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夏の妹 [DVD]
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商品の説明
日本本土と沖縄の愛憎溢れる複雑な関係性を青春映画風に描いた、大島渚最後のATG映画。
かくて、『夏の妹』は、青春映画であり、観光映画であり、そしてすぐれたメロドラマなのである。――大島渚
素直子は父の婚約者でピアノの家庭教師でもある桃子と本土復帰直前の沖縄にやってきた。数ヶ月前、素直子は大村鶴男と名乗る沖縄の青年から手紙をもらい、自分たちは兄妹かもしれないというので、鶴男を訪ねて沖縄にやってきたのだった。下船した素直子はさっそく観光客に沖縄語を教えて金を稼ぐ青年と知り合い、親しくなる。実は彼こそが鶴男なのだが、彼は庭先で見かけた桃子を素直子だと勘違いしているので、二人はお互いに気づかないまま、すれ違いを繰り返していく。一方、沖縄人に自分を殺してほしいと、その相手を探す老人がいる反面、本土の人間を殺したいと願い、相手を探す男がいる。三世代それぞれの者たちの思いは交錯し、沖縄の青い空に溶け込んでいく……。
鬼才大島渚が本土と沖縄の愛憎入り乱れる複雑な関係を、復帰直後の沖縄で全篇ロケショーンした異色作。すれ違いのメロドラマの骨法を取り入れた物語は、随所に観光名所を織り込んで、青春映画風に仕上がっている。素直子に本作が映画デビューになる栗田ひろみ、鶴男に人気絶頂の石橋正次、桃子にシンガー・ソングライターで女優としての活躍も著しいりりィ。それらの若い三人に大島組常連が脇を固める。大島渚、最後のATG作品となる清新な青春映画である。
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 83.16 g
- EAN : 4523215036399
- メディア形式 : DVD-Video
- 発売日 : 2011/9/24
- 出演 : 栗田ひろみ
- 販売元 : 紀伊國屋書店
- ASIN : B005ADK2CS
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 116,621位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 13,122位日本映画 (DVD)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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巨匠の作品でもあり、沖縄返還と言う事もあり、社会派作品を期待したが。
ストーリーが昼メロっぽくて少しがっかりした。
親達が三角関係で、その子供達も三角関係って「冬のソナタ」だな。
カラー映像だと最近の様に見えるが、キャストの大人達はもう亡くなっている。
キャストの若者達も老人になったり亡くなっている。
下ネタを面白がる発想は昔も今も変わらない。
演技力は皆が言う程、気にはなりませんでした。
なんてったって綺麗で影のある、魅力的なりりィさんが全編で観れただけでも貴重で嬉しかった。
購入して良かったです。
新しいバランスに挑戦した作品なのかなーと思った。
複雑な人間関係という点で、田島列島さんの作品を思い出した。
沖縄に対しての「罪の意識の存在」を教えられて来なかった(と感じている)身としては、勉強にもなったし、いろいろ調べてみようとも思った。
素直子さん(本土民)の爽やかな印象の影に潜む、
本土民と島民の緊張感と虚無感は、
戦時中から~1972年の沖縄返還までの、
歴史の裏面を物語る水面下の光景が描き出されている、
と諸解釈ができる。
リゾート観光地というものは、
一種の権力支配構造における囲い込み済みの状態であり、また、
排除された悔恨、悲しみの歴史が背景にあり、
利益至上主義社会という時間軸の中では、
それは徐々に忘却、消滅する構造を内含している。
行き場のない捌け口は悲しみとして、
島民の歴史の精神は風化するものとして、
本作は分類化され、
他方は消滅する歴史の諸考察ができる。
字幕機能はありません。
栗田ひろみの可愛さだけが魅力。
大島作品の啓蒙的な意識がまだそこここに残っている。
当時の空気感が実に参考になった。
政治的な主張を含んでとかと言われてはいますが、
それが本当かはわからない。
単純に検閲から逃れる手法の一つだっただけの可能性もあるし、
それっぽい演出を、見た側が都合よく解釈してくれたのに、
ただ乗っかっただけってこともありえる。
下ネタすらいえない時代に、ただ裸になっただけの事なのに、
それが(その当時の)現在芸術へアンチテーゼだなんて主張する人もいるわけだ。
よく言われることですが、
芸術なんて、伝わらないなら、便所の落書きと変わらない。
気の毒だが、素人の使い方でいうと大島渚も黒澤明も、パゾリーニと比較するとずいぶんと見劣りがする。黒澤明の場合は、素人を使うといっても、それなりに修練を積んだ素人もどき役者を使うし、また、ズブの素人を起用する場合も無理のない使い方をしていたので救われる。大島渚は違う。素人に大役を押しつける。かなり難しい演技も要求する。そのせいで、破綻してしまうシーンが多すぎて、作品が酷評を被りがち。←これは仕方ない。映像作家・大島渚の思想、政治的ポジション、ワンシーン・ワンシーンに秘められたメタファーを読み取るには、相当の大島渚オタクであることが要求されるのだ。
熱心な映画ファンでも、そこまで、大島渚に肩入れするほど、暇に生きていない。そもそも、何の予備知識がなくとも、なあ~~んだ、これは!!と、鑑賞者の度肝を抜くのが、いかなるジャンルであれ、名作というもんである。( ̄Д ̄)ノ じゃじゃじゃじゃ~ん!!!の一発で、聞き手を虜にする交響曲第5番が、芸術の名を冠せられるに値する分野での傑作のプロトタイプである。
黒澤明のじゃじゃじゃじゃ~ん!!!は、「セブン・サムライ」。
大島渚のは、「愛のコリーダ」。ただし、無修正版。
パゾリーニは、「奇跡の丘」、「アポロンの地獄」。
「夏の妹」、無残やな
素人演技に
潰された。 d( ̄  ̄)