物凄く好みのものがたっくさん載っており、ふせんだらけになりました。
好きなのは裸足の女です。大事にします
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怖い俳句 (幻冬舎新書) Kindle版
世界最短の詩文学・俳句は同時に世界最恐の文芸形式でもあります。日常を侵犯・異化するなにか、未知なるものとの遭遇、人間性そのもの……作品の中心にある怖さはそれぞれですが、どれも短いがゆえに言葉が心の深く暗い部分にまで響きます。一句二句、暗唱して秘められた世界に浸ってみてください。不思議なことに、そこはかとない恐怖がやがてある種の感動へと変わるはずです。数々のホラー小説を手がけ、また俳人でもある著者が、芭蕉から現代までたどった傑作アンソロジー。
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日2012/7/28
- ファイルサイズ440 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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商品の説明
著者について
1960年三重県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。作家・俳人・翻訳家。『地底の鰐、天上の蛇』でデビュー。『赤い額縁』(幻冬舎)を刊行後、ミステリー、ホラー、幻想小説、時代小説など多彩な作品を精力的に発表する。句集は『アンドロイド情歌』(マイブックル)、『魑魅』『悪魔の句集』(いずれも邑書林)、『怪奇館』(弘栄堂書店)の四冊。「俳句空間」の新鋭投句欄を経て「豈」同人、故攝津幸彦主宰の歌舞伎町句会に参加。現代俳句協会会員。ほかに『田舎の事件』『活字狂想曲』『白い館の惨劇』(いずれも幻冬舎)など著書多数。
登録情報
- ASIN : B009IH4KYI
- 出版社 : 幻冬舎 (2012/7/28)
- 発売日 : 2012/7/28
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 440 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 207ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 230,835位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 658位幻冬舎新書
- - 42,296位文学・評論 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1960年1月28日、三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。三重県立上野高校、早稲田大学第一文学部文芸専修卒。同大学院文学研究科日本文学専攻博士課程前期中退。
在学中に幻想文学会に参加、1987年、短篇集『地底の鰐、天上の蛇』でデビュー。印刷会社、校閲プロダクション勤務を経て、1998年より専業作家。ホラー、ミステリー、幻想小説、近年は時代小説を多数発表、オリジナル著書数は230冊を超える。俳句、短歌、散文詩の短詩型文学、翻訳、油絵、作曲なども手がける。
[受賞歴]第3回世界バカミス☆アワード(2010年)、第4回攝津幸彦記念賞優秀賞(2018年)、第10回日本歴史時代作家協会賞シリーズ賞(2021年)。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年7月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルは“怖い俳句”と或り選者が自ら「俳句は世界最恐の文学形式」と云うが、選ばれた多くの俳句は直截に“怖い”ではなく怖さを仄めかし想像に訴えかけてくるようだ。或意味、怖さは感じ方次第に思えるが選者は一歩踏み込んで解釈し、その観念的な不気味が選者の解説で怖さに塗り込められていく…選者の心象風景が“怖い”を招き入れているようにも感じる。自分のような素人は怖いこわいの作法を守って俳句に含まれた怖さを理解していくのが正しいのだろう。
2020年11月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の「元気が出る俳句」と比べます。怖い、という範疇での選択は難しいのでしょうが、採った句に少し偏りがあるのでは。本人が好きなのでしょうが、そしてこれも俳句の一断面といわれればそうでしょうが、グロテスクあるいは独りよがりの句が多かったです。まあ、二度と読まないだろう俳句を鑑賞できたのが、良かった点です。
2014年9月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
俳句を「怖い」というくくり方で、まとめてある。
大変わかりやすい。
初心者の私にとって、理解しやすく、よい、俳句鑑賞へのガイドと思った。
大変わかりやすい。
初心者の私にとって、理解しやすく、よい、俳句鑑賞へのガイドと思った。
2013年8月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
怖い俳句、というのはどんなのか。
俳句は詠みませんが、読むのは好きなので、期待して。
帯には「短いから、よけい怖い」とあります。前書きでは著者自身、もっとも字数の少ない文芸である俳句は、怖さの謎解きができないので、「説明が付与されない不安」がつのり「宙ぶらりん」の怖さにおいて、俳句の右に出る形式はない、と書いています。
しかし、ページをめくっても、特に背筋が凍るほど「怖い」世界には出会えない気がします。著者は句作のほか、ミステリ、幻想文学、特にホラー文学の研究者でもあるので、「怖い」俳句には目利きであるはずです。もちろんどれも名句ではあるのですが、
「大枯野すてられし箱うごき出す 藤岡筑邨」「貌が棲む芒の中の捨て鏡 中村苑子」
「首をもちあげると生きていた女 時実新子」「いつまでも骨のうごいている椿 飯島晴子」「幽霊が写って通るステンレス 池田澄子」
たしかにこれらは、文字面も、また浮かぶ映像も、「怖い」ようです。しかし、俳句という箱の中に切り取られたとき、これらはギャグに近い後味を同時に残してゆきます。言っていることは怖いのに、こう言い切られると、ノンセンス、おかしみにつながってゆくのはなぜか。特に二句目は、著者推奨の怖い俳句ですが、能楽などで見たような既視感があり、つまり舞台設定がいかにも「ソレ」らしいため、ここで出るな、と思うと出る幽霊のように、定型化によって薄められてしまう気もしました。
ページが進むうちに、俳句ってなんだろう、と逆に、その点がものすごくあぶりだされて来た気がします。
本書刊行のちょうど一年後、 2013年「俳句界」8月号に同じ著者が、”怪奇現象””ホラー”を詠む という特集ページを持っているので、それを目当てに、その雑誌を買ってみました。「怖い俳句」と「ホラー俳句」は厳密には違う、とのこと。自然災害や人間の心理の怖さなどとは違う、スーパーナチュラルな怖さが「ホラー俳句」なのだと。
しかもこの誌面では
「「幽霊」や「妖怪」などがあからさまに登場する句は怖さを阻害してしまうのではなかろうか」p.103
そう書かれています。たしかに「幽霊が写って通る」と種明かしを最初からされてしまうと、怖くなく、ちょっとシュール、いや、むしろ微苦笑が浮かんできます。
そして俳句はもともと、グロテスクなものを諧謔のほうに転化してみせる、という性格をもっていたのではないか。
そのことに改めて思いいたります。客観的な立ち位置ゆえに、ホラーも微苦笑のほうへスライドしがち?
では「怖い俳句」は不可能なのか?
自分が本書中でほんとうに怖かったのはどういう句なのか、考えてみました。
それは テラー(ゾンビ、腐乱死体、骨など、生理的にグロテスクなもの)に変化しない「ホラー」(恐怖)。
つまり何が出てくるかいつまでもわからない、不安なものではないか、という結論へと導かれてゆきました。
「恋人よ草の沖には草の鮫 小林恭二」「梁の見えておそろし夜半の冬 原 石鼎」
「葱を切るうしろに廊下つづきけり 下村槐太」「隙間より雛の右目の見えてをり 小豆澤裕子」
その他に、生理的な怖さというものも大きいようです。
「 初夢のいきなり太き蝶の腹 宇佐美魚目」「芋虫の一夜の育ち恐ろしき 高野素十」
怖いのかノンセンスなのか、考えあぐむ例として
「蛇口からしばらく誰も出てこない 草地豊子」
そして
「雪こんこん死びとの如き男の手 鈴木しづ子」
などでは怖いよりも、耽美な情念の世界がたちあがってしまいます。
本書では、怖がらせられるというより、俳句とは何か、この強烈に封鎖された空間の中では、ゆるい散文空間の中で生きていたモノが、どう凍結して姿を変えるのか、そんなことのほうに目を向けさせてもらいました。。
俳句の本質に対する問題提起に満ちた本です。
なお内容は、
一章 芭蕉から子規まで 二章 虚子からホトトギス系、人間探求派まで 三章 戦前新興俳句系 四章 実存観念系とその周辺、五章、戦後前衛俳句系 六章 女流俳句 七章 自由律と現代川柳 八章昭和生まれの俳人(戦前)、九章、昭和生まれの俳人(戦後)とほぼ通史的に、二百句ほどが、著者の鑑賞とともにおさめられています。
俳句史や時代の精神、また個々の俳人の句境などにふみこむ本ではなく、あくまで「学芸員の音声ガイド」(著者)という趣きですが、このような角度でのアンソロジーは初めてです。
俳句は詠みませんが、読むのは好きなので、期待して。
帯には「短いから、よけい怖い」とあります。前書きでは著者自身、もっとも字数の少ない文芸である俳句は、怖さの謎解きができないので、「説明が付与されない不安」がつのり「宙ぶらりん」の怖さにおいて、俳句の右に出る形式はない、と書いています。
しかし、ページをめくっても、特に背筋が凍るほど「怖い」世界には出会えない気がします。著者は句作のほか、ミステリ、幻想文学、特にホラー文学の研究者でもあるので、「怖い」俳句には目利きであるはずです。もちろんどれも名句ではあるのですが、
「大枯野すてられし箱うごき出す 藤岡筑邨」「貌が棲む芒の中の捨て鏡 中村苑子」
「首をもちあげると生きていた女 時実新子」「いつまでも骨のうごいている椿 飯島晴子」「幽霊が写って通るステンレス 池田澄子」
たしかにこれらは、文字面も、また浮かぶ映像も、「怖い」ようです。しかし、俳句という箱の中に切り取られたとき、これらはギャグに近い後味を同時に残してゆきます。言っていることは怖いのに、こう言い切られると、ノンセンス、おかしみにつながってゆくのはなぜか。特に二句目は、著者推奨の怖い俳句ですが、能楽などで見たような既視感があり、つまり舞台設定がいかにも「ソレ」らしいため、ここで出るな、と思うと出る幽霊のように、定型化によって薄められてしまう気もしました。
ページが進むうちに、俳句ってなんだろう、と逆に、その点がものすごくあぶりだされて来た気がします。
本書刊行のちょうど一年後、 2013年「俳句界」8月号に同じ著者が、”怪奇現象””ホラー”を詠む という特集ページを持っているので、それを目当てに、その雑誌を買ってみました。「怖い俳句」と「ホラー俳句」は厳密には違う、とのこと。自然災害や人間の心理の怖さなどとは違う、スーパーナチュラルな怖さが「ホラー俳句」なのだと。
しかもこの誌面では
「「幽霊」や「妖怪」などがあからさまに登場する句は怖さを阻害してしまうのではなかろうか」p.103
そう書かれています。たしかに「幽霊が写って通る」と種明かしを最初からされてしまうと、怖くなく、ちょっとシュール、いや、むしろ微苦笑が浮かんできます。
そして俳句はもともと、グロテスクなものを諧謔のほうに転化してみせる、という性格をもっていたのではないか。
そのことに改めて思いいたります。客観的な立ち位置ゆえに、ホラーも微苦笑のほうへスライドしがち?
では「怖い俳句」は不可能なのか?
自分が本書中でほんとうに怖かったのはどういう句なのか、考えてみました。
それは テラー(ゾンビ、腐乱死体、骨など、生理的にグロテスクなもの)に変化しない「ホラー」(恐怖)。
つまり何が出てくるかいつまでもわからない、不安なものではないか、という結論へと導かれてゆきました。
「恋人よ草の沖には草の鮫 小林恭二」「梁の見えておそろし夜半の冬 原 石鼎」
「葱を切るうしろに廊下つづきけり 下村槐太」「隙間より雛の右目の見えてをり 小豆澤裕子」
その他に、生理的な怖さというものも大きいようです。
「 初夢のいきなり太き蝶の腹 宇佐美魚目」「芋虫の一夜の育ち恐ろしき 高野素十」
怖いのかノンセンスなのか、考えあぐむ例として
「蛇口からしばらく誰も出てこない 草地豊子」
そして
「雪こんこん死びとの如き男の手 鈴木しづ子」
などでは怖いよりも、耽美な情念の世界がたちあがってしまいます。
本書では、怖がらせられるというより、俳句とは何か、この強烈に封鎖された空間の中では、ゆるい散文空間の中で生きていたモノが、どう凍結して姿を変えるのか、そんなことのほうに目を向けさせてもらいました。。
俳句の本質に対する問題提起に満ちた本です。
なお内容は、
一章 芭蕉から子規まで 二章 虚子からホトトギス系、人間探求派まで 三章 戦前新興俳句系 四章 実存観念系とその周辺、五章、戦後前衛俳句系 六章 女流俳句 七章 自由律と現代川柳 八章昭和生まれの俳人(戦前)、九章、昭和生まれの俳人(戦後)とほぼ通史的に、二百句ほどが、著者の鑑賞とともにおさめられています。
俳句史や時代の精神、また個々の俳人の句境などにふみこむ本ではなく、あくまで「学芸員の音声ガイド」(著者)という趣きですが、このような角度でのアンソロジーは初めてです。
2013年11月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「怖い」という意味が良く分からないまま、途中でギブアップしました。
2014年4月28日に日本でレビュー済み
私は俳句の門外漢で、鑑賞経験もあまりなく
タイトルの「怖い」という単語にひかれて
この本を手に取ったのだが、大変に面白かった。
著者の「怖い」という感性にひっかかった句を
「批評の専門用語は極力用いず、自分の言葉で平易に語ることを
心がけ」て初心者にもわかりやすく解説してくれており
この本を編集するために、数多の俳人の膨大な句業の中から
ピックアップしていく作業の労苦と時間、
そして著者の知識量と語彙の豊富さを思うと頭が下がる。
また、俳句界の派閥や流れを踏まえた構成になっているので
気に入った句からその詠み人、そして所属していた派閥へと
さかのぼって読み進んでいく楽しみもある。
肝心の「怖い」という切り口だが「なんなのコレ、全然怖くない!」と
いう感想を持たれる方もいるかもしれない。
直接的な血や痛み、海外のスプラッタやホラー系が怖いと感じるか
そこはかとない空気感や間、違和感や狂気、怪異への恐れ、
人と自分とのズレ、などを怖いと感じるかなんだと思うが
後者を感じるには、日常生活からちょっとずれたところに
トリップしないと深々惻惻たる風情にひたることができないので
この本を読んで怖さを感じたいときは、ある程度のひたれる時間と
静かで集中できる場所、心の余裕が必要だと思う。
「怖い」という切り口では「怖い絵」シリーズが有名だが
かの本は解説が「怖いでしょう?怖いでしょう?」と女性特有の
文章で煽るので興ざめてしまうのだが、こちらの本は
いい意味で放っておいてくれる(これも俳句の「決定的な短さ」故の
鑑賞方法の違いだろうか)ので、好ましい。
また、門外漢ならではの感想だが、俳人の雅号の趣き深い事!
キラキラネームをつける親達に読ませたい。
タイトルの「怖い」という単語にひかれて
この本を手に取ったのだが、大変に面白かった。
著者の「怖い」という感性にひっかかった句を
「批評の専門用語は極力用いず、自分の言葉で平易に語ることを
心がけ」て初心者にもわかりやすく解説してくれており
この本を編集するために、数多の俳人の膨大な句業の中から
ピックアップしていく作業の労苦と時間、
そして著者の知識量と語彙の豊富さを思うと頭が下がる。
また、俳句界の派閥や流れを踏まえた構成になっているので
気に入った句からその詠み人、そして所属していた派閥へと
さかのぼって読み進んでいく楽しみもある。
肝心の「怖い」という切り口だが「なんなのコレ、全然怖くない!」と
いう感想を持たれる方もいるかもしれない。
直接的な血や痛み、海外のスプラッタやホラー系が怖いと感じるか
そこはかとない空気感や間、違和感や狂気、怪異への恐れ、
人と自分とのズレ、などを怖いと感じるかなんだと思うが
後者を感じるには、日常生活からちょっとずれたところに
トリップしないと深々惻惻たる風情にひたることができないので
この本を読んで怖さを感じたいときは、ある程度のひたれる時間と
静かで集中できる場所、心の余裕が必要だと思う。
「怖い」という切り口では「怖い絵」シリーズが有名だが
かの本は解説が「怖いでしょう?怖いでしょう?」と女性特有の
文章で煽るので興ざめてしまうのだが、こちらの本は
いい意味で放っておいてくれる(これも俳句の「決定的な短さ」故の
鑑賞方法の違いだろうか)ので、好ましい。
また、門外漢ならではの感想だが、俳人の雅号の趣き深い事!
キラキラネームをつける親達に読ませたい。
2021年8月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
背筋が寒くなるような怖さではなく、ジメッとぬるっとしたタイプの怖さです。