謡曲をしています。謡曲本を見ながら、このビデオを見ると面白いです。
黒澤監督の工夫が よくわかります。
虎の尾を踏む男達 [東宝DVDシネマファンクラブ]
フォーマット | モノ |
コントリビュータ | 榎本健一, 志村 喬, 黒澤 明, 大河内傳次郎, 藤田 進, 森 雅之 |
稼働時間 | 58 分 |
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商品の説明
東宝DVDシネマファンクラブ キャンペーン第一弾
第一弾は、黒澤明監督作品、戦争映画、金田一耕助シリーズ、特撮シリーズ、若大将シリーズから計42作品をリリース! !
日本映画の至宝・黒澤 明が鋭く解剖する時代名作“勧進帳"
監督:黒澤 明 脚本:黒澤 明 出演:大河内傳次郎/藤田 進/榎本健一/森 雅之/志村 喬/河野秋武/小杉義男/横尾泥海男/仁科周芳(現・岩井半四郎) 他
モノクロ/58分/スタンダード/音声1モノラル/字幕:日本語/1945年
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 製品サイズ : 25 x 2.2 x 18 cm; 100 g
- EAN : 4988104078001
- 監督 : 黒澤 明
- メディア形式 : モノ
- 時間 : 58 分
- 発売日 : 2013/8/2
- 出演 : 大河内傳次郎, 藤田 進, 榎本健一, 森 雅之, 志村 喬
- 字幕: : 日本語
- 販売元 : 東宝
- ASIN : B00CR647J0
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 269,648位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中4つ
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年12月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まず、Youtubeあたりで 歌舞伎の「勧進帳」を観てから この映画を観ると良いですよ。
そうすると黒澤明監督の頑張りどころがよっくわかりますからね。
そうすると黒澤明監督の頑張りどころがよっくわかりますからね。
2019年8月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歌舞伎の勧進帳を知っておられる方には意外な展開だと思われると思います。榎本健一がおどけ役として、山伏の堅苦しさを和らげて面白かったです。最後の榎本健一が六法をふむところは思わず笑ってしまいました。
2022年11月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦争末期でもこんな軍事色のない映画が撮れたんだなあ…という驚きと、物資不足・人手不足の中での製作は大変だったろうなあ…という感慨がありました。
鎌倉時代が舞台であり、能や歌舞伎が元ネタなのに、それでもGHQの検閲に引っ掛かるなんて。
とはいえ、戦後に公開できてよかった。
コミカルなエノケンと重厚な大河内傅次郎が好対照をなしていて面白い作品でした。
鎌倉時代が舞台であり、能や歌舞伎が元ネタなのに、それでもGHQの検閲に引っ掛かるなんて。
とはいえ、戦後に公開できてよかった。
コミカルなエノケンと重厚な大河内傅次郎が好対照をなしていて面白い作品でした。
2020年4月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大河内伝次郎がすばらしい。声質とセリフ回し。何言ってるわからないけど不思議な説得力がある。エノケンのクラウンぶりもすばらしい。動きがそのまま芸になっている。敗戦後1ヶ月でよくこんな映画を作ったもんだ。
2018年5月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
黒澤監督の作品で いわゆる勧進帳…。しかし大河内さんの弁慶は 歌舞伎界を上回る迫力があり 必見!!
2007年11月12日に日本でレビュー済み
嘘を吐くならば、「完璧な」嘘を
吐け。
其れが、ばれたら死んでしまう。
或いは、殺されてしまう。
「生き死に」を懸けて
「完璧に」最後の最後まで
其の嘘を吐き通せ。
・・・・・・・・・・・・
其処は、安宅関である。
弁慶は、主である義経と
共に、山伏とその従者に化けて、
此処を、何としてでも
「通過」しなくては為らない。
富樫が問い続ける。
弁慶が答え続ける。
勿論、弁慶の答えは、
全部、「嘘」。
だが、最後の最後まで
騙し遂せなくては為らない。
富樫は既に、気付いている
だろう。自分達が
義経一行である事に。
全ては、「建前」と言う名の
美しい「嘘」。最初から
最後まで、「建前」の
レヴェルで、物語が終始する
極めて、フェアで、そして、
「反」日本的なストーリー。
この男。嘗ては、「鬼若」と
呼ばれ、威勢の良さのみで、
生きて来た。
その滅茶苦茶なまでの「力押し」、
圧倒的な「力技」を
見せ付ける、日本史上
稀有なパワーの男。
「建前」レヴェルに
猛烈に、シンクロして行く
その「力」。
「智略」よりも「勢い」。
最後には、見事に安宅関を
「斬り抜ける。」
此れは、そう言う男の
勇気とガッツの
サクセス・ストーリー。
決して「立ち往生」では、
終わっては居ない。
目的は「通過する事」。
其の目的は、完全に遂行される。
「舞台」では、ヒーローは、六方を踏む。
・・・・・・・・・・・・・・・
此方の映画では、エノケンが
六方を踏む。
吐け。
其れが、ばれたら死んでしまう。
或いは、殺されてしまう。
「生き死に」を懸けて
「完璧に」最後の最後まで
其の嘘を吐き通せ。
・・・・・・・・・・・・
其処は、安宅関である。
弁慶は、主である義経と
共に、山伏とその従者に化けて、
此処を、何としてでも
「通過」しなくては為らない。
富樫が問い続ける。
弁慶が答え続ける。
勿論、弁慶の答えは、
全部、「嘘」。
だが、最後の最後まで
騙し遂せなくては為らない。
富樫は既に、気付いている
だろう。自分達が
義経一行である事に。
全ては、「建前」と言う名の
美しい「嘘」。最初から
最後まで、「建前」の
レヴェルで、物語が終始する
極めて、フェアで、そして、
「反」日本的なストーリー。
この男。嘗ては、「鬼若」と
呼ばれ、威勢の良さのみで、
生きて来た。
その滅茶苦茶なまでの「力押し」、
圧倒的な「力技」を
見せ付ける、日本史上
稀有なパワーの男。
「建前」レヴェルに
猛烈に、シンクロして行く
その「力」。
「智略」よりも「勢い」。
最後には、見事に安宅関を
「斬り抜ける。」
此れは、そう言う男の
勇気とガッツの
サクセス・ストーリー。
決して「立ち往生」では、
終わっては居ない。
目的は「通過する事」。
其の目的は、完全に遂行される。
「舞台」では、ヒーローは、六方を踏む。
・・・・・・・・・・・・・・・
此方の映画では、エノケンが
六方を踏む。
2024年1月30日に日本でレビュー済み
エノケンは子供の頃晩年の映像を見て、眼がギョロリとしてちょっと怖い印象を持っていました。この映画ではまだ身のこなしが軽く、ボードヴィル的な振舞や表情が、落語のおどけたセリフ回しと折衷されているような印象が有ります。そして眉毛、この眉とギョロっとした眼の組み合わせが昭和の日本人の相貌とも言えるような気がします。エノケン以外は「姿三四郎」のキャストから引き継がれているので、黒澤明は終戦前、大河内傅次郎のチームに属していたとも言えるようです。
戦前の大スター大河内にエノケンを組み合わせると言う企画性。両者はその演技が舞台的と言う辛うじての共通点はあっても質的には異なる。大河内はその聞き取りづらいセリフ回しをよく言われますが、同時に意味よりも響きが勝つ、或いはセリフを振舞いと化す様な、ある意味舞の様なセリフ回しとも言えるのでは。そこに他の志村喬の様なリアリズムが念頭に置かれた新劇系の俳優を組み合わせると言う折衷性。
この折衷性はさらに音楽にも見て取れます。能や歌舞伎と言っても、素人の見立てですが歌舞伎に用いられる音楽にはある意味折衷性が有り、その上でBGMにドイツ音楽的なコード感のコーラスを組み合わせています。
戦中から終戦にかけての時期に製作されているので、制作に限界が設定されていたとも考えられ、その上でこうした折衷性が選択されていたとも考えられるのですが、同時に黒澤の意図もこの折衷性に有るとも感じるのです。
それはこれは映画だと言う事です。歌舞伎の勧進帳を、舞台ではなく映画で見せるとは、すぐ傍までやって来たであろう他者(アメリカ)を意識していたと言う風にも感じるのです。小柄な日本人がおどけながら敗者に肩入れし、命を懸けて大音声で白紙の巻物を読み上げる男もまた役柄には不釣り合いな小柄さではあるが迫力に満ち、それを目を瞑り聞き入る男がいる。これだけが他者に伝わる様に工夫すると。
虎の尾とは実は日本の文化、心かも知れず、それでも白紙を読み上げる男と、目を瞑る男にカメラは寄らなければならない。その賭けに黒澤は出たのかも知れないのですが、そこを感じるにはある程度の経験が必要かもしれません。
戦前の大スター大河内にエノケンを組み合わせると言う企画性。両者はその演技が舞台的と言う辛うじての共通点はあっても質的には異なる。大河内はその聞き取りづらいセリフ回しをよく言われますが、同時に意味よりも響きが勝つ、或いはセリフを振舞いと化す様な、ある意味舞の様なセリフ回しとも言えるのでは。そこに他の志村喬の様なリアリズムが念頭に置かれた新劇系の俳優を組み合わせると言う折衷性。
この折衷性はさらに音楽にも見て取れます。能や歌舞伎と言っても、素人の見立てですが歌舞伎に用いられる音楽にはある意味折衷性が有り、その上でBGMにドイツ音楽的なコード感のコーラスを組み合わせています。
戦中から終戦にかけての時期に製作されているので、制作に限界が設定されていたとも考えられ、その上でこうした折衷性が選択されていたとも考えられるのですが、同時に黒澤の意図もこの折衷性に有るとも感じるのです。
それはこれは映画だと言う事です。歌舞伎の勧進帳を、舞台ではなく映画で見せるとは、すぐ傍までやって来たであろう他者(アメリカ)を意識していたと言う風にも感じるのです。小柄な日本人がおどけながら敗者に肩入れし、命を懸けて大音声で白紙の巻物を読み上げる男もまた役柄には不釣り合いな小柄さではあるが迫力に満ち、それを目を瞑り聞き入る男がいる。これだけが他者に伝わる様に工夫すると。
虎の尾とは実は日本の文化、心かも知れず、それでも白紙を読み上げる男と、目を瞑る男にカメラは寄らなければならない。その賭けに黒澤は出たのかも知れないのですが、そこを感じるにはある程度の経験が必要かもしれません。