20世紀を代表するピアノの巨匠ギレリスによるハンマークラヴィーアの名演奏である。楽曲構成、テンポ、表現において全く奇をてらった所がなく自然に奏でていながら、40分弱に及ぶ長大なソナタを全く飽きることなく聴き通させる力量に感服する。第一楽章冒頭から力むことなく堂々と確固としたテンポで始まり、煌くような美音と正確なタッチで高貴なベートーヴェンの世界に引き込んでいく。対位法を駆使した展開部がこの楽章にアクセントを与えている。圧巻は第三楽章で全体に深い精神性に満ち溢れているが、とりわけ中間部の感情に流されず切々と歌い上げる情感のこもった音楽は誠に感動的である。そして、第四楽章の序奏を経てフーガに突入するが、各声部の旋律が鮮明に生き生きと奏でられ、絡み合って目くるめく世界を展開していく。途中、一旦静まってフーガの第二主題を提示し二重フーガとなり旋律が錯綜しながら一気にコーダに持ち込み大きな感銘とともに曲を締めくくる。
第30番も美しいタッチと音色の変化、最終楽章の各変奏曲の性格付けが明瞭で、格調高く非常優れた名演奏である。個人的には幾分地味なゼルキンの第30番が気に入っているが、ギレリスの美音と表現力を駆使したこの演奏も実に素晴らしい。
聴き込めば感動をもたらす名曲かつ名演奏である。