素晴らしい小説だと思います。
300ページと長すぎず、濃密で無駄が全くないです。
ギャツビーというキャラクター、人間らしい部分と人間離れした純粋さを見事に描き切っています。
Kindle 価格: | ¥572 (税込) |
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グレート・ギャツビー(新潮文庫) Kindle版
ただ恋を成就させるため、巨万の富を築いた男。
虚栄に満ちた人生の儚さを描く、アメリカ文学の代表的傑作。
豪奢な邸宅に住み、絢爛たる栄華に生きる謎の男ギャツビー。彼の胸にはかつて一途に愛情を捧げ、失った恋人デイズィへの異常な執念が育まれていた……。
第一次世界大戦後のニューヨーク郊外を舞台に、狂おしいまでにひたむきな情熱に駆られた男の悲劇的な生涯を描き、何度も映画化された20世紀文学最大の問題作。滅びゆくものの美しさと、青春の憂愁を華やかに謳いあげる世界文学の最高峰。
本文より
「ギャツビーがあの家を買ったのは、デイズィのいるとこが入江のすぐむこう側になるからなんだもの」
では、あの六月の夜、彼が熱い思いをはせたのは、星空に対してだけではなかったのか。ギャツビーという人間が、その無意味な栄華の雲につつまれた神秘から急に抜けだして、一個の生きた人間としてぼくの眼に映ってきた。(略)
あまりにもつつましやかな要求に、ぼくはある感動を覚えた。五年間待ったあげくに大邸宅を購入し、そこへ舞いこむ蛾のむれに、星の光をわかち与えてやった―― (第四章)
フィツジェラルド Fitzgerald, Francis Scott(1896-1940)
ミネソタ州セントポール生れ。第1次大戦に志願、陸軍少尉として内地勤務の傍ら、プリンストン大学在学時から始めた創作にいそしみ、1920年『楽園のこちら側』を出版、絶賛を浴びる。以後、次々と発表した『ジャズ・エイジの物語』『すべて悲しき若者たち』『グレート・ギャツビー』等も喝采をもって受け入れられ、美貌の妻ゼルダとの絢爛たる私生活は注目を集め、“失われた世代(ロスト・ジェネレーション)"のヒーローとして君臨した。1929年恐慌前後の社会の変貌につれ、公私ともに破綻をきたし、起死回生の『最後の大君』執筆中に心臓発作で急死。
野崎孝(1917-1995)
青森県弘前市生れ。東大英文科卒。名訳で知られるサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』、フィツジェラルド、バース等の訳書がある。
虚栄に満ちた人生の儚さを描く、アメリカ文学の代表的傑作。
豪奢な邸宅に住み、絢爛たる栄華に生きる謎の男ギャツビー。彼の胸にはかつて一途に愛情を捧げ、失った恋人デイズィへの異常な執念が育まれていた……。
第一次世界大戦後のニューヨーク郊外を舞台に、狂おしいまでにひたむきな情熱に駆られた男の悲劇的な生涯を描き、何度も映画化された20世紀文学最大の問題作。滅びゆくものの美しさと、青春の憂愁を華やかに謳いあげる世界文学の最高峰。
本文より
「ギャツビーがあの家を買ったのは、デイズィのいるとこが入江のすぐむこう側になるからなんだもの」
では、あの六月の夜、彼が熱い思いをはせたのは、星空に対してだけではなかったのか。ギャツビーという人間が、その無意味な栄華の雲につつまれた神秘から急に抜けだして、一個の生きた人間としてぼくの眼に映ってきた。(略)
あまりにもつつましやかな要求に、ぼくはある感動を覚えた。五年間待ったあげくに大邸宅を購入し、そこへ舞いこむ蛾のむれに、星の光をわかち与えてやった―― (第四章)
フィツジェラルド Fitzgerald, Francis Scott(1896-1940)
ミネソタ州セントポール生れ。第1次大戦に志願、陸軍少尉として内地勤務の傍ら、プリンストン大学在学時から始めた創作にいそしみ、1920年『楽園のこちら側』を出版、絶賛を浴びる。以後、次々と発表した『ジャズ・エイジの物語』『すべて悲しき若者たち』『グレート・ギャツビー』等も喝采をもって受け入れられ、美貌の妻ゼルダとの絢爛たる私生活は注目を集め、“失われた世代(ロスト・ジェネレーション)"のヒーローとして君臨した。1929年恐慌前後の社会の変貌につれ、公私ともに破綻をきたし、起死回生の『最後の大君』執筆中に心臓発作で急死。
野崎孝(1917-1995)
青森県弘前市生れ。東大英文科卒。名訳で知られるサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』、フィツジェラルド、バース等の訳書がある。
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1974/7/2
- ファイルサイズ343 KB
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出版社より
グレート・ギャツビー | フィツジェラルド短編集 | |
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カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.1
314
|
5つ星のうち4.2
50
|
価格 | ¥649¥649 | ¥737¥737 |
【新潮文庫】フィツジェラルド 作品 | 豪奢な邸宅、週末ごとの盛大なパーティ……絢爛たる栄光に包まれながら、失われた愛を求めてひたむきに生きた謎の男の悲劇的生涯。 | 4102063021 |
登録情報
- ASIN : B00CM2DABA
- 出版社 : 新潮社 (1974/7/2)
- 発売日 : 1974/7/2
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 343 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 263ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 61,920位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2020年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
フィツジェラルド(1896~1940)
2013年ディカプリオ主演の映画のビジュアルを見て興味を持ったのが知るきっかけでした。
アメリカ文学の名作中の名作。
とにかく映画の絵が豪華すぎて、ディカプリオかっこよすぎて映画を見たかったのですが、
この小説は絶対と思い読みました。
素敵でした!映画見る前に味わい尽くしたい小説です。
文章によってアメリカの20世紀初頭の時代・建築・ファッションと視覚的にも鮮やかで、
そして登場人物の姿・仕草・会話それぞれに含みがあり、人間模様が伺えます。
読んだ後には喪失感がありますが、この小説の時代のアメリカについてもっと知りたくなりました!
改訂版の役者のあとがきがとても興味深いです。
2013年ディカプリオ主演の映画のビジュアルを見て興味を持ったのが知るきっかけでした。
アメリカ文学の名作中の名作。
とにかく映画の絵が豪華すぎて、ディカプリオかっこよすぎて映画を見たかったのですが、
この小説は絶対と思い読みました。
素敵でした!映画見る前に味わい尽くしたい小説です。
文章によってアメリカの20世紀初頭の時代・建築・ファッションと視覚的にも鮮やかで、
そして登場人物の姿・仕草・会話それぞれに含みがあり、人間模様が伺えます。
読んだ後には喪失感がありますが、この小説の時代のアメリカについてもっと知りたくなりました!
改訂版の役者のあとがきがとても興味深いです。
2023年12月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
訳者のセルフカバー。しかし、いまだに古くさいと思われる…。へんにうわついた新訳もいやだが、もっと読みやすくてもいいのでは?
2022年11月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
デイズィに象徴される理想の世界を渇望し、欺瞞をもってしてでもそれに接近を試みた青年ギャツビー。ところが彼は、戦争によりその世界から隔絶されてしまう。しかし、彼の渇望はとどまることを知らず、そのバイタリティーは巨万の富を築き上げ、盲目的、あるいは破滅的な手段をもって理想を追求する。
これは「太く短く人生を生きたい」という若者を魅了する、火花を散らすような一途な人生観であるに違いない。だが、ギャツビーの理想は刹那的なものであり、達成と同時にその意味を失ってしまうように思えてならない。
「無敵の人」という言葉が流行っている。何も失うものはないので八方破れな事をする人という意だが、社会から逸脱して理想だけを一方的に追及するギャツビーもまさにその状態ではなかったか。
ギャツビーは結局、幸福だったのか不幸だったのか?
この本を読む、若い読者によく考えて欲しい点である。
これは「太く短く人生を生きたい」という若者を魅了する、火花を散らすような一途な人生観であるに違いない。だが、ギャツビーの理想は刹那的なものであり、達成と同時にその意味を失ってしまうように思えてならない。
「無敵の人」という言葉が流行っている。何も失うものはないので八方破れな事をする人という意だが、社会から逸脱して理想だけを一方的に追及するギャツビーもまさにその状態ではなかったか。
ギャツビーは結局、幸福だったのか不幸だったのか?
この本を読む、若い読者によく考えて欲しい点である。
2022年7月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
YouTube 大学で紹介されていたので買いました。パーフェクトヒューマンはギャッツビーを意識して作ってあるときいていましたが読んで成程でした。
2020年11月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この小説、至る所で名前が上げられるために有名なので取り敢えず読んでおこうとする人が多いと思います。私もそうでした。
でも楽しめるかどうかは別として、フイッツジェラルドの込めた意味は大抵の人にはほとんど理解できないのでは?と思う。フィッツジェラルドの生い立ちや1920年代、いわゆるジャズエイジにアメリカ人の意識に浸透していた社会通念などが解らなければ理解が出来ない。
私も若いときに1度読んだときには「こんなもんか」という印象しか残らなかったし、アメリカ人から高く評価されている理由は解らなかった。
じゃどうして再び手にしたかと言うと、この小説は精神医学…とりわけナルシシズム、ナルシシスト…自己愛性人格障害の分析で非常によく見かけるからです。
どうやら、フィッツジェラルド自身が、今でいうところの自己愛性人格障害と診断される人格の持ち主であったようで、この小説は自己愛の傷ついた人に特有である自我の分裂、それゆえ不器用にしか生きれない人の生き様、そして1920年代・・・ジャズエイジと呼ばれた時代のアメリカ社会は開拓時代以来の個人主義が行き過ぎて、他者に対する思い遣りの意識が失われた時代だったそうですが、そういう世界との葛藤・・・孤独を書き上げてあります。
登場人物のギャッビーはフィッツジェラルドのペルソナ・・・要は、人と付き合う上での仮面の人格を擬人化したもので、ニックはそういう不器用な生き方しかできない自分を冷徹に見つめるフィッツジェラルドのもう一つの側面、医者が言うところのありのままの自己だとか、真の自己の部分を擬人化して書いてあります。
そしてデイジーをはじめとしたギャッビーを取り巻く人々の在りようにジャズエイジの思い遣りが失われた時代の大衆の生き様を。
おそらく親や自分の身近にいる人から本当の意味で愛されて育った人には生涯理解が出来ないことだと思いますが、ずっと周囲の人達の顔色を伺って、自分の感情を抑圧して調子を合わせていないと受け入れてはもらえない、自分らしく振舞うことが許されないような抑圧的な雰囲気の中で育つと、自分がどう思うかどう感じるかより、すなわち自分自身よりも周囲の人間の眼の中に映る『立派な自己の幻影』に恋することになるのです。
それは生き残りの為の戦略なのだけど、要は良い子ぶることで周囲に認められようとする生き方がやめられなくなる。絶えず立派な自分を作り上げずにはいられなくなる。
全ては”愛”と称されるものを得る為に・・・。
そういう人格の傾向が行き過ぎて、本人が行き詰まるようになると自己愛性人格障害と診断されるようになるわけですが、そういう人間の生き様を小説にしてある、ということです。
一度は読んだけど理解が出来なかったからまた読みたいって方は精神医学方面でナルシシズムについて少し齧ると解り易いかも知れません。
私的には精神分析医ロロ・メイの邦題『自分さがしの神話』という本の第8章ギャッツビーとアメリカンドリーム、の部分がフィッツジェラルド本人が何をこの小説に込めたか、当時の時代背景、そういったものを含め詳しく分析解釈をしているのでお薦め。
小説の内容の意味が解れば評価がガラッと変わる作品だと思うので興味がある方は見てみるのも良いかと思う。
余談だけど、村上春樹さんの小説の中にこのギャッツビーがよく登場することが知られているそうである。
私は以前に精神科医の岡田尊さんが村上さんの性格傾向を回避性人格障害の傾向があると分析されていたのを読んだことがある。
もしそれが的を射たものであれば、この作品が村上さんにとって特別な意味がある作品だというのも難無く理解が可能である。
何故なら、自己愛性人格障害も回避性人格障害も根が同じ、、、すなわち、ナルシシズムの障害であって、その根っ子は成長期に真の意味で愛された体験の欠如にあるから。
自分自身(自己の内実)ではなくて、周囲の人の眼の中に映る自己の姿(それはけっきょく己の幻影であって、ナルキッソスが恋をした泉の中に映る己の姿に他ならないわけだけど…)を大事にする・・・良い子になって、力こぶを作って見せることで認めてもらう生き方をするようになるのは、ありのままの自分では愛されないと感じながら育つ以外にはありえない。
私は村上さんのファンではないし詳しくはないけど、おそらく村上さんの子供時代はフィッツジェラルドと同じように高圧的な親や重要他者が周囲にいて、窒息するような重苦しい雰囲気・・ありのままでは愛されない雰囲気があったのではないでしょうかね?
そのあたりで自分と似たフィッツジェラルド…すなわち自分同様に自己愛の傷ついた人物が書き上げたこの小説、主役のギャッビーに対し特別なシンパシーを感じておられるのかなあ?と思うわけである。
でも楽しめるかどうかは別として、フイッツジェラルドの込めた意味は大抵の人にはほとんど理解できないのでは?と思う。フィッツジェラルドの生い立ちや1920年代、いわゆるジャズエイジにアメリカ人の意識に浸透していた社会通念などが解らなければ理解が出来ない。
私も若いときに1度読んだときには「こんなもんか」という印象しか残らなかったし、アメリカ人から高く評価されている理由は解らなかった。
じゃどうして再び手にしたかと言うと、この小説は精神医学…とりわけナルシシズム、ナルシシスト…自己愛性人格障害の分析で非常によく見かけるからです。
どうやら、フィッツジェラルド自身が、今でいうところの自己愛性人格障害と診断される人格の持ち主であったようで、この小説は自己愛の傷ついた人に特有である自我の分裂、それゆえ不器用にしか生きれない人の生き様、そして1920年代・・・ジャズエイジと呼ばれた時代のアメリカ社会は開拓時代以来の個人主義が行き過ぎて、他者に対する思い遣りの意識が失われた時代だったそうですが、そういう世界との葛藤・・・孤独を書き上げてあります。
登場人物のギャッビーはフィッツジェラルドのペルソナ・・・要は、人と付き合う上での仮面の人格を擬人化したもので、ニックはそういう不器用な生き方しかできない自分を冷徹に見つめるフィッツジェラルドのもう一つの側面、医者が言うところのありのままの自己だとか、真の自己の部分を擬人化して書いてあります。
そしてデイジーをはじめとしたギャッビーを取り巻く人々の在りようにジャズエイジの思い遣りが失われた時代の大衆の生き様を。
おそらく親や自分の身近にいる人から本当の意味で愛されて育った人には生涯理解が出来ないことだと思いますが、ずっと周囲の人達の顔色を伺って、自分の感情を抑圧して調子を合わせていないと受け入れてはもらえない、自分らしく振舞うことが許されないような抑圧的な雰囲気の中で育つと、自分がどう思うかどう感じるかより、すなわち自分自身よりも周囲の人間の眼の中に映る『立派な自己の幻影』に恋することになるのです。
それは生き残りの為の戦略なのだけど、要は良い子ぶることで周囲に認められようとする生き方がやめられなくなる。絶えず立派な自分を作り上げずにはいられなくなる。
全ては”愛”と称されるものを得る為に・・・。
そういう人格の傾向が行き過ぎて、本人が行き詰まるようになると自己愛性人格障害と診断されるようになるわけですが、そういう人間の生き様を小説にしてある、ということです。
一度は読んだけど理解が出来なかったからまた読みたいって方は精神医学方面でナルシシズムについて少し齧ると解り易いかも知れません。
私的には精神分析医ロロ・メイの邦題『自分さがしの神話』という本の第8章ギャッツビーとアメリカンドリーム、の部分がフィッツジェラルド本人が何をこの小説に込めたか、当時の時代背景、そういったものを含め詳しく分析解釈をしているのでお薦め。
小説の内容の意味が解れば評価がガラッと変わる作品だと思うので興味がある方は見てみるのも良いかと思う。
余談だけど、村上春樹さんの小説の中にこのギャッツビーがよく登場することが知られているそうである。
私は以前に精神科医の岡田尊さんが村上さんの性格傾向を回避性人格障害の傾向があると分析されていたのを読んだことがある。
もしそれが的を射たものであれば、この作品が村上さんにとって特別な意味がある作品だというのも難無く理解が可能である。
何故なら、自己愛性人格障害も回避性人格障害も根が同じ、、、すなわち、ナルシシズムの障害であって、その根っ子は成長期に真の意味で愛された体験の欠如にあるから。
自分自身(自己の内実)ではなくて、周囲の人の眼の中に映る自己の姿(それはけっきょく己の幻影であって、ナルキッソスが恋をした泉の中に映る己の姿に他ならないわけだけど…)を大事にする・・・良い子になって、力こぶを作って見せることで認めてもらう生き方をするようになるのは、ありのままの自分では愛されないと感じながら育つ以外にはありえない。
私は村上さんのファンではないし詳しくはないけど、おそらく村上さんの子供時代はフィッツジェラルドと同じように高圧的な親や重要他者が周囲にいて、窒息するような重苦しい雰囲気・・ありのままでは愛されない雰囲気があったのではないでしょうかね?
そのあたりで自分と似たフィッツジェラルド…すなわち自分同様に自己愛の傷ついた人物が書き上げたこの小説、主役のギャッビーに対し特別なシンパシーを感じておられるのかなあ?と思うわけである。
2023年8月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
宝塚のミュージカルを観て、再読です。
書店になかったので、こちらで購入できて、
良かったです。
書店になかったので、こちらで購入できて、
良かったです。