1曲目の『浄められた夜』はオリジナルの弦楽6重奏版で演奏されている。メンバーはアルテミス四重奏団にアルバン・ベルク四重奏団のヴィオラ奏者トマス・カクシュカとチェロのヴァレンティン・エルベンが加わった編成で2002年のセッションになる。全体の印象としていくらか神経質になり過ぎるところが無きにしも非ずだが、この曲のドラマ性は良く表現していると思う。室内交響曲第2番Op.38はジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団の87年の演奏で、リリカルな部分では巧みに歌っているが、ポリフォニックな後半ではもう少し確実なアンサンブルの裏付けが欲しい。
室内交響曲第1番Op.9、5つの管弦楽曲Op.16、モノドラマ『期待』Op.17及び管弦楽のための変奏曲Op.31に関しては総てサイモン・ラトル指揮、バーミンガム市響と同現代音楽グループの演奏になる。現代音楽を得意とするラトルによって鍛え上げられたバーミンガム市響の技術水準とアンサンブルのチーム・ワークが聴き所で、中でも5つの管弦楽曲の『色彩』と題された第3曲目は音響作曲法で作られた最初の音楽と言われ、メロディーや拍打ちのリズムも消失したオーケストラの響きだけで構成された斬新な試みが興味深い。尚これらの曲目は2010年にEMIからリリースされた「サイモン・ラトル、新ウィーン楽派の音楽」と銘打った5枚組セットにそのまま組み込まれている。
モノドラマの副題が付けられたソプラノ一人が演ずる『期待』は、精神医学者マリー・パッペンハイムの詩に基く事実上のオペラで、主人公の女性が自分が殺した男の亡骸を夜の森で発見し、モノローグに耽るという不気味な設定で、フロイトの深層心理学を舞台に映し出した作品らしい。ソプラノのフィリス・ブリン=ジュルソンは良く健闘しているが、大編成のオーケストラの前ではドイツ語の発音が聞き辛く、シェーンベルクの考えた世界を充分に描ききっていないように思われる。おそらくそれは曲自体の性質、つまりイタリア・オペラのように大音声で歌うことができない意識下の表現に壮大なオーケストレーションが施されていることにも起因しているのかも知れない。実際の舞台であれば離れた席で歌手の言葉を一部始終聴き取ることは更に困難になるだろうから。いずれにしてもこの2枚のCDはシェーンベルクの理論と音響の確執を見る思いがするセットだ。