東京芸術大学の教授である野平一郎(1953-)によるドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)のピアノ作品集。2012年録音。野平は、若いころ、フランス政府給費留学生としてパリで音楽全般を勉強し、ドビュッシーについても、そのころから様々な考え方を持つようになったという。
ドビュッシーという作曲家は、西欧音楽史にあって、一つの転轍の役割を担った大家で、従来の和声と楽曲構成の理論から乖離し、独自の語法で「音楽の作り方」を編み出した人として、現代までその評価は確立している。ドビュッシーが切り開いた新しい作曲の作法は、20世紀の音楽の発展の仕方に多大な影響を与えた。ドビュッシーは「音響」という効果に重点を置き、従来的な理論から、より感覚的な作曲方法に、自らのスタイルをシフトさせた。同時に、旋律に対する鋭敏な感性を持ち合わせていたから、音楽として美しく、固有の品位を持ち合わせたものを作り出した。
以前、野平はドビュッシーのそのようなスタイルを「自由」という言葉で表現していた。もちろん「自由」といっても多層な意味がある。当然の事ながら「でたらめ」というわけではなく、いくつかの保守的な呪縛を解いたということであり、それは和声的な進行の新鮮さや、響きそのものの斬新さに繋がっている。
それで、その野平が、いよいよドビュッシーの録音を集中的に開始したようだ。当盤は「プレイズ・ドビュッシー vol.1」と題してあるから、継続して取り組んでいくのであろう。その第1弾となるわけでが、第1弾に相応しい、馴染みの深い作品が集約されたようなアルバムとなっている。
一聴して、この演奏の美質は「オーソドキシー(正当性)」にあると感じた。野平の演奏は、特に個性的というわけではなく、常に作品との距離を一定に保ちながら、その作品を大切に再現していこうという、周到さに覆われている。私には、野平のアプローチが、ドビュッシーの作品に「忠誠を誓って」いるように聴こえる。
野平の演奏は、ゆったりめのテンポで、一つ一つの音響をきわめて丁寧に扱っている。ぺダリングも注意深いし、音節の区切りが明瞭化されている。だから、「ここからここまでが一つのフレーズ」というのがとても分かり易く、明暗もはっきりする。一つ一つの音の輪郭もくっきりしている。
これは、前述のドビュッシーの「自由さ」を明らかにするために、その「自由さ」を明瞭に浮き立たせることを意識して奏でられた演奏だと思う。前奏曲集の「帆(ヴェール)」や「アナカプリの丘」といった作品で、その効果は際立っていて、音響を時間軸に沿って並らべることで「音楽」が生まれてくる、という状況を、聴き手が認識することになる。
そういった意味で、音楽そのものが感覚的ではあるのだけれど、それを体感するにあたって、聴き手に「意識的」であることを求めた演奏であると思う。そもそもドビュッシーの音楽と言うのは、いくら自由で感覚的であるといっても、高度に「知的」に作られたものであるので、そういった意識的な聴き方が、音楽の面白さをより深く認識するという聴き手の「感覚的な喜び」に強く結びつくのである。この「解析」と「感覚」が結びつく際の心地よさというのが当盤の醍醐味であろう。
この後、おそらく後期の作品に向かって録音が重ねられていくのだと思うが、どのような感覚を味わわせてくれるものになっていくのか、興味深い。