テイストは個性的な面をした音楽ではあるけれど、構造はいたってスタンダードだ。
文芸って観点を持ち込めば、そのテイストも特に変わったものではないと思う。
でも、その組み合わせが特色を編み出していると感じる。
そしてまた、私はこのsoloを聞いて、埼玉連続幼女殺人犯の宮崎勤を思い出した。
彼はビデオコレクションを作るため、録画するためにビデオデッキを操っているとき「甘い」と言っていたらしい。
「甘い」っていうのはどういう事だ?とその言葉はひっかかった。
社会適応できずにいた彼は、オタクになる事で、オタクという型にはまることで社会に適応しようとビデオ・コレクションを作っていたとか、あるいはもっと安直に、子供時代に帰りたいって気持ちが偏執的にその手のものを集めるというかたちになって現われていたのかもしれない。
その「甘さ」だけを頼りにして、事件を起こすまで彼はひとりで生きることに耐えてきていた。
私はTujiko Norikoの音楽を「甘い」と感じる。
漠然とした不安感や孤独感が音楽のベースにあると感じられる。
「甘さ」はどのようにして効果を持つのかという拠り所のひとつがこうしたポップさであり、このジャケット画だ。
こうした現代の状況の中で、こうした視点を持つことはありふれているし、
村上春樹だとかradioheadだとか、もう十分、みたいな感じがあるとは私は思ってる。
だけど、そんな同じ轍をぐるぐるぐるぐるまわっている感じなんだけど、
その回転が力をもって、魅力を生み出しているんじゃないかなって思う。
「そろそろ新しい恐竜になりたい」
「そろそろ新しいインディアンになりたい」
「そろそろ新しい惑星になりたい」
「そろそろ新しいシステムがほしい」