高校時代からバンド活動を始め大学時代にポプコンに出場をきっかけに当時としては希有なガールズ・バンド「タンゴ・ヨーロッパ」でアルファレコードより82年にデビューを果たす、バンドはキング・レコードに移籍後2枚のアルバムを残して84年に解散するがソロに転向、自身のバンド「ニャンコ・プラトニカ」を結成しバルコニーレコードから12インチ・シングル「恋人はいつでも」をリリース、あまりにも早すぎたヘア・ヌードのアート・ワークが大きな話題を呼び 以降もいくつかのインディーレーベルから作品を残す。89年に再びメジャーに復帰し名盤「ガールミーツボーイ」をリリースする、90年代以降は作詞家としても活躍し92年、95年にはムーンライダーズの鈴木慶一/博文兄弟の主宰するメトロトロン・レコードから2枚のアルバムを、97年にはMMRからもアルバムをリリースした。 98年からは自身のレーベルを立ち上げ名前も「さいとういんこ」に改めポエトリー・リーディングのパフォーマンスに身に置くようになり現在も活動中。