バッハ:ゴールドベルク変奏曲(55年モノラル盤)
仕様 | 価格 | 新品 | 中古品 |
CD, 2020/11/25
"もう一度試してください。" | 1枚組 | ¥1,518 | ¥1,725 |
CD, 2022/12/15
"もう一度試してください。" | 通常盤 | ¥2,617 | ¥4,173 |
CD, CD, インポート, 2007/9/3
"もう一度試してください。" | 通常盤 |
—
| ¥2,478 | ¥125 |
CD, インポート, 1990/10/25
"もう一度試してください。" | インポート |
—
| ¥3,562 | ¥239 |
CD, CD, 2016/12/7
"もう一度試してください。" | 通常盤 |
—
| ¥5,308 | ¥451 |
CD, 2012/12/5
"もう一度試してください。" | 1枚組 |
—
| ¥10,587 | ¥1,580 |
CD, 2004/11/17
"もう一度試してください。" | 1枚組 |
—
| — | ¥2 |
CD, 2008/11/19
"もう一度試してください。" | 1枚組 |
—
| — | ¥176 |
CD, 2000/11/1
"もう一度試してください。" | 1枚組 |
—
| — | ¥55 |
CD, 限定版, 1997/10/1
"もう一度試してください。" | 限定版 |
—
| — | ¥449 |
CD, CD, オリジナルレコーディングのリマスター, 2003/9/30
"もう一度試してください。" | CD, オリジナルレコーディングのリマスター | — | ¥556 |
CD, 限定版, 2007/3/7
"もう一度試してください。" | 限定版 |
—
| — | ¥699 |
CD, インポート, 2011/1/7
"もう一度試してください。" | インポート |
—
| — | ¥2,900 |
CD, CD, インポート, 2013/5/3
"もう一度試してください。" | CD, インポート |
—
| — | ¥14,579 |
CD, 限定版, 2006/11/22
"もう一度試してください。" | 限定版 |
—
| — | ¥31,030 |
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曲目リスト
1 | J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲 BWV988 / グレン・グールド【ピアノ】 |
商品の説明
ベスト・クラシック100 No.15
1. J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲 BWV988 / グレン・グールド【ピアノ】
録音:1955年6月 ニューヨーク(モノラル録音) その後数々の伝説をつくりあげることになるピアニスト、グレン・グールドの記念すべきデビュー・アルバムは、モノラル録音によるバッハの「ゴールドベルク」です。このアルバムにおける演奏は、当時の、そしてもちろん現代の聴き手の心を確実に捉えて離さないものです。グールドといえば「バッハ」であり、そして「ゴールドベルク」ですが、彼のすべての表現の第一歩となったこの録音を聴かずしてグールドは語れません。「ゴールドベルク」に始まり、「ゴールドベルク」に終わった彼のディスコグラフィのなかでも、もっとも重要な1枚です。
【DSD マスタリンク゛/ ルヒ゛シ゛ウム・クロック・カッティンク゛】
※DSD(Direct Stream Digital)とは
:アナログ信号をデルタシグマ変調器で高速1ビットのデジタル信号に変換し、直接記録するレコーディング、マスタリング方式。
従来のCDに用いられているPCM方式に比べ、シンプルで自然な音楽信号が再現できるため、アナログ信号に近い、音楽の空気感までも再現できる。
「ベスト・クラシック100」では、前回(2000年)のシリーズリリース時に、音質向上のために全タイトルこの「DSDマスタリング」を採用しました。
今回もよりハイクオリティな音質を求めて全タイトル「DSD」と「ルビジウム・クロック・カッティング」を採用しました。
※ルビジウム・クロック・カッティング:とは
デジタル機器の基準となる信号をマスタークロックといいます。デジタルオーディオはハイビット、ハイサンプリングへと進化し、
ますます高性能化、デジタルデータも増加の一途をたどっています。そのデータを読み書きする時間精度はすべてこのマスタークロックの発振に依存しています。
マスタークロックは通常、時計などにも使用される水晶発振が使われていますが、その精度は10の-4から10の-6乗程度です。
近年のデジタルデータの大容量化にともない、より高い精度のマスタークロックが求められるようになり、プロの間では水晶発振にかわり、ルビジウムやセシウムを
クロック源に使うようになりました。ルビジウムの精度は10の-9乗と、水晶に比べて非常に高くなっています。このルビジウムのマスタークロックを使って、
高精度のカッティングを行うことで、マスターに忠実な音質が再現されております。
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 製品サイズ : 14.22 x 1.02 x 12.45 cm; 113.4 g
- メーカー : SMJ(SME)(M)
- EAN : 4547366040081
- 時間 : 38 分
- レーベル : SMJ(SME)(M)
- ASIN : B001FOSK1Q
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 211,253位ミュージック (ミュージックの売れ筋ランキングを見る)
- - 7,436位室内楽・器楽曲
- カスタマーレビュー:
重要なお知らせ
原材料・成分
Example Ingredients
使用方法
Example Directions
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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しかし、音は悪い。
モノラルのため、左右の広がりはなく、再生される「高音域から低音域の幅(ダイナミックレンジ)」が狭い。なので、聴いていて、極めて、のっぺりした平面的な印象を受ける。
録音された当初の音は、現在よりも、若干、良かったのではないかと思われるが、なにしろ、磁気テープは経年劣化が進み、時間が経つにつれて、記録された情報がどんどん失われていく……。
それを防ぐために、新しい磁気テープにコピーしたとしても、さらに音が悪くなる。昔、カセットテープからカセットテープへのダビングをして、音が悪くなった経験を持つ人には納得の話だろう。
磁気テープの情報をデジタル情報に変換すれば大丈夫なのだが、世界初のデジタル録音は1972年。それまで、音楽業界は、保存環境を良くして、磁気テープの劣化を最小限に食い止めるしか手がなかった。
そんな音の悪い1955年録音の「Goldberg Variations」だが、現在でも、なお、聴き手を惹きつけてやまない猛烈な魅力に溢れている。
それは、このアルバム一枚で、世界を仰天・震撼させたグールドの才気が、音楽から、ほとばしっているからだ。
それを最良、最高の形で聴けるCD盤は、どれになるのだろう?
1955年録音の「Goldberg Variations」は、ざっと見ただけでも、SACDを除外すると、私の手元には、以下の5種類がある。
(1)2020年盤(極HiFiCD)
(2)2007年盤(擬似ステレオ)
(3)2002年盤 (MASTER SOUND)【A State of Wonder】
(4)1992年盤(Super 20bit Mastering)
(5)1988年盤
どの盤がベストなのだろう?
その答えは(4)1992年盤(Super 20bit Mastering)だ。
「擬似ステレオ」という言葉に惹かれる人もいるかもしれないが、なんのことはない。モノラルの原音を右チャンネルに、その残響を左チャンネルに上手に振って、ステレオのような広がりを持たせているに過ぎない。ついでにイコライジングをし、高音域を強調しているので、一瞬、音が良くなったかのような錯覚をするが、肝心の音楽に乗るグールドの覇気が失われてしまった。
2020年盤も2002年盤も、なんとか音を良くしようと頑張っているが、もがけば、もがくほどに、音に作為を施すと、グールドの魂が遠のいてしまう。無理に、音を良くしようと、電気的な処理を加えれば加えるほど、アコースティックな魅力は減じてしまうということだ。
しかし、1992年盤(Super 20bit Mastering)は違う。すべての盤の中で、音がナチュラルで、音に芯があり、それゆえ、グールドの「音に乗った魂」が生きている。でも、音は悪い。しかし、その音の悪さを忘れるほど、この盤の音の演奏は魅力的だ。
1992年盤(Super 20bit Mastering)は旧盤だからと、軽くみている人が多いが、ぜひ、耳にしてもらいたい。
以上、原音が良くわかると定評のソニーのモニターヘッドホンのMDR-CD900STで聴いて比較してみました。参考になれば幸いです。
ここから彼の奇跡は始まったし、大バッハの鍵盤作品の地平を大きく切り開いた金字塔的名盤である。「あ
れは、もうこれ以上のことが考えられない名盤であり、ああいう演奏があったということが奇跡だ」と、か
の吉田秀和氏は評している。
SACDと比べても甲乙つけがたいと思う。(いやむしろこのCDの方が心に響く)
グールドの演奏も、迷いを感じるが(後の発表盤を聞いているから)素晴らしい名演奏だと思う。
キースジャレットはきっとこの盤の演奏に心打たれて、
日本でのチェンバロでの演奏をしたのではないか。
グールド信者ならず、すべての音楽好きに聴いてほしい一枚であると思う。
2度目のものとどちらが優れているかは、一言では言い得ないが、
できれば双方の演奏を聴くことをお勧めする。
この最初の録音はモノラル盤(1955年録音)であり、発売当初は世界を驚かせたものだ。
まだ世の人々にあまり知られていないこの曲を世界中に知らしめた名演である。
ゴールドベルク変奏曲には、グールドの魔法が掛けられている。
リスナーも必ずグールドの演奏について語り始める。
確かにグールドは、退屈といわれていたこの曲を、
ピアノ曲の豊かな可能性の中に導き出し、その音楽的価値を証明してみせた。
彼の天才は、誰も解釈しなかった鍵盤楽器の可能性を、
独自の観点によって創造したことにある。
しかも、その独自性は誰の助けも借りない究極のオリジナリティから
生み出されたのである。天才とは、それまで凡庸と思われていたものに、
息を吹き込み生命を与えることができる人のことである。
グールドの最初の録音から現在まで、依然としてなお、
この曲についてのグールド伝説は続いている。裏を返せば、だれも
この曲のピアノ演奏においては、グールドを乗り越えられなかったということでもある。
バッハ演奏の対位法的側面を誰よりも意識していたグールドの解釈には、やはり、
聴く者へと強烈に迫ってくる彼固有の説得力があるのは間違いない。
結局は、他の多くのピアニストたちの試みは、グールドほどの説得力を持ち得なかった
ということになってしまいそうである。
まず申し上げなければならないのは、グールドのピアノ音楽は、
作曲家のピアノ作品を徹底的に構造的に解釈し、和声の分析を行い、
その和音上の関係性の中で演奏しているということである。
このような解釈を行うことで、演奏上あまり影響を受けないのがバロック音楽である。
特に何よりも和声を重視し、その意味で誰よりも素晴らしい作品を生み出したバッハにおいて、
グールドの演奏が最高のパフォーマンスを提供するのは当然のことかもしれない。
グールドは数多いチェンバロ作品を、ピアノのために解釈し演奏したのであるが、
その中心にあるのは、ピアノでありながら強弱の変化がつけられないチェンバロのような、
ディナーミク的変化がない演奏方式である。
音色も単一なものとなり、ノンレガート奏法が多用されることになる。
みなさんご承知の通り、グールドがバッハ演奏をする限り、
全てがそのようなものになっている。
ときおり彼のピアノの音は「真珠(またはダイヤモンド)のような」と形容されているが、
果たしてそうだろうか、私は大いに疑問である。
彼は単一なノンレガート奏法を駆使しているだけである。
粒ぞろいの音であるだけで、ピアノ音そのものだけでいうならば、さほど美しくはない。
ゴールドベルク変奏曲に始まったグールドのバッハのピアノ音楽は、
一貫して、そのような対位法的ポリフォニー主体の音楽として存在しているのである。
その意味から、彼が演奏を嫌った作曲家が
ショパンとドビュッシーであるのは当然なことである。
ロマン派音楽は和声音楽を重視しながら、音の響きを大切にするものであるが、
中でもショパンやドビュッシーの音楽は、和声のみを主体とするだけではなく、
その和声さえ作曲者的ロマンチシズムの中で表現されるべきものとして重視される。
当然ピアノペダルの使用が大前提にもなってくる。
ノンレガートでは済まされない決定的な高いハードルがあるのだ。
加えて、楽譜には作曲者自身の細かな記述もあるのだから、
グールドは作曲者とは別の彼自身の音楽を主張したピアニストであるために、
彼の演奏は作曲者自身のものから自ずと乖離してゆくこととなる。
ピアニストは作曲者に対する大きな尊敬の心がなければ、演奏は困難というものだ。
かつて、アンドラーシュ・シフはグールドのモーツァルトの演奏を聴いて、
「グールドにはモーツァルトをリスペクトする心が失われている」と述べた。
だから、彼がロマン派音楽よりもシェーンベルクのような現代音楽作品に向いているのも
容易に理解できるというものだ。つまり基本的に彼は、頭で構造的な演奏をしているのだ。
彼の音楽には常に自分というものがあり、自分の解釈においてクラシック作品を分析し、
演奏しているようだ。言葉は悪いが、作曲家の作品を利用して
グールド自身の音楽を作ろうとしたと言えなくもない。
彼はスタジオで、つぎはぎだらけの録音テープを用いて、自分の好みの録音演奏を創作した。
もちろんグールドは優れたピアニストであるが、そのようなピアニストでもあることを
改めて聴き手は意識し、過大評価すべきではないことも理解すべきである。
彼の演奏には常に我の強い自分が存在している。
つまり彼は、クラシックのピアノ演奏者というよりも、
グレン・グールドという人物が前面に出たピアノ表現者なのである。
みなさんご周知のピアニストの中にイーヴォ・ポゴレリチという人物がいるが、
彼はショパンコンクールで一部の審査員の反感を買って、予選通過ができなかった。
いわく、「彼の演奏はショパンではない」というのだ。
そこに一人の審査員であったアルヘリッチがおり、「彼は天才よ」と言い捨てて、
審査員席を後にした。私はポゴレリチこそ、現代のピアニストの中でも最高の演奏家であると
評価するものであるが、彼の演奏は一聴しただけでは理解不能なほど、変則的に聞こえる。
彼の演奏は一般的にはなかなか評価されない要素があるが、
しかしそこには、ロシアのピアニズムを継承したしっかりと脈打つ
音楽的に高度な表現が存在する。
彼は何の誤魔化しもない正当なピアニズムの体現者である。
一方、もしグールドがショパンコンクールに出場したらどうだろう。
もちろん予選は通過しないだろうが、それは彼固有の演奏の変則性には、
ポゴレリチとは本質的に異なる、芸術的なピアニズムの表現とは言い難い
大きな欠陥があるからである。
しかしながら私が理解できないのは、当初ポゴレリチを批判する声が多い反面、
グールドの演奏をほめそやす人々が最初から多かったということである。
世の中の見解というものはこのように信頼できない。
その理由には、グールドは米国圏発信のレーベルでレコードを出し、
バーンスタインやストコフスキー等と共演をさせて、カリスマ作りに成功したことがある。
つまりポップス界のような演出力を駆使し売り出したのである。
当時全米で広がっていったテレビでの露出を増やし、
演奏とは関係のないグールドの追っかけ番組なども流行った。
そうして処女録音Goldbergの人気を維持させるのに成功した。
グールドファンの中に、クラシック音楽をあまり聴かないファンが多いのも頷ける。
日本人などはアメリカの動きに無分別に賛同するだけである。
つまりは芸術的な意味でのバッハ演奏を真摯に聴いていないのである。
一方で、ポゴレリチの当初のセンセーショナルな(悪評を含む)評判は、
彼の演奏に真剣に触れた人々ならば、確実に彼の演奏を認めざるを得なくなり、
あのショパンコンクールから現在までの彼の演奏の評価は大きく変わってきた。
今では現代における大ピアニストの一人になっている。
彼のバッハ「イギリス組曲」、ラヴェル「夜のガスパール」、一連のスカルラッティ作品集、
ショパン「スケルツォ集」や「前奏曲集」、ブラームス小品集、
ベートーヴェン最晩年のソナタなど、いずれも名演であり、
斬新さがありながら、深みのある表現力が示されており、
そこにはポゴレリチの天才性が感じられる。
ただこの私は、凡庸なクラシック的演奏を行うピアニストよりも、
グールドのバッハ演奏を好んでしまうということも正直に告白したい。
つまりはグールドのバッハは、彼固有の音楽として成立しており、
他のピアニストと比較できない音楽なのだ。
しかしながら、グールドをほめそやす風潮には注意が必要だということも言い添えておきたい。
もし私がバッハの鍵盤演奏を誰かにすすめるときには、グールドは外したい。
同じバッハ演奏でも、リヒテルの平均率クラヴィーア全集で示されたような、
グールドのバッハより遥かに壮大で深淵な音楽世界があるということを知っていただきたい。
またGoldbergに限れば、マリア・ティーポやマレイ・ペライア、そして
ニコラ・アンゲリシュのCD演奏は、もはやグールドを凌駕している。
彼らの演奏にはバッハが先に存在してから再現者としての自分がいる。
これがバッハを演奏するピアニストの正常な姿というものではないだろうか。
運転にも良い
ただ、ぐれんぐーるど氏の特徴である
つぶやきは聞こえなくて
残念です。
他の国からのトップレビュー
Lo consiglio a tutti i veri appassionati di musica classica, il calore dell’LP lo trovo davvero magico.
Max