傑作「晩春」に続く小津安二郎のいわゆる紀子三部作の第2作目にあたる作品で、前作にくらべ主要な登場人物が多く、より複雑な人間模様が展開します。
三世代の家族が同居する一家に、医師である兄夫婦(笠智衆、三宅邦子)と暮らす28歳で独身の紀子(原節子)の縁談を中心に話は進んでいきます。紀子の結婚を機に一家が離散していく結末は、少々突飛かもしれませんが、「行く川のながれは絶えずして...」の「方丈記」を連想させます。万物は流転しけっして留まるところを知らず、わたしたち人間もまたその摂理のひと齣にすぎない。達者だった親もやがては老いて死んでいき、成長した子どもたちはいつしか独立し去っていく。そしてまた新たな家族が誕生し子どもが生まれる。そうやって連綿と続いていく人々の暮らし。その無常の連環のなかに人間の営みのすべてがあり、それは儚くも確かな美しさをもっている。そういったことをこの映画はしずかに語りかけているようです。
奈良への隠居を決めた老夫婦(菅井一郎、東山千栄子)がベンチでサンドイッチを頬ばる場面で、ふたりの動きがほぼ同期しているのがおもしろい。英国の動物学者デズモンド・モリスが、心の通い合った人同士の動作はシンクロすると言っていたのを思い出します。夫が口にする「贅沢をいったらキリがない」という台詞には、知足を旨とし声高に権利を主張することのなかった、ひと昔前の日本人の生き方が表れています。妻がふと見上げる空に、どこかで子どもがうっかり手を放したのだろう、風船がふうわりと飛んでいく。この一家の行く末を暗示するカットは、ラストの花嫁行列とともに大変象徴的です。
独身組の紀子と親友アヤ(淡島千景)の掛け合い(結婚組に向かってポンポン言っては顔を見合わせて「ねぇー」と相槌を打って相手をクサらせる)のテンポが非常にいい。紀子と所帯を持つことになる笠の後輩医師(二本柳寛)の母親役、杉村春子はじつに巧いが、こういう芸達者な脇役の女優さんは今は見当たりません。そしていつもながら、小津監督の子役の扱いはまさに名人芸と言えます。
麦秋 [DVD] COS-022
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フォーマット | ブラック&ホワイト |
コントリビュータ | 杉村春子, 小津安二郎, 三宅邦子, 原節子, 笠智衆, 東山千栄子, 井川邦子, 菅井一郎, 高橋豊子, 淡島千景, 二本柳寛 |
稼働時間 | 2 時間 4 分 |
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商品の説明
巨匠・小津安二郎監督を代表する傑作の1本。結婚にあまり興味のない娘と、そんな娘に早く結婚してほしいと気を揉む家族を中心にさりげない日常をユーモアを織り交ぜ淡々と細やかに描く感動作。敗戦後わずか6年の作品とは思えないモダンな息づかいには驚かずにはいられない。北鎌倉に住む間宮家では適齢期を過ぎた娘紀子の結婚が何より気がかり。当の紀子は大手の会社で秘書として働き、いまだのんきに独身生活を楽しんでいる風だった。やがて、そんな紀子に縁談話が立て続けに舞い込むのだったが…。
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- EAN : 4582297250420
- 監督 : 小津安二郎
- メディア形式 : ブラック&ホワイト
- 時間 : 2 時間 4 分
- 発売日 : 2007/8/20
- 出演 : 原節子, 笠智衆, 淡島千景, 三宅邦子, 菅井一郎
- 販売元 : Cosmo Contents
- ASIN : B000VRRD1G
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 135,172位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 6,280位日本のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
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5 星
◇戦後、家族の変遷の始まり
親と子の関係、娘の結婚による親子の別れ、家族の解体。小津安二郎 監督 が一貫して描くテーマが凝縮されている作品です。 #晩春(1949年)#東京物語(1953年)に挟まれた紀子三部作の一つです。いずれも紀子というヒロインが軸となる物語で、三部作とも原節子がその紀子を演じています。 鎌倉から東京へ通勤するOL。彼女の結婚を巡るあれこれが物語の一つの流れです。「嫁にいく」ことについて、本人以上に家族や友人がヤキモキする姿が滑稽に描かれています。 もう一つはお爺ちゃんお婆ちゃんと腕白な子供たちがいる賑やかな郊外の家庭の日常。お爺ちゃんには文鳥の趣味、子供たちは鉄道模型。それぞれに異なる時間があって、時々交差する家族の多面体。 なるほど、家族の変遷の物語は、じんわりと身に染みてきます。それぞれが年を重ねるに従って、価値観も趣向も変わっていきます。家族は多次元的な宇宙かもしれません。星々⭐️✨は時には近付き時には離れて、それでもどこか繋がっている。最も身近で小さい構成要素である家族という形の中に、大きな宇宙の普遍的な時間の流れを感じる。そんな気分を楽しめる映像世界でした。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年8月13日に日本でレビュー済み
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なんか最近の日本映画は全然見る気がしないので。細かいところに違和感はあるがよいのでは。
2021年10月27日に日本でレビュー済み
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prime配信で見ました。役者さん達の顔が画面から切れるところが多いのはなぜ?小津安二郎監督って、こんな撮り方してましたっけ?縦にしても横にしても切れます。
2022年5月27日に日本でレビュー済み
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小津作品を全部はまだ観てないけど、観た中では断トツ、1番好きです。
紀子がなぜ頑なに縁談を断るのか、観ている側には終盤までわかりません。
見事なのは、終盤杉村春子さん演じる、矢部の母親との会話の中で、説明的描写を1つも挟まず、直接的には紀子の気持ちも語られないにも関わらず、会話だけで紀子の気持ちがわかるところです。
以下、ネタバレです。
紀子はどうやら矢部という紀子にとっては幼なじみのような、妻を失くした男やもめに想いを寄せているのが手に取るようにわかるシーンです。
おそらく、それも、昨日今日ではなく、彼が結婚する以前から好きだったのではないでしょうか。
少し、深読みかな?
私は、映画評論家でも、なんでもないので、小津作品についてあーだこーだ、深淵なことを書く気は毛頭ありません。
確かに地味な映画です。
おそらく、小津作品の中でも、群を抜いて地味です。
それだけに、終盤での、紀子の気持ちの躍動が、全てを語っていて、計算され尽くした、そこまでの展開の地味さ故に、なおさら、生き生きと伝わってきます。
やはり、上手い。という一言に尽きます。
紀子がなぜ頑なに縁談を断るのか、観ている側には終盤までわかりません。
見事なのは、終盤杉村春子さん演じる、矢部の母親との会話の中で、説明的描写を1つも挟まず、直接的には紀子の気持ちも語られないにも関わらず、会話だけで紀子の気持ちがわかるところです。
以下、ネタバレです。
紀子はどうやら矢部という紀子にとっては幼なじみのような、妻を失くした男やもめに想いを寄せているのが手に取るようにわかるシーンです。
おそらく、それも、昨日今日ではなく、彼が結婚する以前から好きだったのではないでしょうか。
少し、深読みかな?
私は、映画評論家でも、なんでもないので、小津作品についてあーだこーだ、深淵なことを書く気は毛頭ありません。
確かに地味な映画です。
おそらく、小津作品の中でも、群を抜いて地味です。
それだけに、終盤での、紀子の気持ちの躍動が、全てを語っていて、計算され尽くした、そこまでの展開の地味さ故に、なおさら、生き生きと伝わってきます。
やはり、上手い。という一言に尽きます。
2022年9月25日に日本でレビュー済み
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北鎌倉の一家族。朝、祖父がカナリアの餌を作っている。そこへ長男が「おじいちゃんごはんだよ」次男が食卓へいくと、朝食を食べていた原節子が「顔、洗った?」父の笠智衆が「ちょっと気になる患者がいるので」と先に出る。節子は2階へ上がり、バッグと空の紅茶を持って降り、祖父の原稿を持って玄関を出る。プラットフォームで医者の二本柳寛と会い、「この前借りた『チボー家の人々』あれなかなか面白いですね」と言われる。会社で専務の下でタイプを打つ節子の部屋へ淡島千景が寄り、「ねえ聞いた、チャコこんど結婚するんだって。津村さんといって早稲田の、バスケットの」夜節子は兄智衆夫婦と天ぷらの食事をとった。祖父の兄が訪ねて「節子さん、いくつになんなさった」「28です」鎌倉の大仏で「ふうん、節子さんいくつになったんや」「28です」「ふうん、もう嫁さんにいかにゃいかんな」「お爺さま、いいとこありません?」「ああ、いい天気だ」そこへ寛の母杉村春子が女の子の孫をつれて「お父様は?」「学会。あれで役に立つんでしょうか」「綺麗なおべべねえ」歌舞伎を祖父母とその兄が見物して、節子は友人と会い、専務から見合いを勧められる。智衆夫婦もその見合いに乗り気になる。銀座の喫茶店で4人集まり、節子らは話に花が咲く。博物館へ行った祖父母がベンチに腰掛けて「うちも今が一番いい時かもしれないね。これで節子でも嫁にいけば寂しくなるし」「そうですねえ。専務さんのお話どうなんでしょう」「良きゃいいが、もうやらなきゃいけないよ」「ええ」夕食後、節子が高級ケーキを買ってきた。そこへ寛が来て「いいんですか」とケーキをご馳走になる。
些細なことで子供たちが家出して、節子は春子の家へ行き「おばさん、うちの子供たちお邪魔してません?」寛が「どうしたんです」「ねえお前、いっしょに探してあげたら」「そうですねえ、行きましょう」智衆のところへ電話がかかり、無事が確認された。寛は秋田県へ3、4年内科部長として転勤する旨を母親に話す。寛と節子が喫茶店へ行き、智衆も現れて壮行会をした。節子が春子の家を訪ねた。「こんばんは、あたし」「ああ節子さん、いらしゃい」「ごめんなさい」「…実はねえ、あんたのような方に寛のお嫁さんになって頂けたらどんなにいいだろって、そんなこと思ったりしてね」「本当、おばさん。あたしみたいな売れ残りでいい?」「へっ」「あたしでよかったら」「本当」「ええ」「まあ嬉しい、本当ね。よかった、よかった。ありがと、ありがと。ものは言ってみるもんねえ、もし言わなかったらこのままだったかもしれない」「さよなら」「おやすみなさい、ありがと、ありがと」麦の穂がゆれる祖父の兄の田舎で祖父母が「おい、ちょいと見てごらん。お嫁さんがゆくよ」「どんなところに片付くんでしょうねえ。節子どうしてるでしょう」とお茶を飲む。小津安二郎監督の中でも好きな作品で、原節子の代表作でもある。
些細なことで子供たちが家出して、節子は春子の家へ行き「おばさん、うちの子供たちお邪魔してません?」寛が「どうしたんです」「ねえお前、いっしょに探してあげたら」「そうですねえ、行きましょう」智衆のところへ電話がかかり、無事が確認された。寛は秋田県へ3、4年内科部長として転勤する旨を母親に話す。寛と節子が喫茶店へ行き、智衆も現れて壮行会をした。節子が春子の家を訪ねた。「こんばんは、あたし」「ああ節子さん、いらしゃい」「ごめんなさい」「…実はねえ、あんたのような方に寛のお嫁さんになって頂けたらどんなにいいだろって、そんなこと思ったりしてね」「本当、おばさん。あたしみたいな売れ残りでいい?」「へっ」「あたしでよかったら」「本当」「ええ」「まあ嬉しい、本当ね。よかった、よかった。ありがと、ありがと。ものは言ってみるもんねえ、もし言わなかったらこのままだったかもしれない」「さよなら」「おやすみなさい、ありがと、ありがと」麦の穂がゆれる祖父の兄の田舎で祖父母が「おい、ちょいと見てごらん。お嫁さんがゆくよ」「どんなところに片付くんでしょうねえ。節子どうしてるでしょう」とお茶を飲む。小津安二郎監督の中でも好きな作品で、原節子の代表作でもある。
2023年6月8日に日本でレビュー済み
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1951年(戦後わずか6年!)作品で、戦争の想い出が色濃く現れている。紀子の兄・省二は復員せず、家族の多くは戦死を考えているが、母親だけはまだ生きて帰って来ると思っている。「ご飯が美味しい」と口に出さずにはいられない。浜辺の柵と思しきものには石柱だけが残り、肝心の柵であるべき金属の横棒は、おそらく金属供出のため取り外されまま(同様の描写は『長屋紳士録』でも)。
それでも老父が植物学者、兄が医師の家族は表面上は理想的なスイートホーム。この家の安穏さと場合によってはそのアイロニーを表現するために「埴生の家(ホーム・スイート・ホーム)」が伴奏される。
だが、ここでも主人公・紀子(原節子)の縁談によって家の中に軋轢が生じる。というと深刻な映画を想像するかもしれないが、軽妙で隠喩に富んだ会話の積み重ねと、完成された画面構成によって、深刻にならずに、時には脇役にストーリーの真意を表現させ、そのシーンの本来の主役の不在によってその人物の心情を明らかにしたりして、まったく飽きることがない。
特に原節子と淡島千景の独身女子組の会話は凄まじいほどに面白く、小津と野田高梧がノリノリで書いている姿を想像すると楽しい。後年の小津作品では、高齢のおじさん連中がつるんで掛け合いすることが多くなるが、この頃の作品では若い女性がテンポよく会話する場面が多く、実に楽しい。女性同士ではないが、かなりキワドイ下ネタ話もしたりする。大丈夫か。
ストーリーを追うというよりも、各シーンの完成度に敬服することが多い。実際、途中からストーリーはどうでもよくなって、誰がどこで何を話すのかを目的に観てる気がして来る。それがちゃんと全体に繋がっているからとんでもなくすごいのだが。
映像的には、『お茶漬けの味』でも感じたのだが、人物が場面からいなくなった後、移動撮影で前進するカットが何度かある。不思議な映像なのだが、心情描写になっているように感じる。もし、そこでそのままカットが終わっていたら、あの雰囲気は出ないのではないかと。
終盤の義姉と紀子が浜辺で会話するシーン。全体のカットはロケだとしても、人物のショットはセットのような感じ。ロケのカットも相当ライトを焚いただろうなと思わせる。
父の菅井一郎は誰よりも役者顔で、杉村春子はいつもうまい。そして、よくよく見ると、どの役者もバタくさい顔をしている。
音響は古いフィルムによくある高音のキンキン音とブツブツ雑音。仕方ないか。
それでも老父が植物学者、兄が医師の家族は表面上は理想的なスイートホーム。この家の安穏さと場合によってはそのアイロニーを表現するために「埴生の家(ホーム・スイート・ホーム)」が伴奏される。
だが、ここでも主人公・紀子(原節子)の縁談によって家の中に軋轢が生じる。というと深刻な映画を想像するかもしれないが、軽妙で隠喩に富んだ会話の積み重ねと、完成された画面構成によって、深刻にならずに、時には脇役にストーリーの真意を表現させ、そのシーンの本来の主役の不在によってその人物の心情を明らかにしたりして、まったく飽きることがない。
特に原節子と淡島千景の独身女子組の会話は凄まじいほどに面白く、小津と野田高梧がノリノリで書いている姿を想像すると楽しい。後年の小津作品では、高齢のおじさん連中がつるんで掛け合いすることが多くなるが、この頃の作品では若い女性がテンポよく会話する場面が多く、実に楽しい。女性同士ではないが、かなりキワドイ下ネタ話もしたりする。大丈夫か。
ストーリーを追うというよりも、各シーンの完成度に敬服することが多い。実際、途中からストーリーはどうでもよくなって、誰がどこで何を話すのかを目的に観てる気がして来る。それがちゃんと全体に繋がっているからとんでもなくすごいのだが。
映像的には、『お茶漬けの味』でも感じたのだが、人物が場面からいなくなった後、移動撮影で前進するカットが何度かある。不思議な映像なのだが、心情描写になっているように感じる。もし、そこでそのままカットが終わっていたら、あの雰囲気は出ないのではないかと。
終盤の義姉と紀子が浜辺で会話するシーン。全体のカットはロケだとしても、人物のショットはセットのような感じ。ロケのカットも相当ライトを焚いただろうなと思わせる。
父の菅井一郎は誰よりも役者顔で、杉村春子はいつもうまい。そして、よくよく見ると、どの役者もバタくさい顔をしている。
音響は古いフィルムによくある高音のキンキン音とブツブツ雑音。仕方ないか。
2020年10月28日に日本でレビュー済み
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Wikiから抜粋
ヨーロッパで古くから愛玩鳥として飼養され、現在では世界中で飼われている。また毒物に敏感である事から毒ガス検知に用いられたり、実験動物としても用いられる。
日本では後述する炭鉱のカナリアや童謡「かなりや」の影響で、実態以上にひ弱な鳥といったイメージが流布しており、外の世界で生きられない事の比喩表現である籠の鳥とは本種のこととすら思われている。
しかし、高級フィンチの中には本種よりさらに気難しくて温度管理にうるさい種があり、それらに比べれば、より飼い易いうえに巣引きも簡単である。飼育下では通常10年前後、乃至はそれ以上生存する長命の鳥である。野外で生き延びられないのは飼育環境へ適合した結果であり、逆を言えば、野鳥はかごで飼うと気をつけないとすぐに死んでしまう。
人間に馴れやすく、雛から育てなくても、手乗りになったり、飼い主の手から餌を食べる事がある[6]。
なお、日本でしばしばカナリアの原種という触れ込みで輸入され販売されているセイオウチョウという名のフィンチは、キマユカナリアという全く別種の鳥である。
ーーーー
私には、やはり難解な小津作品。監督が感じた日本(人)の戦前・中・後をいかに捉えるべきかをいつも悩まされる。
特に気になるのが、
・鳥籠多すぎ。。。。(捕虜か?)
・大和のおじじと次男坊のやり取り おじじは庭の”鳥”の声を聞き、次男坊の声は聞こえないフリ。
・そもそも大和とは 大和のおじじは、目と耳と口を塞いだ戦後日本人そのものなのか。
・食に対する扱い 食事シーンにおいては美しい作法ではない演出や、ケーキ、足蹴にされるパン。
・結婚観 大仏前での大和のおじじとの会話からの現実の選択。
諦めや怒り、失望、皮肉(GHQに対してか。日本に対してか。両方か。)など色々考えさせられる。。。
ヨーロッパで古くから愛玩鳥として飼養され、現在では世界中で飼われている。また毒物に敏感である事から毒ガス検知に用いられたり、実験動物としても用いられる。
日本では後述する炭鉱のカナリアや童謡「かなりや」の影響で、実態以上にひ弱な鳥といったイメージが流布しており、外の世界で生きられない事の比喩表現である籠の鳥とは本種のこととすら思われている。
しかし、高級フィンチの中には本種よりさらに気難しくて温度管理にうるさい種があり、それらに比べれば、より飼い易いうえに巣引きも簡単である。飼育下では通常10年前後、乃至はそれ以上生存する長命の鳥である。野外で生き延びられないのは飼育環境へ適合した結果であり、逆を言えば、野鳥はかごで飼うと気をつけないとすぐに死んでしまう。
人間に馴れやすく、雛から育てなくても、手乗りになったり、飼い主の手から餌を食べる事がある[6]。
なお、日本でしばしばカナリアの原種という触れ込みで輸入され販売されているセイオウチョウという名のフィンチは、キマユカナリアという全く別種の鳥である。
ーーーー
私には、やはり難解な小津作品。監督が感じた日本(人)の戦前・中・後をいかに捉えるべきかをいつも悩まされる。
特に気になるのが、
・鳥籠多すぎ。。。。(捕虜か?)
・大和のおじじと次男坊のやり取り おじじは庭の”鳥”の声を聞き、次男坊の声は聞こえないフリ。
・そもそも大和とは 大和のおじじは、目と耳と口を塞いだ戦後日本人そのものなのか。
・食に対する扱い 食事シーンにおいては美しい作法ではない演出や、ケーキ、足蹴にされるパン。
・結婚観 大仏前での大和のおじじとの会話からの現実の選択。
諦めや怒り、失望、皮肉(GHQに対してか。日本に対してか。両方か。)など色々考えさせられる。。。
2021年2月14日に日本でレビュー済み
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監督の好みで起用しているんだろうけど、あの訛り、カンペを読んでるようなセリフ回し、
大根の演技、気になって、せっかくスムーズに流れていた場面が、笠智衆が出てくるたびに
止まってしまう
他の人はいざ知らず、私はのどに刺さったトゲのようで、居心地が悪い
大根の演技、気になって、せっかくスムーズに流れていた場面が、笠智衆が出てくるたびに
止まってしまう
他の人はいざ知らず、私はのどに刺さったトゲのようで、居心地が悪い
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Mark L. Malaby
5つ星のうち5.0
now my favorite
2001年9月18日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
Ozu is a aquired taste to be sure. If you just open yourself to the quiet beauty of the film, you will be rewarded.
The "trancendent moment" here is the future mother-in-law arranging the marriage directly with Noriko. She regains her social position, makes her family whole, makes a mother for her grandaughter and a wife for her still greiving son, by breaking through the codes of politeness and indirectness.
It is a moment of modernity in a culture caught in-between. It is a moment of total change for perhaps a dozen people, but it is not a crisis or a catharsis - just the opposite.
Films do not have to Thrill and Manipulate (E.T. anyone?) to have a lasting profound effect on your life. Some great art is almost invisible......
The "trancendent moment" here is the future mother-in-law arranging the marriage directly with Noriko. She regains her social position, makes her family whole, makes a mother for her grandaughter and a wife for her still greiving son, by breaking through the codes of politeness and indirectness.
It is a moment of modernity in a culture caught in-between. It is a moment of total change for perhaps a dozen people, but it is not a crisis or a catharsis - just the opposite.
Films do not have to Thrill and Manipulate (E.T. anyone?) to have a lasting profound effect on your life. Some great art is almost invisible......