オフサイド・ガールズ [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, DTS Stereo, 字幕付き, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | マフナズ・ザビヒ, シャイヤステ・イラニ, M.キェラバディ, ジャファル・パナヒ, シマ・モバラク・シャヒ, サファル・サマンダール, ゴルナズ・ファルマニ, ナザニン・セディクジャ, イダ・サデギ |
言語 | ペルシア語 |
稼働時間 | 1 時間 32 分 |
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
商品の説明
商品紹介
この少女たちから目が離せない!
今年一番の、笑って心温まる傑作が登場!!
女の子だって、スタジアム観戦したい!
世界三大映画祭での受賞歴を持つイランを代表する名監督、ジャファル・パナヒ最新作
イランの女性問題をユーモラスに描く、過去のイラン映画とは一線を画すエンタテインメント作品!
イランでサッカーは国民的なスポーツ。男性のみならず女性もみんなサッカーが大好き。けれど女性が男性のスポーツを観戦することは法律で禁止されている。
でも2006年ワールドカップ出場を掛けた大事な一戦が行われるとなればテレビの前でじっとしてなんかいられない!
試合を観戦するために少女たちが考えた策―それが男装だった「生で試合を見るには男のフリをしてスタジアムに潜り込むしかない」 ルールに逆らって突き進んだオフサイドな少女たちの大作戦が始まる。
【スタッフ】
製作・編集・監督:ジャファル・パナヒ(「白い風船」「チャドルと生きる」)/脚本:ジャファル・パナヒ、ジャドメヘル・ラスティン/撮影:ハマムード・カラリ/美術:イラジュ・ラミンファル/録音:レザ・デルバック、ネザメッティン・ネザム・キアイ/音楽:コロシュ・ボゾルグプール
【キャスト】
主演:シマ・モバラク・シャヒ/サファル・サマンダール/シャイヤステ・イラニ/M.キェラバディ/イダ・サデギ/ゴルナズ・ファルマニ/マフナズ・ザビヒ/ナザニン・セディクジャ
Amazonより
イランではサッカーは国民的スポーツとして大人気。W杯出場をかけた試合はサッカーファンなら誰でも見たい。しかし、この国ではサッカースタジアムに女性が入場するのを禁止していた。それでもサッカーを見たい、応援したい女子たちはそれぞれ男装をしてスタジアムにもぐりこみ熱狂。兵士につかまってもスキあらば逃げ出すなど、決してめげないサポーターの女子たちだが…。
男装したり、軍服を着たりしてスタジアムにもぐりこんだ女の子たちが、警備の兵士に捕らわれ、説教されたりしながらも、スタジアムの中で起こっている試合に通路で熱狂!しまいにはサッカーごっこを始めてしまうお茶目なイランのサッカーファンの女子たちがカワイイ!
実際にあった事件をもとに、10万人が集まった国際試合のスタジアムでロケを敢行。演じる女子たちも素人さんゆえ、リアルでフレッシュな魅力に満ち満ちている。監督はジャファル・パナヒ。(斎藤香)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : ペルシア語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4988102499037
- 監督 : ジャファル・パナヒ
- メディア形式 : 色, ドルビー, DTS Stereo, 字幕付き, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 32 分
- 発売日 : 2008/5/23
- 出演 : シマ・モバラク・シャヒ, サファル・サマンダール, シャイヤステ・イラニ, M.キェラバディ, イダ・サデギ
- 字幕: : 日本語
- 言語 : ペルシア語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
- 販売元 : ジェネオン エンタテインメント
- ASIN : B00166OF7Q
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 169,172位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
面白いのは、この法を兵士たちはただ、決まりごとだから守らせるというスタンスではなく、人間としてそれが当然のことであると理解していることだ。なぜ、サッカー競技場に女子が来てはいけないのか、いわく「男たちの汚い言葉を女子に聞かせられない」からであり、逮捕された女子の一人がトイレに行くところでは、付き添いの兵士がわざわざ、トイレの中の男を全員外に追い出してから、彼女に用を足させる。そこでも、抗議する男に兵士は「お前の妹だったらどうなんだ」といって、男が近くで用を足しているトイレで婦女子に用を足させることは、彼女たちがかわいそうだというニュアンスなのである。
だから、熱烈にサッカーを愛する彼女たちと接する兵士たちは、ある意味ゆるく、優しくなっていく。だが、それを声高に表現しないのがこの映画のいいところでもある。
分隊に移送中のバスの中で、ラジオから流れるサッカーの中継を固唾を呑んで聞き入る少女たちに、ぼくは簡単にシンクロした。イランの土のにおいが満喫できた一作であった。
それを見たいがために男の格好をして・・・ということだけは知ってたんですが、
これ、本当にまさしくその試合中にゲリラ(?)撮影で撮られたものだった
というのは知らなかったです。
そういう設定で、ちゃんと”作られた”映画かなと思ってたんですが
まさしくその試合中に、そのスタジアム内で撮ってたなんて
すごいなぁと思いました。
ということは、この映画、彼女たちが試合の経過を聞いて
一喜一憂するシーン、それに兵士が柵のところから試合を覗いて見て、
実況中継よろしく、試合の流れを言うシーンなどなどは、あれは即興
だったわけですよね~。それもまたすごいな、と見終わってから思いました。
そんなわけなので、途中、ちょっと間延びしてるかな~・・と
思うところもあったんですが、半分ドキュメンタリーのような
ものだったわけで、にもかかわらず、よくぞこんな風にま
とめることができたなと感心もしました。
映画を見終わる頃には女の子たち、最後の方に出てくる少年、そして兵士たちが
とても愛しくなってきました。
しかし、このイラン対バーレーンの試合自体は全くといって良いほど
映らないので、少女たちだけじゃなくて、私も見たくなりました。
少女たちと一緒になって、見せてよ~!ってね。
しかし、この映画の凄いところは作られた経緯を抜きにしても、十分楽しめる娯楽作品に仕上がっているところだろう。
出演者は全員素人ということだが、あの手この手でスタジアムに入場しようとしたり、捕まった後も試合の経過に一喜一憂し熱狂する少女達が元気でたくましい。すっかり圧倒されて、たじたじの田舎出身の警備の兵士達との遣り取りも面白いし、試合を映すこと無く伝わってくる臨場感も見事だ。
「女性はどうしてスタジアムで試合を観られないのか」という少女達の質問に兵士が「女性に汚いものを見せない為」と答える。 観客席で飛び交う相手を罵倒する言葉やトイレに書き込まれた卑猥な落書きを指しているのだろうが、こんな理由では少女達も、他の誰も納得させる事は出来ないだろう。
イランの女性問題に異議を唱える視点に立って作られた作品ではあるが、映画の最後は街に溢れる民衆の歓喜の渦に巻き込まれたかのように、大団円を告げる。サッカーW杯出場が、何事にも代えがたいほど大きいことを実感する。
サッカー興味ない自分でも楽しめたから、サッカー国際試合が好きな人にはオススメしたい。
警備員(おそらく革命防衛隊)に見つからないようにするが、発見されて隔離されてしまう
後はひたすら、見せろ見せないの押し問答が永延とつづく
見せ場はトイレへ行った女の子の一人が途中でまんまと逃げだす場面だけ
正直、いくらでも面白くなりそうな題材だと思うが会話シーンばかりで退屈だった
イランの女性の置かれた現状に関心あるかたにのみおすすめします
現イラン大統領は女性がスタジアムに入ることを規制しないと公式に発言したそうですが、猛烈な反発があり法律の改正にはまだ時間がかかるそうです。イランにはイランの国柄というものがあって僕ら日本人がどうこう言うことはできないけれども是非いつか女性も普通に観戦できる日が来たらいいなと思います。重要なことを問題提起している映画だと思いました。
映画はどうみても実際のイランがワールドカップ出場を決めた瞬間を描いている。作品は意図してつくられたものなのだろうか。
この映画はイランの国民が観るのと、日本人が観るのとはではまったく違うものを与えることだろう。
イランという国を動かしているものは、日本人の私たちの価値観では測れない。そのことだけは強く感じた。
いろいろな国の映画を観ているけど、映画というフィクションと現実というリアリティのバイアスを考慮しても。日本という国ほど、自分の内面から湧き上がる衝動や感情を抑制している国民はない。難破船で見つけられた北朝鮮人だって、独裁者という権力に対しては服従し、自己を抑制するけれど、日本のメディアの前ではたとえ偽りだとしても、彼らのやりきれない生きる衝動を伝えてくる。
日本にいると、生きている自分と、自分が生きている社会が違う事象のように見せ、感じさせる空気があるように思えてならない。
この数年の社会に対する当事者意識の著しい低下も、
日本社会に閉塞感を感じる人が多いのもそこに原因がありそうだ。