国民主権のうえでの国家であると深い意味も考えずに学校でそう学ぶ。独立宣言前文で「生命、自由、幸福の追求」を掲げる米国民でさえ国家という得体の知れないパワーの前では国民主権は単なる建前ではないかとこの映画を見て考えさせられた。
日米開戦の火蓋は真珠湾攻撃によって日本側から切ったとはいえ、日本が米国によってそうなるべくしてなるように追い詰められた側面は否定できないであろう。
しかし米国人にとってそれはあくまで自由と正義のための戦いであって、少なくとも国家はそれを演出しなければならなかったはずだ。
クリント・イーストウッドは、自由と正義の勝利を象徴する硫黄島の星条旗を取り巻く様々な出来事、人々の思惑や人間模様を描こうとしたはずだ。
なので、この映画は正確には戦争映画ではなく、人を戦争に駆り立て、戦費調達ために英雄さえ作り上げてしまうことのできる国家とは、そこに属する国民とは何かということが真のテーマなのだと思う。
深堀するほど難しく、シンプルに説明することのできないこのテーマを繊細な視点で映像化したクリント・イーストウッド監督の才能に脱帽する。
と同時に日本人視点の「硫黄島からの手紙」が二部作として存在し、それら両作品を視聴することでシナジーを高める手法も十分成功した作品であると思った。
父親たちの星条旗 [DVD]
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フォーマット | ワイドスクリーン, 色, ドルビー |
コントリビュータ | ポール・ハギス, アダム・ビーチ, ジョン・ベンジャミン・ヒッキー, バリー・ペッパー, クリント・イーストウッド, ジェシー・ブラッドフォード, ポール・ウォーカー, ライアン・フィリップ, ウィリアムス・ブロイルズ・Jr 表示を増やす |
言語 | 英語, 日本語 |
稼働時間 | 2 時間 12 分 |
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- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4988135599971
- 監督 : クリント・イーストウッド
- メディア形式 : ワイドスクリーン, 色, ドルビー
- 時間 : 2 時間 12 分
- 発売日 : 2008/7/9
- 出演 : ライアン・フィリップ, ジェシー・ブラッドフォード, アダム・ビーチ, バリー・ペッパー, ジョン・ベンジャミン・ヒッキー
- 字幕: : 日本語, 英語
- 販売元 : ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
- 生産者 : クリント・イーストウッド
- ASIN : B001ALQXCW
- ディスク枚数 : 1
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年5月20日に日本でレビュー済み
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2023年7月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
硫黄島の戦いにおいて国債発行のために英雄としてまつりあげられた兵士のノンフィクション映画です。あの日、戦場で起こった真実とは。世間の英雄視と自らの評価の違い。等々が描かれています。
映画的には物語の半分くらいで満足です。派手な銃撃シーンとかは前半に詰まってます。残りの半分は延々と世間と自らの認識のギャップに苦しみ、道化として振る舞うシーンが続きます。なのでまあ、メッセージ性は強いけど個人的に面白い映画ではないです。ですが、「英雄とは人間が必要に駆られて作る物だ」というラストの台詞は非常に胸に沁みました。
映画的には物語の半分くらいで満足です。派手な銃撃シーンとかは前半に詰まってます。残りの半分は延々と世間と自らの認識のギャップに苦しみ、道化として振る舞うシーンが続きます。なのでまあ、メッセージ性は強いけど個人的に面白い映画ではないです。ですが、「英雄とは人間が必要に駆られて作る物だ」というラストの台詞は非常に胸に沁みました。
2023年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本制作版と対をなす作品です。
日本版より戦闘場面は控えめで、銃後の表現に重きをおいた作品になっています。
【硫黄島の戦い(ウィキペディア)
□戦力(日本軍)
20,933
陸軍13,586
海軍7,347
□戦力(連合軍)
上陸部隊111,308
海軍・支援部隊を含めた合計250,000
航空母艦16隻
艦載機1,200機
戦艦8隻
巡洋艦15隻
駆逐艦77隻
他艦艇含め合計800隻
□損害(日本軍)
戦死 17,845-19,900
捕虜 1,033(軍属76を含む)
戦車23輌
□損害(連合軍)
戦死 6,821
戦傷 19,217
戦闘ストレス反応 2,648
護衛空母1隻
正規空母1隻を含む30隻大破
航空機239機(168機作戦損失、71機特攻による空母艦上での損失)
戦車137輌
硫黄島はサイパンと本土の中間地点にあり、航空機の経路として直線上にある島嶼です。したがって日本軍にとってはサイパンから飛来するB29を迎撃する拠点として有力な基地となり、米軍にとっては占領すればB29の緊急着陸拠点となるとともに、B29護衛機の発着拠点として有望視される位置にありました。
太平洋上の小さな島にすぎない硫黄島が日米にとって戦略的重要な拠点であり戦闘不可避の場となっていたわけです。
硫黄島の戦略的重要性に着目した日本軍は硫黄島の要塞化を図り司令として栗林中将を派遣。島の防御の強化と持久戦(本土防衛の時間稼ぎ)を目途とした作戦要項で準備を進めています。
本作はこの硫黄島占領作戦を描く作品です。
実際の作戦行動と米軍の損害は恐らくその殆どが最初の数日のものであり、そのあとは掃討作戦であっただろうと思います。それだけに最初の米軍の損失の膨大さは戦闘の凄惨さを物語っていると思います。
個人的には本作はざっと見ぐらいで視聴しています。
あらすじはウィキペディアに全体を通して掲載されています。映像だけではなくこのような知識があると作品を深く理解することができると思います。
戦争の大義とは何か?米軍が正義で日本軍が悪かといった価値論争から離れてきつつある作品という他の方のレビューがあったりしますが、そういう戦争によって日本は多くの利権を失い、アメリカは結果として莫大な権益を手にしています。
経済圏(ドル圏)があるということだけでも経済的には有利です。
日本円をそのまま使ってくれる国が今あるでしょうか?
経済圏があればIT競争にも負けてはいなかったのではないでしょうか?
そんなことを考えつつ視聴した作品です。
日本版より戦闘場面は控えめで、銃後の表現に重きをおいた作品になっています。
【硫黄島の戦い(ウィキペディア)
□戦力(日本軍)
20,933
陸軍13,586
海軍7,347
□戦力(連合軍)
上陸部隊111,308
海軍・支援部隊を含めた合計250,000
航空母艦16隻
艦載機1,200機
戦艦8隻
巡洋艦15隻
駆逐艦77隻
他艦艇含め合計800隻
□損害(日本軍)
戦死 17,845-19,900
捕虜 1,033(軍属76を含む)
戦車23輌
□損害(連合軍)
戦死 6,821
戦傷 19,217
戦闘ストレス反応 2,648
護衛空母1隻
正規空母1隻を含む30隻大破
航空機239機(168機作戦損失、71機特攻による空母艦上での損失)
戦車137輌
硫黄島はサイパンと本土の中間地点にあり、航空機の経路として直線上にある島嶼です。したがって日本軍にとってはサイパンから飛来するB29を迎撃する拠点として有力な基地となり、米軍にとっては占領すればB29の緊急着陸拠点となるとともに、B29護衛機の発着拠点として有望視される位置にありました。
太平洋上の小さな島にすぎない硫黄島が日米にとって戦略的重要な拠点であり戦闘不可避の場となっていたわけです。
硫黄島の戦略的重要性に着目した日本軍は硫黄島の要塞化を図り司令として栗林中将を派遣。島の防御の強化と持久戦(本土防衛の時間稼ぎ)を目途とした作戦要項で準備を進めています。
本作はこの硫黄島占領作戦を描く作品です。
実際の作戦行動と米軍の損害は恐らくその殆どが最初の数日のものであり、そのあとは掃討作戦であっただろうと思います。それだけに最初の米軍の損失の膨大さは戦闘の凄惨さを物語っていると思います。
個人的には本作はざっと見ぐらいで視聴しています。
あらすじはウィキペディアに全体を通して掲載されています。映像だけではなくこのような知識があると作品を深く理解することができると思います。
戦争の大義とは何か?米軍が正義で日本軍が悪かといった価値論争から離れてきつつある作品という他の方のレビューがあったりしますが、そういう戦争によって日本は多くの利権を失い、アメリカは結果として莫大な権益を手にしています。
経済圏(ドル圏)があるということだけでも経済的には有利です。
日本円をそのまま使ってくれる国が今あるでしょうか?
経済圏があればIT競争にも負けてはいなかったのではないでしょうか?
そんなことを考えつつ視聴した作品です。
2022年8月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
硫黄島からの手紙と続けて拝見しました。感動しました。素晴らしい作品でした。
2024年5月21日に日本でレビュー済み
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時間軸をずらして見せる手法は嫌いではないが、いかんせん役者の芝居や映像以上にセリフで説明しまくりの構成。個人的には一番嫌いなパターンの映画。我慢して見ていたが1時間半くらいでやめました。戦争に行った人の日記を延々と読んでるような、または戦争の取扱説明を聞かされてる。そんな感じです。
他の国からのトップレビュー
Derrel E Deglandon
5つ星のうち5.0
Good movie
2024年5月12日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
Sad to see war veteran life end so tragic
Violine
5つ星のうち5.0
Flags of our fathers
2017年6月27日にフランスでレビュー済みAmazonで購入
Eastwood raconte qu'il y a bien eu deux drapeaux posés par l'armée américaine sur l'île d'Iwo Jima, le premier de façon spontanée, le deuxième de façon organisée. Le second drapeau n'a rien d'un acte héroïque mais aura été un instrument médiatique et politique qui aura fait croire à tout un pays que la bataille était gagnée. Un drapeau photographié et des hommes qui prennent la pose sont donc les objets d'un stratagème scandaleux mais pourtant réel. L'illusion de la victoire et la fabrication de héros sont les deux grands sujets de ce film qui jongle entre deux territoires (le sol américain; la bataille d'Iwo Jima). Cette bataille, Eastwood la filme de manière progressive et de deux façons différentes. D'abord, il s'agit de montrer la guerre dans son aspect primaire, c'est-à-dire de façon impressionnante et sanglante comme le ferait n'importe quel film du genre (même si la mise en scène d'Eastwood est bien plus sophistiquée que la plupart des films de guerre, avec ici une caméra toujours à bonne distance qui permet la lisibilité de l'action et une esthétique grisâtre qui dit beaucoup sur la tristesse du film). Dans la deuxième heure, la guerre intervient par flashs-back, donc par la subjectivité des trois "héros" rentrés au pays. Alors, Iwo Jima devient un terrain plus humain où la solidarité et le courage sont les maîtres-mots de l'action. C'est sur la fin du film et sa dernière demi-heure bouleversante que le titre français prend toute sa signification. Pour Eastwood, on ne se bat pas pour un pays, on se bat pour soi et pour les autres. "Mémoires de nos pères" ne comporte finalement aucun héros, juste des hommes, des pères, et l'hommage qu'il convient de leur donner est de se souvenir d'eux, à travers les générations, de les garder en mémoire.
Tristram Shandy
5つ星のうち5.0
„I Can’t Take Them Calling Me a Hero. All I Did Was Trying Not to Get Shot.“
2015年9月5日にドイツでレビュー済みAmazonで購入
[Vorsicht, Spoiler!]
Diese Worte des Soldaten Ira Hayes (Adam Beach), die er zum PR-Mann Beech (John Benjamin Hickey) spricht, zeigen, daß die Realität des Krieges nur wenig Raum für das kennt, was man aus der Retrospektive oder der Sicht der Daheimgebliebenen gemeinhin „Heldentum“ nennt. „Flags of Our Fathers“, im Jahre 2006 von Clint Eastwood inszeniert, mithin zu einer Zeit, in der die Vereinigten Staaten angesichts eines weltweit umstrittenen Krieges im Irak mit dem damit einhergehenden PR-Desaster wieder Helden brauchten, widmet sich der Frage, was es mit dem Heldentum auf sich hat, wem es dient, und wie es letztlich zustande kommt.
Eastwoods Meisterwerk „Flags of Our Fathers“, basierend auf dem gleichnamigen Buch von James Bradley – der auch im Film als ein Sohn, der auf den Spuren der Vergangenheit seines Vaters wandelt und der seine Erfahrungen in einem Buch verarbeitet, vorkommt – und Ron Powers, entstand in der Zeit zwischen 2003 und 2009, zu einer Zeit, in der Eastwood als Regisseur einfach nichts falsch machte, und er spielt auf drei Ebenen. Zum einen berichtet der Film von einer der wichtigsten und verlustreichsten militärischen Operationen der USA während des Zweiten Weltkrieges, der Schlacht um die öde Vulkaninsel Iwojima, die im Frühjahr 1945 ausgefochten wurde und dazu beitrug, die endgültige Niederlage des japanischen Kaiserreiches zu besiegeln; zum anderen berichtet der Film von dem Krieg hinter dem Krieg, der Propaganda an der kriegsmüden Heimatfront mit Hilfe eines Schnappschusses des Kriegsphotographen Joe Rosenthal, eines Bildes, das wohl zu einer der wirkungsmächtigsten Ikonen des Krieges wurde. Die letzte Ebene, auf der der Film spielt, sind die 90er Jahre, in denen John Bradley sich von seinem Vater verabschiedet und dabei erkennt, wie der Krieg und der ihm im Zuge der Propagandaschlacht aufgezwungene Status des Helden sein Leben verändert hat. Eastwood verflicht diese drei Ebenen oftmals assoziativ, was dem Film insgesamt eine non-lineare Erzählweise verleiht und den Eindruck hervorruft, als fügten sich hier nach und nach Erinnerungen zu einem weniger und weniger subjektiven Bild. So sehen wir zu Beginn des Filmes eine Kriegsszene, in der der junge John „Doc“ Bradley (Ryan Phillippe) im nächtlichen Gefecht seinen Kameraden Iggy (Jamie Bell) verliert. Zu Docs Rufen nach Iggy erfolgt dann ein Schnitt, und wir sind in der Wohnung eines alten Mannes, der auf der Treppe seines Hauses zusammenbricht und immer wieder „Where is he?“ fragt. Dann stimmt ein Voice-over in der Stimme eines alten Mannes auf das Thema des Filmes ein – mit folgenden Worten: „Every jackass thinks he knows what war is. Especially those who’ve never been in one. We like things nice and simple: Good and evil, heroes and villains, and there’s always plenty of both. Most of the time they are not who we think they are.”
In der Folge entfaltet “Flags of Our Fathers” über mehr als zwei Stunden lang eine komplexe Studie über Krieg und Heldentum, in deren Verlauf deutlich wird, daß Helden nicht im Krieg, sondern in den Köpfen der Daheimgebliebenen geboren werden. Die Konstruiertheit des Mythos der flag raisers offenbart sich allein schon dadurch, daß das berühmte Photo „Raising the Flag“ nicht beim ersten Aufrichten der Flagge nach einem verlustreichen ersten Kampf geschossen wurde, sondern beim Aufstellen der Ersatzflagge. Die erste Flagge zog nämlich die Begehrlichkeit eines Politikers auf sich, der dieses patriotische Stück Stoff unbedingt als ein Souvenir einheimsen wollte, und so wurden nicht die Männer abgelichtet, die als erste auf dem Berg Suribachi standen, sondern Männer aus dem zweiten Platoon, der den Berg bestieg. Welche dieser Männer waren nun die größeren Helden? Und was ist mit all den Männern, die im Verlauf des ersten Angriffs fielen oder verwundet wurden?
Drei junge Soldaten wurden von der amerikanischen PR-Maschinerie als überlebende Helden herausgepickt und auf eine Werbetour durch die Vereinigten Staaten geschickt. Da ist zum einen Doc selbst, zum anderen der Kurier Rene Gagnon (Jesse Bradford) und schließlich Ira Hayes, der weder die erste noch die zweite Flagge aufstellte, der aber von einem unter Druck gesetzten Gagnon als einer der in Frage kommenden Männer genannt wurde. Während Doc starke Schuldgefühle ob der toten Kameraden plagen und auch Ira eigentlich wieder zurück zu seinen Kameraden möchte, weil er findet, die Bezeichnung des Helden nicht verdient zu haben, arrangiert sich Gagnon, der von seinem Vorgesetzten zuvor als charakterlich nicht für die erste Reihe der Kämpfenden geeignet bezeichnet worden war, mit seinem neuen Status und genießt die öffentliche Bewunderung, die ihm nun entgegenbrandet, genauso wie dies seine ehrgeizige Freundin Pauline (Melanie Lynskey) tut. Gagnon hat sich bezeichnenderweise nur deshalb zu den Marines gemeldet, weil er findet, daß deren Uniformen am besten aussehen und daß es keinen Sinn ergebe, ein Held zu sein, wenn man nicht wie einer aussehe. Zu Hause angekommen, werden die drei jungen Männer und Sergeant Beech von dem kaltschnäuzig-zynischen Bud Gerber (John Slattery) in ihre neue Aufgabe eingewiesen, die darin besteht, die kriegsmüde Öffentlichkeit mit neuem Glauben an den Sieg zu erfüllen und sie dazu zu bewegen, neue Kriegsanleihen zu zeichnen, um den drohenden Staatsbankrott abzuwenden. Gerber, dessen allgegenwärtige dicke Zigarre ihn als nüchternen Kapitalisten kennzeichnet, hat kein Interesse an der Wahrheit und tut sein Bestes, um seine Aufgabe, Geld für den Krieg aufzutreiben, zu erfüllen, wobei er die Soldaten gnadenlos ausnutzt, indem er sie beispielsweise in einem Baseballstadion – die Bedeutung dieses Ortes für das amerikanische Selbstverständnis wurde schon einmal von Eastwood und Don Siegel genutzt – die Flagge auf einem Berg aus Pappmaché hissen läßt. Vor allem durch diesen Handlungsstrang gewinnt „Flags of Our Fathers“ eine eindringliche Bitterkeit als Anti-Kriegsfilm, indem er nicht nur die menschenverachtende Realität des Krieges zeigt, wenn viele der in den Film eingeführten Figuren auf der Vulkaninsel von einem beinahe immer unsichtbaren Feind getötet werden, [1] sondern indem er auch den Zynismus darstellt, der notwendig ist, um einen Krieg führen zu können. Selbst die Mütter der gefallenen Soldaten werden von Gerber routiniert belogen und instrumentalisiert – hier nimmt Eastwood übrigens die bittere Kritik auf, die schon 1933 von John Ford in seinem Drama „Pilgrimage“ am Heldenkult geübt wurde.
Eine weitere Dimension bekommt diese Kritik durch die Figur des Ira Hayes, der, wie Roger Ebert schrieb, aufgrund seiner indianischen Wurzeln zwar als Held, nicht aber als Amerikaner willkommen ist. So muß sich Ira immer wieder den damals üblichen Alltagsrassismus gefallen lassen, wenn ihm beispielsweise in einer Bar kein Alkohol ausgeschenkt wird und sich der Barkeeper damit verteidigt, daß er die Regeln nicht gemacht habe, oder wenn ein Politiker ihn mit ein paar Brocken der Pima-Sprache begrüßt, die Ira nicht versteht, und der Politiker ihn verächtlich fragt“What’s the matter, chief? Don’t you understand your own lingo?“ Ira antwortet, ebenso verächtlich, „I guess I’ve been off the reservation for too long.“ Später jedoch, nach dem Krieg, wird Ira vor anderen Ureinwohnern seiner Überzeugung Ausdruck verleihen, daß die Diskriminierung durch die Tatsache, daß indianische Soldaten in diesem Krieg mitkämpften, nachlassen werde. Doch ob dies eben seine wirkliche Überzeugung ist, wird im Dunkeln bleiben. Bezeichnenderweise schenkt der Film Ira eine Einstellung, in der er in Präsident Trumans Büro allein mit einer Büste Lincolns zu sehen ist, die er sinnend und still betrachtet.
Eastwood zeichnet die Geschichte der drei von der Propagandamaschinerie zu Helden erklärten Männer nach dem Krieg weiter und fügt somit der Dekonstruktion des Heldenmythos eine weitere Komponente hinzu, indem er zeigt, wie schnell eine Gesellschaft ihre Helden vergißt. Ira muß sich als Erntehelfer durchschlagen, wobei er ab und zu etwas Kleingeld von Touristen bekommt, die sich mit ihm ablichten lassen, und er stirbt schließlich vergessen als ein gebrochener Alkoholiker. Gagnon muß erkennen, daß er den Moment versäumt hat, Kapital aus seinem Status zu schlagen, und Doc läßt sich von seiner Familie wohlweislich gegenüber allen Reportern verleugnen.
Jedoch beläßt es „Flags of Our Fathers“ nicht bei diesem bitteren Resümee, denn er gibt dem Kämpfen und Sterben der jungen Männer wenigstens einen unmittelbaren Sinn, wenn Docs Sohn am Ende deutlich wird, warum diese Männer sich nicht scheuten, dem Tod ins Auge zu blicken. „No man is left behind“, wurde den Soldaten als Motto ausgegeben, und doch wird dieser Grundschatz schon im ersten Teil des Filmes in einer seiner stärksten Szenen auf eindringliche Art und Weise ad absurdum geführt: Als die Soldaten auf dem Weg nach Iwojima amerikanischen Kampffliegern zujubeln, fällt einer der Männer über Bord, und der ihm von seinen scherzenden Kameraden zugeworfene Rettungsring verfehlt ihn. Schlagartig wird den Männern klar, daß keines der im Konvoi fahrenden Schiffe anhalten wird, um ihren Kameraden aufzunehmen – der einzelne gilt eben trotz des hehren Spruches nichts in der Maschinerie des Krieges –, und die Kamera weilt lange, lange auf dem immer kleiner werdenden Punkt im Wasser, der ringsum von Schiffen mit Hunderten von Menschen umgeben ist. Nun mag zwar die Armeeführung nicht zu dem von ihr ausgegebenen Motto stehen – wie sich auch an der Tatsache ablesen läßt, daß aus Kostengründen Iwojima in geringerem Maße bombardiert wird, als dies vorgesehen war –, doch für die einfachen Soldaten gilt es weiterhin. „Flags of Our Fathers“ verabschiedet sich mit einem Bild von den im Wasser badenden flag raisers, die in der Chronologie des Filmes zumeist alle bereits gefallen waren, und mit einem Male durchbricht der Film die zeitlichen Ebenen, indem eben auch Docs Sohn als erwachsener Mann am Strand steht und zu den Männern ins Wasser geht, wobei die Kamera immer weiter wegzoomt, bis sie die Szene schließlich aus einer sehr erhöhten Obersicht, mit der Flagge als Detail am Rande, zeigt. Dazu dann der Sohn im Voice-over: „Maybe there's no such thing as heroes. Maybe there are just people like my dad. I finally came to understand why they were so uncomfortable being called heroes. Heroes are something we create, something we need. It's a way for us to understand what's almost incomprehensible, how people could sacrifice so much for us, but for my dad and these men, the risks they took, the wounds they suffered, they did that for their buddies. They may have fought for their country but they died for their friends. For the man in front, for the man beside him, and if we wish to truly honor these men we should remember them the way they really were, the way my dad remembered them.”
Auf diese bemerkenswerte Weise gelingt es Eastwood mit “Flags of Our Fathers”, einerseits nichts von der Dekonstruktion des Heldenmythos und der Kritik an seiner die Wahrheit verbiegenden Instrumentalisierung [2] zurückzunehmen und doch andererseits auch den jungen Männern, die ihr Leben im Kampf um die unwirtliche Schwefelinsel verloren, ihre Würde zu belassen, indem die Sinnhaftigkeit ihrer Opferbereitschaft und Tapferkeit zumindest auf der unmittelbaren Erlebnisebene nicht in Frage gestellt wird, waren diese Männer doch alles andere als verblendete und willfährige Idioten. Sieht man sich „Flags of Our Fathers“ und sein Gegenstück „Letters from Iwo Jima“ an und berücksichtigt man den zeitgeschichtlichen Kontext dieser Filme, dann weiß man, daß man in diesen Filmen zwei der Glanzlichter des Eastwood’schen Schaffens vor Augen hat. Allerdings wird man dann auch nicht umhin können, die Tatsache zu beklagen, daß dieser grandiose Regisseur mit der Auftragsarbeit „American Sniper“ (2014) wohl in die Fußstapfen eines Bud Gerber getreten ist. Schade eigentlich, daß Eastwood sich mit seinem jüngeren Film selbst verraten hat.
[1] Hier erweist Eastwood unter anderem auch einem Antikriegsfilmklassier wie Lewis Milestones „All Quiet on the Western Front“ (1930) seine Reverenz, wenn er in einer der wenigen Szenen, in denen wir japanische Soldaten zu Gesicht bekommen – die visuelle Abwesenheit des Gegners erhöht hier in der Regel den Schrecken des Krieges auch beim Zuschauer –, an die Passage aus dem älteren Film erinnert, in der ein französischer Soldat in einem Bombentrichter vor den Augen eines der Protagonisten langsam stirbt.
[2] So läßt „Flags of Our Fathers“ einen der Veteranen im Gespräch mit John Bradley, dem Sohn, ganz offen über die kriegsentscheidende Wirkung von Photographien sprechen, wobei dieser sagt, daß mit dem berühmten von Eddie Adams aufgenommenen Bild aus dem Februar 1968, auf dem der Polizeichef von Saigon auf offener Straße einem Vietkong-Mitglied in den Kopf schießt, der Krieg für die USA unwiderruflich verloren gewesen sei. Allerdings soll auch Adams gegenüber dem Polizeichef ein schlechtes Gewissen gehabt haben, weil er dessen öffentliches Ansehen mit dem Photo zerstört hatte, und später soll Adams den von ihn abgelichteten Offizier als Helden im Dienst einer guten Sache bezeichnet haben.
Diese Worte des Soldaten Ira Hayes (Adam Beach), die er zum PR-Mann Beech (John Benjamin Hickey) spricht, zeigen, daß die Realität des Krieges nur wenig Raum für das kennt, was man aus der Retrospektive oder der Sicht der Daheimgebliebenen gemeinhin „Heldentum“ nennt. „Flags of Our Fathers“, im Jahre 2006 von Clint Eastwood inszeniert, mithin zu einer Zeit, in der die Vereinigten Staaten angesichts eines weltweit umstrittenen Krieges im Irak mit dem damit einhergehenden PR-Desaster wieder Helden brauchten, widmet sich der Frage, was es mit dem Heldentum auf sich hat, wem es dient, und wie es letztlich zustande kommt.
Eastwoods Meisterwerk „Flags of Our Fathers“, basierend auf dem gleichnamigen Buch von James Bradley – der auch im Film als ein Sohn, der auf den Spuren der Vergangenheit seines Vaters wandelt und der seine Erfahrungen in einem Buch verarbeitet, vorkommt – und Ron Powers, entstand in der Zeit zwischen 2003 und 2009, zu einer Zeit, in der Eastwood als Regisseur einfach nichts falsch machte, und er spielt auf drei Ebenen. Zum einen berichtet der Film von einer der wichtigsten und verlustreichsten militärischen Operationen der USA während des Zweiten Weltkrieges, der Schlacht um die öde Vulkaninsel Iwojima, die im Frühjahr 1945 ausgefochten wurde und dazu beitrug, die endgültige Niederlage des japanischen Kaiserreiches zu besiegeln; zum anderen berichtet der Film von dem Krieg hinter dem Krieg, der Propaganda an der kriegsmüden Heimatfront mit Hilfe eines Schnappschusses des Kriegsphotographen Joe Rosenthal, eines Bildes, das wohl zu einer der wirkungsmächtigsten Ikonen des Krieges wurde. Die letzte Ebene, auf der der Film spielt, sind die 90er Jahre, in denen John Bradley sich von seinem Vater verabschiedet und dabei erkennt, wie der Krieg und der ihm im Zuge der Propagandaschlacht aufgezwungene Status des Helden sein Leben verändert hat. Eastwood verflicht diese drei Ebenen oftmals assoziativ, was dem Film insgesamt eine non-lineare Erzählweise verleiht und den Eindruck hervorruft, als fügten sich hier nach und nach Erinnerungen zu einem weniger und weniger subjektiven Bild. So sehen wir zu Beginn des Filmes eine Kriegsszene, in der der junge John „Doc“ Bradley (Ryan Phillippe) im nächtlichen Gefecht seinen Kameraden Iggy (Jamie Bell) verliert. Zu Docs Rufen nach Iggy erfolgt dann ein Schnitt, und wir sind in der Wohnung eines alten Mannes, der auf der Treppe seines Hauses zusammenbricht und immer wieder „Where is he?“ fragt. Dann stimmt ein Voice-over in der Stimme eines alten Mannes auf das Thema des Filmes ein – mit folgenden Worten: „Every jackass thinks he knows what war is. Especially those who’ve never been in one. We like things nice and simple: Good and evil, heroes and villains, and there’s always plenty of both. Most of the time they are not who we think they are.”
In der Folge entfaltet “Flags of Our Fathers” über mehr als zwei Stunden lang eine komplexe Studie über Krieg und Heldentum, in deren Verlauf deutlich wird, daß Helden nicht im Krieg, sondern in den Köpfen der Daheimgebliebenen geboren werden. Die Konstruiertheit des Mythos der flag raisers offenbart sich allein schon dadurch, daß das berühmte Photo „Raising the Flag“ nicht beim ersten Aufrichten der Flagge nach einem verlustreichen ersten Kampf geschossen wurde, sondern beim Aufstellen der Ersatzflagge. Die erste Flagge zog nämlich die Begehrlichkeit eines Politikers auf sich, der dieses patriotische Stück Stoff unbedingt als ein Souvenir einheimsen wollte, und so wurden nicht die Männer abgelichtet, die als erste auf dem Berg Suribachi standen, sondern Männer aus dem zweiten Platoon, der den Berg bestieg. Welche dieser Männer waren nun die größeren Helden? Und was ist mit all den Männern, die im Verlauf des ersten Angriffs fielen oder verwundet wurden?
Drei junge Soldaten wurden von der amerikanischen PR-Maschinerie als überlebende Helden herausgepickt und auf eine Werbetour durch die Vereinigten Staaten geschickt. Da ist zum einen Doc selbst, zum anderen der Kurier Rene Gagnon (Jesse Bradford) und schließlich Ira Hayes, der weder die erste noch die zweite Flagge aufstellte, der aber von einem unter Druck gesetzten Gagnon als einer der in Frage kommenden Männer genannt wurde. Während Doc starke Schuldgefühle ob der toten Kameraden plagen und auch Ira eigentlich wieder zurück zu seinen Kameraden möchte, weil er findet, die Bezeichnung des Helden nicht verdient zu haben, arrangiert sich Gagnon, der von seinem Vorgesetzten zuvor als charakterlich nicht für die erste Reihe der Kämpfenden geeignet bezeichnet worden war, mit seinem neuen Status und genießt die öffentliche Bewunderung, die ihm nun entgegenbrandet, genauso wie dies seine ehrgeizige Freundin Pauline (Melanie Lynskey) tut. Gagnon hat sich bezeichnenderweise nur deshalb zu den Marines gemeldet, weil er findet, daß deren Uniformen am besten aussehen und daß es keinen Sinn ergebe, ein Held zu sein, wenn man nicht wie einer aussehe. Zu Hause angekommen, werden die drei jungen Männer und Sergeant Beech von dem kaltschnäuzig-zynischen Bud Gerber (John Slattery) in ihre neue Aufgabe eingewiesen, die darin besteht, die kriegsmüde Öffentlichkeit mit neuem Glauben an den Sieg zu erfüllen und sie dazu zu bewegen, neue Kriegsanleihen zu zeichnen, um den drohenden Staatsbankrott abzuwenden. Gerber, dessen allgegenwärtige dicke Zigarre ihn als nüchternen Kapitalisten kennzeichnet, hat kein Interesse an der Wahrheit und tut sein Bestes, um seine Aufgabe, Geld für den Krieg aufzutreiben, zu erfüllen, wobei er die Soldaten gnadenlos ausnutzt, indem er sie beispielsweise in einem Baseballstadion – die Bedeutung dieses Ortes für das amerikanische Selbstverständnis wurde schon einmal von Eastwood und Don Siegel genutzt – die Flagge auf einem Berg aus Pappmaché hissen läßt. Vor allem durch diesen Handlungsstrang gewinnt „Flags of Our Fathers“ eine eindringliche Bitterkeit als Anti-Kriegsfilm, indem er nicht nur die menschenverachtende Realität des Krieges zeigt, wenn viele der in den Film eingeführten Figuren auf der Vulkaninsel von einem beinahe immer unsichtbaren Feind getötet werden, [1] sondern indem er auch den Zynismus darstellt, der notwendig ist, um einen Krieg führen zu können. Selbst die Mütter der gefallenen Soldaten werden von Gerber routiniert belogen und instrumentalisiert – hier nimmt Eastwood übrigens die bittere Kritik auf, die schon 1933 von John Ford in seinem Drama „Pilgrimage“ am Heldenkult geübt wurde.
Eine weitere Dimension bekommt diese Kritik durch die Figur des Ira Hayes, der, wie Roger Ebert schrieb, aufgrund seiner indianischen Wurzeln zwar als Held, nicht aber als Amerikaner willkommen ist. So muß sich Ira immer wieder den damals üblichen Alltagsrassismus gefallen lassen, wenn ihm beispielsweise in einer Bar kein Alkohol ausgeschenkt wird und sich der Barkeeper damit verteidigt, daß er die Regeln nicht gemacht habe, oder wenn ein Politiker ihn mit ein paar Brocken der Pima-Sprache begrüßt, die Ira nicht versteht, und der Politiker ihn verächtlich fragt“What’s the matter, chief? Don’t you understand your own lingo?“ Ira antwortet, ebenso verächtlich, „I guess I’ve been off the reservation for too long.“ Später jedoch, nach dem Krieg, wird Ira vor anderen Ureinwohnern seiner Überzeugung Ausdruck verleihen, daß die Diskriminierung durch die Tatsache, daß indianische Soldaten in diesem Krieg mitkämpften, nachlassen werde. Doch ob dies eben seine wirkliche Überzeugung ist, wird im Dunkeln bleiben. Bezeichnenderweise schenkt der Film Ira eine Einstellung, in der er in Präsident Trumans Büro allein mit einer Büste Lincolns zu sehen ist, die er sinnend und still betrachtet.
Eastwood zeichnet die Geschichte der drei von der Propagandamaschinerie zu Helden erklärten Männer nach dem Krieg weiter und fügt somit der Dekonstruktion des Heldenmythos eine weitere Komponente hinzu, indem er zeigt, wie schnell eine Gesellschaft ihre Helden vergißt. Ira muß sich als Erntehelfer durchschlagen, wobei er ab und zu etwas Kleingeld von Touristen bekommt, die sich mit ihm ablichten lassen, und er stirbt schließlich vergessen als ein gebrochener Alkoholiker. Gagnon muß erkennen, daß er den Moment versäumt hat, Kapital aus seinem Status zu schlagen, und Doc läßt sich von seiner Familie wohlweislich gegenüber allen Reportern verleugnen.
Jedoch beläßt es „Flags of Our Fathers“ nicht bei diesem bitteren Resümee, denn er gibt dem Kämpfen und Sterben der jungen Männer wenigstens einen unmittelbaren Sinn, wenn Docs Sohn am Ende deutlich wird, warum diese Männer sich nicht scheuten, dem Tod ins Auge zu blicken. „No man is left behind“, wurde den Soldaten als Motto ausgegeben, und doch wird dieser Grundschatz schon im ersten Teil des Filmes in einer seiner stärksten Szenen auf eindringliche Art und Weise ad absurdum geführt: Als die Soldaten auf dem Weg nach Iwojima amerikanischen Kampffliegern zujubeln, fällt einer der Männer über Bord, und der ihm von seinen scherzenden Kameraden zugeworfene Rettungsring verfehlt ihn. Schlagartig wird den Männern klar, daß keines der im Konvoi fahrenden Schiffe anhalten wird, um ihren Kameraden aufzunehmen – der einzelne gilt eben trotz des hehren Spruches nichts in der Maschinerie des Krieges –, und die Kamera weilt lange, lange auf dem immer kleiner werdenden Punkt im Wasser, der ringsum von Schiffen mit Hunderten von Menschen umgeben ist. Nun mag zwar die Armeeführung nicht zu dem von ihr ausgegebenen Motto stehen – wie sich auch an der Tatsache ablesen läßt, daß aus Kostengründen Iwojima in geringerem Maße bombardiert wird, als dies vorgesehen war –, doch für die einfachen Soldaten gilt es weiterhin. „Flags of Our Fathers“ verabschiedet sich mit einem Bild von den im Wasser badenden flag raisers, die in der Chronologie des Filmes zumeist alle bereits gefallen waren, und mit einem Male durchbricht der Film die zeitlichen Ebenen, indem eben auch Docs Sohn als erwachsener Mann am Strand steht und zu den Männern ins Wasser geht, wobei die Kamera immer weiter wegzoomt, bis sie die Szene schließlich aus einer sehr erhöhten Obersicht, mit der Flagge als Detail am Rande, zeigt. Dazu dann der Sohn im Voice-over: „Maybe there's no such thing as heroes. Maybe there are just people like my dad. I finally came to understand why they were so uncomfortable being called heroes. Heroes are something we create, something we need. It's a way for us to understand what's almost incomprehensible, how people could sacrifice so much for us, but for my dad and these men, the risks they took, the wounds they suffered, they did that for their buddies. They may have fought for their country but they died for their friends. For the man in front, for the man beside him, and if we wish to truly honor these men we should remember them the way they really were, the way my dad remembered them.”
Auf diese bemerkenswerte Weise gelingt es Eastwood mit “Flags of Our Fathers”, einerseits nichts von der Dekonstruktion des Heldenmythos und der Kritik an seiner die Wahrheit verbiegenden Instrumentalisierung [2] zurückzunehmen und doch andererseits auch den jungen Männern, die ihr Leben im Kampf um die unwirtliche Schwefelinsel verloren, ihre Würde zu belassen, indem die Sinnhaftigkeit ihrer Opferbereitschaft und Tapferkeit zumindest auf der unmittelbaren Erlebnisebene nicht in Frage gestellt wird, waren diese Männer doch alles andere als verblendete und willfährige Idioten. Sieht man sich „Flags of Our Fathers“ und sein Gegenstück „Letters from Iwo Jima“ an und berücksichtigt man den zeitgeschichtlichen Kontext dieser Filme, dann weiß man, daß man in diesen Filmen zwei der Glanzlichter des Eastwood’schen Schaffens vor Augen hat. Allerdings wird man dann auch nicht umhin können, die Tatsache zu beklagen, daß dieser grandiose Regisseur mit der Auftragsarbeit „American Sniper“ (2014) wohl in die Fußstapfen eines Bud Gerber getreten ist. Schade eigentlich, daß Eastwood sich mit seinem jüngeren Film selbst verraten hat.
[1] Hier erweist Eastwood unter anderem auch einem Antikriegsfilmklassier wie Lewis Milestones „All Quiet on the Western Front“ (1930) seine Reverenz, wenn er in einer der wenigen Szenen, in denen wir japanische Soldaten zu Gesicht bekommen – die visuelle Abwesenheit des Gegners erhöht hier in der Regel den Schrecken des Krieges auch beim Zuschauer –, an die Passage aus dem älteren Film erinnert, in der ein französischer Soldat in einem Bombentrichter vor den Augen eines der Protagonisten langsam stirbt.
[2] So läßt „Flags of Our Fathers“ einen der Veteranen im Gespräch mit John Bradley, dem Sohn, ganz offen über die kriegsentscheidende Wirkung von Photographien sprechen, wobei dieser sagt, daß mit dem berühmten von Eddie Adams aufgenommenen Bild aus dem Februar 1968, auf dem der Polizeichef von Saigon auf offener Straße einem Vietkong-Mitglied in den Kopf schießt, der Krieg für die USA unwiderruflich verloren gewesen sei. Allerdings soll auch Adams gegenüber dem Polizeichef ein schlechtes Gewissen gehabt haben, weil er dessen öffentliches Ansehen mit dem Photo zerstört hatte, und später soll Adams den von ihn abgelichteten Offizier als Helden im Dienst einer guten Sache bezeichnet haben.
Pseudonym
5つ星のうち5.0
Very Very Very Very Good & Unique
2014年4月22日にインドでレビュー済みAmazonで購入
This Bluray has some decent extras as well as audio & subtitle option.
The movie is fantastic. Very well crafted- screenplay, focus of the story, music, cinematography and impeccable direction. It is fresh, enlightening and thoroughly enjoyble. 'Letter from Iwo Jima' is its brother (another movie on the same event but different point of view) which not be missed either.
The movie is fantastic. Very well crafted- screenplay, focus of the story, music, cinematography and impeccable direction. It is fresh, enlightening and thoroughly enjoyble. 'Letter from Iwo Jima' is its brother (another movie on the same event but different point of view) which not be missed either.
JOY HALDER
5つ星のうち5.0
Obviously I loved it. Classic
2017年4月18日にインドでレビュー済みAmazonで購入
A lovely war movie. Having seen it so many times wanted to own my personal copy. took me back to my college days. Obviously I loved it. Classic.