私は、待っていた。この曲との再会を・・・・・。想えば、遡ること33年前。テレビで観た「新宿音楽祭(今は無き新人歌手の登竜門。「新宿」音楽祭なのに、会場は武道館だった。蛇足だが、この歌謡祭のグランプリ受賞者のご褒美が、翌年「サンレモ音楽祭」なるものの出場権だった。)」。細川たかしや岩崎宏美らに混じって、ターバンを巻いた青年がおもむろに画面に現れた。そして、イントロで両手を合わせたと思うや否や、流暢な日本語で演歌を朗々と歌い上げるではないか!歌も本格的なら、歌詞も曲も立派なド演歌。これが、私の「チャダ第1次接近遭遇」だった。「面影の女」というキャッチーなタイトルとメロディーがわすれられなかった。しかし、当時私は、小学生。シングル盤を買うだけの小遣いの余裕が無かった。数年後、この曲の歌手がビザの都合でインドへ帰国したことを知った私はすでに廃盤となったこの曲を探し回ることとなる。ナイアガラーの巡礼地「フォーエバーレコード」の「大瀧詠一氏推薦コーナー」にも
足を運んだ、「幻の名盤解放同盟」や「タモリ倶楽部」の「廃盤アワー」に取り上げられはしないかとひそかに期待したりもした。しかし、「チャダ第2次接近遭遇」は果たせないまま、気がつけば30有余年がたった。(余談だが、この曲を探しに入った中古レコード屋で、かの「タモリ3〜戦後日本歌謡史〜を入手した。以上プチ自慢。)この1年余り、私は、アマゾンを中心に日本のノベルティ・ソングを次々とゲットしてきた。「電線音頭」「金太の大冒険」、さいたまんぞうの「埼玉の女」・・・・・etc.だが、チャダの「面影の女」だけは、マーケットプレイスでも網にかからず。チャンスは思わぬところからやって来た。ジェロ「海雪」のヒットに便乗したTBS「サンデー・ジャポン」の企画「チャダ緊急来日!」。かっての好青年の面影が一変、恰幅の良いオッサンになってはいたものの往年のチャダ節は健在。そして、遂に再デビュー・・・・・。「面影の女」のオリジナル盤発売の昭和50年に産声を上げた妹も、今では3歳の娘を持つ母、「良くぞ待った、偉いぞオレ!」と叫びたくなる心境である。・・・・・・・・、前振りがあまりにも長くなった処でこの曲の良さについて。作詞は、文壇のお歴々が夜な夜な集ったという伝説の銀座「姫」のママにして自身直木賞作家の山口洋子、作曲はあの森進一「おふくろさん」などを手掛けた猪俣公章。昭和50年当時の演歌界のヒットメーカーの強力タッグ、どおりで名作のはずだわ。短い起承転結のメロディーに泣けそな言葉のエッセンスがギュッと詰まっている。まさに、「3分間のメロドラマ」。正直、ジェロの「海雪」が名刺代わりの一発狙いなら、こっちは、いたって王道を行く正攻法。日本人が普通にカラオケで歌っても十分に実力が試される佳作と言えよう。こうしてキーボードを叩きながらも、我がPCは33年の想いを込めて「面影の女」をへヴィーローテーション中である・・・・・。