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高度成長――昭和が燃えたもう一つの戦争 (朝日新書) Kindle版

4.0 5つ星のうち4.0 3個の評価

昭和には二つの戦争があった。日本を破滅の淵に追い込んだ戦争と、米国に次ぐ経済大国に押し上げた高度成長という「経済戦争」だ。敗北と勝利、結果は正反対だが、二つには数多くの共通点がある。戦後日本が劇的に変化した「あの時代」を、昭和史研究の第一人者が昭和前期の戦争と対比して徹底検証する。
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登録情報

  • ASIN ‏ : ‎ B00F29KIYW
  • 出版社 ‏ : ‎ 朝日新聞出版 (2013/7/30)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/7/30
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ファイルサイズ ‏ : ‎ 8914 KB
  • Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) ‏ : ‎ 有効
  • X-Ray ‏ : ‎ 有効にされていません
  • Word Wise ‏ : ‎ 有効にされていません
  • 付箋メモ ‏ : ‎ Kindle Scribeで
  • 本の長さ ‏ : ‎ 112ページ
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 3個の評価

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保阪 正康
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上位レビュー、対象国: 日本

2020年8月8日に日本でレビュー済み
所得倍増計画が発表された1960年から石油危機の1973年までの14年間にわたる日本の高度成長期。舵取りを行ったのは当時の首相の池田勇人、経済学者の下村治、首相秘書官の伊藤昌哉。参謀が立てた戦略に基づいて官僚や財界、企業が動く形は戦争の進め方と裏表をなすものでした。
筆者が強調するのは、海軍が行ったエリート教育ともいえる「短期現役制度」で育った人材の存在。戦争の原価計算や経済的な損得を実践的に学んで現実的な発想や態度を身に着けた彼らは、軍事の持つ非人間的な側面を克服すべく、戦後政官財で活躍。官民問わず広い人脈を誇り、戦後日本の復興の原動力として高度成長の推進役になったことを具体的な出身者を挙げて明らかにしています。
2015年2月9日に日本でレビュー済み
「何でも今基準にして考えちゃいけません。どちらかというと、昔から流れて来ているから今があるんですからね。歴史を逆に見ちゃいけない」
大瀧詠一の「分母分子論」の方法について、内田樹が丁寧に解説してくれる「大瀧詠一の系譜学」に引用された大瀧詠一の言葉である。
 
序章の記述によれば、海軍の主計課短期現役として軍務に就いた総数は12期にわたり3,555人に上るそうである。
海軍の「主計課二年現役制度」(俗に短期現役と呼ばれた)が開始された経緯については、阿川弘之「軍艦長門の生涯」が概要に触れている。それによれば昭和十三年、第一期が「長門」にも乗りこんできた。従来から軍医や技術関係では一般の大学・専門学校を出て海軍に入るルートはあったが、文科系を卒業して官庁や企業に籍のあるものが選抜され、主計中尉に任官して海軍で勤務する制度である。
海軍側の意向としては「大学での優秀な青年が、事変で陸軍に召集され、一兵卒としてこうやに朽ちるのは、如何にも惜しい」という気持ちがあった、とある。
結果として非常な好評好成績で、爾後、軍医科技術科の短期現役制度とならんで年々拡充された、さらに一般兵科予備学生制度を生むことになるが当初は海軍側にも人材を供給する民間の側にも反対があった、ともある。
 技術、造兵では戦後の日本の高度成長を支えた多くの人材が大学時代に軍の委託学生となり卒業と同時に軍務について研究を継続した例がある。もっとも有名なひとりがソニーの創業者である盛田昭夫だろう。

そういえば著者には本人からの聞書きを基にした後藤田正晴の評伝があるが、内務官僚だった後藤田正晴は海軍の短期現役ではなく陸軍に入隊した後に幹部候補生から主計将校になっている。海軍に採用されなかった理由について後藤田は、両親を早く亡くしていた家庭環境が理由だったのかもしれない、と御厨貴のインタビューに答えている。
海軍という組織は開明的であると同時に貴族的閉鎖主義を持っていたようで、英国海軍伝来のものなのかもしれない。韓国の朴槿恵大統領の父、朴正煕元大統領が満州軍官学校で優秀な成績を収め、選抜されて東京の陸軍士官学校に留学したのは有名な話だし、陸軍には洪思翊のように将官にまで進んだ朝鮮半島出身の軍人がいたのに対し、海軍兵学校は外地出身の生徒を採用しなかった。同じ英国海軍を祖とする米海軍も似たような状況があったようで、日米開戦後アメリカは陸軍も海軍も日本語学校を設立し語学兵の養成を始めるのだが、陸軍が一定の基準をクリアした日系人を採用したのに対して、海軍は採用しなかったようである。因みにドナルドキーン先生も海軍日本語学校の出身である。

さて保阪正康の「後藤田正晴」は、本人はもとより多くの関係者に取材しているのだが、後藤田の後援会長を勤めた小川信雄という人物が出てくる。富岡中学の同級生で成績優秀だったにも関わらず貧しさのため高校大学に進学せず、地元の徳島高等工業に進みそのあと陸軍軍医学校を出てブーゲンビルの戦場に出た経験を持つ、とある。徳島工高時代に陸軍の委託学生に選抜され軍医学校に進んだこの小川信雄が、戦後日亜化学工業を創業し、青色発光ダイオードの開発を始めるにあたって中村修二教授の直訴の結果、研究費の支出を決定し開発を支援した人である。
 
そんなあれやこれやの連想が次から次へと湧いてくる、まさに昭和史の大河に触れた思いをさせてくれる一書である。
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