映画マニアには、2種類の人間がいる。あくまで「作品」の価値を中心とする者と、作品の「作り手」に・・・その内面に興味を持ち、惹かれてゆくタイプだ。そして筆者は、後者に属するタイプである。自分が好きな映画に出逢うと、この監督はどんな思いで撮ったのだろうか、どんな嗜好の持ち主なのだろうか・・・やがてはその人の「生きざま」の方向に興味がシフトして行ってしまう(笑)。そして本作は、そうした視点で作られたインタビュー映画だという事を、まず最初にお断りしておかなくてはならない。
ロマン・ポランスキーは、’77年に少女淫行事件を起こし、係争中に海外に逃亡。以来アメリカ当局は数十年に亘って各国に身柄送還を要求していた。2009年9月、ポランスキーは映画祭に出演するために訪れたスイスの空港で突然拘束される。その後、スイスの別荘で当局の監視状態に置かれるのだが、本作はその軟禁中に行われたインタビューである。インタビュアーは、’60年代半ばからポランスキー映画のプロデューサーを務めたアンドリュー・ブラウンズバーグで、ポランスキーの数奇な人生にスポットを当てた内容になっている。特筆すべきは、長年の親友でもあり信頼篤い盟友がインタビュアーである事からも、ポランスキー自身が打ち解けリラックスした状態で、おそらく通常のインタビューでは決して語らないようなエピソードを赤裸々に、時にうつむき、言葉を詰まらせながら、それでも取り乱す事なく朗々と語っているという事である。
なので、これは作品論のインタビュー映画ではない。そうした内容を期待して、期待はずれだと文句を言っている方もいらっしゃるようだが、これは今まで片鱗を知られながらも、ほとんど他者(マスコミ)によってスキャンダル目線で一方的に語られたきた彼の人生に対し、初めてポランスキー自身の視点からつぶさに語った貴重なインタビューなのである。波乱と呼ぶにはあまりにも壮絶な人生と、スキャンダルにまみれたオブセッションの映像作家・・・その心の裡が、我々観客の前でひもとかれてゆくのである。
なので、テーマは明快である。
◆ナチス占領下、暗黒の少年時代
◆シャロン・テイトとの出逢いと別離
◆少女淫行事件
◆エマニエル・セニエとの出逢い
さすがに、このエピソードは聞けないだろう・・・と思っていたような話が驚くばかりに列挙されてゆく。
少年時代の、ナチス占領下での家族との離別。ガス室に送られた母親・・・そして父と姉との感動的な再会。この時のポランスキーの体験が、生々しく『戦場のピアニスト』(2002)に投影されている事が明らかになる。
そして、映画と出会った青年時代から監督デビュー、シャロン・テイトとの出逢いと、そのあまりに残酷な別れ。普通のインタビュアーなら、質問する事さえ許されないような内容に、ブラウンズバーグは躊躇なく踏み込んで行く。それもそのはずで、シャロン殺害の一報をポランスキーに伝えたのは他でもない、ブラウンズバーグ本人だったのだ。その時の緊迫した様子が、二人の会話から再現されるシーンには、観ているこちらも息詰まるような気分になる。
顔面蒼白のブラウンズバーグから「全員死んだ・・・」と聞かされたポランスキーは最初、がけ崩れで邸宅が押しつぶされたのだと思った、というくだりは、あまりにリアルで決して忘れられなくなる言葉だ。十代の頃にシャロン・テイトの大ファンだった筆者にとっても、これは聞いていて辛いエピソードなのだが、その一方でシャロンの秘蔵映像が満載という内容に心躍る・・・フクザツな気分だ(苦笑)。
アウシュヴッツでガス室に送られた母も、シャロンも共に妊娠中だったという奇妙な符号の一致にも、ポランスキーの人生を覆う不吉な影を感じずにはいられない。
そして、例の少女淫行事件である。これはさすがにポランスキーも多くを語りたくないらしく、ためらいがちに自分の行った事を恥じるように語る。ここで明かされるのは、なぜポランスキーはアメリカ国外へと逃亡したか、という事である。スイスでの拘束がニュースになった時、マスコミは一様に、ポランスキーは罪を償うのが嫌で逃亡したかのような伝え方をした。いや、それまでもゴシップ目線で書かれた大概の記事はポランスキーを変態の性犯罪者としてしか書いて来なかった。その方が面白いからだ。
もちろん、ポランスキーが当時13歳の少女に対してした事は、どんな理由をつけても正当化も弁護もできない事だ。しかしポランスキーは罪を償おうとした。実際に服役もした。
しかしこの時に裁判を担当した判事が、何としてでもポランスキーを異常性犯罪者にしたて上げようとして、あらゆる偏執狂的な手段を用いたのだった。
量刑審問も観察保護の報告も待たず、判事は精神鑑定のため、という理由でポランスキーを強引に投獄した。地方検事も反対したのに関わらず、だ。
判事からの依頼でポランスキーの精神鑑定をした精神科医は、「被告は精神的に病んでおらず、性的異常者でもない。知性も高く、自分の罪を反省し、後悔している」と報告し、42日間の拘留後に釈放された。
しかし判事は納得せず、あいまいな理由で再びポランスキーを投獄しようとした。釈放の期限は判事の任意で、全く予想がつかなかった。身の危険を感じたポランスキーは、映画の撮影を理由に国外へと逃亡したのだった。
つまり「保釈中に逃亡した」という表現は正しくなく、ポランスキーはきちんと服役し、出所しているのである。ここでも、権力の側にいる人間が「気に食わない」と思ったら、どんな手段を用いても社会的に抹殺、時には謀殺までしようとするアメリカという国の恐ろしさが浮き彫りにされる。
このインタビュー映画は、いわゆるドキュメンタリーフィルムではなく、極めて私的なポランスキー側の言い分を綴った映画なので、公平性はない。判事側の、つまりアメリカ当局側の言い分は紹介されない。しかし、そもそも今までマスコミがやって来た事が、公平性に欠いた報道だったのだから、いいではないかと思う。実際、当時の検察官がポランスキーの逃亡に理解を示すような発言までしたというのだから、担当判事は間違いなく異常だったのだ。そしてポランスキーは正しい選択をしたと思う。あの時逃亡しなければ、彼はおそらくとてつもなく長い年月を獄中で過ごしたか、最悪の場合は暗殺されていたかもしれない。アメリカという国は、そういうところだ。
もう一点、本作では被害者の少女だったサマンサ・ガイマーが、この事件の30年後に告訴を取り下げた際に、テレビの番組に出演した時の映像が紹介される。
「判事の不誠実なやり方を見れば、逃げたくなるのも当然です。私を深く傷つけたのは、司法とマスコミです。事件そのものよりも苦しめられました。ポランスキーよりも許せない相手は、他に大勢います」
ポランスキーは、事件が発覚した当時、被害者の少女や家族の匿名性を何としても守ろうとしたという。自身が今までマスコミに追いかけられ、苦しんで来たからである。しかしマスコミはサマンサを見つけ出し、彼女からプライバシーを奪った。この事件の最も病んだ部分は、実はここなのである。
そして、エマニエル・セニエとの出逢いで、ポランスキーはようやく心の平静を得る。この部分は映画の中のラスト15分程度で、ほとんどが彼の壮絶な半生についての独白に費やされている。
本作を観ながら思ったのは、おそらくポランスキーはいまだに、シャロンの事を愛しているのではないだろうか、という事だ。エマニエルには申し訳ないが、たぶんそれがポランスキーの嘘偽らざる思いなのではないだろうか。なぜなら、シャロンについて語る時ほど、彼の感情が乱れる瞬間はないからだ。
「『袋小路』と『吸血鬼』を撮っていたあの時代が、人生で一番輝いていた瞬間だった」- R.ポランスキー
最後に、本作はツタヤの発掘良品シリーズで、レンタルで観る事もできるので、気になった方は気軽に観て頂きたい。いや、重いエピソードが圧倒的に多いので、決して気軽に観れる内容ではないのだが(苦笑)、買うほどじゃないが興味ある・・・という方にはレンタルという選択肢もあるのが嬉しいではないか。筆者的には買いだけどね。シャロンのお宝映像満載だから(笑)。