想像のジャズ、美しい音というイメージが導く、どこにもないここだけのジャズを歌うジャズシンガー、元ショーロ・アズーの林夕紀子。注目のソロアルバム (全曲カバー)をリリース!元choro azul(ショーロ・アズー)、ジャズシンガー、林夕紀子初のソロアルバム。
全編アカペラで歌ったランディ・ニューマン、ブランドン・ロスのトリオをバックに歌うビートルズの ブラックバードなど、全8曲すべてがカヴァーとなった。
中島ノブユキ(UA×菊地成孔、ゴンチチなどのアレンジを手がける)、ブランドン・ロス (カサンドラ・ウィルソンのアルバム・ディレクション等)、渡邊琢磨(=コンボピアノ)らがプロデュースした、林のもつ声の、その深い色合いを味わってほしい。
林夕紀子は生まれついてのシンガーだ。ただ、そのことに彼女自身が気づくまでに、少しだけ時間がかかっただけのこと。
子供の頃からアートやファッションに興味を持っていた彼女は、専門学校でデザインを学び、卒業後は自分のブランドを 立ち上げようと思っていた。そんな時、友達のギターに乗せて、遊び半分で歌ったことが彼女に新しい道を開くことになる。
「クラブではよく歌ってたんです。知ってる曲がかかると、すぐ大きな声で歌う。あの女、声デカいよ、また歌ってるよ、って言われるくらい(笑)」
気ままに始めた音楽活動は、ユニット名を付けることもなく1年足らずで終了。それでも彼女のもとには、イベントの出演依頼やレコーディングの話が絶えることなく寄せられて、彼女の歌への想いは次第に強いものになっていった。
「歌ってた時の気持ちが甦ってきたんです。もともと人前に出るのは苦手なんですけど、それさえ克服すれば、これほど自分に合ってる表現方法はないな、と思って」
そして、彼女はPort of NotesやDouble Famousらが参加したコンピ『sign off from amadeus』 (96年)でデビュー。 01年にはchoro azulを結成し、翌02年に青柳拓次プロデュースによるファースト・アルバム『choro azul』を発表。
バンドは06年に解散するまで、3枚のアルバムをリリースした。
一度も本格的な歌の訓練を受けたこともなく、「自分が歌いたいように」歌い続けてきた。そんな彼女にとって、歌は自分を解放し、表現するためのかけがえのない手段になったのだ。
「普段、大勢の知らない人の前で喋ったり、突然泣いたりってありえないじゃないですか。でも、ステージでは許される。自分にとって、すべてを曝け出すことが許される唯一の場所なんです」
感情というテキスタイルを、歌声という針で縫い合わせ、彼女はシンガーとして<林夕紀子>というブランドを立ち上げた。
それがソロ・アルバム『ティンブレ(音の色)』なのだ。(村尾泰郎)
【アーティストについて】
林夕紀子 Yukiko Hayashi
出身地:東京都 生年月日:1974年2月14日
Port of Notes, Double Famous等を世に送り出した、コンピレーション・アルバム「sign off from amadeus」('96)に参加し注目を浴びる。その直後に音楽活動を一旦活動休止。その後、家入哲也(per)大澤直樹(g)と変則編成トリオ「choro azul(ショーロ・アズー)」を結成し、2001年に音楽活動再開。
2002年6月26日にリトル・クリーチャーズの青柳拓次プロデュースによる1stアルバム「choro azul」でデビュー。アナログ盤(限定)も同時リリースし即日完売する。2003年3月5日には、2ndアルバム「2-dois-」をリリースし、タワーレコード新宿店でインディーズチャート1位を獲得。その後、5枚のコンピレーションアルバムに参加する。2003年11月29日にNINA SIMONEに捧げる追悼アルバム『MISSISSIPPI GODDAM』をリリース。2004年からは林と家入哲也(per)によるユニット形態で活動。2005年11月30日には3枚目となるフルアルバム「3 -tres-」をリリース。
2006年春、choro azul解散。
コンボピアノ、ブランドン・ロス、中島ノブユキらと制作した初のソロ・アルバムTimbreを2007年5月24日リリースする。