<おもいっきりネタばらししてます(…というか、それのみの実況中継型?レビューです)ので、知りたくない方はお読みにならない方がいいです…。>
冒頭から、怪しげ...。救急車の音、クラクション、交通渋滞ふうな雑音で始まる。
(絶対何かあるぞ!です。)
元礼拝堂、現在オーケストラのリハーサル室が写り、全編ほとんどこの空間。
まず、譜面係が現れ軽く説明。(カメラ目線です。)ご本人は至極まじめに語り譜面を並べていくのですが...その譜面がポロッ。ポロッ。
オーケストラの団員が徐々に集まり、勝手におしゃべり。
両脇をささえられながら、よれよれの老人団員が現れ、トランペットの先からはフーセンまがいの「変なもの」も(笑)。
リハーサル風景のTV撮影という設定。TVインタビューの形式で団員が次々とカメラ目線で語り始める。
…と同時に少しずつ音が鳴る。
打楽器、ストリングスと、とてもリズミカルに加わり何とも面白い!
次々と楽器について語る団員たち(カメラ目線!)。気持ちよく流れるような映像。
楽器どうしの掛け合い。(セリフも掛け合い)どんどんヒートアップ。渾然とし、アンサンブルとなり、団員の形相がこれまた凄い!譜面台の取り合い!ネズミは出る!
もう大騒ぎ!!!
指揮者はうんざり。私は笑いが止まらない。するとグッドなタイミングで指揮者が、『笑うな!』。思わず心の中で、『スミマセン!』。
そこへ、団員がごくフツーの曲なのに、『ここ笑えるでしょ?』と変な解釈。
かと思うと...
突如ひどく凹んだ演奏に変わり、指揮者は苦虫をかみつぶしたようなカオをする。
指揮者は興奮し、団員は上着を脱ぎ始め ー休憩ー リハーサル再開。収拾のつかない大騒ぎとなるも、興奮しながらカメラ目線のインタビューはつづく。指揮者はいらない、と大きなハリボテ風メトロノームまで出現!
…と一転、リハーサル室の壁が突然崩れ落ち…人も死に…それもやがて収まり妙に感動的なシーンが…。
これにてThe End? いえ、いえ、まだ続きが…。というか、このオチは…!!(嬉しくなっちゃいました。)
いやはや、翻弄されまくり(笑)。
と、とにかく…ご覧になってみてください。レンタルできますし…(スミマセン、私のレビューも収拾がつきませ〜ん!)
オーケストラ・リハーサル [DVD]
フォーマット | 色 |
コントリビュータ | クララ・コロシーモ, ボールドウィン・バース, フェデリコ・フェリーニ |
言語 | イタリア語 |
稼働時間 | 1 時間 12 分 |
【まとめ買いフェア開催中】よりどり2点以上で5%OFF
アウトドア用品、ファッション、食品・飲料、母の日ギフト、父の日ギフト関連商品など、10万点を超える対象アイテムからよりどり2点以上で5%OFF。 セール会場はこちら
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商品の説明
秩序と混乱を往復し悪魔のように暴走する このオーケストラは何者か?
◆フェリーニ&ロータ コンビ最終作!
◆フェリーニファン、ロータファンのみならず、全映画ファンにオススメする黒いユーモアと感動にあふれた傑作!!
◆音楽の存在、崩壊、創造をめぐる作品!
◆2011年はニーノ・ロータ生誕100年、イタリア統一150年の記念の年!
◆フェリーニとロータ、二人の巨星が最後に挑んだ、傑作!
【物語】13世紀に建てられた礼拝堂。
今日のオーケストラ・リハーサルは60名ほど。テレビの取材が入るため、老写譜師と集まった演奏者たちは、いくぶん陽気だ。
老若男女、出身地もバラバラな者が集まっている。
やがて指揮者があらわれた。昂揚するとドイツ語が混じる…指揮者だ。
リハーサルが開始…楽譜が間違えている。
演奏者と指揮者の解釈が全く合わない。
ラジオを聞きながら演奏している者もいる。
ときおり礼拝堂の壁がグラグラと揺れるが誰も気にしない。
徐々に熱くなってきた演奏者と指揮者たち。
20分の休憩をとろう――そこから混沌と破壊、創造が始まる――。
1978年 イタリア・西ドイツ作
※ジャケットデザインは変更になる場合がございます。
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : イタリア語
- 製品サイズ : 25 x 2.2 x 18 cm; 83.16 g
- EAN : 4933672239071
- 監督 : フェデリコ・フェリーニ
- メディア形式 : 色
- 時間 : 1 時間 12 分
- 発売日 : 2011/7/22
- 出演 : ボールドウィン・バース, クララ・コロシーモ
- 字幕: : 日本語
- 販売元 : IVC,Ltd.(VC)(D)
- ASIN : B00503SI3I
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 16,889位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,551位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
イメージ付きのレビュー
4 星
ここはどこだ。サッカー場か?
いきなりサイレンや街の喧噪、飛行機の爆音、クラクションが鳴り響き、これから始まる混沌の世界を予告する。今ではコンサート・ホールに使われている古い礼拝堂に次々に譜面台が現れ、譜面が置かれ、楽団員が登場。オーケストラのリハーサルと楽団員についてのテレビの取材という体で映画は進む。そして実際に本作は国営放送局RAI委嘱で製作され、劇場公開が予定されたテレビ映画。フェイク・ドキュメンタリー。主な登場人物は俳優の模様。インタビューを軸にして、カメラにそして我々観客に向かい愚痴やたわいないこと、楽器・音楽への愛を語る。やがて口うるさい指揮者が現れリハーサルが始まるが、指揮者の横暴、意見の対立。やがて次第にリハはカオスへと突入。監督特有の幻想的な映像、巨大でシュールなセットは一見なりをひそめているが・・。終盤まではいわばそれだけの映画で、何も難しいことはないが、全体が抽象的な比喩で成り立っているのではと思わされ始める。この集団はなんなんだろう。この集団は何ででもありうる集団。性別・年齢・指向が違う人たち。学校や会社や政府や果ては国家間・・?。そこは一応目的があり、秩序が要求される場所のはずだがとにかくうまくは進まない。これは政治的側面を持った作品ではないかということが、映像特典(文字資料)で語られている。独裁者と市民、議会などのメタファーかも知れない。権力構造、支配と自治と言ってよいかも知れない。しかし一般化され、コミカルなものとなっている。そして集団芸術を作り上げる葛藤、プライドと信念のお話しとストレートに観てもいい。ここには取材(テレビ)という媒介がなければ語られない人の吐露がある。「送り手」という存在が強烈に観る者に意識させられる。楽団の姿を借りた(また撮影スタッフの姿を借りた)映画撮影現場(のカオス)を扱った映画と観てもいいかも知れない。ある楽団員がいうとおり「解釈は自由」。以下、★まで具体的に内容に触れています。休憩中に楽団員は暴徒化。指揮者はいらない!とシュプレヒコールをぶちあげ、礼拝堂はまさに路上デモの様相。若者のパワー、あきれる老人たち。でっかいメトロノームが運び込まれ、謎の地響き。やがて巨大な鉄球があさま山荘のごとく礼拝堂の壁を意味不明に突き破り、けが人まで出て、まるで爆撃された建物のよう・・。この鉄球が本作のキモかと思う。混沌の果ての破壊、対立、衝突なくして創造、秩序、共存はありえないということだろうか。ここの顛末は短いながら映像の魔術師フェリーニらしい比喩となっている。砂埃の流れる中、真ん丸な鉄球が不気味。★夢から覚めたように我に返る皆。やがてリハは再開されるが、果たして・・・。いくつかの解釈が併存する映画だが、特段身構える必要はない。楽団員たちの下世話で赤裸々な振る舞い、がさつな存在感は楽しい。とっても人間臭い、生々しき人々を愛するフェリーニらしい作品と思う。音楽映画ではなく、わざと演奏場面の現実味を薄め、またもや祭りの姿を寓話的に表している。劇中音楽はニーノ・ロータのオリジナル。完成後に逝去され、フェリーニとの最後の作品となった。このロータのスコアも聴きもの。撮影は『山猫』『昨日・今日・明日』『サテリコン』『ひまわり』『愛の狩人』『アマルコルド』等の巨匠ジュゼッペ・ロトゥンノ。PROVA D'ORCHESTRA(ORCHESTRA REHEARSAL)1978 Italy・WDEDVDは16:9.ワイドTVでは画面ちょうどに映るが、テレビ作品なのでオリジナル・アスペクト比はスタンダード4:3程度。天地トリミングということになる。画質はまあまあというところ。ノイズ、傷がところどころ見受けられるが特にストレスはない。特典は映像文字資料7頁と伊の予告編。この予告編は4;3(左右グレー帯)。3分半、字幕なし。関連キーワード:アヴァンギャルド、群像劇、フェイク、礼拝堂、楽器、指揮者、鉄球、インタビュー、ハープ、メトロノーム、写譜者連想作:『フェリーニの道化師』
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上位レビュー、対象国: 日本
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2012年1月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2018年3月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
時間的に短く、少し消化不良な感じがしました。しかしニーノ・ロータの曲は流石でした。
2015年5月10日に日本でレビュー済み
いきなりサイレンや街の喧噪、飛行機の爆音、クラクションが鳴り響き、これから始まる混沌の世界を予告する。今ではコンサート・ホールに使われている古い礼拝堂に次々に譜面台が現れ、譜面が置かれ、楽団員が登場。オーケストラのリハーサルと楽団員についてのテレビの取材という体で映画は進む。そして実際に本作は国営放送局RAI委嘱で製作され、劇場公開が予定されたテレビ映画。フェイク・ドキュメンタリー。主な登場人物は俳優の模様。
インタビューを軸にして、カメラにそして我々観客に向かい愚痴やたわいないこと、楽器・音楽への愛を語る。やがて口うるさい指揮者が現れリハーサルが始まるが、指揮者の横暴、意見の対立。やがて次第にリハはカオスへと突入。監督特有の幻想的な映像、巨大でシュールなセットは一見なりをひそめているが・・。
終盤まではいわばそれだけの映画で、何も難しいことはないが、全体が抽象的な比喩で成り立っているのではと思わされ始める。この集団はなんなんだろう。この集団は何ででもありうる集団。性別・年齢・指向が違う人たち。学校や会社や政府や果ては国家間・・?。そこは一応目的があり、秩序が要求される場所のはずだがとにかくうまくは進まない。
これは政治的側面を持った作品ではないかということが、映像特典(文字資料)で語られている。独裁者と市民、議会などのメタファーかも知れない。権力構造、支配と自治と言ってよいかも知れない。しかし一般化され、コミカルなものとなっている。
そして集団芸術を作り上げる葛藤、プライドと信念のお話しとストレートに観てもいい。ここには取材(テレビ)という媒介がなければ語られない人の吐露がある。「送り手」という存在が強烈に観る者に意識させられる。楽団の姿を借りた(また撮影スタッフの姿を借りた)映画撮影現場(のカオス)を扱った映画と観てもいいかも知れない。ある楽団員がいうとおり「解釈は自由」。
以下、★まで具体的に内容に触れています。
休憩中に楽団員は暴徒化。指揮者はいらない!とシュプレヒコールをぶちあげ、礼拝堂はまさに路上デモの様相。若者のパワー、あきれる老人たち。でっかいメトロノームが運び込まれ、謎の地響き。やがて巨大な鉄球があさま山荘のごとく礼拝堂の壁を意味不明に突き破り、けが人まで出て、まるで爆撃された建物のよう・・。この鉄球が本作のキモかと思う。混沌の果ての破壊、対立、衝突なくして創造、秩序、共存はありえないということだろうか。ここの顛末は短いながら映像の魔術師フェリーニらしい比喩となっている。砂埃の流れる中、真ん丸な鉄球が不気味。★
夢から覚めたように我に返る皆。やがてリハは再開されるが、果たして・・・。いくつかの解釈が併存する映画だが、特段身構える必要はない。楽団員たちの下世話で赤裸々な振る舞い、がさつな存在感は楽しい。とっても人間臭い、生々しき人々を愛するフェリーニらしい作品と思う。音楽映画ではなく、わざと演奏場面の現実味を薄め、またもや祭りの姿を寓話的に表している。劇中音楽はニーノ・ロータのオリジナル。完成後に逝去され、フェリーニとの最後の作品となった。このロータのスコアも聴きもの。
撮影は『山猫』『昨日・今日・明日』『サテリコン』『ひまわり』『愛の狩人』『アマルコルド』等の巨匠ジュゼッペ・ロトゥンノ。
PROVA D'ORCHESTRA(ORCHESTRA REHEARSAL)1978 Italy・WDE
DVDは16:9.ワイドTVでは画面ちょうどに映るが、テレビ作品なのでオリジナル・アスペクト比はスタンダード4:3程度。天地トリミングということになる。画質はまあまあというところ。ノイズ、傷がところどころ見受けられるが特にストレスはない。特典は映像文字資料7頁と伊の予告編。この予告編は4;3(左右グレー帯)。3分半、字幕なし。
関連キーワード:アヴァンギャルド、群像劇、フェイク、礼拝堂、楽器、指揮者、鉄球、インタビュー、ハープ、メトロノーム、写譜者
連想作:『フェリーニの道化師』
インタビューを軸にして、カメラにそして我々観客に向かい愚痴やたわいないこと、楽器・音楽への愛を語る。やがて口うるさい指揮者が現れリハーサルが始まるが、指揮者の横暴、意見の対立。やがて次第にリハはカオスへと突入。監督特有の幻想的な映像、巨大でシュールなセットは一見なりをひそめているが・・。
終盤まではいわばそれだけの映画で、何も難しいことはないが、全体が抽象的な比喩で成り立っているのではと思わされ始める。この集団はなんなんだろう。この集団は何ででもありうる集団。性別・年齢・指向が違う人たち。学校や会社や政府や果ては国家間・・?。そこは一応目的があり、秩序が要求される場所のはずだがとにかくうまくは進まない。
これは政治的側面を持った作品ではないかということが、映像特典(文字資料)で語られている。独裁者と市民、議会などのメタファーかも知れない。権力構造、支配と自治と言ってよいかも知れない。しかし一般化され、コミカルなものとなっている。
そして集団芸術を作り上げる葛藤、プライドと信念のお話しとストレートに観てもいい。ここには取材(テレビ)という媒介がなければ語られない人の吐露がある。「送り手」という存在が強烈に観る者に意識させられる。楽団の姿を借りた(また撮影スタッフの姿を借りた)映画撮影現場(のカオス)を扱った映画と観てもいいかも知れない。ある楽団員がいうとおり「解釈は自由」。
以下、★まで具体的に内容に触れています。
休憩中に楽団員は暴徒化。指揮者はいらない!とシュプレヒコールをぶちあげ、礼拝堂はまさに路上デモの様相。若者のパワー、あきれる老人たち。でっかいメトロノームが運び込まれ、謎の地響き。やがて巨大な鉄球があさま山荘のごとく礼拝堂の壁を意味不明に突き破り、けが人まで出て、まるで爆撃された建物のよう・・。この鉄球が本作のキモかと思う。混沌の果ての破壊、対立、衝突なくして創造、秩序、共存はありえないということだろうか。ここの顛末は短いながら映像の魔術師フェリーニらしい比喩となっている。砂埃の流れる中、真ん丸な鉄球が不気味。★
夢から覚めたように我に返る皆。やがてリハは再開されるが、果たして・・・。いくつかの解釈が併存する映画だが、特段身構える必要はない。楽団員たちの下世話で赤裸々な振る舞い、がさつな存在感は楽しい。とっても人間臭い、生々しき人々を愛するフェリーニらしい作品と思う。音楽映画ではなく、わざと演奏場面の現実味を薄め、またもや祭りの姿を寓話的に表している。劇中音楽はニーノ・ロータのオリジナル。完成後に逝去され、フェリーニとの最後の作品となった。このロータのスコアも聴きもの。
撮影は『山猫』『昨日・今日・明日』『サテリコン』『ひまわり』『愛の狩人』『アマルコルド』等の巨匠ジュゼッペ・ロトゥンノ。
PROVA D'ORCHESTRA(ORCHESTRA REHEARSAL)1978 Italy・WDE
DVDは16:9.ワイドTVでは画面ちょうどに映るが、テレビ作品なのでオリジナル・アスペクト比はスタンダード4:3程度。天地トリミングということになる。画質はまあまあというところ。ノイズ、傷がところどころ見受けられるが特にストレスはない。特典は映像文字資料7頁と伊の予告編。この予告編は4;3(左右グレー帯)。3分半、字幕なし。
関連キーワード:アヴァンギャルド、群像劇、フェイク、礼拝堂、楽器、指揮者、鉄球、インタビュー、ハープ、メトロノーム、写譜者
連想作:『フェリーニの道化師』
いきなりサイレンや街の喧噪、飛行機の爆音、クラクションが鳴り響き、これから始まる混沌の世界を予告する。今ではコンサート・ホールに使われている古い礼拝堂に次々に譜面台が現れ、譜面が置かれ、楽団員が登場。オーケストラのリハーサルと楽団員についてのテレビの取材という体で映画は進む。そして実際に本作は国営放送局RAI委嘱で製作され、劇場公開が予定されたテレビ映画。フェイク・ドキュメンタリー。主な登場人物は俳優の模様。
インタビューを軸にして、カメラにそして我々観客に向かい愚痴やたわいないこと、楽器・音楽への愛を語る。やがて口うるさい指揮者が現れリハーサルが始まるが、指揮者の横暴、意見の対立。やがて次第にリハはカオスへと突入。監督特有の幻想的な映像、巨大でシュールなセットは一見なりをひそめているが・・。
終盤まではいわばそれだけの映画で、何も難しいことはないが、全体が抽象的な比喩で成り立っているのではと思わされ始める。この集団はなんなんだろう。この集団は何ででもありうる集団。性別・年齢・指向が違う人たち。学校や会社や政府や果ては国家間・・?。そこは一応目的があり、秩序が要求される場所のはずだがとにかくうまくは進まない。
これは政治的側面を持った作品ではないかということが、映像特典(文字資料)で語られている。独裁者と市民、議会などのメタファーかも知れない。権力構造、支配と自治と言ってよいかも知れない。しかし一般化され、コミカルなものとなっている。
そして集団芸術を作り上げる葛藤、プライドと信念のお話しとストレートに観てもいい。ここには取材(テレビ)という媒介がなければ語られない人の吐露がある。「送り手」という存在が強烈に観る者に意識させられる。楽団の姿を借りた(また撮影スタッフの姿を借りた)映画撮影現場(のカオス)を扱った映画と観てもいいかも知れない。ある楽団員がいうとおり「解釈は自由」。
以下、★まで具体的に内容に触れています。
休憩中に楽団員は暴徒化。指揮者はいらない!とシュプレヒコールをぶちあげ、礼拝堂はまさに路上デモの様相。若者のパワー、あきれる老人たち。でっかいメトロノームが運び込まれ、謎の地響き。やがて巨大な鉄球があさま山荘のごとく礼拝堂の壁を意味不明に突き破り、けが人まで出て、まるで爆撃された建物のよう・・。この鉄球が本作のキモかと思う。混沌の果ての破壊、対立、衝突なくして創造、秩序、共存はありえないということだろうか。ここの顛末は短いながら映像の魔術師フェリーニらしい比喩となっている。砂埃の流れる中、真ん丸な鉄球が不気味。★
夢から覚めたように我に返る皆。やがてリハは再開されるが、果たして・・・。いくつかの解釈が併存する映画だが、特段身構える必要はない。楽団員たちの下世話で赤裸々な振る舞い、がさつな存在感は楽しい。とっても人間臭い、生々しき人々を愛するフェリーニらしい作品と思う。音楽映画ではなく、わざと演奏場面の現実味を薄め、またもや祭りの姿を寓話的に表している。劇中音楽はニーノ・ロータのオリジナル。完成後に逝去され、フェリーニとの最後の作品となった。このロータのスコアも聴きもの。
撮影は『山猫』『昨日・今日・明日』『サテリコン』『ひまわり』『愛の狩人』『アマルコルド』等の巨匠ジュゼッペ・ロトゥンノ。
PROVA D'ORCHESTRA(ORCHESTRA REHEARSAL)1978 Italy・WDE
DVDは16:9.ワイドTVでは画面ちょうどに映るが、テレビ作品なのでオリジナル・アスペクト比はスタンダード4:3程度。天地トリミングということになる。画質はまあまあというところ。ノイズ、傷がところどころ見受けられるが特にストレスはない。特典は映像文字資料7頁と伊の予告編。この予告編は4;3(左右グレー帯)。3分半、字幕なし。
関連キーワード:アヴァンギャルド、群像劇、フェイク、礼拝堂、楽器、指揮者、鉄球、インタビュー、ハープ、メトロノーム、写譜者
連想作:『フェリーニの道化師』
インタビューを軸にして、カメラにそして我々観客に向かい愚痴やたわいないこと、楽器・音楽への愛を語る。やがて口うるさい指揮者が現れリハーサルが始まるが、指揮者の横暴、意見の対立。やがて次第にリハはカオスへと突入。監督特有の幻想的な映像、巨大でシュールなセットは一見なりをひそめているが・・。
終盤まではいわばそれだけの映画で、何も難しいことはないが、全体が抽象的な比喩で成り立っているのではと思わされ始める。この集団はなんなんだろう。この集団は何ででもありうる集団。性別・年齢・指向が違う人たち。学校や会社や政府や果ては国家間・・?。そこは一応目的があり、秩序が要求される場所のはずだがとにかくうまくは進まない。
これは政治的側面を持った作品ではないかということが、映像特典(文字資料)で語られている。独裁者と市民、議会などのメタファーかも知れない。権力構造、支配と自治と言ってよいかも知れない。しかし一般化され、コミカルなものとなっている。
そして集団芸術を作り上げる葛藤、プライドと信念のお話しとストレートに観てもいい。ここには取材(テレビ)という媒介がなければ語られない人の吐露がある。「送り手」という存在が強烈に観る者に意識させられる。楽団の姿を借りた(また撮影スタッフの姿を借りた)映画撮影現場(のカオス)を扱った映画と観てもいいかも知れない。ある楽団員がいうとおり「解釈は自由」。
以下、★まで具体的に内容に触れています。
休憩中に楽団員は暴徒化。指揮者はいらない!とシュプレヒコールをぶちあげ、礼拝堂はまさに路上デモの様相。若者のパワー、あきれる老人たち。でっかいメトロノームが運び込まれ、謎の地響き。やがて巨大な鉄球があさま山荘のごとく礼拝堂の壁を意味不明に突き破り、けが人まで出て、まるで爆撃された建物のよう・・。この鉄球が本作のキモかと思う。混沌の果ての破壊、対立、衝突なくして創造、秩序、共存はありえないということだろうか。ここの顛末は短いながら映像の魔術師フェリーニらしい比喩となっている。砂埃の流れる中、真ん丸な鉄球が不気味。★
夢から覚めたように我に返る皆。やがてリハは再開されるが、果たして・・・。いくつかの解釈が併存する映画だが、特段身構える必要はない。楽団員たちの下世話で赤裸々な振る舞い、がさつな存在感は楽しい。とっても人間臭い、生々しき人々を愛するフェリーニらしい作品と思う。音楽映画ではなく、わざと演奏場面の現実味を薄め、またもや祭りの姿を寓話的に表している。劇中音楽はニーノ・ロータのオリジナル。完成後に逝去され、フェリーニとの最後の作品となった。このロータのスコアも聴きもの。
撮影は『山猫』『昨日・今日・明日』『サテリコン』『ひまわり』『愛の狩人』『アマルコルド』等の巨匠ジュゼッペ・ロトゥンノ。
PROVA D'ORCHESTRA(ORCHESTRA REHEARSAL)1978 Italy・WDE
DVDは16:9.ワイドTVでは画面ちょうどに映るが、テレビ作品なのでオリジナル・アスペクト比はスタンダード4:3程度。天地トリミングということになる。画質はまあまあというところ。ノイズ、傷がところどころ見受けられるが特にストレスはない。特典は映像文字資料7頁と伊の予告編。この予告編は4;3(左右グレー帯)。3分半、字幕なし。
関連キーワード:アヴァンギャルド、群像劇、フェイク、礼拝堂、楽器、指揮者、鉄球、インタビュー、ハープ、メトロノーム、写譜者
連想作:『フェリーニの道化師』
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2012年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は楽器が全く出来ません。でも音楽はクラシックからジャズ、ラテン、演歌まで幅広く聴きますし、自分で言うのもナンなのですが、音楽の知識もある方だと思っています。と言うのも私にはジャズの演奏家の友人がおり、かなり長い付き合いなのですが、その彼からの種々な面白い情報や信じられない様な情報が私を虜にしているのですが、その彼から随分前にこの映画は観ておくべきだよと言われていました。
その理由は私が自分が出来ないものですからすぐ「楽器の出来る人って羨ましいし、尊敬している。特にそれで生活している人って言うのは天才だと思っている」って彼に言うんですが、そうすると彼は「楽隊(彼は演奏家や音楽家の事をこう呼びます)なんか全然大した人間じゃねえんだよ、只、一つの事に集中して時間が割ける人間で、それを持続出来た奴等が一流って言われるだけだよ。俺なんかお前みたいな毎日朝のラッシュに揺られて会社にいける人間の方がよっぽど天才だと尊敬してるよ」と返って来ます。
また「クラシックのオケ(オーケストラの略)の女が多い所は殆どが不倫カップルのオンパレードなんだから。乱れに乱れてるよ。そんな奴等でもいざ音を出すとそれなりに聴く人間を感動させたりするんだから不思議なもんだよナ。大体楽隊の本質は酒飲みで女好き、社会通念が全く欠けている人間ナンだから仕方がねぇってことだよ。」とも言ってます。
で、この映画の事なんですけれど、暫くこの作品のことを忘れていてアマゾンで中古で出たので買って観ました。
彼の言うとおりの世界がその儘映像になっていると言った感じでしたね。
直ぐ彼にメールで「観たよ、本当にあんな状態なの?」って聞いた所、「あれはかなりオーバーに脚色しているけれど音楽家の本質はあんなものだと思う」って。「只残念なのは」って理を入れて「役者が楽器のことを全く知らないから、楽器のポジショニングやフィンガリング、ボウイングが全然出来ていない、酷いもんだ。トロンボーンなんか全く出鱈目だし、あんなオケは世界中何処を探してもねえよ。イタリア野郎が作る映画だけあっていい加減な所で妥協しちゃうんだろうな。只同じ演奏家として判る部分が沢山あって指揮者との対立、また各楽器の演奏者の性格はよく出ていると思う。日本は労働組合があれほど強くないけれど、まあマニアックな映画としてはピカイチだと思うよ」ってメールが返って来ました。
彼が言う様にちょっとオーバーな脚色としても私はああ言う世界にはいられないだろうなあって思いましたね。
ああ言った自由で奔放な人達だから優れた音楽を創作したり演奏したり出来るんだろうなと改めて思った次第。
でも、考えてみたら長年付き合っているけれど友人の彼は未だに本当の性格が判らない、夜も寝ないで凄く一生懸命に何かに取り組んでいたかと思うと朝から晩まで酒飲んだくれていたり、一緒に飲んでいても急に練習したいって言って帰っちゃったり、私も彼に相当振り回されていますね。
音楽好きで変わった人間を見たければこの映画はお薦めかな、ただし普通の生活を大事にするような常識人は観ない方が良いかも知れません。
その理由は私が自分が出来ないものですからすぐ「楽器の出来る人って羨ましいし、尊敬している。特にそれで生活している人って言うのは天才だと思っている」って彼に言うんですが、そうすると彼は「楽隊(彼は演奏家や音楽家の事をこう呼びます)なんか全然大した人間じゃねえんだよ、只、一つの事に集中して時間が割ける人間で、それを持続出来た奴等が一流って言われるだけだよ。俺なんかお前みたいな毎日朝のラッシュに揺られて会社にいける人間の方がよっぽど天才だと尊敬してるよ」と返って来ます。
また「クラシックのオケ(オーケストラの略)の女が多い所は殆どが不倫カップルのオンパレードなんだから。乱れに乱れてるよ。そんな奴等でもいざ音を出すとそれなりに聴く人間を感動させたりするんだから不思議なもんだよナ。大体楽隊の本質は酒飲みで女好き、社会通念が全く欠けている人間ナンだから仕方がねぇってことだよ。」とも言ってます。
で、この映画の事なんですけれど、暫くこの作品のことを忘れていてアマゾンで中古で出たので買って観ました。
彼の言うとおりの世界がその儘映像になっていると言った感じでしたね。
直ぐ彼にメールで「観たよ、本当にあんな状態なの?」って聞いた所、「あれはかなりオーバーに脚色しているけれど音楽家の本質はあんなものだと思う」って。「只残念なのは」って理を入れて「役者が楽器のことを全く知らないから、楽器のポジショニングやフィンガリング、ボウイングが全然出来ていない、酷いもんだ。トロンボーンなんか全く出鱈目だし、あんなオケは世界中何処を探してもねえよ。イタリア野郎が作る映画だけあっていい加減な所で妥協しちゃうんだろうな。只同じ演奏家として判る部分が沢山あって指揮者との対立、また各楽器の演奏者の性格はよく出ていると思う。日本は労働組合があれほど強くないけれど、まあマニアックな映画としてはピカイチだと思うよ」ってメールが返って来ました。
彼が言う様にちょっとオーバーな脚色としても私はああ言う世界にはいられないだろうなあって思いましたね。
ああ言った自由で奔放な人達だから優れた音楽を創作したり演奏したり出来るんだろうなと改めて思った次第。
でも、考えてみたら長年付き合っているけれど友人の彼は未だに本当の性格が判らない、夜も寝ないで凄く一生懸命に何かに取り組んでいたかと思うと朝から晩まで酒飲んだくれていたり、一緒に飲んでいても急に練習したいって言って帰っちゃったり、私も彼に相当振り回されていますね。
音楽好きで変わった人間を見たければこの映画はお薦めかな、ただし普通の生活を大事にするような常識人は観ない方が良いかも知れません。
2014年7月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大学時代に岩波ホールで観たのを思い出します。あらためて観ると深いし、されに面白い。
2014年7月5日に日本でレビュー済み
フェデリコ・フェリーニ監督の1979年の作品。
もともとTV用の作品ということもあるのか時間としては72分と短い。
題名の通りオーケストラのリハーサル風景をTV局が撮影に来たという設定で描いた作品だ。
演奏者達の喧嘩、演奏者と指揮者の対立などなど、混沌とした情景をウィットに富んだ会話で綴った小品。
ラスト辺りで壁を突き破って出てくる鉄球は何を意味するのか?
まあそんなことを考える前にこの作品、僕には大したことなかったなあ。
各楽器を語る言葉や指揮者の立場とは、なんてところは面白かったが。
おそらく僕が初めてフェリーニ作品を映画館で観たのがこの作品と「フェリーニの道化師」の2本立てだったように思うが、記憶は定かではない。
もともとTV用の作品ということもあるのか時間としては72分と短い。
題名の通りオーケストラのリハーサル風景をTV局が撮影に来たという設定で描いた作品だ。
演奏者達の喧嘩、演奏者と指揮者の対立などなど、混沌とした情景をウィットに富んだ会話で綴った小品。
ラスト辺りで壁を突き破って出てくる鉄球は何を意味するのか?
まあそんなことを考える前にこの作品、僕には大したことなかったなあ。
各楽器を語る言葉や指揮者の立場とは、なんてところは面白かったが。
おそらく僕が初めてフェリーニ作品を映画館で観たのがこの作品と「フェリーニの道化師」の2本立てだったように思うが、記憶は定かではない。
2016年9月3日に日本でレビュー済み
映画館に通い詰めていた最後の頃に見た作品。 この作品もフェリーニという映画作家も懐かしい。
最後まで自分のスタイルを貫き通して、作品づくりが できたことと、
それを観客が時には批判しつつ支持して見続けた ことは映画の良き時代であったと思います。
オーケストラに関して内容や暗示するものについては、 様々な解釈がされていますが、
それらは抜きにしてただ登場人物の思いに耳を傾けるのも 楽しいです。
淡々と話が進む中、突然の鉄球はやはり かなりなショックであります。
さてあれは何を象徴しているのでしょうか。そんなことを考えるのも楽しいです。
最後まで自分のスタイルを貫き通して、作品づくりが できたことと、
それを観客が時には批判しつつ支持して見続けた ことは映画の良き時代であったと思います。
オーケストラに関して内容や暗示するものについては、 様々な解釈がされていますが、
それらは抜きにしてただ登場人物の思いに耳を傾けるのも 楽しいです。
淡々と話が進む中、突然の鉄球はやはり かなりなショックであります。
さてあれは何を象徴しているのでしょうか。そんなことを考えるのも楽しいです。