世界中を巡り、様々な即興演奏家(前衛音楽家)達とのコラボで抽出された『音』を、
長い時間をかけて『声』と同居可能な様に配置して、『音楽』という形態に収めた作品、と言えるかな。
多種多様な楽器群(音響装置)が奏でる無調の響きを、不定のリズムに乗せた展開は
良く言えばスリリング、悪く取れば混沌とした印象ばかりを与えるだけでしょう。
素で聴いても、これらの楽曲群はとても面白いです。
でもこの面白さをうまく説明するにはどうしたら良いかを考えていたとき、
偶然にも、実はとても近似性が高い音楽を、最近わたしは体験してしまった。
つまり、それは『能楽』でした。
舞台で奏でられる笛や、鼓や、謡や、踏みならされる足音、衣擦れの音などが、
『能』という『インスタレーション』された空間と時間の中で調和される様はとても興味深いものでした。
そして観賞後、ふと最近似た様な音楽を聴いたような? と思い返し、それで気がついたのが『Manafon』の事です。
『音』が音楽として成立するのに必要なエレメント/エッセンスとは何か?
『響』 『拍』 『間』、、、
世界中で集めた演奏・音響群は、確かに演奏された時点では即興演奏ですが、
Davidはそれを時間をかけて再配置して歌を重ねているのですから、即興だけで出来たものでは無いでしょう。
即興演奏では無いのに、即興演奏の様に聴こえるのはその為ですね。
むしろ複雑なアンサンブルとして成立した音響楽曲として認識したほうが、理解が早まると考えられます。
これらに気がつけば、『Manafon』がずっと身近になる可能性を持っているでしょうか、、、。
50歳を過ぎた男が、本当に歌うに値する『歌』を作る。
プライベートレーベルだからこそ可能な、昨今の商業音楽の状況からすればまるで奇跡の様な作品と言えます。
追記:英語が得意でなければ、対訳のついた日本語版を購入する事を強くおすすめします。