イスラエル・ナザレ出身のパレスチナ人(アラブ系イスラエル人)で後にオランダへ移住したハニ・アブ・アサドの監督作品。四方田犬彦『テロルと映画 - スペクタクルとしての暴力』(中公新書、2015年)の中で本作「パラダイス・ナウ」のことを知り、2015年に初めて見て以来、今回が2度目の鑑賞(四方田犬彦氏には2006年刊行の『パレスチナ・ナウ』という著書があるが、同書のタイトルはおそらく本作「パラダイス・ナウ」にインスパイアされたものであろう)。
映画の舞台は、ヨルダン川西岸のナブルス市。ヨルダン川西岸とガザ地区及び東エルサレムは、現在はパレスチナ人の自治区とされている。だが、そのうち面積の最も大きいヨルダン川西岸では、パレスチナ自治政府の支配権が及んでいる地域は半分にすぎず、残りは現在も実質的にイスラエルの占領下にあるという。ナブルスもイスラエルの占領下にある街のひとつである。いたる所にイスラエル軍の検問所があり、抵抗するパレスチナ人の武装組織の動きも活発で、市中ではしょっちゅう爆音が轟く危険なところだ。
重要な登場人物は、サイードとハーレドの青年2人とスーハという女性(いずれもパレスチナ人)。サイードは自動車修理工として働く内省的で寡黙な青年。ナブルスの難民キャンプ(すなわち第1次中東戦争で難民化したパレスチナ人の出自)で生まれ、10歳の時に父が密告者(=裏切者)として仲間(パレスチナ人)に処刑され、そのことが彼と彼の家族を苦しめている。ハーレドはサイードの幼馴染かつ親友で同じ自動車修理工場で働くが、短慮なところがあり、それが原因となり工場を解雇されてしまう。彼も父のことで何らかの傷を負い、父の世代に反発を覚えている。他方、スーハは、反イスラエル抵抗の英雄で殉教者の娘だが、抵抗にはいろんな方法があるとして、武装闘争路線には否定的な感情をもつ。長く外国で生活したことから、ナブルスでの生活しか知らない青年2人より視野が広い。
ある日、サイードとハーレドは武装組織によってテルアビブでの自爆攻撃の命を受ける。覚悟をもって、鉄条網を抜けてイスラエル領に入った2人だが、すぐにイスラエル官憲に見つかり、一度目の作戦は失敗する。ここから2人の激しい葛藤が始まる。他方、スーハは、ハーレドに対し、自爆攻撃はイスラエルに報復の口実を与えるだけで、他の方法を模索すべきだ、モラルの戦いをするのだと必死に説得する。この説得にハーレドの決意は揺らぎ、彼は自爆攻撃を止めることを決める。だが、サイードは、人としての尊厳を踏みにじられ、来る日も来る日も侮辱され、無力に生きるだけの人生を脱するために、再び自爆攻撃の決意を新たにし、ハーレドの説得も虚しく、自爆攻撃を実行する。
本作で描かれているような自爆攻撃はいかなる意味でも肯定するつもりはないが、彼らをそうした行為へ駆り立てる絶望的な背景や環境があるという事実には目を向けなければならないと思った。おそらく、この映画もそうした意図で制作されたのだろう。
なお、映画の中でスーハがサイードに「日本のミニマリスト映画みたいな人生よ」と言うシーンがあるが、本作のオフィシャルサイトでのアブ・アサド監督のインタビューによれば、このミニマリスト映画とは青山真治監督の「EUREKA(ユリイカ)」(2001年公開、出演:役所広司、宮崎あおいほか)なんだそうだ。映画を観ていてもスーハがどういう意図でこのセリフを言ったのか、よく分からない(たぶん肯定的な意味なのだと思うが)。その答えを得る意味でも「EUREKA」はぜひ観てみたい。