中井英夫の境地のようではないか。この<生への希求=生への憎悪>という<心的二律背反>のなかでしか生きられない苦悶。この<太陽への憎悪>は、堀辰雄にも、立原道造にも等しく襲い来た。それこそは、<「生きるため」に「見ること」を荷担すること>であった。
一つは、[青春の狼疾]。“狼疾”とは、“指一本を惜しむあまり、肩や背までをも失ってしまう人の謂い”らしい。つまり、<いいかえれば、死の結果こそ生の原因であるような><逆倒した青春のネガ>のことを指す。これは、まさに「狼疾記」を書いた中島敦そのものであるが、これを武田泰淳が冷静に綴っている「かめれおん日記」が一つの解読を与えてくれる。
一つは、[「他人の歌」と「自分の思い」]。<「自分の思い」を籠めるじぶんの歌をもちえない無名の死をもじぶんが免れて生きのこった>という想いについて解説者は書こうとして書き切れないでいる。最後に置かれた「きけわだつみの声」の重さに耐えきれる人は今ではもう存在しなくなったかも知れない。
ここに集められたマイナー・ポエットたちの苦渋は、今のわれわれに無縁であろうか?そう断言できる人ももはや居なくなったと思われる。
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全集・現代文学の発見〈第14巻〉青春の屈折 上 (1968年) - – 1968/7/10
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