本書は、ニーチェが主著『ツァラトゥストラ』を発表した後に出版されたもので、
全9篇で構成され、最後に詩「高き峰々より」が収められている。各節には訳者
によるサブタイトルが付され、関連性が捉えやすいよう工夫が施されている。
ニーチェによれば、本書は近代性への批判である。たとえば、「客観性」「すべ
ての悩める者への共感」「歴史的感覚」「科学性」などがその批判対象。『ツァ
ラトゥストラ』や『道徳の系譜』が未読でも理解ができないわけではない。ただ
『ツァラトゥストラ』の読後であれば、共通点もあり、その詩的表現を解釈しや
すくなることは間違いない。
本書の全9篇のうち、第4篇「箴言と間奏曲」にはアフォリズムがある。近頃、
話題の大手芸能事務所の性加害を批判している音楽プロデューサー(以下音楽P)
の言動に対し、ニーチェの格言を当てはめ、その分析力の鋭さを紹介しておく。
多くの人が性加害を批判する状況に対して、ニーチェは言う。「道徳的な現象な
どというものは存在しない。あるのは現象の道徳的な解釈だけだ・・・。」
メロウな音楽Pは、芸能事務所の性加害を批判したことの意義を強調する。それ
に対して、ニーチェは言う。「虚栄心により、自分が最も立派に行なったことは、
実は自分にとって最も困難なものだったとみなしたがる」(一部変更)。
メロウな音楽Pを英雄視する人たちに対して、ニーチェは言う。「何だって?あ
れが偉人だって?自分の理想を演じている俳優にしか見えないが」。
また続けて言うだろう。「芸術家とつきあうときに人はまったく逆の評価をして
しまいがちである。凡庸な芸術家をきわめて優れた人物だと思い込んでしまうも
のだ」。
メロウな音楽Pが契約を解除になった時の心理について、ニーチェは言う。「私
たちの自惚れは、私たちの誇りが傷つけられた時にこそ、最も傷つけられたのだ」。
音楽プロデューサーとしての誇りとともに、自惚れも傷つけられたのである。
そのため、メロウな音楽Pは、先輩の音楽家に対して自分と同じように性加害批
判をするようにSNSで促す。それに対してニーチェは言う。「思い上がった善意
というものは、悪意のようにみえるものだ」。
メロウな音楽Pは、先輩の音楽家に同調してもらえないとわかると「メロウでな
い」と言う。それに対して、ニーチェならこう言うだろう。「『私は彼が気に入
らない』。『どうして?』『私がまだ彼に及ばないから』。このように答えた人
がかつていただろうか?」。
「ある人(先輩の音楽家)の高貴さをみることを望まない者(メロウな音楽P)
は、その人における低劣なもの、目立つものに、それだけ鋭い眼を向けるものだ。
そしてそのことによって自分の正体をさらけだすのだ」(447頁)。
以上のように、ニーチェのアフォリズム、そして本書は社会的事象を解釈し見通
す際にも分析力を発揮するものと考えられる(ただしフェミニズム批判は除く)。
それゆえ、オススメの1冊である。
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善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫) Kindle版
考える自我から出発したデカルトに始まり、カント、シェリング、ヘーゲル、ショーペンハウアーにいたる西洋の近代哲学。本書はその遺産の上に立ちながらも、哲学そのものがキリスト教の伝統にいかに制約されているか、独断論に終始しているかを示し、新しい哲学の営みの道を拓く試みである。アフォリズムで書かれたニーチェの思考の記録を、音楽のように響き、肉声が聞こえるような新訳で!
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2009/4/20
- ファイルサイズ1386 KB
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登録情報
- ASIN : B00H6XBGFW
- 出版社 : 光文社 (2009/4/20)
- 発売日 : 2009/4/20
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1386 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 392ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 24,174位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 27位ドイツ・オーストリアの思想
- - 63位光文社古典新訳文庫
- - 443位哲学・思想 (Kindleストア)
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2023年9月14日に日本でレビュー済み
レポート
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2023年4月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ツァラトゥストラ
を先に読んでおきましょう
そうでないと
多分半分は
何を言ってるのかわかりません
を先に読んでおきましょう
そうでないと
多分半分は
何を言ってるのかわかりません
2018年2月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
哲学書にしてはさらっと読めます。
かの有名な、深淵を除くと深淵がお前を見つめ返すんだってやつですね。
ニーチェって女性が苦手だったんだなあというかこの時代だから普通?
そして、ま、おっさんのくせに中二病やな…という感想を抱く私は、哲学向きではないのかも…
かの有名な、深淵を除くと深淵がお前を見つめ返すんだってやつですね。
ニーチェって女性が苦手だったんだなあというかこの時代だから普通?
そして、ま、おっさんのくせに中二病やな…という感想を抱く私は、哲学向きではないのかも…
2016年12月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
青年時代からの愛読書。平明に翻訳されており90歳のいま、懐かしさと新たな感動をおぼえます。
2023年12月15日に日本でレビュー済み
ニーチェのスタイルだと言えば、話はそこで終わるが、なんだってこんなに悪口ばかりなのか。ページ数の8割は他者への罵倒。
悪口の中から、何かしら意味のある事を読み取る作業は、正直ウンザリする。
まあそれでも今に残るのだから、保守的なキリスト教社会へのインパクトを与えたという歴史的意義は、あったのだろう。
一応、敬意を表して評価3。これが現代日本人が書いたものなら、評価1。
悪口の中から、何かしら意味のある事を読み取る作業は、正直ウンザリする。
まあそれでも今に残るのだから、保守的なキリスト教社会へのインパクトを与えたという歴史的意義は、あったのだろう。
一応、敬意を表して評価3。これが現代日本人が書いたものなら、評価1。
2021年10月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
道徳の系譜学とセットが必須の文庫。とにかく比喩表現や過去の著書からの抜粋が多い。
2012年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
岩波文庫版。
文章が重くてとにかく読み辛い。
この訳が学問的にどれほどのものかは知りませんが、丁寧に論理を追うのではなく詩的に言い放つ文体に対しては固すぎる語句が多いと思います。原典に忠実な逐語訳調なのかもしれませんが、古典的というか衒学的です。
悪しく専門的な雰囲気で活字も小さいので、文意を頭に入れるには相当の努力を要します。電車の中で読めるような代物ではありません。原典の勉強をする方がちょっと参考にするには良いんじゃないでしょうか。ニーチェの思想をどこまで読み取れるかという以前に、文章としての読み取りに労苦が伴うので★ふたつです。
光文社古典新訳文庫版。
岩波訳に見切りをつけて買い直し。文字も大きく(その分、ぶ厚い)、文章も確かにこなれていて読みやすいです。翻訳ではなく翻案でしょうか。
ただ、岩波版と比べると、とにかく言い換えることしか考えていないみたいで、かえって分かりにくくなっている箇所が少なからずあります。
たとえば三章、光文社版は
「遺伝の現象に先立つプロセスやその後のすべてのプロセスの考察においては、分娩と言う行為そのものが考察されることはほとんどない」
岩波版は「分娩の作用が遺伝の進行や継続の全過程において問題とならないように」
この前後を含めると光文社版の文章としての混乱の度合いはさらに拡大します。
どうも光文社版には読みやすい(ように感じる)だけしか価値がなさそうな気配があります。こちらも★ふたつ。
岩波訳を知らなければ判断を誤って★三つか四つ。
文章が重くてとにかく読み辛い。
この訳が学問的にどれほどのものかは知りませんが、丁寧に論理を追うのではなく詩的に言い放つ文体に対しては固すぎる語句が多いと思います。原典に忠実な逐語訳調なのかもしれませんが、古典的というか衒学的です。
悪しく専門的な雰囲気で活字も小さいので、文意を頭に入れるには相当の努力を要します。電車の中で読めるような代物ではありません。原典の勉強をする方がちょっと参考にするには良いんじゃないでしょうか。ニーチェの思想をどこまで読み取れるかという以前に、文章としての読み取りに労苦が伴うので★ふたつです。
光文社古典新訳文庫版。
岩波訳に見切りをつけて買い直し。文字も大きく(その分、ぶ厚い)、文章も確かにこなれていて読みやすいです。翻訳ではなく翻案でしょうか。
ただ、岩波版と比べると、とにかく言い換えることしか考えていないみたいで、かえって分かりにくくなっている箇所が少なからずあります。
たとえば三章、光文社版は
「遺伝の現象に先立つプロセスやその後のすべてのプロセスの考察においては、分娩と言う行為そのものが考察されることはほとんどない」
岩波版は「分娩の作用が遺伝の進行や継続の全過程において問題とならないように」
この前後を含めると光文社版の文章としての混乱の度合いはさらに拡大します。
どうも光文社版には読みやすい(ように感じる)だけしか価値がなさそうな気配があります。こちらも★ふたつ。
岩波訳を知らなければ判断を誤って★三つか四つ。
2009年5月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「真理が女であると考えてみては――、どうだろう?」という有名な書き出しで知られる本書は、ニーチェの主著といってもよいだろう。『ツァラトゥストラ』のように詩的に舞い上がることなく、『道徳の系譜学』のような論文様式でもなく、いかにもニーチェらしい鋭いアフォリズム形式で書かれており、どこを読んでもその卓抜な表現に唸らされる。内容的にも、キリスト教道徳、西洋形而上学、西洋近代への批判、通俗的なものと高貴なもの、学問批判、ワーグナー論、女性論、力への意志、超人思想など、ニーチェ哲学の諸要素がバランスよく盛り込まれている。本書を通読すると、ニーチェは20世紀のデリダ等に連なるポストモダン思想家であることがよく分かる。中山氏の新訳は明晰で切れがよく、一読して意味の核心がすっと胸に落ちる。例えば、新約聖書があまり出来のよくないギリシア語で書かれていることを皮肉った§121を、既訳と比べてみよう。「げに意味深いかな――。神が著作家たらんとしたとき、まずギリシア語を学び、しかも平人以上によくは学ばなかった」(竹山道雄訳、新潮文庫)。「神が著作家になろうとしたとき、ギリシア語を学び、――しかも普通より以上によく学ばなければならなかったことは、何とも妙味のあることだ」(木場深定訳、岩波文庫)。「神が物書きになろうとしたとき、ギリシア語を学んだということは味のあることだ。――しかもあまりよく出来なかったということも」(本訳)