動作も問題なく大変満足しています
ありがとうございました
あなたは遠いところに [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, 字幕付き, 吹き替え, ワイドスクリーン, DTS Stereo |
コントリビュータ | チョン・ジニョン, チョン・ギョンホ, スエ, イ・ジュニク, オム・テウン |
言語 | 韓国語, 日本語 |
稼働時間 | 2 時間 7 分 |
商品の説明
「お前は俺を愛しているのか」・・・その答を胸に妻は国境を越えて戦火の夫の元へ
『王の男』イ・ジュニク監督が描く感動のヒューマン・ラブストーリー!!
◆INTRO&STORY
お前は俺を愛しているのかと兵役中の夫サンギル(オム・テウン)に尋ねられ、答えることができなかったスニ(スエ)。
その言葉を最後に、サンギルは戦火のベトナムへ出兵していく。悲しみにくれる姑の嘆きを聞き、夫を捜す決意を固めたスニ。
慰問公演団に入れば、渡航が許されることを知ったスニは、チョンマン(チョン・ジニョン)率いる公演団のシンガーとしてベトナムに向かう。
だが、サイゴンにやってきた一行に対して、周囲の反応は冷ややかで……。
ベトナム戦争の韓国参戦を背景にしたヒューマン・ラブストーリー。
ベトナムに出征した夫を捜すため慰問公演団のシンガーとなった女性の姿が、当時の流行曲に乗せて綴られる。
『王の男』で国民映画監督となったイ・ジュニクが、“女性の視点で、アジア人の立場から戦争を描く”というコンセプトの基、
韓国とタイで5ヵ月に及ぶ大規模ロケを行うなど、自身の作品では最大規模となる70億ウォンをかけて制作。
戦地を渡り歩く主人公の姿を通して、女性の内面的な強さと、戦争が生み出す悲劇を浮かび上がらせた。
◆CAST&STAFF
スエ 『夏物語』「9回裏2アウト」
チョン・ジニョン 「風の国」『王の男』
チョン・ギョンホ 「ごめん、愛してる」「犬とオオカミの時間」
オム・テウン(特別出演) 「魔王」「復活」
監督 イ・ジュニク 「王の男」「ラジオスター」
◆韓流シネマフェスティバル2009 約束~YakSok~上映作品
◆映像特典:未定
(C)2008 Showbox/Mediaplex, Inc. All Rights Reserved.
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 韓国語, 日本語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4988131909477
- 監督 : イ・ジュニク
- メディア形式 : 色, ドルビー, 字幕付き, 吹き替え, ワイドスクリーン, DTS Stereo
- 時間 : 2 時間 7 分
- 発売日 : 2010/6/2
- 出演 : スエ, チョン・ギョンホ, チョン・ジニョン, オム・テウン
- 字幕: : 日本語, 韓国語
- 言語 : 韓国語 (Dolby Digital 5.1), 日本語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
- 販売元 : エスピーオー
- ASIN : B003CJ7LTE
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 169,602位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,325位外国の戦争映画
- - 3,227位外国のラブロマンス映画
- - 13,134位外国のアクション映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年9月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
スエのファンで彼女の作品はたくさん見ました。それぞれに上手く役をこなし、その作品のテーマに合った雰囲気を醸し出してるとおもいます。
大抵の作品は近所のレンタルショップで借りることが出来たのですが、この作品だけが無く、粗筋を読むと物語も面白そうだし、なにより
元々歌手志望だったスエが沢山の歌うシーンがあるとの事で余計に私の興味をそそりました。話の筋も良くまとまっていたし、当時の風俗の雰囲気も良く表現出来ていたと思います。スエの歌のシーンもたっぷりありましたし満足のいくものでした。
大抵の作品は近所のレンタルショップで借りることが出来たのですが、この作品だけが無く、粗筋を読むと物語も面白そうだし、なにより
元々歌手志望だったスエが沢山の歌うシーンがあるとの事で余計に私の興味をそそりました。話の筋も良くまとまっていたし、当時の風俗の雰囲気も良く表現出来ていたと思います。スエの歌のシーンもたっぷりありましたし満足のいくものでした。
2018年8月8日に日本でレビュー済み
スエさん演じるスニは幸薄そうな感じですね。
半年くらい月経がなく義母にもいじめられ旦那さんには愛人がいて…と不幸ばかり。
おまけに旦那さんは黙ってベトナムに行ってしまいます。
実家に帰れば「嫁に行ったら骨を埋めろ」と言われ追い返されます。
旦那さんに「愛しているか?」と聞かれ答えませんでした。その答えを胸にベトナムへ行きます。
同行する慰問公園団のチョンマンは竹中直人かダイヤモンド・ユカイみたいで怪しすぎます。でもいい人でした。他のメンバーのキャラもよかった。
目の前で女性が撃たれて死ぬのを見てもスニは恐れません。怖くないのか?
映画は途中バンドのサクセス・ストーリーみたいですね。スニが唄う「スージーQ」はCCRの曲で他に有名な曲として「雨を見たかい」があります。これは反戦歌とも言われました。
「地獄の黙示録」でも同じようにプレイメイトが慰問する場面で流れました。
歌はいいですね。言葉も国境も人種もありません。何度か歌に命も救われます。
戦場の悲惨な場面もあります。旦那さんが生きていてよかった。
ラストにスニは何も言葉を発しませんでした。言葉などいらないということでしょうか?
韓国からベトナムの危険な最前線まで来たことが「愛しているか?」の答えとなるのか?
劇中でも唄い映画の最後でも流れていた歌は内容にとてもあっていました。
歌にあわせて映画を作った?
ふたりのその後が気になります。しあわせになれたのか?
半年くらい月経がなく義母にもいじめられ旦那さんには愛人がいて…と不幸ばかり。
おまけに旦那さんは黙ってベトナムに行ってしまいます。
実家に帰れば「嫁に行ったら骨を埋めろ」と言われ追い返されます。
旦那さんに「愛しているか?」と聞かれ答えませんでした。その答えを胸にベトナムへ行きます。
同行する慰問公園団のチョンマンは竹中直人かダイヤモンド・ユカイみたいで怪しすぎます。でもいい人でした。他のメンバーのキャラもよかった。
目の前で女性が撃たれて死ぬのを見てもスニは恐れません。怖くないのか?
映画は途中バンドのサクセス・ストーリーみたいですね。スニが唄う「スージーQ」はCCRの曲で他に有名な曲として「雨を見たかい」があります。これは反戦歌とも言われました。
「地獄の黙示録」でも同じようにプレイメイトが慰問する場面で流れました。
歌はいいですね。言葉も国境も人種もありません。何度か歌に命も救われます。
戦場の悲惨な場面もあります。旦那さんが生きていてよかった。
ラストにスニは何も言葉を発しませんでした。言葉などいらないということでしょうか?
韓国からベトナムの危険な最前線まで来たことが「愛しているか?」の答えとなるのか?
劇中でも唄い映画の最後でも流れていた歌は内容にとてもあっていました。
歌にあわせて映画を作った?
ふたりのその後が気になります。しあわせになれたのか?
2010年9月6日に日本でレビュー済み
ベトナム戦争を扱った韓国映画は極めて少ない。朝鮮戦争後、韓国最大の出来事だったはずだし、アメリカでは多くのベトナム戦争映画が作られていることを考えると奇妙に思える。何故だろうか。
韓国映画としては珍しくベトナム戦争を扱ったこの作品の直接的なターゲットは、ベトナム世代の男性たちだろう。当時の流行歌を今の娘に歌わせ、往年の戦士たちを劇場に集める作戦だ。タイトルチューン「ニムは遠くへ」をはじめ、今のK-POPとは毛色の異なる泥臭い歌謡曲を、21世紀の女優が熱唱してみせる。
唯一の洋楽として「スージーQ」が使われているのは、コメディ要素を強調するためか。韓国ではこの曲のCCRバージョンが有名コメディアンの出囃子として使われていたので、イントロだけで笑いを誘えるのだろう。ただし最後の公演シーンではこの曲をストーンズばりに不良っぽくキメてみせ、内気だった主人公スニの成長と決意の大きさを表現していた。
主人公スニは愛のない結婚生活を送っていた。ソウルの大学に通っていたからか山出しのスニに興味が持てない夫は、結婚早々逃げるように入営しその後何も言わずにベトナムに行ってしまう。家の存続しか頭にない姑は、すべてをスニのせいにして追い出しにかかる。体面を気にする実家にも戻れない。強固な血縁社会で身の置き場を失ったスニは、夫に会うためベトナムに渡ることを決意する。
しかし民間人が自由に海外へ行けるはずもない。思案に暮れるスニだったが、怪しげなバンドのボーカルとして渡越に成功する。だが英語のできない素人歌手に米軍基地での公演が勤まるはずもなく、ブーイングを受けて消沈する。苦肉の策で韓国軍人の前で「鬱陵島ツイスト」を歌ってみたところ大受けし、バンドは韓国軍専門の慰問団としてツアーを開始する。さて、スニは夫と再会できるのだろうか。
この映画でどうしても不可解なのが夫の設定だ。妻を愛することもできず、ただ逃げるだけの男。ベトナムに行ったのも、軍人の使命感から志願したわけではなく、営内の不祥事で飛ばされただけ。もちろん戦場でも役立たず。懐メロと若い娘の脚線目当てに劇場に詰め掛けたお父さんたちも困惑したに違いない。外地に駆り出されても健気に働く善意の兵士になら、すんなり感情移入できただろう。しかし、気のいいバンドマンたちとは対照的に、夫は徹底してシンパシーを持ちにくい、陰気で無能かつ不誠実な男として描かれ、映画全体のテンションを下げている。モチーフにした曲「ニムは遠くへ」の歌詞の内容が、男に尽くした挙句捨てられた女の歌なので、それを反映したということはあるだろうが、それにしてももう少し魅力的な男にできなかったものか。
この映画ではベトナムを善良な被抑圧者として描いている。「ベトナム戦争映画」としてはこのような描写は当然に思えるが、実はこのようなベトナム戦争観は韓国では比較的新しい。民主化前には、分断国家という冷戦の最前線で亡国の危機感を常に抱えていたアジアの貧国が、同じ境遇の国を支援した聖戦という見方が圧倒的だったはずだ。また、多大な犠牲を払い、その対価として多くの外貨と米国の信頼を得たことは、その後の経済的飛躍に直接つながっている。ベトナム参戦を全面否定することは、現在の自分たちの否定になりかねない。連戦連勝を重ねた世界最強国アメリカが、初めて喫した黒星としてベトナムを振り返るのはある意味余裕の産物なのだろうが、韓国はそうは行かないのだ。
だから、あまりに韓国兵をダークに描き過ぎたり、ベトナムを絶望の戦地としてのみ扱うことは、現在の韓国では難しく、直接的な反発も買うのだろう。だが逆に兵士をあまりにイノセントに描いたり、すべてを戦争のせいにして誰もが気の毒だったとしてしまうことは、陳腐な反戦映画になってしまうのみならず、当事国の人間、ベトナム戦争の果実を享受する現代の韓国人としては無責任になってしまう。
このような複雑な事情があるので、韓国の映画人はベトナム戦争映画を作りたがらないのだろうか。この作品では、何重にもなった矛盾をコアターゲットの中高年男性に考えさせる機会を与えるため、あえて夫を好意を持ちにくい存在にしたのかもしれない。
韓国映画としては珍しくベトナム戦争を扱ったこの作品の直接的なターゲットは、ベトナム世代の男性たちだろう。当時の流行歌を今の娘に歌わせ、往年の戦士たちを劇場に集める作戦だ。タイトルチューン「ニムは遠くへ」をはじめ、今のK-POPとは毛色の異なる泥臭い歌謡曲を、21世紀の女優が熱唱してみせる。
唯一の洋楽として「スージーQ」が使われているのは、コメディ要素を強調するためか。韓国ではこの曲のCCRバージョンが有名コメディアンの出囃子として使われていたので、イントロだけで笑いを誘えるのだろう。ただし最後の公演シーンではこの曲をストーンズばりに不良っぽくキメてみせ、内気だった主人公スニの成長と決意の大きさを表現していた。
主人公スニは愛のない結婚生活を送っていた。ソウルの大学に通っていたからか山出しのスニに興味が持てない夫は、結婚早々逃げるように入営しその後何も言わずにベトナムに行ってしまう。家の存続しか頭にない姑は、すべてをスニのせいにして追い出しにかかる。体面を気にする実家にも戻れない。強固な血縁社会で身の置き場を失ったスニは、夫に会うためベトナムに渡ることを決意する。
しかし民間人が自由に海外へ行けるはずもない。思案に暮れるスニだったが、怪しげなバンドのボーカルとして渡越に成功する。だが英語のできない素人歌手に米軍基地での公演が勤まるはずもなく、ブーイングを受けて消沈する。苦肉の策で韓国軍人の前で「鬱陵島ツイスト」を歌ってみたところ大受けし、バンドは韓国軍専門の慰問団としてツアーを開始する。さて、スニは夫と再会できるのだろうか。
この映画でどうしても不可解なのが夫の設定だ。妻を愛することもできず、ただ逃げるだけの男。ベトナムに行ったのも、軍人の使命感から志願したわけではなく、営内の不祥事で飛ばされただけ。もちろん戦場でも役立たず。懐メロと若い娘の脚線目当てに劇場に詰め掛けたお父さんたちも困惑したに違いない。外地に駆り出されても健気に働く善意の兵士になら、すんなり感情移入できただろう。しかし、気のいいバンドマンたちとは対照的に、夫は徹底してシンパシーを持ちにくい、陰気で無能かつ不誠実な男として描かれ、映画全体のテンションを下げている。モチーフにした曲「ニムは遠くへ」の歌詞の内容が、男に尽くした挙句捨てられた女の歌なので、それを反映したということはあるだろうが、それにしてももう少し魅力的な男にできなかったものか。
この映画ではベトナムを善良な被抑圧者として描いている。「ベトナム戦争映画」としてはこのような描写は当然に思えるが、実はこのようなベトナム戦争観は韓国では比較的新しい。民主化前には、分断国家という冷戦の最前線で亡国の危機感を常に抱えていたアジアの貧国が、同じ境遇の国を支援した聖戦という見方が圧倒的だったはずだ。また、多大な犠牲を払い、その対価として多くの外貨と米国の信頼を得たことは、その後の経済的飛躍に直接つながっている。ベトナム参戦を全面否定することは、現在の自分たちの否定になりかねない。連戦連勝を重ねた世界最強国アメリカが、初めて喫した黒星としてベトナムを振り返るのはある意味余裕の産物なのだろうが、韓国はそうは行かないのだ。
だから、あまりに韓国兵をダークに描き過ぎたり、ベトナムを絶望の戦地としてのみ扱うことは、現在の韓国では難しく、直接的な反発も買うのだろう。だが逆に兵士をあまりにイノセントに描いたり、すべてを戦争のせいにして誰もが気の毒だったとしてしまうことは、陳腐な反戦映画になってしまうのみならず、当事国の人間、ベトナム戦争の果実を享受する現代の韓国人としては無責任になってしまう。
このような複雑な事情があるので、韓国の映画人はベトナム戦争映画を作りたがらないのだろうか。この作品では、何重にもなった矛盾をコアターゲットの中高年男性に考えさせる機会を与えるため、あえて夫を好意を持ちにくい存在にしたのかもしれない。
2010年5月26日に日本でレビュー済み
「あんたは戦場がどういうところか知らないんだよ!」。
そう姑に言われたスエが、夫に会いに行くために戦地ベトナムへと足を踏み入れる。ところが着いたのは、「ここは本当に戦場なんだよな?」(バンドのドラマー)と疑いたくなるほど、にぎやかなサイゴンだった。しかし、次第に戦争はスエたちの前にその姿をあらわにする。戦争がどういうものかが分かるにしたがって、スエの夫に会いたいという気持ちはどんどん高まってゆく。会えなくなる前にひと目会わなければ・・・。
夫に会って、浮気を叱る。そんな簡単なこと、当たり前のことができないのが戦場だ。
その実行にやっきになるスエに、観ている側は少々いらいらさせられるだろう。「なんでこの人はそんなばかばかしいことに、命をかけているの?ここは戦場なんだよ!」と。しかし、ちょっと待ってほしい。そんなくだらないことができない世界(=戦場)のほうがおかしな世界なんじゃないのか?そんな当たり前のことを、当たり前と認識できない価値観、それが支配する世界(=戦争)のほうが変なんじゃないのか?全体に妙に浮いているスエの姿はそんなことに気づかせてくれる。
それがもっともよく表れるのは、走る兵士が執拗に前を横切る最後のシーンだろう。完全にリアリティゼロなのである。しかし、「ありふれたシーン」を「ありえないシーン」としてしか描けないということに、《戦争とは何か》という問いへの一つの回答が示されているように見える。
もうひとつ。この映画では韓国のベトナム戦争とのかかわりが強く意識されている。
ベトナムにおける韓国の加害責任をこれほど正面から扱った映画は少ないのではないだろうか。製作者の思慮深さと入念な調査、それに意気込みが随所に感じられる。米兵・韓国兵とベトコンの描き方の違い、韓国兵が村で徴発を行う場面、・・・。
もっとも印象的に描かれているが、バンドのメンバーたちが歌によって命びろいをするシーンだ。彼らは、歌をうたうことによって2度ほど命をとりとめている。しかし、その2つの場面が極めて対照的なのだ。2度目は米軍に捕らえられた時。米兵に銃口を向けられるなかで米国歌をうたう彼らの表情に、当時の韓国人の苦悩が表されているのかもしれない。しかし、それを見るベトコンの人たちの視線の厳しさには・・・。胸が締め付けられる。
「平和とは何か?」ベトコンの指導者はバンドのリーダーに問いかける。
ベトコンに捕らえられた、命びろいの1度目の場面だ。ここまで、強い意志と実行力のかたまりのように突き進んできたリーダーが、このときばかりは思わず「っへ?」というすっとんきょうな声を出してしまう。そんなこと、考えたことすらなかったのだ。そして、ひねくり出した答えはまったく受け入れられない。ここでスエが屹然と放つ言葉には、――スエはどういうつもりで言ったのか判然としないが――やはり《平和とは何か》への一つの回答が込められているように思うのだ。平和とは「戦争(=非日常)における平和」(リーダーの答え)などではなく、当たり前のことが当たり前にできる、まさに「日常」を取り戻すこと。それは敵/味方を超える力を持つ。だからこそベトコンの指導者も銃口を下ろすことになったのだろう。
とにかく画の撮り方がうまい。印象的な場面がたくさんちりばめられているし、すっとその世界に入って、慰問バンドを水先案内人とした戦場をめぐる旅を満喫することができる。それでいて(だからこそ)、戦争や平和についてさまざまに考えさせてもくれる。傑作である。
そう姑に言われたスエが、夫に会いに行くために戦地ベトナムへと足を踏み入れる。ところが着いたのは、「ここは本当に戦場なんだよな?」(バンドのドラマー)と疑いたくなるほど、にぎやかなサイゴンだった。しかし、次第に戦争はスエたちの前にその姿をあらわにする。戦争がどういうものかが分かるにしたがって、スエの夫に会いたいという気持ちはどんどん高まってゆく。会えなくなる前にひと目会わなければ・・・。
夫に会って、浮気を叱る。そんな簡単なこと、当たり前のことができないのが戦場だ。
その実行にやっきになるスエに、観ている側は少々いらいらさせられるだろう。「なんでこの人はそんなばかばかしいことに、命をかけているの?ここは戦場なんだよ!」と。しかし、ちょっと待ってほしい。そんなくだらないことができない世界(=戦場)のほうがおかしな世界なんじゃないのか?そんな当たり前のことを、当たり前と認識できない価値観、それが支配する世界(=戦争)のほうが変なんじゃないのか?全体に妙に浮いているスエの姿はそんなことに気づかせてくれる。
それがもっともよく表れるのは、走る兵士が執拗に前を横切る最後のシーンだろう。完全にリアリティゼロなのである。しかし、「ありふれたシーン」を「ありえないシーン」としてしか描けないということに、《戦争とは何か》という問いへの一つの回答が示されているように見える。
もうひとつ。この映画では韓国のベトナム戦争とのかかわりが強く意識されている。
ベトナムにおける韓国の加害責任をこれほど正面から扱った映画は少ないのではないだろうか。製作者の思慮深さと入念な調査、それに意気込みが随所に感じられる。米兵・韓国兵とベトコンの描き方の違い、韓国兵が村で徴発を行う場面、・・・。
もっとも印象的に描かれているが、バンドのメンバーたちが歌によって命びろいをするシーンだ。彼らは、歌をうたうことによって2度ほど命をとりとめている。しかし、その2つの場面が極めて対照的なのだ。2度目は米軍に捕らえられた時。米兵に銃口を向けられるなかで米国歌をうたう彼らの表情に、当時の韓国人の苦悩が表されているのかもしれない。しかし、それを見るベトコンの人たちの視線の厳しさには・・・。胸が締め付けられる。
「平和とは何か?」ベトコンの指導者はバンドのリーダーに問いかける。
ベトコンに捕らえられた、命びろいの1度目の場面だ。ここまで、強い意志と実行力のかたまりのように突き進んできたリーダーが、このときばかりは思わず「っへ?」というすっとんきょうな声を出してしまう。そんなこと、考えたことすらなかったのだ。そして、ひねくり出した答えはまったく受け入れられない。ここでスエが屹然と放つ言葉には、――スエはどういうつもりで言ったのか判然としないが――やはり《平和とは何か》への一つの回答が込められているように思うのだ。平和とは「戦争(=非日常)における平和」(リーダーの答え)などではなく、当たり前のことが当たり前にできる、まさに「日常」を取り戻すこと。それは敵/味方を超える力を持つ。だからこそベトコンの指導者も銃口を下ろすことになったのだろう。
とにかく画の撮り方がうまい。印象的な場面がたくさんちりばめられているし、すっとその世界に入って、慰問バンドを水先案内人とした戦場をめぐる旅を満喫することができる。それでいて(だからこそ)、戦争や平和についてさまざまに考えさせてもくれる。傑作である。
2010年3月23日に日本でレビュー済み
新潟国際映画祭で見た映画です。最近人気の韓国映画らしく座席はほぼ満席でした。
色彩を抑えた画面構成が、抑圧され軍事政権下にあった70年代の雰囲気をよく伝えています。映画の解説に「水彩画のような映画」とありましたが、その解説がぴったり当てはまります。
主演のスエの淡々として抑えた演技が、この映画の全てと言っても過言ではないでしょう。歌手デビューの話もあった彼女らしく、劇中で歌う場面はどれも余韻が残る響きをもっています。(ドラマ「美しき日々」でヤンミミが歌っていたあのヒット曲も登場します)田舎の嫁として生きていた彼女が、歌を通して自己主張を持つように生き生きと成長していく姿は必見です。
愛情を感じられず、ベトナム戦争に行ってしまった夫役にはオム・テウン。彼は最初と最後の場面しか登場せず、助演の扱い。むしろベトナム戦争の最中、彼女と行動を共にするどうしょうもない人生を送る男優達とのコントラストが非常に考えられていて興味深いです。ラスト、夫と再会する場面で終わるラストは余韻を残ししつつも少し中途半端な印象を受けたので☆ひとつ減としました。
色彩を抑えた画面構成が、抑圧され軍事政権下にあった70年代の雰囲気をよく伝えています。映画の解説に「水彩画のような映画」とありましたが、その解説がぴったり当てはまります。
主演のスエの淡々として抑えた演技が、この映画の全てと言っても過言ではないでしょう。歌手デビューの話もあった彼女らしく、劇中で歌う場面はどれも余韻が残る響きをもっています。(ドラマ「美しき日々」でヤンミミが歌っていたあのヒット曲も登場します)田舎の嫁として生きていた彼女が、歌を通して自己主張を持つように生き生きと成長していく姿は必見です。
愛情を感じられず、ベトナム戦争に行ってしまった夫役にはオム・テウン。彼は最初と最後の場面しか登場せず、助演の扱い。むしろベトナム戦争の最中、彼女と行動を共にするどうしょうもない人生を送る男優達とのコントラストが非常に考えられていて興味深いです。ラスト、夫と再会する場面で終わるラストは余韻を残ししつつも少し中途半端な印象を受けたので☆ひとつ減としました。