王女メディア HDニューマスター版 [DVD]
フォーマット | 色, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | マルガレート・クレマンティ, マリア・カラス, マッシモ・ジロッティ, ジュゼッペ・ジェンティーレ, ポール・ジャパラ, ピエル・パオロ・パゾリーニ, フランコ・ロッセリーニ, ロラン・テルジェフ |
言語 | イタリア語 |
稼働時間 | 1 時間 51 分 |
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商品の説明
オペラ界の歌姫マリア・カラスを主演に迎えた、パゾリーニ絶頂期を代表する一本。
ギリシア悲劇を独創的にアレンジし、激しい気性の“魔女”メディアが辿る運命を瞑想的に描き出す。
小説家・詩人・映画監督・ジャーナリストと多方面で活躍していたピエルル・パオロ・パゾリーニの長編劇映画第八作。
エウリピデス作のギリシア悲劇『メディア』とその前日譚に基づき、神話的物語をほぼ忠実になぞりながらも、そこに時代や国籍にとらわれない撮影地・衣装・音楽等が配合された本作においては、時空を超越した独自の普遍性が創出された。とりわけ、日本の地唄や筝局の他、イラン、チベット、インド、アフリカ、ブルガリア等世界各地の民族音楽が劇伴として使用され、不可思議で瞑想的な効果を挙げている。
主演に世界的なオペラ歌手マリア・カラスを迎えながらも歌唱場面を封じ、彼女を「女」あるいは「母性」を象徴する存在として画面に定着することが目指された。本作はカラスにとって、唯一の劇映画出演作でもある。イアソン役には、1968年メキシコ・オリンピックで銅メダルを獲得した三段跳び選手ジュゼッペ・ジェンティーレが起用されている。ジェンティーレにとっても、本s化右派最初で最後の主演映画となった。半人半馬の賢者ケンタウロスに育てられたイオルコスの王子イアソンは、父親を殺害してその王位を奪った叔父ぺリアスに王位奪還を迫る。ぺリアスは、黒海の東にある国コルキスから金毛羊皮を手を持ってくることを条件に、王位奪還を承諾する。アルゴー船でコルキスに上陸したイアソンは、その地に住む王女メディアを魅了し、金毛羊皮の奪取に成功する。イアソンの虜となったメディアは彼の逃亡に同行し、幼い弟を殺して切り刻んだその死体を一つずつ捨てることで父王たちの追跡を遅らせ、帰国に成功する。だが王位変換の約束は反故にされ、彼らはコリント国に移住して二人の息子をもうける。その後、イアソンは国王クレオンに見込まれ、王女グラウケーと婚約する。一方、クレオンはメディアと二人の息子に国外追放を申し渡す。裏切られたメディアは、復讐を決意する。
登録情報
- アスペクト比 : 1.85:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : イタリア語
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 83.16 g
- EAN : 4523215054874
- 監督 : ピエル・パオロ・パゾリーニ
- メディア形式 : 色, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 51 分
- 発売日 : 2010/12/22
- 出演 : マリア・カラス, マッシモ・ジロッティ, ロラン・テルジェフ, ジュゼッペ・ジェンティーレ, マルガレート・クレマンティ
- 字幕: : 日本語
- 言語 : イタリア語 (Mono), 英語 (Mono)
- 販売元 : 紀伊國屋書店
- 生産者 : フランコ・ロッセリーニ
- ASIN : B0046ECN6A
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 139,266位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 13,483位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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それからよく思い出してみたいと思っていたが、今回、観ることができ
やっと納得することができた。
定価は5,040円(消費税5%込)です。
2016年秋現在、中古でもプレ値ですね。
名作なのでいずれBDなど出ると思います。
よく調べてから購入してください。
映画の内容については深くは語りません(語れません)。
個人的に音楽が素晴らしいと思います。
なぜ、原作からはみ出た作品にするのだろうか。そういう映画化作品が多いが、そうしたものの多くは決してよいできばえではない。後味が悪い。
パゾリーニは、古代ギリシアの宗教、法律、制度を十分に理解しないでこの映画を制作したのだと思う。
日本の楽器演奏が挿入されているけれど、日本の文化を汚しているとしか思えない。
その後、マリア・カラスが亡くなって20年もたってから彼女の熱烈なファンとなり再度観ること切望していましたが、本作品をやっと又観ることが出来て、
当時とは全く違った目で本作品を観られ感動しました!!
本作品は当時、失敗作と言われ、再起を模索して初めて映画に出演したマリア・カラスにも酷評が浴びせられました。
しかし、マリア・カラスの存在感と、衰えたりと言えどもあの美しさ!!
そして、彼女の演技云々ではなく、ディーバとしてこの世に使わされた彼女のカリスマ性はオペラ歌手としての全盛期の彼女がいかに凄かったのか、
舞台のフィルムがほとんどない中、本作品でその一端だけでも見ることが出来るのです。
また、ギリシャ人である彼女がメディアを演じているのも、観客を古代ギリシア時代に誘ってゆくのです。
カラスはオペラでもこのメディアには思い入れが深く、何度も舞台で歌っていて、CDを聴いても心揺さぶるものがあり、
また、彼女自身の悲劇的生涯を思うと、深い愛情と悲しみが演技ではない、迫真の表情に表れていて、後半は特に感動します!!
付け加えると、カッパドキアでの撮影時、熱さの上に衣装の重みと熱さで、カラスは倒れてしまったこともあったようです。
この時、カラスはパゾリーニに夢中だったので、彼のために全力を傾けたのでしょう。
パゾリーニは特異で難解な監督ですが、本作品は解り易い方ですが、前半の残虐なシーンなどは、悲劇的な彼の死に方を暗示させます。
音楽に日本の琴や長唄が使われているのには、日本人としては違和感を感じますが、
西洋人にとっては、聴いたことのない邦楽はミステリアスで、古代に誘うように聞こえるのかも、という点で興味深かったです。
この1999年版DVDには簡素なプロダクションノートやキャスト紹介等の文字資料が収録される。予告編等の映像特典はない。封入リーフレット等もない。
2010年版DVDと比較すると、トリミングの優位性は若干あるのだが画質はやや劣る (このあたりは2010年版DVDのレビューにも記しました)。そのため購入を検討する場合 (価格にもよるが) 2010年版DVDをお勧めしたい。
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本作はケンタウロスが幼いイアソンに語りかけるシーンで始まる。語られるのは複雑なギリシア悲劇の世界。ロケ地はイタリア北部アドリア海を望む村。独得の景観だ。ケンタウロスは下半身剥製をつけたような素朴な特撮で楽しい。
・・・年月が過ぎ成人したイアソンは旅に出る。行き先はイオルコス国。その後コルキス国へ向かいメディアと出会う(← ‘アルゴナウタイの冒険’ )。さらにメディアを連れてコリントス国へ向かう・・・。
イアソンは主人公ではないが本作のキーパーソンだ。
物語は、概ねギリシア悲劇『メディア』に沿う。ただ、前半は原作に含まれていない ‘アルゴナウタイの冒険’ の部分になる。イアソン一行のコルキス国への冒険(遠征)だ。ところがパゾリーニ監督は ‘冒険’ に比重を置いた描き方はしない。イアソン一行がやることは・・・家畜を盗んだりするだけで・・・ ‘冒険’ というよりただの ‘野盗’ に見える。それに、50の櫂を持つというアルゴ船だって大きな筏がチラッと映るだけだし、ヘラクレスとかどこにいるんだ・・・という感じ。描き方はアッサリしたものだ。同じ題材を扱った 『アルゴ探検隊の大冒険(1963)』 とはまるで違う。
監督が情熱を持って描いているのは目的地・コルキス国の ‘荒野・辺境の人々・儀式’ だ。トルコ・カッパドギアをコルキス国に見立てた映像は息を呑む。『アポロンの地獄』における砂漠(モロッコ)の映像に匹敵する迫力だ。イオルコス国に見立てたシリアの砂漠やコリントス国に見立てたイタリア・ピサ・ミラコリ広場もかなり凄いがコルキス国の描写にはかなわない。現地の人々もフォークロアな衣装も含めて素朴な迫力だ。コルキス国の部分はまるで他の惑星で撮影してきたかのようで圧倒される。
音楽も『アポロンの地獄』に通じるものだ。日本の地唄や筝曲を含め世界各地の民族音楽が選曲されている。異世界であることが強調され、迫力があり印象的だ。
そのなかで最も印象的なのは ‘儀式’ の描写だろう。メディア自身が火を渡るシーン(スタントなし)や、神官が生贄となる若者を五体バラバラにするシーン・・・その血を土地の植物へ塗るシーン・・・過激なシーンが続く(生贄等のシーンは物陰から撮影するような構図になっており直接的には映らないような配慮がある)。監督は ’儀式’ のシーンだけで映画が出来るほどの量を撮影をしたという。完成作品でもこのシークエンスは30分近くに及び見所だ。台詞は削り込まれ異様な緊張感が凄い。呪術的な緊張感とでもいうべきか。
異様な緊張感といえば主役メディアを演じるマリア・カラスも凄い。歌うシーンはほぼない。笑顔もない。美しい・・・というより恐ろしい。能面のような鋭い表情と高い鼻が印象的だ。後半部分は穏やかなコリントス国が舞台なのでコルキス国に比べ舞台の迫力は減るのだが、入れ替わるようにメディアの激情が画面を蓋いつくしていく。怒りのあまりクレオン王とクラウゲー姫を呪い殺すことを夢想する箇所・・・そして、その夢想のままに実行に移す箇所・・・。ここでも呪術的緊張感が恐ろしい。眩暈がするような迫力。・・・そしてどこか幻想的だ。この後半部分は監督の個性とカラスの個性が見事に噛み合いパゾリーニ監督作品群で最強 (そして ‘最恐’ ) のクライマックスに仕上がった、といえる。
監督はなぜ『メディア』を映画化したのだろう・・・この辺り私にはよくわからない。比喩的な部分があるのかもしれないが私には理解できない。
( → 監督によれば 「実際家(ブルジョア的)で世俗的・近代的なイアソンと原始的な世界にすむメディアとの対照を示すことを意図」 していたといい、これは 「下層プロレタリアの世界とブルジョアの世界との対比に重ねあわされている」 ・・・ということらしい。)
・・・しかし
わからないといいつつ本作の示す凄まじさには惹かれないではいられない。万人向けの娯楽作品には遠いかもしれないが、圧倒的な(監督の)個性に満ちた古代世界の映像化であり戦慄の物語でもある。前半、驚異の世界・・・後半、カラスの激情・・・そして、少ない台詞・・・異様な音楽・・・溢れる狂気・・・そして荒野。少しも古くなっていない。全く色あせていない。観たことのない戦慄の世界。
眩暈がするような傑作だ。
あっけにとられてるうちに、美しい湖畔の小屋なんかがでてきて
映像詩人パゾリーニの映画なんだなあ、と早くも感心するのである。
この人は、観客に状況説明とか全然しない人だから(笑)慣れるまではついていくしかない。
私はギリシャ神話とか全く興味ないし、分からない。パゾリーニの作風が好きなだけ。
だからこの映画のストーリーとかどうでもよくて、ただ映像と音楽と衣装を楽しみたいので
何度も鑑賞しているのである。
まず映像。
トルコ・カッパドキア地方の洞窟住居の風景が印象的。
パゾリーニの映画には、こういう洞窟や廃墟や荒涼とした大地などが舞台としてでてくることが多い。
さらにこの作品には、生贄などの呪術的雰囲気があり、手足を切断して道に置いてったりするシーンもあり。
音楽は全編にわたり、日本やチベット、ブルガリアをはじめとした世界中の民族音楽が使われ
怪しくも不思議な独特のムードが漂う。
衣装も凄くて、アフリカの土着的な民族衣装や小道具、アクセサリーなどがふんだんにでてきて
難しいことを考えなくても、そのリアルな映像美を楽しめる。
絵画的構図など、他にも見所いっぱいなのだが
こういう映画が難しいとか敷居が高いとか思わないで
ひとつの寓話とか、ファンタジーと思えばいいと思う。
独自の世界観のある、何にも似ていない、唯一無二の作品。
面白いと思うかどうかは、自分しだい。
なんとも言えない、見えないものに圧倒されます。
天才、鬼才ピエルパオロパゾリーニが残した傑作に感謝。