砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード 特別版 [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | ステラ・スティーブンス, デヴィッド・ワーナー, ジョン・クロフォード, サム・ペキンパー, エドマン・ペニー, ジェイソン・ロバーズ |
言語 | 英語, 日本語 |
稼働時間 | 2 時間 1 分 |
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登録情報
- アスペクト比 : 2.35:1
- 言語 : 英語, 日本語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4988135606860
- 監督 : サム・ペキンパー
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 2 時間 1 分
- 発売日 : 2009/7/8
- 出演 : ジェイソン・ロバーズ, ステラ・スティーブンス, デヴィッド・ワーナー
- 字幕: : 日本語, 英語
- 言語 : 日本語 (Mono), 英語 (Dolby Digital 5.1)
- 販売元 : ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
- ASIN : B002BS02RU
- ディスク枚数 : 1
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2024年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
物語は結構楽しめました。ドンパチはそれほどなかった
2024年2月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
S・ペキンパーはやはり失われていくモノの描写が上手い
本作を、バイオレンスが少なくペキンパーの作品の中では駄作と評価する人が居るが、ペキンパーはバイオレンス描写で有名になったのであって本質はそこでは無い、西部劇の破壊者と呼ばれるに至った”消えていく西部の男達”その描写こそがペキンパー作品のキモ、そしてそんな男達を見て残された者たちがそれぞれの思いを抱きバラバラに歩んでいく描写で終わるその余韻こそがペキンパー作品の本質だと考える。
ペキンパー自身が本作をベストフィルムと呼んだのはその本質が剥き出しで無駄な描写(バイオレンス)を省いたからではないだろうか?
本作が私の心を離さないのはケーブルホーグという一人の消えゆく西部の男の死を見て、残された者の一人になることで本作が完成するからである。
本作を見終わると親しい友人を亡くした気分になるが笑って送った事でひと段落付いてしまい悲しいのに納得してスッキリしてしまう、そのまま日常に戻ってこれる不思議な作品
只々バイオレンス描写の為にペキンパー作品を探す人には向かない作品です。
本作を、バイオレンスが少なくペキンパーの作品の中では駄作と評価する人が居るが、ペキンパーはバイオレンス描写で有名になったのであって本質はそこでは無い、西部劇の破壊者と呼ばれるに至った”消えていく西部の男達”その描写こそがペキンパー作品のキモ、そしてそんな男達を見て残された者たちがそれぞれの思いを抱きバラバラに歩んでいく描写で終わるその余韻こそがペキンパー作品の本質だと考える。
ペキンパー自身が本作をベストフィルムと呼んだのはその本質が剥き出しで無駄な描写(バイオレンス)を省いたからではないだろうか?
本作が私の心を離さないのはケーブルホーグという一人の消えゆく西部の男の死を見て、残された者の一人になることで本作が完成するからである。
本作を見終わると親しい友人を亡くした気分になるが笑って送った事でひと段落付いてしまい悲しいのに納得してスッキリしてしまう、そのまま日常に戻ってこれる不思議な作品
只々バイオレンス描写の為にペキンパー作品を探す人には向かない作品です。
2017年11月28日に日本でレビュー済み
吹き替えはある。
かなり字幕に切り替わるところがあり、期待しないほうがいい。
ロバーズが川合伸旺、スティーブンスが小原乃梨子、ワーナーが米倉斉加年、の各氏。
ちょっとポール・ニューマンとブリジッド・バルドーが出てきそうです。
次は、字幕で見ます。
かなり字幕に切り替わるところがあり、期待しないほうがいい。
ロバーズが川合伸旺、スティーブンスが小原乃梨子、ワーナーが米倉斉加年、の各氏。
ちょっとポール・ニューマンとブリジッド・バルドーが出てきそうです。
次は、字幕で見ます。
2016年8月29日に日本でレビュー済み
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トールケースだけが無い代物ですが・ディスクはとても綺麗な品ですが・肝心な所に指紋がベットリ1/3・も付いるのが・残念な事です。
2017年4月15日に日本でレビュー済み
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サム・ペキンパーだからこそ描ける本物の秀作にして最期の西部劇。
2011年9月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
恐らく低予算、撮影期間も相当短かったのではないでしょうか。
ペキンパーにしてはかなりの手抜き感が漂う作品です。
役者もまぁやっつけ仕事ですね。やる気の無さが画面から伝わってきます。
まぁペキンパーにとってもそんなの承知の上だったのかな。
肩の力が自然に抜けて、最期までリラックスムードで見れます。
復讐譚というほど復讐までの過程に力を入れてるわけではないですし。
しかしあの時代のノンビリムードが懐かしい、良い映画だとは思います。
もう戻ってこない70年代の光。分かる人には分かるでしょう。
定価は高すぎますが、1000円以下なら下手な3D最新作より楽しめます。
ペキンパーにしてはかなりの手抜き感が漂う作品です。
役者もまぁやっつけ仕事ですね。やる気の無さが画面から伝わってきます。
まぁペキンパーにとってもそんなの承知の上だったのかな。
肩の力が自然に抜けて、最期までリラックスムードで見れます。
復讐譚というほど復讐までの過程に力を入れてるわけではないですし。
しかしあの時代のノンビリムードが懐かしい、良い映画だとは思います。
もう戻ってこない70年代の光。分かる人には分かるでしょう。
定価は高すぎますが、1000円以下なら下手な3D最新作より楽しめます。
2013年8月13日に日本でレビュー済み
「ガルシアの首」を久しぶりに再見して、改めて実感したのは、暴力派の巨匠と呼ばれたサム・ペキンパーの意外なほどの優しさと繊細さに触れる事が出来た事、そして、ウォーレン・オーツを支えるイセラ・ヴェガの女性としての強さと優しさであった。
女性を添え物的な役割しか与えなかったペキンパー作品の中ではこれは極めて稀な事だ。
そして、「ケーブルホークのバラード」もまた、「ガルシアの首」と並んで、否、それ以上に異色な作品である。
「ワイルドバンチ」の次の作品として製作された今作は、しかし、全編鮮烈なヴァイオレンス描写と壮大なアクションがつるべ打ちの前作とはかけ離れた肌触りで、まるで日本でも受けなかった。
その後、今作を愛する者たちの間で是非今作と再会したいとの声が高まり、「砂漠の流れ者」から「ケーブルホークのバラード」とタイトルを変えたリバイバル公開が叶い、再評価が進んだという幸せな作品である。
自分が今作と初めて対峙したのは、リバイバル叶ったその時期から更に時が経ったLD購入で。事前知識は仕入れた上での鑑賞だったが、第一印象は、やはりペキンパーらしくないなと思った。
ペキンパーと言えば、アクションシーンでのスローモーション描写なのだが、今作でそれが使用されたのは冒頭のみ。しかも、腹ペコのケーブルホークが、今日の晩飯にとオオトカゲを殺生しようとしたその時、トカゲが憎き二人組に粉々に撃ち殺されてしまう一瞬のみに使われていただけだから、拍子抜けしてしまった事を覚えている。
その一方で、主人公ホークの絶望と成功まみえる数奇な物語と、産業革命によって発明された自動車の登場で、西部にも否応なしに押し寄せる近代化の波に、ある時代の終焉を象徴するような寓話的結末に、これこそペキンパーが撮りたかったテーマなんだろうと思った。
今回、今作もまた久しぶりに観直してみて、記憶に残ったのは、ケーブルホークよりも、むしろヒルディであり、ジョシュアであった。
ジェースン・ロバースは名優だ。
彼が演じた「ジュリア」のダシル・ハメットも、「大統領の陰謀」のブラッドリー主幹も、それぞれ実在する著名人でありながら、そのものズバリの風格で、後日御本人たちの顔写真を見ても、ロバースの顔が思い浮かぶほどだ。
今作でのケーブルホーク役も、文盲でがさつで小汚く、銃で人を撃った事もないような平凡な男ながら、優しくて強い信念を持つタイトル・ロールを演じて見事なんだが、今回は、敢えて、長い放浪生活で荒んだ彼の心を癒し、忘れ去っていた人間としての優しさを引き出させたステラ・スティーブンス演じるヒルディに捧げたい。
町の娼婦として日夜客を取り、ボロボロになりながらも陽気な振る舞いで男を楽しませる。
汚れきったホークの垢まみれの身体を洗ってやり、金を踏み倒され、プライドも傷つけられ、激怒しながらも、結局、彼の不器用な優しさにほだされ、砂漠の地まで馬を飛ばして駆けつける。
町の人々に追い出されてきたヒルディを、“お前こそ最高のレディだ”、と言い、もてなすホーク。
その夜、嫌われ者同士と自虐的に話し合いながら、でも、“お前はやっぱり最高のレディだ”と改めて語るホークに、思わず涙ぐむヒルディ。
そして、今度は、客と娼婦ではなく、男と女として一夜を共にするふたり。
その直後の、愛を語り合うふたりのデュエットは、まるでミュ―ジカルの如く抒情的で美しく、ペキンパー映画史上最も幸福なシーンであると思える。
でも、それでも、“娼婦である自分をこんなに大切にしてくれたのはあんただけ”でも、“あんたが優しすぎるからここを出ていく”とホークの元を去るヒルディ。
手だれて、気恥ずかしくなるような台詞だが、やっぱり、ズシンと胸に響くんだな。
スティーブンスは、60年代豊満お色気ネエちゃん路線でブレイク、今作もその延長上のキャスティングだったように見えるが、ペキンパーは、最高の役柄を彼女に与えた。
実際のスティーブンスは、その見かけとは裏腹のインテリで、後年、監督や脚本も手掛ける才人。
今作は彼女の代表作と自他共に認められているが、彼女のペキンパーを評する発言は、特典として収録されているインタビューを見ても、かなり辛辣で意外なのだが、監督としては尊敬し、感謝していると語っている。
そしてもうひとり、忘れていけないのは、デビッド・ワーナー演じるジョシュア。
神の使者として巧みに愛と人生を説きながら、女性に近づく女ったらしのエセ牧師。
初見時では、コメディ・リリーフ的な印象が強かったジョシュアだが、再見してはっきり分かったのは、彼は、その都度、その調子の良さにも主人公を導く言動と啓示(笑)を示していた事。
ヒルディの事を想いながらも、砂漠にひとり舞い戻ったホークに、“愛する事を恐れるな”なんて真っ当な真理を残して立ち去ったのもジョシュアである。
そして、ラスト、ホークの魂を鎮魂するべく、天に向かって祈りを捧げるジョシュア。
ここに、その一部を引用する。
“人は善悪を持ち合わせている。彼は善人ではなかったが、悪人でもなかった。”
“彼は、男らしき男、野性の男であった”
“彼はなにびとも恐れず、恐れたのは大自然のみだった”
“彼は、暗い砂漠に光を灯し、そして、闘い、愛した土に埋葬された”
“砂漠こそ、彼の故郷。天国に砂漠があれば、そこに彼をお召し下さい”
格好いい、泣かせるじゃないか!
ワーナーのイギリス的な高貴さと発せられる言葉の響き。
ペキンパーは、恐らく、このラストの弔辞を喋らす為に、ワーナーを起用したんじゃないだろうか。
西部の時代の男と女による珠玉のラヴ・ストーリー。
ひとつの時代の、そして西部劇への鎮魂歌。
ケーブルホークのバラードは、サム・ペキンパーのバラードでもあったのだ。
(付記)主役の3人の日本語版吹き替えを担当しているのが、川合伸旺、小原乃梨子、米倉斉加年の3氏。
いずれも、ハマり役である。
女性を添え物的な役割しか与えなかったペキンパー作品の中ではこれは極めて稀な事だ。
そして、「ケーブルホークのバラード」もまた、「ガルシアの首」と並んで、否、それ以上に異色な作品である。
「ワイルドバンチ」の次の作品として製作された今作は、しかし、全編鮮烈なヴァイオレンス描写と壮大なアクションがつるべ打ちの前作とはかけ離れた肌触りで、まるで日本でも受けなかった。
その後、今作を愛する者たちの間で是非今作と再会したいとの声が高まり、「砂漠の流れ者」から「ケーブルホークのバラード」とタイトルを変えたリバイバル公開が叶い、再評価が進んだという幸せな作品である。
自分が今作と初めて対峙したのは、リバイバル叶ったその時期から更に時が経ったLD購入で。事前知識は仕入れた上での鑑賞だったが、第一印象は、やはりペキンパーらしくないなと思った。
ペキンパーと言えば、アクションシーンでのスローモーション描写なのだが、今作でそれが使用されたのは冒頭のみ。しかも、腹ペコのケーブルホークが、今日の晩飯にとオオトカゲを殺生しようとしたその時、トカゲが憎き二人組に粉々に撃ち殺されてしまう一瞬のみに使われていただけだから、拍子抜けしてしまった事を覚えている。
その一方で、主人公ホークの絶望と成功まみえる数奇な物語と、産業革命によって発明された自動車の登場で、西部にも否応なしに押し寄せる近代化の波に、ある時代の終焉を象徴するような寓話的結末に、これこそペキンパーが撮りたかったテーマなんだろうと思った。
今回、今作もまた久しぶりに観直してみて、記憶に残ったのは、ケーブルホークよりも、むしろヒルディであり、ジョシュアであった。
ジェースン・ロバースは名優だ。
彼が演じた「ジュリア」のダシル・ハメットも、「大統領の陰謀」のブラッドリー主幹も、それぞれ実在する著名人でありながら、そのものズバリの風格で、後日御本人たちの顔写真を見ても、ロバースの顔が思い浮かぶほどだ。
今作でのケーブルホーク役も、文盲でがさつで小汚く、銃で人を撃った事もないような平凡な男ながら、優しくて強い信念を持つタイトル・ロールを演じて見事なんだが、今回は、敢えて、長い放浪生活で荒んだ彼の心を癒し、忘れ去っていた人間としての優しさを引き出させたステラ・スティーブンス演じるヒルディに捧げたい。
町の娼婦として日夜客を取り、ボロボロになりながらも陽気な振る舞いで男を楽しませる。
汚れきったホークの垢まみれの身体を洗ってやり、金を踏み倒され、プライドも傷つけられ、激怒しながらも、結局、彼の不器用な優しさにほだされ、砂漠の地まで馬を飛ばして駆けつける。
町の人々に追い出されてきたヒルディを、“お前こそ最高のレディだ”、と言い、もてなすホーク。
その夜、嫌われ者同士と自虐的に話し合いながら、でも、“お前はやっぱり最高のレディだ”と改めて語るホークに、思わず涙ぐむヒルディ。
そして、今度は、客と娼婦ではなく、男と女として一夜を共にするふたり。
その直後の、愛を語り合うふたりのデュエットは、まるでミュ―ジカルの如く抒情的で美しく、ペキンパー映画史上最も幸福なシーンであると思える。
でも、それでも、“娼婦である自分をこんなに大切にしてくれたのはあんただけ”でも、“あんたが優しすぎるからここを出ていく”とホークの元を去るヒルディ。
手だれて、気恥ずかしくなるような台詞だが、やっぱり、ズシンと胸に響くんだな。
スティーブンスは、60年代豊満お色気ネエちゃん路線でブレイク、今作もその延長上のキャスティングだったように見えるが、ペキンパーは、最高の役柄を彼女に与えた。
実際のスティーブンスは、その見かけとは裏腹のインテリで、後年、監督や脚本も手掛ける才人。
今作は彼女の代表作と自他共に認められているが、彼女のペキンパーを評する発言は、特典として収録されているインタビューを見ても、かなり辛辣で意外なのだが、監督としては尊敬し、感謝していると語っている。
そしてもうひとり、忘れていけないのは、デビッド・ワーナー演じるジョシュア。
神の使者として巧みに愛と人生を説きながら、女性に近づく女ったらしのエセ牧師。
初見時では、コメディ・リリーフ的な印象が強かったジョシュアだが、再見してはっきり分かったのは、彼は、その都度、その調子の良さにも主人公を導く言動と啓示(笑)を示していた事。
ヒルディの事を想いながらも、砂漠にひとり舞い戻ったホークに、“愛する事を恐れるな”なんて真っ当な真理を残して立ち去ったのもジョシュアである。
そして、ラスト、ホークの魂を鎮魂するべく、天に向かって祈りを捧げるジョシュア。
ここに、その一部を引用する。
“人は善悪を持ち合わせている。彼は善人ではなかったが、悪人でもなかった。”
“彼は、男らしき男、野性の男であった”
“彼はなにびとも恐れず、恐れたのは大自然のみだった”
“彼は、暗い砂漠に光を灯し、そして、闘い、愛した土に埋葬された”
“砂漠こそ、彼の故郷。天国に砂漠があれば、そこに彼をお召し下さい”
格好いい、泣かせるじゃないか!
ワーナーのイギリス的な高貴さと発せられる言葉の響き。
ペキンパーは、恐らく、このラストの弔辞を喋らす為に、ワーナーを起用したんじゃないだろうか。
西部の時代の男と女による珠玉のラヴ・ストーリー。
ひとつの時代の、そして西部劇への鎮魂歌。
ケーブルホークのバラードは、サム・ペキンパーのバラードでもあったのだ。
(付記)主役の3人の日本語版吹き替えを担当しているのが、川合伸旺、小原乃梨子、米倉斉加年の3氏。
いずれも、ハマり役である。
2020年3月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最低でした
何がS.ペキンパーですか。よくこんなつまらん仕事ができたもんですね。「決断」M.カーチスとともに「お金を返してください」と言いたい。
何がS.ペキンパーですか。よくこんなつまらん仕事ができたもんですね。「決断」M.カーチスとともに「お金を返してください」と言いたい。