軽蔑 (ユニバーサル・セレクション2008年第10弾)【初UPJ化】【初回生産限定】 [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, 字幕付き, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | ブリジット・バルドー, フリッツ・ラング, ジャック・パランス, ジャン=リュック・ゴダール, ミシェル・ピッコリ |
言語 | フランス語 |
稼働時間 | 1 時間 39 分 |
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商品の説明
"【ゴダール初の大作!】
原色を駆使した映像美、芸術作品として有名な必見作!バルドーのオール・ヌードが話題となり、国際派スターが豪華共演したゴダールファンの必携作品!
愛憎、殺人、復讐、金…人間の醜い欲望が男をアリ地獄に誘い込む…!
劇作家のポールのもとに、辣腕プロデューサーのプロコシュがシナリオの書き直しを依頼しに来た。フリッツ・ラング(本人)が監督する新作『オデュッセイア』があまりにも難解すぎるからだ。打ち合わせの後、プロコシュの自宅へ招かれたポールと妻カミーユだったが、後からやって来たポールにカミーユの態度は冷たい。彼女が何に対して怒っているのか、二人の仲は自宅へ戻っても変わらない。あんなに愛し合ったのにベッドを共にする事も拒絶するカミーユ。やがて、映画のロケのためにカプリ島に出かけた際、ポールはカミーユとプロコシュがキスしている光景を目にする・・・。
<特典>
●予告編
●ポスター
●フォト・ギャラリー
★★どれが入っているかはお楽しみ!懐かしのユニバーサル映画劇場チラシをランダム封入!★★
2008年4月10日発売の「ユニバーサル・セレクション 1,500円キャンペーン 2008年第4弾」より封入開始!「ユニバーサル・セレクション 1,500円キャンペーン」商品内に、ユニバーサル映画・劇場公開時の完全復刻版チラシ(縮刷版 A6:ハガキサイズ)を各1枚ランダムで封入。
《第10弾はラブ・ストーリー・ムービー特集!》この10タイトルがランダムに封入されます!
◆ラブ・アクチュアリー◆ジョー・ブラックをよろしく◆オールウェイズ◆エンドレス・ラブ◆愛と哀しみの果て◆ある日どこかで◆プライドと偏見◆ブリジットジョーンズの日記◆ブリジット・ジョーンズの日記/きれそうなわたしの12か月◆恋におちたシェイクスピア
※映像特典、商品仕様、ジャケット写真などは予告無く変更となる場合がございますのでご了承下さい。"
登録情報
- アスペクト比 : 2.35:1
- 言語 : フランス語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4571264907962
- 監督 : ジャン=リュック・ゴダール
- メディア形式 : 色, ドルビー, 字幕付き, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 39 分
- 発売日 : 2008/10/9
- 出演 : ミシェル・ピッコリ, ブリジット・バルドー, ジャック・パランス, フリッツ・ラング
- 字幕: : 日本語
- 販売元 : ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
- ASIN : B001CLG1PY
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 257,551位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 4,982位外国のラブロマンス映画
- - 25,821位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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ゴダールの「軽蔑」で最も印象的な点は、やはり先にも述べたフリッツ・ラングによって語られる男と女についての話だ。それが、古代ギリシャの時代、オデュッセイアの話をもとに語られる。ゴダールの作品には、ヘラス、つまり古代ギリシャにあらゆる芸術の起源を求める点がよく共通する。例えば、中国女でも、文化大革命はバベルの塔へと集束され、まとまりを得る。このように、ゴダールの作品は、神話性をもつことで、古代よりも進化をしてきたと思っている現代に対し、古代=人間の本性と形づけながらその評価を問いただしているように思う。近年のゴダールの一つのテーマでもある、パテント。これも進化と思っていることへの問いかけである。現代を形づくるあらゆるものは錯覚ではないのか、ただ時代に流されているだけではないのか、今は原始と何が違うのか。その答えを問いかける曖昧な世界、トートロジーのように反復しつづけ、修飾する反骨の魂を今もゴダールからは感じることができる。
現代の進化とは、ただ修飾をし続けているだけではないのか、ゴダールはその修飾を嫌い、ただ原始のありのままの自然の言葉を捜し出そうとしているように思う。
ラングの役割はもちろん映画監督で、劇中で彼はホメロスの「オデュッセイア」を撮影中である。しかし撮影は順調ではなく、ラングと激しく対立するプロデューサーのジャック・パランスは、売れない劇作家のミシェル・ピコリを呼んで脚本のテコ入れを図る、というのがおおまかな物語。ピコリの奥さんがブリジッド・バルドーで最初は仲の良い二人ではあるが、ピコリがジャック・パランスに会うあたりからなぜかバルドーは彼を嫌うようになり(理由は最後まで明らかにされない)、例によってロッセリーニ風の悲しいラストを迎える。
本作の特典映像のフランスの映画評論家と思しき人の解説が目からウロコ。夫婦が不仲になるという設定と古代ギリシャ時代の彫刻の石膏像が作品に頻繁に出てくるのは、ロッセリーニの「イタリア旅行」の影響であると。ただし「イタリア旅行」の夫婦はラストで劇的に和解するが、本作はそれはナシ。
今回久々に本作を観て感じたことは、バルドーのとんでもない美しさ。裸でベッドに横たわりながらピコリと愛の言葉を延々とやりとりする冒頭のシーンや、アパートの長いシークエンスの終わりかけで、白いふかふかの絨毯に全裸でうつ伏せに横たわる彼女が(頭が画面手前で足は奥にある)ゆっくりと顔を上げてキャメラを見つめるイメージ・ショットでの美しさはもはやこの世のものとは思われないほど。
そして撮影が実施されたイタリアのチネチッタ撮影所とカプリ島での鮮やかな日差し、一部彩色された古代彫刻の石膏像、アパート内のみごとな色彩配置などラウール・クタールの撮影も最高の成果をあげている。ちなみにオープニングで女性が歩道を歩くのに合わせて、クタールが横移動で撮影するシーンは溝口健二に対するオマージュである。
さらにラングの「名演」も特筆すべきであろう。中でもスタジオで試写が行われたあと戸外でラングとピコリ、バルドー夫婦が初対面のあいさつを交わす場面が良い。
ピコリ「ディートリッヒの西部劇(「無頼の谷」)の監督だよ」
バルドー「すばらしかったわ」
ラング 「私は『M』のほうが好きだ」
バルドー「TVで観ました。気に入ってます」
といった微笑ましいやりとりだし、よく見るとスタジオの壁にはハワード・ホークスの「ハタリ!」やゴダールの「女と男のいる舗道」等の大きなポスターが貼ってあるいつものオチャメな遊び心。そして非情かつ傲慢な米国人プロデューサーを演じるジャック・パランスも好演だし、ジョルジュ・ドルリューの悲愴なテーマ曲を執拗に繰り出す音楽の使い方も抜群。
結論としては、東洋的な無常感さえも漂う不条理な愛の形は50年後の現在も全く色褪せることなく、若き日のゴダールとクタールの才気、そしてバルドーの美しさに酔いしれるしかない真の名作でありますね。必見。
追記:
本作は2012年ジェネオン・ユニヴァーサル・エンターテインメントからBDとしてリリースされている。オリジナル・リリースはSTUDIO CANAL。
このSTUDIO CANAL版BDの最大のメリットは、例によってSTUDIO CANAL特有の特典映像の豊富さ。これが本当に凄い。まさしくぶっちぎりの物量投入である。画質もそれまでのDVDよりも格段に良くなっているので、2012年STUDIO CANAL版BDをもって、個人的には本作の決定版と太鼓判。
その特典映像を紹介すると、
1. 『軽蔑』の序論(6分)
2. 昔々...『軽蔑』(52分)
3. 『軽蔑』...優しく(32分)
4. 恐竜と子供(61分)
5. フリッツ・ラングに出会う(14分)
6. オリジナル予告編(3分)
となる。1は映画評論家コリン・マッケイブによる本作についての序論。すなわち、ゴダール作品にあっては、
(1)最も有名
(2)最も予算のかかった
(3)予算の大半はバルド-の出演料に充てらてた
(4)ゴダールの前衛的な演出は米国人プロデューサーに封じられた
と、ファンであれば誰もが知っている内容。
2はおそらく90年代のフランスの制作で、当時の「軽蔑」制作時に作られたドキュメンタリー映像を交えながらゴダール本人が出演して当時を回想するというゴージャスな内容で、1の詳細な検討の意味合いがある。カプリ島での撮影ではパパラッチが出現してバルドーと揉めたりする。ちなみにバルドーは、パパラッチに追い回された最初期のスターであったらしい。
3は仏映画評論家のアラン・ベルガラの解説で、やはりロッセリーニ「イタリア旅行」の影響が繰り返し語られる。
4はなんと、ゴダールとフリッツ・ラングの対話を撮影した映像である。撮影は1967年。内容は一般的な映画論、ラングとヌーベル・バーグとの撮影方法の違いなど。後半ではラングが「軽蔑」でのゴダールの演出方法に異論を唱えると、ゴダールがムキになって反論したりするところがあって、実に興味深い。特にラスト近くの「交通事故」のシーンでの演出に関する見解の相違は興味津々である。
5は当時の西独制作による、フリッツ・ラングに関するドキュメンタリー。カプリ島にスタッフがやってきて、撮影合間にラングにドイツ語でインタビューするというもの。ドイツを捨てた大映画監督がゴダール映画に出演してるぞ、というのが興味深かったのでしょうね。
私のゴダール映画に対する関心は、1965年までの所謂「アンナ・カリーナ時代」に限られており、それ以降の政治映画や80年代以降の作品はほとんど観ていない。であるから、お前なんか間違ってもゴダール作品を語る資格などないぞと、本物のファンの方からお叱りを受けるかもしれない。しかしながら「アンナ・カリーナ時代」に限定させていただけるならば、今まではその壮大なスケールから「気狂いピエロ」が代表作だろうな、と思い込んでいたが、最近では観かたが変わってきたのか、この「軽蔑」がNO.1であると思うようになってきている。
60年前は斬新な映像だと思うが、今の時代ではどうか?
フランス映画、ヌーベルバーグが好きな方は気に入るだろうが私は、イマイチだった。
ブリッジッドバルドーとはどんな女優か見たくてこのDVDを購入しただけである。
彼女は確かに魅力的だった。
他の国からのトップレビュー
Hier der Inhalt des Filmes. Paul Javal (Michel Piccoli) ist ein Drehbuchautor. Am liebsten würde er für das Theater schreiben, sein Geld verdiente er früher mit Kriminalromanen. Er lebt mit seiner jungen wunderschöner Frau Camille (Brigitte Bardot) ein eher bescheidenes Leben. Eines Tages bekommt er einen Vorschlag. Für Cinecitta (die echten Filmstudio's in Rom) soll er ein Skript verbessern. Es geht um Odysseus Verfilmung, die aber stockt. Der Regisseur ist Fritz Lang (ja, er spielt sich selbst).
Die Produktion ist international, besonders die Amerikaner sind nicht zufrieden mit der Story. Für sie sollte der Film aktionreicher sein. So engagiert Jeremy Prokosch, der Prodzent (Jack Palance) Paul, der wegen des Geldes zusagt.
Zufällig sieht Prokosch Paul's Frau und ist sofort angetan von ihr. Er bietet ihnen einen Platz im Wagen (Cabrio) um sie zum Drink einzuladen. Den Platz bekommt Camille, Paul hingegen wartet ziemlich lange auf ein Taxi. Als er auf das Anwesen des Produzenten ankommt, ist Camille sehr verhalten, sogar böse, verärgert, spricht nicht mit ihrem Mann.
Als die beiden in ihre Wohnung kommen (die sie abbezahlen müssen), bricht sofort ein Streit. Zwischen den Eheleuten kommt es zu Schlägen, laute Worte fallen. Camille will Paul nicht sagen, warum sie ihm so böse ist. Man merkt, dass Paul zwar ahnt, aber der Zuschauer hat den Eindruck, sie streiten nicht zum ersten Mal. Und nach einem Streit folgt eine kurze Pause mit etwas Liebe, dann wieder Streit, die Wohnung kann man dabei als einen Zuschauer des Spiels zwischen Eheleuten betrachten. Paul ist eifesüchtig auf Prokosch, seine Frau wirft ihm Gefühlskälte und Agression vor.
Trotzdem fahren die beiden nach Capri, wo Prokosch eine Villa besitzt und die Dreharbeiten für den Film weitegehen. Noch kann sich Paul nicht entscheiden, ob er den Skript schreibt.
Er ist unsicher, fragt seine Frau nach ihrer Meinung. Die antwortet fast lakonisch, dass er seine Fehler schon gemacht hat. Sie liebt ihn nicht mehr, möchte mit ihm auch nicht mehr leben.
Paul nimmt schon aus der Wohnung den Revolver mit, aber Camille findet ihn und nimmt die Kugel raus.
Dann fährt sie mit Prokosch nach Rom. Sie will als Stenotypistin arbeiten und sich scheiden lassen.
Ob sie das schafft?
Der Film ist eigentlich ein Film in Film. Fritz Lang fungiert als Regisseur natürlich souverän. Ob er als WIRKLICHER Regisseur in seinen Filmen auf die Produzenten so reagiert, bleibt offen. Er ist phenomenal, er spricht drei/vier Sprachen ohne Probleme, wechselt locker zwischen Dialogen. Die Übersetzerin Francesca hat keine Arbeit mit ihm. Für die anderen muß sie übersetzen und das macht sie perfekt. Sie übersetzt ganze Passagen von der Lyrik oder Prosa, schwierige Sätze ohne einen Fehler zu machen. Prokosch als Produzent ist ein "Prototyp" eines Amerikaners mit viel Geld und etwas weniger Geschmack.
Jean und Camille sind am Beginn ein glückliches Paar, so scheint es. Aber im Streit sagt Jean zu Camille - hätte ich doch nicht eine 28 Jahre alte Sekretärin geheiratet... Er sieht sie als ein schönes Gegenstand. Und umgekehrt, sie ist enttäuscht, weil Paul zu nichts gebracht hat. Eine Beziehung, die eigentlich zum scheitern vorbestimmt ist!
Jean-Luc Godard arbeitet hier zum ersten Mal mit Brigitte Bardot, und das im Jahre 1963. Sie war damals DAS Weib schlechthin. Und im Film musste man einige Szenen zusätzlich drehen (Godard war dagegen, aber auch hier hatten die Produzenten Mitspracherecht). So sieht am am Beginn die nackte B. Bardot, die ihren Mann ganz langsam fragt, ob er ihre Zehen, Schenkel, Beine.... usw liebt. Die Kamera zeit sie nur von hinten, natürlich ist das Erotik pur. Es sind noch einige Szenen, in denen die Zuschauer "Ihre BB" so sehen.
Nicht notwendig, aber der Film war für damalige Zeit sehr teuer. Und so mußte sich Godard fügen. Die Story ist trotzdem gut, Bardot zeigt ihr Können auch so.
Michel Piccoli spielt super, er ist ein ambivalenter Mann, weiß, dass er seine Frau verlieren wird, tut zuwenig dagegen. Als er begreift und ihr das auch sagt, ist es schon...
Fritz Lang wir ihm Film nach seinen realen Filmen gefragt. Er meint "M" wäre sein Film (ich glaube, der beste...). Wunderbar wie er ganz ruhig dreht, die Kamera ist seine Welt, dabei in einer kleiner Rolle Godard.
Ein Meister zollt den Respekt einen anderen, ganz GROßEN!
Ein sehr guter Film. Durchdach bis ins Detail...Man wird ihn lange nicht vergessen.
Die Villa auf Capri ist Casa Malaparte, die man nicht besichtigen kann. Ein wunderschönes Haus, man kann es nur auf dem Meeresweg betreten. Nichts für uns. Von dort sieht Film-Odysseues Ithaka...
Und zum Nachdenken bleiben die Fragen: warum brauchte Odysseus 10 Jahre zu Penelope? Warum ging er so schnell fort?
Was ist wahre Liebe, Treue...
Mit auf der DVD: zwei wunderbare Dokumentationen (falls man das so nennen kann) über den Filmemacher und seinen Film. Sollte man sich unbedingt ansehen, um den Film besser verstehen zu können!
Eventuell langweilt er jedoch Menschen, die keinen Einblick in die Nouvelle Vague haben. Jean-Luc Godard versucht mit dem Film Le Mépris von 1963 das kommerzielle Hollywood Kino zu kritisieren, indem er einen kunstvollen Film (Verwendung von Farbe, Musik, Zitaten) macht, in welchem das Filmemachen selbst ebenso thematisiert wird wie eine zugrunde gehende Ehe.
Wer hier beispielsweise Brigitte Bardot nur als einen nackten Körper, liegend auf einem weißen Fell sieht, der irrt. Godard musste Szenen dieser Art nachträglich einfügen, um seinen Produzenten gerecht zu werden (ein Film mit Bardot ohne Nacktszenen? Unmöglich!). Er führt sie (die Produzenten) vor, indem er ihren nackten Körper (völlig sinnfrei und ohne Kontext) in den Film einbindet.
Es ist ein Film der auf vielen Ebenen kritisiert, und sollte auch auf diese Art betrachtet werden.
Kommerkritisches Kunstkino, das nur zu empfehlen ist!