一人ロックンロール研究所で次々に違う楽器を手にする、癌を患う清志郎の姿が目に浮かぶ。
あの14歳の頃から、どんなに清志郎の詩に、声に、想いに夢中になり、励まされたことか。
彼は歌が、生き様だった。
その全部がピュアだった。
でも、最後は、その唇から「今こそ行くべき場所が分かったんだ」と「音楽に導かれて」行くんだと歌った。
RC後半、多くの迷いを抱え、その後の多彩な活動の中でもいろいろ試した彼だった。
その彼をしてこの言葉。
「愛と平和」と叫ぶ彼は宗教的でさえあった。
でも、彼は神に向かって「そこからここに降りて来い」とその責任を問う。
彼は神なんか怖くなかったんだろう。
けど、“神様”にきっと祈ったろう。
「声だけは取り上げないでくれ」
「石井さんと、たっぺーくんと、ももちゃんと、そしてどうか、歌だけは自分から取り上げないでくれ」
そう思うと、胸が痛い。
神様は願いを適えた。
彼は倒れる寸前まで歌い、私たちはこのoh!RADIOを手にしている。
良い声だ。
癌を患った喉とは思えない。
聴いてみて下さい。
彼が、癌に蝕まれた体で、楽器に手を伸ばす。次々持ち替える。
そうできる喜びに満ちて楽しみながら。
そしてたぶん明確な意志を込めて私たちに言葉を届けようとしている。
その姿が目に浮かぶ。
永遠の夜が彼の上に落ちてくる前に、私たちに見せるために、もう一度高くジャンプしたあの武道館。
自らの歌を私たちへの約束にしてあの武道館に戻った時のように、この歌は、このCDは私たちのために残した本当の意味での遺言だと思う。
良いことばかりはありゃしない。夢かも知れない。でも、彼は歌ったんだ。
みんなに届くように。
嗚呼、ラジオ。
清志郎はお前の力を知っている。
いつかお前が清志郎に“ドッグオブザベイ”を届けたように、ラジオ、誰も知らないメロディーを、愛を、平和を、遠い遠いあの国のやせっぽちの少年に届けて。
あの鉄砲を担いでいる少年にも。
そして、何度でも何度でも私に聞かせて。
清志郎の声を。
清志郎が死んだなんて、嘘だと。
嗚呼!ラジオ。 oh!RADIO