1969年、NJ録音。
ハービー・ハンコックがマイルス・グループを離れて制作した最初のアルバム。
そしてブルーノートから出す最後のアルバム。
サウンドとしては、『処女航海』や、前(1968)年録音の『Speak like a child』の
延長上にあり、3管フロントのアンサンブルを追求している。これが美しい。
あるジャズ・ピアニストは「アコースティック・ジャズの最高峰」という言い方をしていたが、
確かにそう思える。
マイルスが電化し、ジャズから離れていったときに、ハービーは、ジャズに留まりながら、
こういうサウンドを確立している。自由なドラムスの入り方や全体のハーモニーは、
今のロバート・グラスパーの音楽などにも通じるほど現代的で、常に新しさを感じさせてくれる。
ハービーは普通のピアニストと違って、ピアノ・トリオやピアノ・ソロにほとんど興味を
示さなかったし、ビッグ・バンド音楽にも食指を動かさなかった。このくらいの規模の
バンド・サウンドで、どれほどのことができるかを一貫して追及した。ハーモニーという
点では、ギル・エヴァンスの領域に近づくのかもしれないが、ギル・エヴァンスよりも、
ソフトで洗練され、ブラックでブルージーでこなれている。
ここまでは良いのだが、以前のクオリティと大きく異なるのが、ジャケット・デザイン。
同じブルーノートからなのに、『処女航海』はジャズを代表する傑作ジャケットで、
前作もロマンチックで暖かな世界にうまく仕上がっていた。しかし本作は、どうしようもなく
暗くてダサい。この差が両者のポピュラリティと評価を違ったものにしている。ジャケットさえ
渋く変えれば(せめてコルトレーンのアルバムのように、ハンコックのモノクロ写真のアップで
ソリッドにキメるとかすれば)、名作になったはず。
この頃になると、ブルーノートのクリエイティブもリード・マイルスの手から離れている。
1960年代後半になると、ブルーノートのアルバムは、ファンク色やサイケ色を強め、リー・
モーガンもアート・ブレイキーも、リード・マイルスの世界ではなくなっている。
アルバムの内容としては、キング牧師とそれに続いたJ・F・ケネディ大統領の暗殺事件に
ショックを受けたハンコックが、そうした社会不安や暗い世相を表現したコンセプトで
一貫させたということになっている。だが、そうしたことは一切気にしなくてもいい。
前作よりはハードな曲想が多いが、これは後の『ニュー・スタンダード』にも通じるもので、
ハンコックがややシリアスなスタンスを取ると、こういう形になる。
このアルバムの中で、政治的な社会派コンセプトから離れた、唯一のハービー以外の作曲者
によるM3「Firewater」では、ハービーの編曲の才が十二分に発揮されている。
マックス・リーチの黒人の人権運動への関与などに比べると、はるかに間接的で、
音楽を聴いていても、言われなければ、これらの曲がそうした作者の想いを反映した
ものとはわからない。現実的なアクションとしても、ハンコックが公民権運動などの
社会的な行動に立ち上がったことは一度もない。
バンドのメンバーとしては、前作ではベースがロン・カーターだったが、ここから
バスター・ウィリアムスになる。バスターは短期間、マイルス・バンドで演奏したことがある
ので、そういう繋がりでもあるが、今後のハービーの音楽には欠かせない仲間となる。
アルバム・タイトル曲、M2「プリズナー」でも彼のベースは大活躍している。