・・所謂固茹での文体を称して、そう呼ばれている(らしい)。
かつて北方謙三がラジオのインタビュー番組か何かで言っていたんだけど・・
思ってることがそのまま登場人物のセリフにはならない・・のだ、と。そんな内容だった。
この映画でも直接何かが描かれることはない。、そこにいる人間の身に起こることが重なって、時間の推移と共に「何か」が炙り出されていく、大袈裟に言えばそれが「人生(の少なくとも一部)」であったりする。はたまた登場人物の人となりであり、性格であったりもする。
何も起こらないようでいても映画の時間は流れて、それが観客にそこにいる人間の感情(焦り、意気、心)を見事に炙り出していく。
余計なものは一切ない。
いや、逆に言えば余計なものしかない。逆説的に言えば直接描かれることがないから、そうとも言い得る。
先ごろ亡くなったばかりの崔洋一監督の一世一代の名編。
これは傑作と信じる。